第258話
「それで? 状況を考えるに、さっきの男――クジオンというのが仇なのか?」
「仇のひとり、ね」
力を貸すと決めるなり、いきなり踏み込んだ問いかけをするアルディスへあっさりとマリーダが答える。
「そんなのを長年腹心としてそばに置いていたのか。商会長の立場なら部下のひとりくらい処分するのは簡単だろうに」
もちろんマリーダがどこまでの復讐を望んでいるのかはわからない。
だが単にクジオンという男を失脚させ、追い詰めるだけならわざわざ十八年も待つ必要などないだろう。
それにリッテ商会ほどの大店ともなれば、後ろめたい仕事を請け負う人間たちとの繋がりがあってもおかしくはない。
「好きで腹心にしていたわけじゃないわ」
過剰な愛嬌を振りまく普段の雰囲気からはかけ離れた表情でマリーダが吐き捨てる。
「それよりおふたりさん。そろそろ俺たちも後を追いかけるべきだと思うんだがね」
そこへ横から口を挟んできたのはニコルだった。
「行き先はわかっているのか?」
確かにこの場でいつまでも話し続けている状況ではないだろうと、アルディスは質問を変える。
「最終的な行き先はね。もっともその前に寄るところがあるでしょうけど」
そう口にするとマリーダは立ち上がり部屋を出る。
その後をアルディスとニコルが追った。
「今回の件、いろいろと事前に小細工はしているのよ。直前に行った投資の失敗、それを挽回するための大博打に出た――ように見せかけてうちがかなり危ない状況に陥っていると思わせてるの」
「『リッテ商会は大丈夫なのか』って声が噂として上がるくらいにはな」
実際には経営も盤石だが、それをあえて商会が傾いているように見せ、さらには噂までも自分たちでばらまいていたらしい。
「そんなところへ突然起こった他国からの侵略。以前魔物の集団が襲ってきたときもそうだけど、都市が包囲されて物流が途絶えればうちみたいに他国との貿易で稼いでいる商会は大打撃よ。クジオンの目にはリッテ商会の命脈が風前の灯火に見えているでしょうね」
歩きながらマリーダが話を続ける。
閑散とした商会内にアルディスたち三人だけの足音が響き、対照的に外からは騒々しさの残りかすが飛び込んできていた。
「今回ほとんどの従業員をレイティンから避難させたときも、自分が指揮をとるとかあれこれと理由を付けて逃げだそうとしていたわ。それを私が頑なに許可しなかったのは、クジオンを追い詰めるため」
「なるほど。そのクジオンとやらがとうとうリッテ商会に見切りを付けて逃げ出したんじゃないかと、さっき言っていたのはそういうことか」
先頭を歩くマリーダが振り向くことなく頷いた。
ニコルとマリーダが『動くかね?』『動くだろうにぃ』と言っていたのは、クジオンがその行動を起こすに至ったということを表していたのだろう。
そうこうしているうちにやって来たのは商会の敷地内にある小さな倉庫の前。
これにアルディスは首を傾げる。
「なんで金庫じゃなくて倉庫なんだ?」
クジオンとやらが逃げ出すのであれば、火事場泥棒的に商会の資産を持ち出そうとするのはわかる。
だがそれなら倉庫などではなく金貨や宝石が入っている金庫の方に向かうのではないだろうか。
そんなアルディスの疑問はマリーダの言葉であっさりと消え失せる。
「金庫はすでに空だもの。レイティンが負けて君主国軍がなだれ込んできたときのため、という名目で中身は地下に埋めてあるわ。それはクジオンも知っているし、掘り出すには時間がかかりすぎるもの。金貨や宝石が無理ならせめて商品でもと考えるでしょう?」
すでに先手は打っているとマリーダは笑った。
人間ひとりが持ち出せる量などたかがしれているだろうが、それでも小さくて価値の高い物に限定すればそこそこの金額にはなる。
クジオンの動きはすっかりマリーダに把握されているようだった。
やがて見えてきた倉庫に灯りはついていない。
しかしアルディスたちがその入口にたどり着くと、中からは悪態をつく声が聞こえてきた。
「くそっ、ろくな物が残ってない! どれもこれも嵩張るものばかりじゃないか!」
その声はつい先ほどまで同じ室内にいたクジオンのものである。
