第262話
それから二日後。
君主国軍の攻勢に耐えきれず、レイティンを守る外壁の門がとうとうこじ開けられた。
「あーあ。結局援軍は間に合わなかったか」
市中になだれ込んでくる君主国の兵士たちを商会の一室から見下ろしつつ、ニコルがため息交じりにつぶやく。
包囲を受ける前にレイティンから各都市国家への救援要請はされていたが、結局援軍らしい援軍は到着しなかった。
「中途半端な援軍じゃあ、あの大軍相手に戦えないだろう。かといって都市国家連合全体の軍を集結させている余裕もない」
「せめてカルヴスからの援軍が到着するまでもっていればな……」
自らの出身国が遠方にあることを嘆くニコル。
都市国家連合の盟主とも呼べるカルヴスは、かつてナグラス王国の都であったグランほどではないにせよ多くの人口を抱える都市である。
さすがに自都市を空にして全軍を動員することは無理だが、千名程度の援軍なら派遣することが可能だろう。
だがカルヴスの位置はレイティンから遙か西にあり、軍が隊列を揃えてやってくるには遠すぎた。
「ま、どのみち陥落は想定の範囲内だにぃ」
仇を討った直後の情緒不安定な状態から脱したマリーダが、いつもの人をおちょくったような口調と共に涼しい顔で言う。
「本当にレイティンから出るつもりなのか?」
「まあねー。レイティンからどうしても離れたくないっていう従業員も何人かいるから、一応商会としての形だけは残すよ。彼らに支店として運営してもらうつもりではいるけど、規模が相当小さくなるのは間違いないにぃ」
アルディスの問いかけに何の感慨も見せずマリーダは答えた。
すでにレイティンを脱出する算段は出来ている。
マリーダの護衛任務から解放されたアルディスはこの二日間を使ってシャルと共に脱出の下準備を続けていた。
完全にレイティンが君主国の占領下に入ってからでは難しいが、現在進行形で混乱の真っ只中にある状況ならどさくさにまぎれて脱出することは可能だ。
もちろん常識的に言えば、殺気立った兵士たちに見つかればただでは済まないだろう。
しかしこちらにはアルディスとニコルのふたりがいる。
相手が一般的な技量の兵士たちなら、十人程度を守りながらでも問題なく切り抜けられるはずだ。
「それはそうと、本当にもらっていいのか?」
「何の話かにぃ?」
「倉庫にあった消耗品とか食料とか。そりゃあ宝石や美術品に比べれば価値は低いだろうけど、商会にとっては大事な資産だろうに」
リッテ商会の敷地内にある倉庫へは、現在のところ嵩張るばかりで価値の低い物ばかりが詰め込まれている。
マリーダはそれらを気前よくアルディスに提供しようと申し出ていたのだ。
「あー、良かろん良かろん。どうせ残しておいても君主国軍に徴発されるのが目に見えてるし、持っていけるなら持って行ってもらって構わないにぃ。ついでに倉庫を適当に壊しておいてくれると君主国軍に対して言い訳が立つから助かるけどねー」
「それくらいならまあ……」
君主国軍から追及されたときに、兵士や住民の略奪に見舞われたとでも弁解させるつもりなのだろう。
そういうことならと、アルディスは倉庫の壁にいくつかの穴を開けておくことにした。
それから一時間後、準備が整ったのを確認した上でマリーダはレイティンを脱出する人間を集める。
「んじゃ、そろそろとんずらしようかにぃ」
人数は十六人ほど。
十二人ほどの従業員たちがマリーダと同行してレイティンを脱出することになっていた。
それまで影働きで姿を見せていなかったシャルも今はアルディスのとなりに大人しく控えている。
「あとちょっとで全制覇できたのに。……名物をいくつか食べ損ねた」
ぼやくシャルにアルディスが苦笑していると、ニコルがそばに寄ってきた。
「どっちが先頭に立つ?」
「俺が殿に付こう。道案内はシャルがする。援護だったら最後尾からでもできるしな」
「じゃあそういうことで」
短く言葉を交わし、すぐさまニコルは集団の先頭へ立って移動し始めた。
ニコルのすぐ後ろをシャルが追い、次いでマリーダ、その後を従業員たちが続く。
外に出たアルディスは周囲を見回して状況を確認する。
街中で剣戟の音が響いていた。その合間を縫って、時折悲鳴が青空へと吸い込まれていく。
「火の手が上がってない……?」
意外に思ってアルディスがつい口にする。
だが今はそのことについて感心している暇はない。
走って最後尾へ追いつくと、周囲を警戒しながら殿の役目に専念した。
いくら人の反応を避けながら進むとはいっても限界がある。
