第256話
「帝国じゃない?」
マリーダからの情報にアルディスが怪訝な表情を見せる。
「うん。相手はサンロジェル君主国を名乗ってるみたいだにぃ」
「サンロジェル? どこだそれ?」
今度はニコルが疑問を口にした。
その問いに答えたのはアルディスだ。
「南の大陸にある国……らしい」
「知ってるのか?」
アルディスとてそれほど詳しいわけではないが、一度きりとはいえ戦場で戦ったことのある相手だ。
奇妙な獣に騎乗し、見たこともない魔法を使ってきた異国の軍隊。
その印象は今もって薄れていない。
「先日の戦いで帝国に味方していた国だ。もっと言えば四年前の戦争で王国軍を壊滅に追いやったときの援軍でもある」
「援軍? だったら帝国の姿がないのはどういうことだ」
「今回は援軍じゃないのかもな」
アルディスの小さなつぶやきをニコルは耳ざとく拾い上げる。
「援軍じゃない……ああ、そういうことか」
ニコルもアルディスの言わんとするところを理解したらしい。
わざわざ外洋を越えてまでサンロジェル君主国が帝国へ援軍を送ってきたのは、何も帝国の掲げる『旧領回復』という大義に賛同したからでもなければ、帝国との友愛を理由にして王国と敵対したからというわけでもない。
帝国と手を組み、その基盤を足がかりとしてこの大陸に新たな領土を得る。
それが君主国の狙いだろう。
要は単なる勢力拡大だ。
帝国の宿願である王国打倒に君主国は力を貸し、その代価として都市国家連合への侵攻と併合を黙認する。
帝国と君主国の間でそんな約定が交わされている可能性は高い。
「ま、帝国だろうと君主国だろうと、攻め込んできたのが軍であることに変わりはないよにぃ」
「……相手が帝国じゃないから戦え、なんて言わないよな?」
アルディスは先日護衛を引き受ける時にマリーダが口にした『帝国と事を構えようってわけじゃない』という言葉を思い出す。
帝国と戦うような事はないと明言したマリーダだが、相手が帝国以外の軍となれば話は違うと言い出しかねない。
「そんなこと言わないよん。どこが攻めてきたとしても、アルディス君ひとりを矢面に立たせるつもりは無いから安心して」
「とりあえずお嬢、荷抑えはしておいた方がいいんじゃないか?」
「ああ、そっちはもう手を回してるから大丈夫だにぃ。それよりふたりに聞いてみたいんだけど」
「なんだ?」
問い返すアルディスにマリーダが投げかけた疑問は、この状況においてごく当たり前のものだった。
「レイティンは陥落すると思う?」
アルディスとニコルがそろって腕を組む。
「確か以前魔物が襲ってきたときの防衛兵力が二千くらいだったか?」
「ああ。傭兵や民兵含めてそれくらいだったな」
ニコルがアルディスの言葉を肯定する。
「でも今回同じ数が揃うかはわからないぞ。前のときは相手が獣や魔物だったからな。負ければ問答無用で家族まで皆殺しだ。後がないから民兵の集まりも良かったが、今回は交渉も可能な人間が相手。敵方につこうとする人間もいれば、取り入ろうとする人間もいるだろう」
無論相手が言葉の通じる人間であっても、戦闘で興奮状態に陥った兵士が乱暴狼藉をすることは十分に考えられる。
実際王都ではかなりの非戦闘員が殺され、略奪もあったらしい。
とはいえそれは帝国にとって不倶戴天の敵であった王国が相手だったからとも言える。
現在のところ君主国とレイティンにそういった因縁はない。
多少の問題は発生するだろうが、王都のような状態にはならない可能性もある。
「だが正規兵と傭兵だけじゃさすがに守りきるのも厳しいだろう。傭兵だって必ずレイティン側につくとは限らん。むしろ敵の方が有利ならあちらに自分を売り込むやつだって出てくるはずだ」
アルディスの説明はニコルに向けてのものというより、この場で唯一傭兵ではないマリーダに向けてのものだ。
「敵は五千か……。輜重兵が含まれているとしてもレイティンより圧倒的に多いな。民兵の集まりが悪ければなおさら厳しい」
ニコルが戦力差をすぐさま計算する。
前回は千五百人ほど集まった民兵も、相手の出方次第では半分集まるかどうかというところだろう。
突然の来襲だった前回と違い、今回は時間的な余裕があるため逃げるという選択肢も残されているのだ。
現に君主国の軍が到着する前にレイティンを離れようと、町から出て行く人間は後を絶たない。
「他の都市国家へ援軍要請はしているんだろ?」
「多分にぃ」
アルディスが確認するとマリーダが即答する。
「こういう時のための連合だからにぃ。各国家都市には当然急使が向かってると思うよん。……間に合うかどうかはわかんないけど」
「で、マリーダとしてはどうするつもりなんだ? このために俺を護衛として雇ったんだろう?」
「まあアルディス君もニコルも現状維持で」
「いいのか?」
特に手を打つつもりもなさそうなマリーダへアルディスが確認の言葉を投げかける。
「構わないよん」
迷いなく答えるマリーダの顔に焦りや悲壮感といった感情がまったく感じられないことを、アルディスは不思議に思った。
マリーダが初めて夢を見たのは十歳の頃だ。
もちろんそれは単純に眠っている間に見る夢のことではない。
現実とリンクした夢見の能力を発現させたのが十歳という意味である。
最初に見た夢は両親の死。
ひどい悪夢に目が覚めた後泣きわめいて、抱きしめてくれた母親の温もりも今となっては遠い記憶の彼方。
悪夢の内容はいつも一緒だった。