暗い倉庫の中で商品を漁ってでもいるのか、ガタガタと小さな音が断続的に聞こえてきた。
「アルディス君。灯り、お願いできる?」
「わかった」
クジオンに気付かれないよう三人は倉庫の中まで入り込む。
こちらに気付く様子もないクジオンの背後に回り込むと、アルディスは無言で魔法の灯りを生み出した。
同時に複数、宙へ現れた魔法の光源が倉庫内をまばゆく照らし出す。
「なっ!」
突然のことに慌てるクジオン。
周囲を素早く見回して、そこにマリーダの姿を見つけると顔を引きつらせた。
「そりゃ、ろくな物が残ってないのは当然だよ。抱えて持ち出せる高価な品は全部先週のうちに売り払ったからね」
「お、お嬢様……。こ、これはその……違うんです!」
思いもよらぬ状況に、求めてもいない弁解を始めるクジオン。
「わ、私はただ被害がないか確認していただけで……」
「別に流れ矢や魔法を被弾したわけじゃないのは一見してすぐにわかるだろうに。わざわざ暗闇でこそこそと何の被害を確認する必要があるんですかね?」
すぐさまニコルがその弁を切って捨てる。
「だ、黙れ! 護衛の傭兵風情がわかった風なことを言うな!」
「黙るのはどっちなんだか」
鼻で笑うニコルを見て、クジオンの顔が真っ赤に染まる。
「お嬢様! 常日頃から申し上げているように、このような無礼で横柄な態度の護衛は即刻解雇すべきですぞ! だいたいこの男はいつもいつも――」
「黙るのはアンタだよ、クジオン」
「お嬢様……?」
冷たい声で言葉を遮るマリーダの雰囲気にクジオンも何かを感じ取ったのか、探るような顔つきに変わった。
「ねえ、クジオン。アンタ、うちの商会にやって来て何年経つ?」
「藪から棒になんですか?」
「何年経つか聞いてるんだけど?」
感情の消えたマリーダの表情に気圧されてクジオンがペースを崩す。
「……そ、そうですな。二十……四年といったところでしょうか」
「そうね。私がまだ物心ついたばかりの頃にアンタはうちにやって来たわね」
「あの……お嬢様。それがなにか……?」
マリーダが何を言わんとするのかわからず、クジオンは戸惑っている様子だった。
「それから四年、アンタは父に働きを認められ、若くして父の補佐役に抜擢。いずれは商会の中心を担う人物として期待されていた……。まあ、実際今のアンタはリッテ商会のナンバーツーなんだから、期待された通りの道を歩いてきたわけだけど」
思い出話を語るように滔々と言葉を紡ぐマリーダへクジオンが話をあわせてきた。
「ええ。先代に目をかけていただいたおかげです。先代との出会いがなければ私はきっとうだつの上がらない人生を送っていたでしょう。本当に、先代は私にとって一番の恩人でした」
「だったらどうして殺したの?」
一瞬和やかになるかと思われた空気をマリーダのひと言が凍りつかせた。
「は……?」
何を言われたのかわからず、クジオンが目を丸くする。
「な……、何をおっしゃっているのですかお嬢様。先代は事故で――」
「私が何も知らないとでも思っているの、クジオン?」
わかりきったことを説明するかのようなクジオンの言葉を、冷めた笑みのマリーダが遮る。
「わ、私にはお嬢様が何を勘違いされているのか……」
わかりません、とクジオンが首を振った。
「私は憶えているよ。父と母の死を報せるために、ひとりアンタが帰ってきた日のことを」
「は、はい。あのとき、私は先代と奥様を馬車にお乗せしてパーティ会場までおふたりをお送りしているところでした。それがまさか途中で崖崩れに巻き込まれてしまうなんて……」
クジオンが肩を落として見るからに悲しげな表情を浮かべる。
声を震わせながら、今にも涙を流しそうな目を片手で押さえた。
「先代が息を引き取るのを前にして何も出来ず……結局私ひとり生き残ってしまいました……。ですが『娘と商会を頼む』と言い残された先代のために、生き恥をさらす覚悟で戻ってきたのです」
「ふうん。言い残した、ね」
だがそれに対するマリーダの反応はどこまでも冷ややかだ。
「実際は即死だったのに、どうしたら死人から遺言が聞けるの? 死霊術でも使ったのかしら?」
「な、なにを……」