アルディスたちはレイティンの外壁へたどり着くまでに三回ほど君主国軍の兵士と出くわした。
とはいえいずれも二、三人と少数だったため、アルディスが援護をするまでもなくニコルがひとりで斬り伏せている。
アルディスと比べるのがおかしな話であって、ニコルとて並の使い手ではないのだ。
魔物相手に単身で勝てるという時点でニコルも十分周囲から化け物呼ばわりされるだけの実力を持っていた。
「ここでいいのか?」
「ここだけ外壁が薄くなってる。かなり痕跡が古いからハッキリしないけど、多分昔攻城兵器か魔法によって破壊された跡だと思う。応急処置は施されてるから最低限の強度はあるけど、本格的に補修しなければならないのが長年放置されてるんだと思う」
問いかけるニコルへ珍しく饒舌に語るのはシャルである。
「ということはアルディス、お前さんの出番だな」
言われるまでもなくアルディスはそのつもりだった。
並の魔術師が攻撃魔法をぶつけたところで外壁を貫けるかどうかは怪しいが、アルディスの魔術となれば話は別だ。
「下がっていてくれ」
全員を近くの物陰へ隠れさせるとアルディスはわざとらしく詠唱を口にする。
「漆黒の闇を貫く煌めき、央界へ至る白き道、行く手を阻む不可視の領域は望郷を忘れし賢者の褥――穿て、黒檀の空を、解き放て、翼捨てし者を、――届かぬを知りつつ尚もあがゐたる愚かな我らへ希望の一糸を――――輝く光!」
輝く光という魔法を模した強い光線が外壁へ一直線にぶつかった。
光線を受けた外壁は一瞬赤色化した後、まばゆい光に包まれる。
その輝きが薄れていったとき、アルディスの前にはぽっかりと大穴を開けた外壁が姿を現していた。
「いやー、ホントえげつないなお前さんの魔法は」
こっそりと焼けた穴の内側を魔術で冷却していたアルディスへ、ニコルが楽しそうな口調で話しかけて来る。
「魔術ってのはもともとえげつないもんだ。俺の魔術なんてかわいいものさ」
かつて轡を並べた仲間たちを思い出しながらアルディスは苦笑を返した。
すでに君主国軍は市中へ侵入を果たしており、都市外の包囲は緩んでいる。
外壁に空いた穴を通ってレイティンを脱出したアルディスたちは、包囲の隙を縫って索敵の網をくぐり抜けると北へ進路を取った。
他の都市国家へ逃れるという選択肢もあったが、君主国軍が今後どう動くかわからない以上、逃れた先が再び戦場になる可能性もある。
それならばということで、ひとまずは避難民たちが暮らすグロク村へ向かおうという話で落ち着いたのだ。
それから北へ向かうこと数日。
一行は特に危険と遭遇することもなくグロク村にたどり着く。
自治組織の中心人物であるムーアや神父のエルマーはマリーダたちリッテ商会の一行を歓迎した。
多少の離脱者は出ているものの三千人という人々が住むグロク村はもはや村というレベルの規模ではなくなっている。
今や町と呼んでもさしつかえないグロク村には足りない物が多すぎた。
そのひとつが商家の存在だ。
今はミシェルが物資輸送の傍らそれを引き受けているが、彼女は彼女で双子たちのいる隠れ里へも定期的に向かう必要があり、グロク村だけに常駐することはできない。
そこへやって来たのがレイティンで商会を切り盛りしていたマリーダとその従業員たちである。
本店は無理でもせめて小さな店でもいいから開いて欲しい、他の町との交易に力を貸して欲しいとムーアたちが頼み込むのは自然な流れだった。
「マリーダとしてはどう考えてるんだ?」
「ん? この村に店を出すことかにぃ?」
「ああ。もともとレイティンを出た後はどうするつもりだったんだ?」
「一応他の都市国家へ基盤を移すことも考えてたけどにぃ」
マリーダはほんの数秒目を閉じる。
「ま、この村に腰を落ち着けるのもいいかもねー」
「こんな何もないところにか?」
「そんなことないよ。他の商会がいないから完全に独占状態だし、三千人もいればそれなりの商売は成り立つからねー。どのみちアルディス君との約束があるから重鉄鉱石の買い取りや食料品の提供をしなくちゃいけないっしょ? そう考えたら本拠地にするかどうかは別として、この村に拠点を構えるのはアリだと思うにぃ」
「そりゃあ、リッテ商会の店がこの村にあればこっちとしてもいろいろ手間が省けて助かるが」
「ま、どっちにしてもまずは情報収集だよねん。レイティンを制圧した君主国軍が他の都市国家へも手を伸ばすのか、それとも足もとを固めることに専念するのか。帝国の動きはあるのか。他の都市国家がどういう反応を見せるのか。情報なしに動けば儲かるものも儲からなくなるからにぃ。それにエリーや他の従業員たちと連絡を取らなきゃ資金もほとんど手元にないんだし」
