第269話
「予想以上に面倒くさいな」
四方八方から迫り来るトリア兵を薙ぎ払いながら場違いな感想を口にする。
アルディスはトリア軍の密集部に挨拶代わりの魔術を二発叩き込んだ後、真っ正面から敵中へと進んでいった。
魔術による攻撃は行わず、飛剣も門扉の向こうへ返し、その手に持った『蒼天彩華』のみを得物として戦っている。
圧倒的な力量差があらわにならないよう手加減し、相手の戦意をくじかないよう気を配るのは思った以上に疲れることだった。
単にトリア軍を追い返すだけなら簡単だ。
相手の指揮官を上から順に討ち取っていってもいいし、強力な魔術を連続して叩き込んでもいい。
敵兵の攻撃を全てかわすこともできるし、飛剣を十本ほど周囲に浮かべればアルディスに触れる事ができる者などいないだろう。
しかし今回に限ってはそういうわけにもいかないのだ。
アルディスの役目はトリア軍の動きをせき止めつつ、適度な数の兵を後方へ素通りさせること。
グロクに暮らす人々自身の手によって敵を撃退したという実績を作り、実際に戦った彼らを通すことで状況を甘く見ている大多数の住民に現実を突きつけることだ。
そのためアルディスは多くの制約を抱えながらトリア軍の相手をしている。
まず第一に敵を敗走させてはならない。
安易に軍全体の指揮官を倒してはならないし、あまりに大きな損害を与えてもだめだ。
圧倒的な力を見せれば、相手が怖じ気付いて撤退してしまうかもしれない。
かといって相手が勢いに乗ってしまうと、アルディスを無視してムーアたちの許容量を超えた敵兵が町に向かってしまう可能性がある。
だからこそアルディスは敵兵に与える損害を最小に抑え、それでいて戦いが拮抗しているように調整しなくてはならない。
相手を調子付かせず、しかしながら恐怖をあたえるほどではない絶妙な均衡状態。
アルディスはたったひとりで戦場にそんな状況を作り出そうとしていた。
面倒なのは当たり前だろう。
「なにをしている! 相手はたったひとりだぞ!」
少し離れた場所で敵の指揮官が叫んでいる。
「しかし将軍、傭兵たちが口々にあの敵は『千剣の魔術師』だと申しております。それが本当であれば単独とはいえ一筋縄ではいかない相手かと」
「『千剣の魔術師』だとぉ? それがなんだ。しょせんは傭兵ではないか! これだけの数を相手に勝てる人間がいるわけないだろう! 見ろ、防戦一方で手も足も出ておらんではないか!」
「確かに……、ただあの男ひとりに我が軍が足止めされているのも事実です」
「ならば一部の兵のみをヤツに当てたまま、残りを迂回させて村を攻撃させろ!」
「はっ。では兵百をあの男に当て、残りの兵と傭兵たちを攻撃に回します」
どうやらアルディスの狙い通りトリア軍は兵を分けることにしたらしい。
「でも百人はちょっと少なすぎるんじゃないか?」
それを横目で見ながらアルディスは余裕の笑みをこぼす。
アルディスと兵士たちが戦っているその周囲を、トリア軍が町に向かって突き進んでいく。
防壁を守る人数は百人強だが、もともと有利な防衛側であることに加えてキリルやエレノアといった魔術師もいるのだ。
三倍程度の敵ならば問題なく守り切れるだろう。
「百……二百……三百……これくらいか」
戦いを続けながら器用にその数を数えていたアルディスが突如ギアを上げる。
まとわりついていた兵士たちを『蒼天彩華』で瞬時に斬り裂くと、門扉から再び飛剣を呼び出した。
何もない中空から生えるように現れた二十本の飛剣が、三百の兵に続いて町への攻撃に移ろうとしていた敵へと襲いかかる。
「な、何だ!」
「うわっ、剣が!」
突然襲いかかってきた飛剣にトリア兵たちは混乱に陥った。
足が止まった兵たちを無慈悲な飛剣が次々と刈り取っていく。
「ここから先は定員オーバーだ。悪いがお帰りいただこう」
ただひとり、トリア兵たちの前にアルディスが立ち塞がる。
後ろには兵士たちの血にまみれた二十本の飛剣が整然と並び宙に浮いていた。
その光景に尋常ならぬ異質さを肌で感じとったのか、兵士たちがわずかに後退る。
「なにをしている! さっさと片付けてしまえ!」
怯んだ兵の後ろで馬に乗った士官が周囲の兵へ発破をかけていた。
アルディスによって足止めされている兵士の数はざっと五百から六百ほど。
その中で馬上の指揮官は十二人。おそらく中隊長あるいは小隊長クラスの人間だろう。
アルディスはまず彼らを殲滅することにした。
馬上のひとりに手をかざして魔力を小さな球体のように圧縮すると、次の瞬間光の筋が目標との間に細い架け橋をつなぐ。
目で追えない速度で馬上の人間へ届いた魔力の塊がその眉間を撃ち抜く。
「なっ……!」
周囲の兵士たちが絶句する中、撃ち抜かれた人間が馬から落ちて動かなくなる。
他の指揮官へもアルディスの操る飛剣が襲いかかった。
「ぐっ、たかが剣一本!」
狙われた人間の方も腰から剣を抜いて応戦する。
しかし持ち手がいないとはいえアルディスの剣技をそのまま再現してしまう飛剣だ。
生半可な力量では二合も打ち合うことすらできない。
「ぐわあっ!」
次々と飛剣の餌食となり落馬していく指揮官たち。
血まみれとなった彼らの身体はわずかに痙攣するばかりで、もはやまともに動くこともない。
「ひいっ!」
「隊長が……!」
「ば、化け物だ!」
