第281話
アルディスたちが傭兵団に拾われてから半月ほどが経過した。
グレイス団長が話していたとおり、ウィステリア傭兵団は数日の野営を経て次の仕事へと移動を開始する。
もともと余裕のある日程ということもあり、毎日の移動距離も短い。
日の出から歩きはじめ、太陽が頂点に昇る頃には野営の準備に移り、余った時間は訓練に費やす。そんな毎日が続いた。
最初こそ慣れない生活に戸惑ったものの、少なくとも食べ物と寝床には困らないことが今のアルディスにはなによりありがたかった。
傭兵団などというものは排他的な集団に違いないと勝手な先入観を持っていたアルディスだったが、その考えは良い意味でも悪い意味でも裏切られることになる。
「おっ、団長の言ってた新入りってこいつか?」
「ちっちぇーな」
「まだ成長途中だろ。こんなもんじゃないか?」
「それでも細すぎる。肉が全然ついてねえぞ」
「訓練の邪魔ですよ。用がないならさっさと向こうへ行きなさい」
「なんだよその言い草は。ヴィクトルが新入りいびってねえか見に来ただけじゃないか」
「そっちこそ何ですかその言い草は。私が子供をいびるような人間だと思ってるんですか?」
「そんな陰険な性格だとは思っちゃいねえよ。ただ、お前の場合は無自覚でやってそうでなあ」
「うるさいですね。だったら自覚を持った上で君たちの訓練も私が受け持ちましょうか?」
「おおっと、そりゃ遠慮しとくよ」
傭兵たちは誰も彼もが理由を作ってはアルディスとルーシェルの様子をのぞきに来ていた。
とはいえそれも単に興味本位で見に来ているだけのようで、特に何らかの意図があってのことではなさそうだ。
面白そうな視線をアルディスたちに向けてはヴィクトルやレクシィに追い払われている。
ありがちな新入りへの強い当たりもなく、気さくに話しかけてはアルディスの頭をポンポンと軽く叩いて去っていく者が多かった。
子供扱いされることにアルディスは多少の腹立ちを覚えながらも、追っ手の存在に神経を尖らせずすむ生活はそれ以上に得がたいものだと感じていた。
ようやく安心して眠れる場所を得たからか、ルーシェルの方も少しずつ表情が明るくなってきている。
ウィステリア傭兵団は他の傭兵団に比べても女性が多く、レクシィを含めて約二十人の女傭兵がいた。
同性の存在がルーシェルの強ばった心を解きほぐすのに一役買ったのは間違いないだろう。
あちらの方は訓練の合間だけではなく、食事後や睡眠前など時間さえあれば女性同士が集まっておしゃべりに興じている。
その輪に引っ張り込まれたルーシェルは最初こそ周りの様子を窺うばかりだったが、やがて打ち解けた様子を見せ、柔らかい表情を見せるようになっていた。
「お疲れアルディス。お水飲む?」
ヴィクトルにしごかれて地面に倒れこんでいたアルディスを、黒髪の少女が覗き込んでくる。
呼吸をするので精一杯のアルディスが返事代わりに頷くと、ルーシェルが木のコップを差しだしてきた。
わざわざアルディスのために水をもらってきてくれたのだろう。
重い身体を引き起こし、それを受け取るとひと息に水を飲み干す。
「……ありがとう」
「どういたしまして」
絞り出すように礼の言葉を口にしたアルディスへ、ルーシェルが笑顔を見せる。
手ほどきをしてくれる相手がそれぞれ違う上に、眠る天幕も別ということもあり、アルディスとルーシェルが一緒にいる時間は以前に比べて極端に短くなった。
もちろん追っ手から逃げている間、四六時中一緒にいた事の方が例外的なことなのだから、むしろ現状の方が正常な距離感とも言える。
ルーシェルも最初は見知らぬ顔ばかり、それも屈強な男が大半を占める状況に怯えていたが、幸い傭兵団にしては女性の数が多いことやレクシィが親身になって面倒を見てくれたおかげで少しずつ社交的な面が表に出はじめた。
今ではすっかり女傭兵たちと打ち解け、団長やヴィクトルともしばしば会話しているところを目にする。
自分から傭兵たちに話しかけようとしないアルディスとは対照的であった。
ルーシェルがアルディスのとなりに腰を下ろす。
「そっちは大変そうね。そんなクタクタになるまでやるなんて」
「そっちだってレクシィさんから手ほどき受けてるんだろ? 大変なのは一緒だと思うけど」
