第282話
「ルーシェル!」
アルディスの声にひとりの少女が反応する。
その手にはアルディスと同じく支給された剣が握られているが、明らかな及び腰はそれがただのポーズであることを如実に表していた。
ルーシェルを挟み込むようにしてふたりの男が距離を詰めはじめる。
目の前の獲物が戦いの素人だとふたりにもわかっているのだろう。
「俺が先だぞ」
「わかってるっての」
何の順番を言っているのか、嫌らしい笑みを浮かべながらルーシェルを追い込んでいた。
その様子にアルディスはわけのわからない嫌悪を感じつつ、片割れの敵へ後ろから斬りつけた。
「ぎゃああ!」
アルディスの存在に気が付いていなかったのだろう。
この数日でようやく手に馴染みはじめた剣は完全に無防備な敵の背中をバッサリと斬り裂き、一撃で致命傷を与える。
反対側にいた男がようやくアルディスの存在を認識するが、それすらももう遅い。
アルディスの存在に気付き、こちらへ意識を向けるまでのほんのわずかな一瞬。
それですらこの状況においては致命的な隙となった。
アルディスは歴戦の傭兵ではない。
だが誰に教わるでもなくこの瞬間に攻めの一手を打つことが必要だと、本能的に感じ取る。
「て、てめえ!」
最初の敵を斬り捨てた勢いのまま、残った敵がアルディスへ目を向けるまでのわずかな時間で距離を詰め、腰だめに剣を引くと片方の手で柄を握るともう一方の手で柄頭を押しつけるようにして突きを放つ。
「ぐああ!」
敵が剣を振り下ろすよりも早く、アルディスの突きがその喉元を突き破った。
空気のすり抜ける音に続いて鮮血が敵の口からこぼれ、同時に喉から勢いよく血飛沫があがる。
「ひっ……!」
眼前で血を吹き出して死んでいく人間を見てルーシェルが息をのんだ。
血だまりを作りながら倒れこむ敵を無視してアルディスはルーシェルに近付き声をかける。
「怪我はないか?」
「うぅっ……!」
案じるアルディスの言葉など耳に入っていない様子で、ルーシェルは地面に手をつくと嘔吐しはじめた。
もしかしたら人が死ぬところを初めて目にしたのかもしれない。
だとしたら無理もないだろう。
自分の時はどうだっただろうかと考えかけてアルディスはすぐにやめた。
そんな記憶は既に思い出せない。
人を殺したところで何ひとつ動揺を覚えることのない、他人事のような過去だけが片隅に残っているだけだ。
薄れてしまったのか、遠い昔のことなのか。
知る手段もなければ知りたいとも思えなかった。
「ルーシェル」
「う、うぅ……ごめんなさい……」
側に寄って声をかけると弱々しい謝罪の言葉が返ってくる。
「謝る必要はない。逃げるぞ」
酷なようだが今は彼女が落ち着くまで待ってやる余裕などなかった。
「逃げるの?」
「逃げる以外にない」
ある程度身を守る術があるとはいえ、ここにいるのはもともと非戦闘員ばかりだ。
敵がどこの誰かはわからないが少なくとも自分たちよりも大きな戦力であることは間違いないだろう。
戦いを避けるために隠れていた自分たち以上に無力な存在がこの戦場にいるとは思えなかった。
ルーシェルを無理やり立ち上がらせると、その腕を引っぱって木々の中へと駆け込む。
「他の人は?」
「わからん」
後ろを気にするルーシェルに、走りながらアルディスは答える。
半分本心で半分はごまかしだ。
寝ているところで突然受けることになった夜襲。
当然アルディスにも周囲の状況など完全には理解できていない。
敵の正体も数もその狙いもわからず、戦いが起こっていたことは確かだがそれが劣勢なのかそれとも何とか持ちこたえているのかもわからなかった。
しかし同時に逃げの一択を取ったのは、どう考えてもあのまま戦ったところで殲滅されるのがわかりきっていたからでもある。
逃げ延びることができるかなどわかるわけもない。
それでもあの場所に留まり続けるよりは生存の可能性が高いはずだ。
逆に言えばあの場所に残った仲間の運命は想像に難くないということでもある。
だからこそアルディスはわからないのひと言でルーシェルの問いから逃げた。
「あっちへ逃げたぞ!」
「女がいたはずだ!」
アルディスたちを追うように声が近付いてくる。
どうやら敵はこちらを見逃すつもりなどないようだった。
「もう追ってきたのか」
後ろを振り向き、声の方向を確かめながらふたりは森の中を駆ける。
追っ手の姿はまだ見えないが、声は少なくとも四つ聞こえた。
