第263話
ニコルがグロク村を発ってから二ヶ月。
連絡のついたリッテ商会の従業員たちが続々とマリーダのもとへ集まってきた。
ニコル経由で指示を受けていたことから、手土産代わりに食料品や日用品を大量に持ち込んでくれる。
おかげで一ヶ月ほどは食料不足に困らないであろう量が倉庫へと積み上げられていた。
「予想通り食料の価格は上がってるけど、反面重鉄鉱石の取引価格も上がってるからにぃ。差引ゼロってところかなー」
村で割り当てられた小さな家屋。
リッテ商会グロク営業所と様変わりした建物の一室で、机の上にある書類と格闘しながらもマリーダはアルディスへそう告げる。
「各地に退避していた従業員たちとは全て連絡取れたのか?」
「うん。エリーたちも直にこっちへやってくると思うよ。もちろん護衛としてキリルも一緒にねん」
マリーダの幼なじみだというロヴェル商会の跡取り娘とアルディスは、一度会ったことがあるという程度の仲でしかない。
だがそのエリーという女性を姉と慕うキリルはアルディスもよく知る人物だった。
「ニコルはいつ戻ってくるんだ?」
「まだ当分カルヴスから離れられないって手紙が届いてるにぃ」
「さみしそうだな」
アルディスの余計なひと言にマリーダが珍しく顔を歪める。
「……アルディス君もそういう冗談言うんだねー」
「別に冗談じゃないんだが」
「ま、別に良いけどさ……。キリルとは最近会ってないよねん?」
否定も肯定もせず、マリーダは話題を変える。
「キリルももう……二十歳になったのか」
マリウレス学園始まって以来の異才と呼ばれていたキリルも、アルディスからしてみれば頼りなさげな子供に過ぎなかった。
だがその子供もすでに二十歳である。
時の流れはアルディスひとりを置き去りにして確実に進んでいく。
「会うの楽しみっしょ?」
「まあ、な」
結局魔力をその目で見ることも、無詠唱での魔術行使も身につかなかったキリルだが、それでもアルディスにとっては手をかけた教え子のような存在である。
久しぶりに会えると思えば自然と表情が緩むのも当然だろう。
「俺に話したかったことってのは、キリルのことだったのか?」
そもそもアルディスがこうしてマリーダを訊ねてきたのは彼女に呼ばれたからだ。
キリルのことを話すだけならば、わざわざ忙しいアルディスを呼びつける必要などない。
「もちろん本題は別だよん」
マリーダが手を止めて、書類からアルディスへと視線を移す。
「あまり嬉しくない情報なんだけどねー。どうも状況は良くない方向へ動いているみたいだにぃ」
そう前置きをしてマリーダは従業員たちが集めてきた情報をまとめてアルディスへ伝えてくる。
その話に出てきた耳慣れない言葉にアルディスは首を傾げる。
「ロブレス同盟? なんだそりゃ」
「エルメニア帝国と南の大陸からやって来たサンロジェル君主国が中心となって結んだ軍事同盟だってさ。独立して王国を名乗るトリアに加えて、以前から帝国と友好関係にあったアルバーン王国も内戦が終了した途端拡張路線に舵を切ったみたいで、同盟に名を連ねてるらしいにぃ」
アルディスの顔が険しくなる。
「軍事同盟ってことは……」
「うん。彼らは同盟による大陸制覇を明言したらしいよー。まだまだ当分戦火は消えない……うんにゃ、これからますますひどいことになるかもにぃ」
マリーダは『かも』と表現したが、そうなる未来が訪れるのはほとんど確定しているようなものだろう。
ナグラス王国を飲み込んだエルメニア帝国にとって、敵となる存在はもはや少ない。
王国の北に位置するブロンシェル共和国、それにレイティンが所属していた都市国家連合、あとは大陸西方の小国がいくつかあるだけだ。
王国が滅んだ今、ロブレス同盟に対抗しうるほどの軍を持つ国は他になかった。