ようやく息が整ってきたアルディスは、荒野でやったように空のコップへ水を作り出そうとしてやめた。
かなりの集中力を必要とするあれは、今のように疲れ切った身体で使えるものではないと理屈ではなく本能的に感じたからだ。
「レクシィさんとヴィクトルさんは違うもの。『ヴィクトルのあれは手ほどきとかいうレベルじゃなくて普通に訓練だよ』ってレクシィさんが言ってたよ。新入りの傭兵が受けるようなやつなんだって」
「ちっ。どうりで……」
手ほどきのわりにずいぶん負荷が高いと思ったのは気のせいじゃなかった、とようやくアルディスは合点がいった。
それからしばらくアルディスとルーシェルは取り留めのない話を続ける。
周囲で訓練を続けている傭兵たちがニヤニヤと冷やかすような視線を向けてくるのだけはいただけないが、アルディスにとって決して不快なものではない時間だ。
どこか人を突き放すような雰囲気のアルディスが傭兵団の中で孤立していないのは、良くも悪くも新入りをからかおうとちょっかいを出してくる傭兵たちと、こうして傭兵団の中に立ち位置を確立しつつあるルーシェルのおかげだろう。
「じゃあまた後でね」
立ち上がったルーシェルが笑顔を残して走り去って行く。
そんな少女へとあちこちから声がかかっていた。
今ではアルディスよりもルーシェルの方が傭兵団の中で存在感を持っている気配すらある。
もしかすると大部分の団員はアルディスの事をルーシェルの付属物くらいに思っているのかもしれない。
あの場所から逃げ出し、山中を逃げ、荒野を渡っている間、ルーシェルにとってアルディスは命綱と言ってもおかしくない存在だった。
それくらいルーシェルは頼りなく無力な存在だったのだ。
しかしこうして人の集団に受け入れられてしまえば、もはやルーシェルにとってアルディスは必要不可欠な存在というわけでもない。
後は人間同士、うまくやってくれればいい。自分の役目は終わった。
そうアルディスは理解する。
若干の寂しさは感じたが、自分が生まれたことに少しでも意味を持たせられたという満足感と引き換えなら悪いものでもないだろう。
この傭兵団が彼女にとって身を落ち着かせるに値するならそれでいい。
だがそうでないのなら、どこかの町で彼女が安心して暮らせる場所を得られるまでは付き合ってやってもいい。
そこまで考えてアルディスは自分自身に苦笑した。
まるでこれじゃあ――。
「俺が彼女と一緒に居たがってるみたいじゃないか」
それまで無自覚だった自分の感情を意外な気持ちで眺めやる。
置いて行かれるような心細さ。
結局自分は人間のまねごとをして自己満足に浸っている哀れな作り物なのかと、自分が惨めになる。
そんな感情を他ならぬルーシェルだけには悟られまいと、あえてぶっきらぼうな態度を貫き通す日々が続いた。
数日後、傭兵団は目的の仕事場――戦場へと到着する。
「お前らふたりはまだ正式な傭兵団の一員じゃない。だからできるだけ安全な場所で大人しくしてもらうつもりだが――」
戦いを控えた前日、団長のグレイスがアルディスとルーシェルを呼んで告げる。
「戦場じゃ絶対に安全な場所なんてのはない。敵の偵察部隊や遊撃部隊に見つかることだってある。覚悟だけはしておけ」
傭兵団の中にも非戦闘員はいる。
事務方や料理人、あとは特殊な技能を持つ人間などがそうだ。
無論彼らもある程度武器の扱いには慣れているし、ときおりは戦闘訓練にも参加している。
非戦闘員とはいってもいざとなれば剣を手にして戦う事くらいはできるのだろう。
だが戦いを生業とする戦士たちほどの力量はないため、基本的には主戦場から離れた場所に退避して自衛に専念するのが常らしい。
アルディスとルーシェルは年若い上、正式な団員ではないこともあって、彼らと同じく後方へ退避することになる。
傭兵団の大半が戦いのために戦場へと向かった後、残った者は戦いに巻き込まれないよう山の中へと身を移した。
「不安か? まあ、大丈夫だと根拠もなく保証することはできんが、これだけ主戦場から離れていればそうそう危険な目に遭うこともない。もちろん警戒はきっちりしないとだめだがな」