剣術の手ほどきを数日受けただけのふたりが迎え撃つのはあまりにも無謀だろう。
幸い以前の逃避行と違い、食事も睡眠も取れているため体力面での不安はない。
加えてここのところ剣の手ほどきと同時に体力作りもさせられていたため、ルーシェルの方も以前よりしっかりと走れている。
追っ手を撒いて身を隠していればいずれグレイスたちが戻ってくるだろう。
それまで逃げ延びることができさえすればこちらの勝ちだ。
走りながらアルディスは周囲に視線を走らせた。
大木の根元に人ひとり隠れられそうな洞を見つけると、ルーシェルの身体をそこへ押し込む。
「ルーシェル、お前はここに隠れてろ」
「え? アルディスは?」
周辺から枯れ枝や落ち葉を手早く集め、洞を隠すようにかぶせていく。
「囮になってヤツらを別の方向へ誘導する」
「なんで私だけ――!?」
「どのみちこの大きさじゃふたりで隠れるのは無理だ」
洞はルーシェルひとりが隠れるので精一杯の大きさだ。
加えて限られた時間ではしっかりと隠すのも難しい。
だがアルディスが囮となって逃げれば追っ手はこちらに目を向ける余裕などないはずだ。
月明かりもわずかしか差し込まない夜の森。よほど目をこらさなければルーシェルの隠れる洞が見つかることはないだろう。
「丸一日経っても俺が戻らないときは死んだと思え」
他人事の様なその言葉にルーシェルが目を見張る。
「いずれグレイスたちが戻ってくる。その時まではあまり動き回るな」
淡々と告げるアルディスにルーシェルが声を震わせた。
「そうやってアルディスは自分ばっかり……」
その瞳には少しだけ怒りの感情が浮かんでいる。
「私が女の子だから? だから守らなきゃとか、そんなの――」
「帰る場所のある人間が助かった方がいい。生きる価値のある人間が生き延びた方がいい。それだけだ。男とか女とかは関係ない」
アルディスの答えが予想外だったのか、その黒い瞳にルーシェルが困惑を浮かべる。
「もう声は出すな」
ルーシェルからの反応を待たず、それだけを言い残してアルディスは大木を離れる。
追っ手の声からその方向を割り出し、ゆっくりと歩みを進めた。
ルーシェルの隠れている洞へ追っ手が向かってしまわないよう角度を調整ながら歩いていると、後方から威勢の良い声が届いた。
「いたぞ、あそこだ!」
追っ手がこちらに気付いた事を確認し、アルディスは慌てたようなそぶりを見せて駆け出す。
「先に行け!」
まるでその先に仲間がいるかのように声を上げ、自分はさらに右側へ進行方向を変えた。
「向こうにもいるぞ!」
「二手に分かれろ!」
雑な演技に引っかかった追っ手がアルディスに向けて半数を、何もない森の奥へ向けて残りの半数を差し向けた。
アルディスに向かってくる追っ手は三人。
何もない方向へ同じく三人が走っていく。
少なくともこれで当面ルーシェルの安全は確保できたと判断し、アルディスは森を駆け抜けた。
体調が万全な今、三人程度の追っ手なら問題なく振り切れるだろう。
しかしそれがただの驕りであることをアルディスはすぐに思い知らされる。
ルーシェルから追っ手を引き離すため、あえて一定の距離を保ちながら走っていたアルディスは、突然行く手を阻むように現れた土壁の存在に目をむいた。
「なっ!?」
とっさに速度を緩めたものの勢いは殺しきれず、アルディスは土壁に激突して全身を打ちつけてしまう。
「なに、が……?」
痛む身体に鞭を打って立とうとしたその時、今度は身体の横からハンマーをぶつけられたような衝撃が襲ってきた。
「がぁ!」
地面から一瞬身体が浮き、衝撃の勢いそのまま横へ吹き飛ばされた。
全身を駆け巡る強烈な痛みがアルディスを襲う。
満足に呼吸も出来ない中、立ち上がるよりも前に敵が追いついてくる。
「ちっ、なんだガキじゃねえか」
「女は向こうか。ついてないな」
「さっさとやってあっちに合流しようぜ」
めまいに耐えながらアルディスが顔を上げると、剣や短刀を手にした男たちがこちらを見下ろしていた。
腕が動かない。
全身がしびれたように言うことをきかなかった。
持っていたはずの剣はいつの間にか手を離れ、武器と呼べるような物は他に何ひとつない。
「くそっ……」
剣があればひとりくらいは道連れにできただろうにと無念さが込み上げる。
その一方でどこか満足そうな自分にもアルディスは気付いていた。
少なくともこうして追っ手を引きつけることはできたのだ。
たとえ自分がここで終わっても、ルーシェルが追っ手から逃れられたことには変わりない。