結局マリーダたちはグロク村に身を置きつつ、各地へ退避させた従業員たちへの連絡と情報収集を優先させることにしたようだ。
その役目を担うことになったのは長年マリーダの護衛を務めてきたニコルである。
意外に思ったアルディスだが、だからといって口を差し挟める立場でもない。
粛々と準備を進めるニコルを横目で見ながら、ムーアたちと村の運営について協議をする日が続いていた。
そしてニコルが出立を翌日に控えた日。
アルディスがひとりで居るところをニコルが呼び止める。
「お嬢のこと、頼むぞ」
開口一番。いつもの飄々とした雰囲気はなりをひそめ、真剣な表情を浮かべてニコルはそう口にする。
「なにもあんたが行かなくてもいいだろうに。他の人間に任せられないのか?」
余計なお世話とは知りつつも、アルディスは思っていたことをそのまま言葉にして問いかけた。
「そういうわけにもいかんだろう。他の従業員じゃあ単独で旅をするのは危険すぎるし、かといってろくに知りもしない傭兵に任せられるようなことじゃない。あとは俺個人の事情もある」
「個人の事情?」
「俺の故郷がカルヴスだってのは前に話をしたよな?」
「ああ」
「俺だって人の子だ。故郷には家族も友人もいる。心配するのは当然だろう?」
ニコルの問いかけにアルディスは無言で頷く。
アルディスは血を分けた肉親を持たないため、家族というのものに対する想いというのは正直よくわからなかった。
だがたとえ血がつながっていなくても、大事に想う人間はいる。
かつて共に戦った戦友たちも同じ釜の飯を食った家族のようなものだったし、隠れ里に残してきた双子もアルディスにとっては今やかけがえのない存在であった。
完全に理解することは出来なくても、その気持ちを推し測ることくらいは出来るのだ。
「君主国がレイティンに侵略してきた今回の件、他の都市国家も決して他人事じゃあない。カルヴスはレイティンからずいぶん離れているが、それでも外洋を船で渡って攻められたんじゃ、その距離もあまりあてにできん。情報収集ついでに向こうへも君主国軍の情報を伝えておきたいし、兄貴が困ってるなら助けになりたいんだ」
「兄弟がカルヴスにいるのか?」
「ああ、男女あわせて七人兄弟だよ。四男坊の俺は好き勝手やらせてもらってるが、長男の兄貴はそうもいかないからな。何もない平時はともかく、大変なときくらいは手助けするのが、まあ……家族ってもんだろう?」
実感として理解できなくても、似たような感情はアルディスにも覚えがある。
だからニコルの言葉を否定するつもりはない。
しかし頷きながらも、やはりアルディスは先日目にしたマリーダの弱々しい姿を思い起こしてつい口を出してしまう。
「だが今のマリーダをひとりにするのは酷じゃないか? 表面上は落ち着いているが、内心はどうだか……。こういう時こそあんたがそばにいてやるべきだろう」
ニコルの顔に苦しそうな笑みが浮かんだ。
「言うなよ。俺だって本当はそばにいてやりたいんだ。だがお嬢にとって商会は守るべき大事なものだし、お嬢にとって大事なものは俺にとっても大事なものだ。商会を立て直すためには俺が今動かなきゃならん。あれもこれも全部を望むままになんてのは逆立ちしたって無理なんだから、俺に出来るのは許された選択肢の中で最善のものを選ぶことだけさ」
十分に熟考した結果の選択なのだろう。
誰よりも苦しいのはニコル自身だということがその表情からうかがえる。
「……あんたとマリーダが納得しているんなら俺がどうこう言うことじゃないか」
「心配してくれるのはありがたいけどな。だけど俺がお嬢のそばを離れられるのはお前さんがいるからだぞ。お前さんの強さが化け物じみてることはよーく知ってるし、口ではなんだかんだ言ってもお嬢を助けてくれると俺は信じてる。だからアルディス。すまんがお嬢のこと、頼むな」
改めてそう請われれば、アルディスとて無下にする事など出来なかった。
「そうまで言われちゃ仕方ない。俺も毎日この村にいるわけじゃないが、マリーダのことは気に掛けておくよ」
「すまん、恩に着る」
それでようやく肩の荷が下りたのか、ニコルはいつも通りの飄々とした調子を取り戻し、翌朝マリーダやアルディスに見送られてグロク村を発っていった。
2021/02/05 誤字修正 敵 → 仇