地方領主から招かれたパーティに出席するため、マリーダをレイティンに残して両親が馬車で出かけ、その道中で崖崩れに巻き込まれてしまうというものだ。
父親が目をかけていた従業員のひとりだけが運良く生き残り、その訃報をマリーダへ届けに戻ってくる。
そんな悪夢が毎晩続いた。
やがて夢の中でマリーダは両親を引き留めるようになる。
出立しないよう必死で訴えるが、両親には子供のわがままと取られてしまうだけ。
子供なりに必死で妨害をしても出発の時間を遅らせるのが精一杯。
だがマリーダがどれだけ懸命に努力しようとも結果は無残なものだった。
たとえ崖崩れを免れてもその代わり魔物に、あるいは山賊に襲われて結局両親は帰らぬ人となってしまう。
そうこうしているうちに、現実の世界で両親に地方領主からパーティへの招待状が届いた。
悪夢の中と同じように事態が進んでいくことにマリーダは戦慄する。
当然必死で両親を引き留めた。
悪夢のことも洗いざらい話し、論理的に説明しても効果がないと知るや今度は感情に訴える。
行かないでとすがり泣き、気が狂ったのかと言われるほどなりふり構わず悪夢を回避しようとした。
だがそれも無駄に終わる。
やがてマリーダを残して出立していった両親は、結局そのまま帰らぬ人となった。
――その夜、マリーダが夢を見ることはなかった。
それから長い、はてしなく長いマリーダの悪夢が始まった。
両親の死に沈み込んでいたマリーダは、再び夢を見るようになる。
登場するのは馬車に乗っていた一行の中で唯一の生き残りであり、両親の死を伝えてくれた従業員の男。そしてマリーダの知らない貴族らしき男だ。
『会長の娘が騒ぎ出したときはどうなることかと思いましたが、予定通り会長夫妻は冥府の門をくぐりましたよ。すでに商会の従業員も三分の一ほどは私になびいています。古参の者が数人いますが、それさえ追い出せば残るは年端も行かぬ小娘ひとり……』
『始末するのか?』
冷たい目でそう問いかける貴族に、従業員の男はかしこまりながら自らの考えを口にした。
『今すぐに、というのは少し目立ちすぎます。会長夫妻が事故で死んだ後すぐに娘までも……となれば、周囲へ疑念を振りまくことになりかねません。ですがしょせんはまだ子供。丸め込むのは難しくもないかと。上手く取り入れば労なく商会を乗っ取れましょう。邪魔になりそうならどこかへ嫁にでも出せば問題ありません。それまでに全体を掌握しておきます』
『ふむ……。それならうちの三男か四男を婿入りさせるというのもありだな』
都合の良い未来図を思い描き始めた貴族へ従業員の男が慌てて口を開く。
『いずれにしてもリッテ商会はすでに我が手中にあるも同然。私が商会の実権を得た際には、ぜひとも伯爵閣下に後ろ盾をお願いしたく』
野心むき出しの顔で願い出る従業員の男へ、貴族はニヤリと笑みを浮かべる。
『当然だ。リッテ商会が新しく開拓した金鉱石の交易ルートはしっかりと伯爵家で押さえる。そのためにお前に目をかけてやったのだし、わざわざ裏から手を回しもしたのだ』
満足のいく結果に機嫌良く笑うと、貴族は表情を元に戻して従業員の男へ労いの言葉と共に釘を刺す。
『お前もよくやった。三年以内に商会を支配下におけ。くれぐれも他の従業員やリッテの娘に気取られるなよ』
『はい、お任せを』
その後、従業員の男は亡き会長の遺言を振りかざして古参の従業員たちを追いやると、リッテ商会の実権を掌握していく。
我が物顔で商会を牛耳ろうとする男に反発する者たちや、先代会長に義理立てしてマリーダを支えようとした者は早々に追い出され、着々と商会はひとりの男に乗っ取られていった。
やがて両親が亡くなってから一年経過したある日。
マリーダの元へ暗殺者が送り込まれてくる。
十一歳の少女に暗殺者へ対抗する力など当然なく、マリーダの人生はそこで幕を閉じてしまう。
自分が殺される夢を初めて見たとき、マリーダはそれがいずれ訪れる未来なのだとようやく理解する。
同時に両親の死を伝えてくれたあの男が、貴族と手を組んで両親を罠にはめたのだと気付かされた。
それからマリーダは毎晩自分の死ぬ夢を見続ける。
なんとか死を免れようと夢の中で必死にもがいた。
だがたとえ死から逃れてもマリーダを待っている未来はどれも酷いものだ。
着の身着のまま荒野へ置き去りにされたこともあるし、娼館に売られて壊れるまで客を取らされたこともある。
子持ちの貧しい平民と無理やり望まない結婚をさせられたときなどまだましな方だろう。
マリーダは焦った。
このままではいずれ両親のときと同じく、悪夢と同じような現実が待ち受けているだろう。
もはやなぜ自分がそんな夢を見るようになったのかなどと、悠長に考えている暇はなかった。
タイムリミットまでどれくらいの日数が残されているのかはわからない。
だが確実に破滅は近付いているのだ。
そうして幾晩もの試行錯誤を経て、ようやくマリーダは死を免れる選択肢にたどり着く。
他に打開策を知らないマリーダは血の涙をのんでそれを選ぶしかなかった。
たとえそれが、両親の仇である男を自らの腹心としてそばに置くという選択肢であっても。
両親が殺されてから十八年。
ニコルという味方を得、アルディスというジョーカーを懐に忍ばせ、ようやくやって来た仇討ちのチャンスにマリーダは冷たい喜びを感じていた。
2021/02/05 誤字修正 敵 → 仇