いずれグレイスたちが戻ってくれば、あんな小規模の部隊など相手にもならないだろう。
運が良ければルーシェルは保護してもらえるはずだ。
そうすれば意味のない自分の生にも、少しは価値が生まれるのではないだろうか。
ふっとアルディスの頬が緩む。
「なんだこのガキ? 頭おかしくなったのか?」
「んなこたあいいから、さっさとやれよ」
痛みが少し引いてきた。
単に麻痺してきただけかもしれないが、アルディスにとってはどちらでもいいことだ。
身体を無理やり動かす妨げにならないならそれでいい。
追っ手のひとりが剣を振り上げた。
アルディスはひっそりと砂を握り込む。
そうして頭の中だけで手順を組み立てた。
振り下ろされた剣を転がって避け、砂を目つぶしに投げつけた後は股間を蹴り上げる。
その後は出たとこ勝負だ。
どさくさ紛れにうまく剣を奪い取れたならひとりを斬り捨てる。
まともに身体が動かない状態で武器を持ったふたりの男を相手に勝てるとは思えないが、食らいついてでも手傷くらいは負わせてやる。
瞬時にそこまで思考を巡らせ、アルディスは敵の男を睨みつけた。
その時である。
今まさにアルディスの首へと振り下ろされようとしていた剣が甲高い音を立てて弾き飛ばされた。
「は?」
事態を飲み込めなかったのはアルディスだけではない。
当の本人も突然消えた剣の行方を捜して視線をさまよわせる。
アルディスも状況に困惑する中、今度は男の首が刎ね飛ばされて鮮血が舞う。
その時アルディスは見た。男の首が落ちたその背後で、持ち手もなく宙に浮いたまま漂うひと振りの剣を。
「て、敵!?」
残るふたりの追っ手が周囲へと警戒の視線を飛ばすが、人影はどこにも見当たらない。
「気をつけろ、飛剣使いだ! どこから来るかわからんぞ!」
仲間へ警告を飛ばしながら男が宙に浮く剣を迎え撃つ。
男の持つ剣と持ち手のいない剣がかち合った。
二撃、三撃と男が攻撃を繰り出し、同じように飛剣が攻撃を返す。
男の持つ剣と互いに剣撃を交わすその飛剣は、まるで見えない持ち手がその場にいるかのような錯覚をアルディスにもたらした。
たった一本の飛剣に追っ手の男は翻弄される。
当然そこへもう一本の飛剣が加われば結果は火を見るよりも明らかだった。
「ぐわあぁ!」
手数の多さに対応しきれず、とうとう追っ手の男は飛剣に貫かれる。
「ちぃ!」
最後のひとりにも一本の剣が襲いかかっていた。
短刀使いらしきその男が空いた手を宙にかざすと、それまで何もなかった空間に突如として土壁が現れる。
正面から斬りかかっていた飛剣が土壁に阻まれたところへ、今度はどこからともなく岩の塊が飛んできた。
岩の塊が直撃し、折れ曲がった飛剣が一本地面に落ちた。
一矢報いた形の短刀使いだったが、既に周囲は同じような飛剣に囲まれている。
さすがに複数同時の飛剣を相手にするのは無理だったのか、またたく間に短剣使いは切り刻まれて地面に倒れ伏した。
「飛……剣……?」
絶体絶命の危機を脱したことでアルディスの身体から力が抜けていく。
またたく間に襲いかかる痛みを食いしばって耐えると、周囲へ浮かんだままの飛剣を睨みつけるように見た。
「大丈夫かアルディス?」
いつの間に近づいていたのだろうか。
横たわるアルディスの側にかがみ込み、顔を覗き込んでくる人物の名が口元から弱々しくこぼれる。
「グレイス……?」
「魔術にやられたか。おーい! 誰か手当てしてやれ!」
気が付けばアルディスは複数の人影に囲まれている。
名前は知らないがいずれも傭兵団で見たことのある顔ばかりだ。
本隊が戻ってきたのかもしれない。
「ルー、シェルが……ひとりで……木の……洞に……」
「木の洞? わかった、何人か捜索に出そう。だからお前は大人しく寝ておけ」
不思議と安心感のあるグレイスの言葉にアルディスは小さく頷く。
立ち上がったグレイスはアルディスの手当てを他の人間に任せ、仲間への指示を立て続けに出しはじめた。
「ダーワットは三十人ほど連れて非戦闘員のキャンプへ急げ! ジョアンは俺と一緒に周辺の掃討と仲間の捜索だ! 魔術使いの伏兵がいるかもしれん、必ず三人一組で――――」
遠くなっていくグレイスの声が夢と現の境目に流れ込んでくる。
ルーシェルの無事を願いながら、アルディスはそのまま意識を手放した。
2021/11/30 誤用修正 視界を漂わせる → 視線をさまよわせる
※誤用報告ありがとうございます。