ブロンシェル共和国は決して小さな国とも言えないが、共和制国家のためその動きは鈍く、なにより王国を飲み込んだ帝国とまともに対峙できるほどの国力はないはずだ。
時期の早い遅いはあるだろうがロブレス同盟に飲み込まれていくのは確実だろう。
「ムーアたちにはその話、もう伝えたのか?」
「今日の夜にでもするつもりだけど、アルディス君には先に伝えておいた方がいいっしょ?」
ことはグロク村だけの話ではない。
さすがに双子たちの住む隠れ里にまで敵がやってくることはないだろうが、行商をしているミシェルにとってみれば無関係とは言えないし、セーラが戦火から逃げてきた人間をさらに抱え込もうとする可能性すらある。
グロク村としてどうすべきかを協議する前に、アルディスとしては隠れ里としてどう対応すべきかを確認しておく必要があった。
隠れ里のことは明かしていないにも関わらず、マリーダはその辺を察しているようである。
単に洞察の結果なのか、それとも夢見の力で知っているのかはわからないものの、アルディスにとってマリーダの気遣いはありがたいものだった。
「ああ、助かる」
短くそう答えるとアルディスは部屋を後にする。
昼間のうちに隠れ里に戻り、夜までにはグロク村へ戻ってこなければならない。
安息の地を得ても、アルディスにはひとところへ落ち着く余裕などまだまだなかった。
その夜。
サンロジェル君主国の占領下となったレイティン。
かつて王城であった巨大な建築物の一室で三人の男が円卓を囲んでいた。
ひとりは整った顔つきながら妙に細い目が印象的な男。
もうひとりは軍服をだらしなく着崩した銀髪の男。
最後のひとりはどことなく頑固そうな印象を与える大柄な男だ。
「帝国からの補給は滞りなく届いている。予定通り来月にはここから最も近い都市国家へ進軍を開始するからそのつもりで準備を進めておいてくれ」
「俺たちゃさんざん王国との戦いに加勢して犠牲も出したってのに、いざ俺たちが攻めようかって時に帝国は手を貸しちゃくれないってか? ずいぶん良いように使われてんじゃねえか」
細目の男が出した指示に銀髪男が不満をあらわにして噛みつく。
その言葉を大柄な男が咎めた。
「忠告する。以前と違い今は上官と部下だ。言葉遣いに気をつけろ」
「構わない。他の人間がいる場ではそうもいかないが、私たち三人だけのときは飾った言葉などいらない。私にとってふたりはずっと苦楽を共にした仲間だし、たまたま今は私が指揮を任されているだけだ。上官風を吹かせる気もないから安心してくれ」
細目男は銀髪男の言葉を気にした風もなく言ってのける。
三人の中で最も指導者に向いているのが誰なのか、その泰然とした態度が物語っていた。
「ほら見ろ。細かいことを気にしてるのはお前だけだっての」
「同意できん。軍において指揮系統を混乱させないため上下関係はハッキリとさせるべきだ」
「俺だって戦場じゃ指示には従うさ。会議室の中でまで堅苦しいのはごめんだがな」
放っておくと口論に発展してしまいそうなふたりを止めようと細目男が銀髪男をなだめる。
「もう少し辛抱してくれ。直に戦場で暴れられる」
「そう願いたいもんだね。前回の攻城戦は退屈すぎてあくびが出そうだったぜ。自動詠唱機は便利だが、なんつーの? 戦ってる気がしないっていうか」
「だがあれのおかげでこちらの人的損害は大幅に減らせた。遠征をして来ている私たちにとって兵士は簡単に補充のきくものじゃないからな」
自動詠唱機とは魔法技術とからくりとを組み合わせた君主国軍の誇る最新兵器である。
あらかじめ込められた魔力と設定された手順を元に、魔術師がいなくても攻撃魔法を放つことが出来るという画期的な物だった。
高コストな上、魔術師が直接詠唱した時よりも魔法の威力が落ちてしまうが、蓄積された魔力がある限り延々と攻撃魔法を放ち続けることが出来る。