初めてのことで落ち着かない気持ちがアルディスの表情に出てしまったのか、線の細い団員が安心させようと声をかけてきた。
たしか傭兵団の調達を担う元商人の男だったはず、とアルディスはレクシィの話を思い出す。
その腰にはアルディスと同じく数打ち品の剣が提げられている。
「いざって時にはいつでも抜けるようにしておけよ。迷ったり躊躇ったりしてると、あっさり死ぬぞ」
言いながら細身の男が片手で自分の腰にある剣の柄をポンポンと叩く。
お世辞にも鍛えられているとはいえない身体だが、それはこの場にいる誰もがそうだ。
傭兵団を構成する三百人のうち二十七人、約一割がこの場にいる。
ヴィクトル曰く、彼らのように傭兵団へいながら戦場へと出ない人間というのは本来珍しいそうだ。
物資の調達にせよ、通訳にせよ、大抵の傭兵団では戦士の中から指名された者、あるいはもともとそれらを得意とする者が兼任することが多い。
軍隊ならばまだしも、ウィステリア傭兵団のように戦闘員ではない専任者を置いているのはかなり特異なのだとか。
女性の数が多いこともあわせ、この傭兵団はどうやら一般的なそれとはずいぶん毛色が違うらしいと、この数日間でアルディスも理解していた。
主戦場では今まさに激しい戦いが続いている。
離れているとはいえ、風に乗って怒声と剣撃のぶつかる音が流れてくる距離だ。
いつアルディスたちも戦いに巻き込まれるかはわからない。
だから敵に見つかる可能性はできる限り減らす必要がある。
炊事に火は使えない。
灯りも布をかぶせてもれないようにするくらいだから、暖を取るための焚き火などもってのほかである。
「温かい食事はこの戦いが終わったら、な」
「いや、食い物があるだけましだ」
申し訳なさそうに干し肉を手渡してきた調達役の男にアルディスは首を振る。
あの建物で食べさせられていたペースト状のエサに比べれば冷たくても十分おいしいし、ろくに食べ物が手に入らなかった荒野に比べれば食べられるだけましというものであった。
いくら主戦場から離れているとはいえ、敵の目がこちらに向けられていないとも限らない。
敵に発見されるような危険を冒せないというのはアルディスにも理解できる。
戦場にいる傭兵たちは夜襲があっても撃退できるだけの戦力を持っているが、アルディスたちの場合は襲撃を受ければひとたまりもない。
敵に発見されるということは、すなわちこの場にいる二十七人がほとんど死んでしまうという意味でもあった。
追っ手から逃げているときと似たような緊迫感と不安に包まれながら、アルディスは眠りにつく。
そんな不安と共に一日、二日と時間は経っていった。
見えない何かに圧迫されるような緊張感の中、そうして三日目の夜を迎えた。
日中とは打って変わって静まりかえった山中。
その静寂が突然の警告によって終わりを告げる。
「敵しぅ――ぎゃああ!」
警告も半ばに悲鳴が響きわたり、すぐさま目を覚ましたアルディスは支給された剣を手に取る。
そのまま天幕を出ようとして、となりで眠っていた男に引き留められた。
「馬鹿! こんな時に入口から出ようとするな!」
他の者たちは手にした剣で天幕の側面を切り裂き、その隙間から強引に外へ出る。
アルディスもその後に続いた。
外に出たアルディスの目に映ったのは、今まさに血だまりを作りつつある倒れこんだ味方のひとり。
月明かりで照らされた周囲は敵味方入り乱れての戦闘に突入している。
「どっちが……!」
傭兵団に入って間もないアルディスは、この場にいる味方の半数くらいしかまだ顔を覚えていなかった。
加えてもともと敵に発見されないよう灯りをつけていなかったため、頼りない月明かりだけではその顔すらも判別するのは困難だった。
どちらが味方でどれが敵かわからない。
鞘から剣を抜きながらも一瞬戸惑ったアルディスだったが、すぐに意識を切り替えて別の天幕へ視線を移す。
この場にはアルディスのよく知る人物がひとりだけいる。
誰が味方で誰が敵かわからないなら、確実に味方とわかる人間を守る事に専念すればいい。
それは理屈の上でも感情の上でもアルディスにとって自然なことだった。
すべきことがわかればあとは行動に移すのみ。
守るべき人物の姿を見つけ、アルディスはその名を叫んだ。
「ルーシェル!」