またたく間に指揮官を失った兵士たちが及び腰になる。
小隊長までが全ていなくなれば後は十人程度を指揮する分隊長がのこるだけ。
たとえ兵士の人数が多くとも、分隊長レベルではこの人数を指揮するのは無理だろう。
次第に統制を失ったトリア軍は崩れていった。
一度恐怖が伝わり、戦意を失ってしまえばその乱れが伝わっていくのは速い。
隊列を組んでいた一角が逃げ出したのをきっかけにして、全体が恐慌へ飲み込まれていくのはあっという間だった。
算を乱して逃げていくトリア兵たちを横目に、アルディスは町の方へと振り向く。
すでにあちらの方も戦いは始まっている。
敵と味方の兵数差は三倍になるが、防壁という地の利を持ち魔術師も抱えるグロクの方が戦力という点から見ればむしろ有利だろう。
問題なく勝てると判断したアルディスは手を出さないことにした。
多少の犠牲は出るだろうがそれは仕方ない。
それについてはムーアもミネルヴァも納得している。
町の防壁を前に声をあげて攻撃し続ける三百のトリア兵は気付いていない。
自分たちの後ろから続くはずの兵士が誰ひとりとしてやって来ていないことに。
そして自分たちの味方に対して一方的な蹂躙が行われていたことにも。
指揮官はたとえ攻城兵器や魔法の援護がなくても、数の力で押し通せると判断したのだろう。
しかしアルディスによって兵の数までが調整されているとはさすがに予想できるわけもない。
念のため迂回部隊がいないか確認するため上空へと昇ったアルディスの眼下で、大きな火球が爆発する。
爆発のただ中にいたのは町を攻めていたトリア軍だ。
キリルかエレノアの攻撃魔法が放たれたのだろう。
安全な場所から一方的に攻撃魔法を打ち込める防衛戦は、魔術師の戦闘力を十全に活かせる場面である。
流れ矢に撃ち抜かれてあえなく戦死する可能性はもちろんあるが、ムーアが魔術師の守りをおろそかにするとも思えない。
キリルに至ってはアルディスが贈った手袋がある。
防護の術が込められたあの手袋を身につけている限り、魔力も付与されていない矢など恐れる必要もないはずだ。
「勝負あったな」
アルディスの言葉通り、火球によって甚大な被害を受けたトリア軍は総崩れとなり撤退しはじめた。
その中にひときわ目立つ一騎の士官を見つける。
明らかに地位の高さを感じさせる装いは、今回のトリア軍を率いてきたあの指揮官である。
将軍と呼ばれていた男が数騎だけを従えて一目散に東へ向かっていた。
「あれだけでも討っておくか」
防衛戦である以上、撤退のタイミングは攻め手が決めることであり、防壁上で迎え撃っているムーアたちに追撃をする術はない。
だが後々のことを考えれば指揮官クラスの敵を減らしておくに越したことはないだろう。
そう判断したアルディスは上空で門扉から飛剣を呼び出し、自らの周囲にそれを侍らせて降下していく。
無防備に馬を走らせる敵の進行方向へ魔術で生み出した氷槍を放って数本突き立てる。
突然のことに混乱した馬が足を止めた。
「な、何だ!?」
頭上から攻撃を受けるなどと考えてもいなかったのだろう。
突然のことに混乱しながら、敵の将軍とその周囲にいる騎兵はなんとか馬をなだめようと手綱を操っていた。
足が止まってしまえばそれはもう飛剣の良い的である。
すかさずアルディスの周囲から解き放たれた飛剣が馬上の敵を次々と屠っていった。
「敵だと!? どこから!」
見当違いの方向を見ている敵の背後に降り立ち、手に持った蒼天彩華で背中を斬り裂く。
「き、貴様……千剣の魔術師!」
最後に残った将軍がアルディスの姿を見て憎々しげな視線を向けてくる。
彼にしてみれば任務の邪魔をして自らを敗北に追いやった敵の一味だ。
忌々しく感じるのも当然だろう。
もちろんアルディスたちにとってもトリア軍は招かざる客であり、最初から武力に訴えてこちらを攻撃してきた敵である。
命令に従わざるを得ない末端の兵士ならばいざ知らず、指揮をとる士官たちを見逃してやるつもりなどなかった。
「敗北を伝えるだけなら逃げた兵士たちだけで十分だ。だからあんたを見逃すつもりはない。潔くここで戦死しろ」
「くっ……、傭兵ごときがつけあがりおってえ!」
剣を抜いて将軍がアルディスに斬りかかる。
その動きはムーアやニコルに比べるとあくびが出そうなほど遅いものだった。
「正規軍の士官の方が上だってか?」
余裕の表情でそれをかわしたアルディスが将軍の背後を取る。
「剣の優劣に立場なんぞ関係ないだろうが」
アルディスはつまらなそうに言い捨てながら剣を振り抜こうとした。
通常なら将軍の首を後ろから刈り取るはずの刃。
それが硬質な音を立てて弾かれる。
衝撃と共に何もないはずの空間が半円状に鈍く光った。
「何っ!?」
普段なら発せられることのない言葉がアルディスの口からもれる。
剣を弾いたのは不可視の障壁。
その強度はアルディスの物理障壁に決して劣るものではない。
瞬時に周囲の魔力を探査したアルディスの視線が上に向く。
そこにはいつの間にかひとりの人間が浮いていた。
アルディスの目が見開かれる。
喜びと驚きをない交ぜにした感情がわき上がり、同時にその口から懐かしい名前がこぼれ落ちた。
「……ヴィクトル?」
2021/01/31 脱字修正 千剣の術師 → 千剣の魔術師
※脱字報告ありがとうございます。