「だからさ。言ったでしょ? 私が何も知らないとでも思っているのか、って」
普段は丸い栗色の目が細められた。
マリーダが腐った果実を見るような視線でクジオンを射貫く。
「御者をしていたアンタが山道を走っているときに馬の尻へダガーで斬りつけたことも。暴走する馬車から自分だけ飛び降りたことも。父と母を乗せたまま崖下へ落下していく馬車を見送りながらほくそ笑んでいたことも。ふたりの死を確認した後で爆発の魔石を使い、落下した馬車の上へ土砂を流し込み崖崩れに見せかけたことも。誰も見ていないと、誰にも知られていないと、今の今まで本気で思っていたの?」
まるで見てきたかのようにマリーダが言う。
実際に見てきたのだろう。
現実世界ではなく、夢の世界で幾度も幾度も。
「なっ……! そんな……」
驚愕で言葉を詰まらせるクジオン。
それはマリーダの突きつけた言葉が事実であることを物語っていた。
「残念だったね、クジオン。アンタの悪事はとうの昔にバレていたのよ。私のことを何も知らない馬鹿な小娘だと影でせせら笑っていたんだろうけど、何も知らずに泳がされていたのは……自分の方だと気付かなかったの?」
「い、いつから……?」
「十八年前のあの日からよ」
その答えを聞いてクジオンの目に冷静さが戻る。
「ば、馬鹿なことを。当時のお嬢様はまだ十歳の子供じゃないですか。そんな情報を集めることができるわけがありません」
普通ならクジオンの言うことが正しい。
十歳の子供がそれだけの情報収集能力を持ち、それを分析して真実へたどり着くほどの考察力を持つわけがないからだ。
マリーダの夢見という力を知らないであろう人間には、クジオンの言い分は納得できるものだろう。
だがクジオンはマリーダが隠している能力の存在を知らない。
そしておそらく本人も気づいていないだろうが、動揺のあまりマリーダの話自体を否定することを忘れていた。
「ふうん。問題にするのはそこなんだ」
それを指摘したマリーダに慌ててクジオンが弁解する。
「あ、いえ……。どこの誰がそんなでまかせをお嬢様に吹き込んだのか知りませんが、まったくもって事実無根のデタラメでして……」
「いいのよ。これが事実かどうかは私とアンタのふたりだけがわかっていればそれで」
皮肉がたっぷりと込められた笑みを浮かべてマリーダが突きつける。
「どうせアンタが両親の仇だってことに変わりはないんだから」
その言葉にあわせてニコルが剣を鞘から抜いた。
クジオンの肩がビクリと跳ねる。
「アンタさあ。私のことをいつまでも小娘だと思って甘く見てたんじゃないの?」
「ぐっ……」
もはやごまかすことは無理だと判断したのか、クジオンは近場にあった物をこちらに投げつけると逃げ出すために身をひるがえす。
しかし戦いを生業とするアルディスから見ればその動きはあくびが出るほど遅い。
十分余裕を持って捕まえられると判断したアルディスが動き出そうとしたとき、それをマリーダが制止した。
「おい」
「いいから」
意図的に見逃すのだとマリーダが目で伝えてくる。
ニコルの方は最初から動く気がなかったらしく、クジオンはまんまとアルディスたちの前から逃走することに成功していた。
「わざと泳がすつもりか?」
「言ったでしょ。仇のひとりだって」
マリーダの言わんとするところを理解してアルディスは問いかける。
「その口ぶりだと逃亡先も目星がついているみたいだが?」
「レイティン全体が君主国軍に包囲されている今、どうせ逃げ込む場所なんてひとつしかないわ」
わかりきったことを言わせるなという表情でマリーダは答えた。
「今晩中に片がつくんだろうな? 君主国軍が町に流れ込んでくると動きにくくなるから面倒なことになるぞ」
「わかってるわよ。一気に決着をつけるつもりじゃなきゃ、わざわざ逃がしたりしないわよ」
気持ちの余裕がないのか、いつもの人をおちょくるような雰囲気を微塵も感じさせずマリーダが無表情で反応する。
「じゃあそういうことで」
そんな空気を振り払うようにニコルがわざとらしく明るい声でふたりに誘いをかける。
「さっさとケリをつけに行こうや」
2021/02/05 誤字修正 敵 → 仇






