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千剣の魔術師と呼ばれた剣士  作者: 高光晶
第十九章 服ふもの抗ふもの(まつろうものあらがうもの) ※過去編 閲覧注意
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第283話

 アルディスが意識を取り戻したとき、既に夜は明けていた。


 夜襲を仕掛けてきた敵の部隊は味方の傭兵たちによって殲滅され、隠れ潜んでいたルーシェルも明け方には無事保護されたらしい。

 とはいえ襲われた非戦闘員たちはそのほとんどが殺され、あの場にいた人間で生き残っているのはアルディスを含めても五人のみという有様だった。


 二十人以上の犠牲者を出したこの一件はウィステリア傭兵団に大きく影を落とす。

 特にルーシェルは思うところがあったのか、襲撃を受けて以降は戦い方を学ぶことに熱が入るようになった。

 そんなルーシェルを周囲の傭兵たちも温かく見守り、以前よりもいっそう両者の距離は縮んでいるように見える。


 もちろんアルディスとて自らの非力は痛感している。

 あの時グレイスたちが戻ってこなかったら、間違いなくアルディスは死んでいた。


 生に執着しているわけではないが、どうせ死ぬなら少しでも意味のある死に方をしたい。

 ならば簡単に刈り取られるだけの存在ではダメだろう。


 自分の命などどうでもいいと思っている一方で、無駄死にはしたくないという矛盾した考えにアルディスは我が事ながら困惑する。

 その困惑を振り払うようにひたすら剣を握り続けた。


「精が出るじゃないか、坊主」


 どれくらいの時間、剣を振っていたのだろうか。

 話しかけられてようやくアルディスは自分が汗だくになっていることに気付く。


ヴィクトル(教官)のいないところで頑張ったって、誰も褒めちゃくれないぞ?」


 声の主は周囲の傭兵たちからダーワットと呼ばれていた男だった。

 ウィステリア傭兵団の中でも指折りの実力者らしく、ヴィクトルと共にグレイスの補佐役として確固たる地位を築いているらしい。

 そのダーワットが頬にある大きな傷跡を歪ませてからかうような表情を作る。


「……別に褒めてもらいたくてやってるわけじゃない」


「カッカッカ! そりゃ見ればわかるさ!」


 だったらわざわざ聞いてくるな、という言葉を飲み込んでアルディスは再び剣を振るう。


「おうおう。あの娘っこと違ってこっちはずいぶん愛想がないな」


「……」


 ダーワットがどんなつもりで話しかけて来たのかわからないが、少なくとも今のアルディスにとっては煩わしいばかりである。

 相手をする気にもなれず、鍛錬に専念するていでその言葉を無視した。


「ま、愛想があろうがなかろうが死ぬ奴は結局死ぬし、死なない奴はなぜか死なないんだけどな」


「……」


 相手が何を言いたいのかわからず、アルディスはただ一心不乱に剣を振り続ける。

 そんなアルディスをしばらく眺めていたダーワットが唐突に言う。


「足の位置が悪い」


「……は?」


「足幅もうふたつ分ほど両足を開け。その位置だと次の動きへつなぐときに遅れが出るぞ」


 ダーワットが自分の足でアルディスの股を開かせる。


「実際の戦いじゃあ、同じ場所に立ったままずっと剣を振るうことなんてないからな。ただ闇雲に素振りをするんじゃなくて、振るう前と振るった後のことを考えながらやれ」


「だけどヴィクトルが『最初は剣を振るう動作を型として身体に染み込ませろ』って……」


「もちろんそれも間違っちゃあいない。安全なところでたっぷり時間をかけて身につけられるんならその方がいいさ。だけどな、俺たちは傭兵でここは傭兵団だ。行く先はどこもかしこも戦場だし、この間みたいに予期しない戦いへ放り込まれることもある。だからそんな悠長な手順を踏んでられないんだよ。基本をすっ飛ばしてでも実戦に使える技術を身につける方が結局――生き残れる」