非常にデリケートなからくりを使っているため運搬にも慎重さが要求され、野戦で使用するには向いていないが攻城戦では非常に有用な代物であった。
特に今回はその存在を隠すため夜の間だけ使用され、日中の明るい間は徹底的に隠蔽されていた。
夜は自動詠唱機で攻撃を放ち続け、昼間は魔術師たちがその攻撃を引き継ぐ。
再び夜になり魔術師たちが睡眠を取っている間は、継続して自動詠唱機が攻撃を加えるのだ。
相手にとってみればたまったものではないだろう。
昼も夜も、休む間もなく延々と攻められ続けることになるのだから。
「確認です。自動詠唱機の整備は完了しているのですか?」
「問題ない。三機ほど部品不足でどうにもならなかったのはあるが、残り百四十七機は万全だ。今回同様に夜間のみの使用に限定すれば、相手の錯誤を誘引できる。実際、レイティンは我々が夜通し魔術師を酷使したと思っていたらしい」
大柄男の問いかけに答えると、細目男は敵に対する哀れみを口にした。
もちろんいくら隠蔽に力を注いだとしてもいずれ正体が敵にばれてしまうのは避けられない。
「自動詠唱機の存在はまだ都市国家連合に知られていないはずだから次と……その次の都市国家くらいまではおそらく隠し通せるだろう」
「それ以降はどうすんだよ?」
「どのみち我々だけで維持できるのはせいぜい五都市くらいが限界だ。帝国の手は借りたくないし、三つ目の都市を落とした後は後詰めの軍が来るまで戦線を拡大したくない」
細身男の話を消極的に感じたのか、銀髪男が苛立ち混じりに思いつきを口にする。
「同盟結んでるんだから帝国軍を使い倒してやりゃいいじゃないか」
「下策だな。いくら今同盟を結んでいるとはいえ、帝国の領域がこれ以上拡大するのは好ましくない」
大柄男に下策と評されたことよりもその後の言葉が気になるのか、銀髪男は大柄男ではなく細目男の方へとその答えを求めた。
「そうなのか?」
「ああ。我々の目的はこの島に確固たる足がかりを作ることだが、だからといってそのために帝国の勢力が大きくなりすぎては困る。ナグラス王国との戦いで恩を売り、その見返りとして我々は都市国家連合の切り取り放題という条件を帝国から引き出した。だからこそ今は我々の軍だけで都市を支配下に置いたという確固たる事実が必要になる」
ここで下手に帝国の手を借りて領域内にその影響力を残しては、後々要らぬ口出しを許しかねない。
新しい領土は帝国の影響力を完全に排した状態で君主国の支配下に組み込まなければならないのだ。
「幸い帝国は宿敵の王国を飲み込んでその領土を治めることに専念している。我々にとっては好都合だ。帝国が内側へ目を向けている間に、都市国家連合を滅ぼして我が国の領土として組み込める機会は今だけだろう」
「めんどくせえ話だな。俺は目の前にいる敵を叩く方が性に合ってるよ。そういう疲れる話はお前らに任せるわ」
考えることを放棄した銀髪男が手をブラブラと振って投げやりに言った。
そんな銀髪男の性格をよく理解している細目男は、士官としての責任を放棄したかのような仲間の言葉を受け入れると、代わりに相手が望んでいるであろう役目を差し出す。
「そうだな。適材適所という言葉もある。面倒なあれこれは私に任せてくれ。その分戦場での働きは期待しているからな」
「任せとけって。田舎でお山の大将気取ってるやつらへ目に物見せてやるよ」
2020/12/26 誤字修正 細身男の話 → 細目男の話
その他、アルディスとマリーダの会話に少し加筆&文末の表現を変更
2021/01/27 矛盾点修正 跡取り娘とアルディスは面識がない → 跡取り娘とアルディスは、一度会ったことがあるという程度の仲でしかない
※ご指摘ありがとうございます。作者もすっかり忘れておりました。