 ヘラヘラとしていた表情が一転して真剣なものに変わる。


 ダーワットの声に本気の色を感じたアルディスは素直にその忠告を受け入れた。


「あり……がとう」


 ただ、いまいち感謝の言葉がぎこちなくなってしまったのは素直になるのがなぜだか悔しく感じる年頃なのだろう。


「いいってことよ! ガキが早死にするとこっちもへこむからな!」


 カッカッカと笑いながらダーワットがアルディスの頭を乱暴に撫でる。

 汗で濡れた黒髪がその手に掻き乱され、その拍子にアルディスの額があらわになった。


「なんだそのあざ? まるで文字みたいだな」


 アルディスの額に刻まれた数字を見てダーワットが首を傾げる。

 その視線から逃げるように、アルディスは顔を背けてボソリと言った。


「ただの……痣だよ」






 素振りを終えたアルディスはダーワットから逃げるようにその場を離れた。

 傭兵団が野営している近くの小川へ向かうと、頭から水をかぶって汗を流す。


 濡れた前髪をかき上げ、穏やかな水面を覗き込むと、そこには見覚えのある顔が泣きそうな表情でこちらを見ている。


 額の数字。

 それがお前は人間じゃないと現実を突きつけてくる。


 切られれば血が出るし痛みも感じる。時間が経てば腹も減る。夜になれば眠くなる。

 まるで人間そのものだが人間ではない。

 今ここにいるはずなのに、自分がどこにいるのかわからない不安が実態のある夢を思わせた。


 めまいを感じるようなその思考に割り込んできたのは踊るような軽い足音。


「アルディス」


 聞き慣れた声が彼の名を呼んだ。


「今日はもう終わり?」


「ああ」


 アルディスは立ち上がると、そばに寄ってきたルーシェルから顔をそらして短く答える。


「なんでこっち見ないの?」


 ルーシェルが反対側に回り込んでアルディスの顔を覗き込む。


「いや……別に……」


 とっさにアルディスは額を片手で隠す。

 普段は前髪の陰に隠れていた額も水をかぶった今はあらわになっているのだ。


 たとえ他人からは痣に見えていたとしても、アルディス自身はそれが烙印らくいんであることを知っている。

 好き好んで人に見せたいとは思わなかった。


「その数字、見られたくないの?」


 ルーシェルの視線から逃れようと顔を背けていたアルディスは、その言葉に思わず振り向いた。


「読めるのか?」


「『八』って意味でしょ?」


 文字のようだと言われることはあっても、これが数字だと理解している人間はこれまで傭兵団の中にいなかった。


 ルーシェルがなぜこの数字を理解できるのかはわからない。

 だが小さからぬ衝撃を受けたアルディスは、意味もなさない言葉だけをなんとか絞り出す。


「…………そうか」


 同時に自分の認識が誤っていなかったことを知る。

 真っ平らな鏡が手元にあるわけでもない今、アルディスが確認できるのは揺れる水面へ映し出される自らの歪な姿だけだ。

 しかも左右が逆に映るためこれまで確信は持てなかった。


 だがルーシェルの言葉がここにきてとうとう逃れようのない事実を突きつける。


 額に刻まれた八という数字。

 あの場所にいた他の自分たちの額にはそれぞれ異なる数字が刻まれていたが、その数はいくつか抜け落ちていた。

 抜け落ちていた数のひとつに八という数字があり、その数字が自分の額にある。

 それが示すのはつまり、アルディスが多数生み出された複製物の八番目だったという事実だ。


 わかっていたことであっても、自分が通し番号をつけられた実験動物だと改めて思い知らされる。

 それはアルディスの精神を思っていた以上に深くえぐった。


 しかしルーシェルにはそんな事情などわかるわけもない。


「アルディス。あんまり無理しちゃだめだよ?」


 こちらが本題とばかりに話を切り替えた。


「無理はしてない」


 すげなく答えるアルディスへ、ルーシェルが思いのほか強く声を張り上げた。


「してるよ! ヴィクトルさんの訓練受けた後もずっとひとりで剣振ってるし……。この前だって」


 この前、というのは非戦闘員たちと一緒に敵の夜襲を受けた時の話だろう。

 ルーシェルとふたりで山の中を逃げ、追っ手から彼女を守るためアルディスが単身で囮になったときのことを引き合いに出されてしまう。


「ねえ。あの時どうして追っ手にわざと見つかるようなことをしたの?」


「敵が追って来てくれなきゃ囮の意味がないだろ」


 さも当然に言い放つアルディスにルーシェルが眉を上げる。


「だってそれだとアルディスが危険じゃない! 実際グレイスさんたちが戻ってこなかったら危なかったって聞いたよ?」


「ふたりそろって敵に捕捉されるよりは、片方だけでも安全を確保できる方が合理的だろう?」


「私だってレクシィさんに戦い方教わってるんだからね! そりゃあ、あの時は目の前で人が死ぬのも初めてだったから、その……ちょっと、……戦えたかどうかわからないけど」


 人が死ぬのを目の当たりにして嘔吐おうとした醜態を思い出したのか、ルーシェルの言葉が勢いを失う。


「別に俺は気にしてない。普通はああなるらしいからな」


「アルディスは……違ったの?」


「さあ……な」


 おぼろげな記憶の中でそれらしい場面はいくつもあったが、そのどれが一番最初なのか当のアルディスにもわからない。

 そもそも人の死を目にして取り乱したり思わず嘔吐えずいてしまうような人間らしさが自分にあるとも思えなかった。


 どうせ自分は番号付きの実験動物だという考えが全ての思考を停止させる。

 それはある意味、自分に対する言い訳のようなものだろう。


 人間じゃないから先のことなど考えなくていい。

 人間じゃないから何かを望まなくてもいい。

 人間じゃないから死をいとう必要もない。


 だからこそきまぐれに、そして惰性のままに、目の前の少女を守るという人間らしいに興じていられる。


 彼はからっぽだった。

 自分がからっぽだと気付いたときから、アルディスはその事実から目をそらし続けていた。

 目をそらしたまま、ルーシェルを守るという大義名分を盾にしてごまかしながら、死んでしまえば絶望に陥る暇もないのだから。


「今はまだ足手まといかもしれないけど……。ちゃんと自分の身は自分で守れるように私だって頑張るから」


 なのに当の本人がそれを許してくれなかった。


「だから勝手に危ないことはしないでよ」


 虚飾きょしょくこころざしをルーシェルがぎ取ろうとしてくる。

 真摯しんしに語りかけてくる黒い瞳がアルディスを惑わせる。

 どうせ自分は実験のために産み出された模造品だと、実験用の道具だと、ようやく組み立てた仮組みのアイデンティティはいとも簡単にぐらついてしまう。


「俺のことはどうでもいいだろ」


 どうしていいかわからず、すげなく返すアルディスにルーシェルは怒気を込めて噛みついてきた。


「どうでも良くないよ!」


「どうでもいいんだよ!」


 動揺、困惑、反発、羞恥、焦燥――様々な感情が混じり合い、処理しきれなくなったアルディスの口からふと押し止めていた言葉がこぼれた。


「どうせ俺は……人間じゃない」


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