第252話
避難民たちの集団が北の開拓村にたどり着いたのはそれから数日後のことである。
三大強魔のひとつ、『鈴寄り』討伐後の丘陵地帯に作られた開拓村の名はグロクというらしい。
グロク村の人々は突然現れた三千人もの集団に驚き、次いで帝国の侵攻と王都陥落の事実に混乱した。
当初は避難民の受け入れに難色を示したグロク村だったが、アルディスが当面の食料支援を約束したことで態度を軟化させる。
もともと開拓村という性格上、人手は常に不足しているのだ。
加えて避難民の中には薬師や鍛冶師、料理人など王都やニレステリアの領都でその腕を振るっていた専門家たちもいる。
食料の問題さえ見通しが立つなら新たな村人を彼らも歓迎するということなのだろう。
ひとまず落ち着ける場所を得た避難民たちをグロク村において、アルディスとロナは隠れ里へと飛ぶ。
「残してきた食料だけじゃ、三日ももたないよ?」
隠れ里へと向かいながらロナがアルディスへ確認するように問いかけてくる。
「言われなくても、承知の上だ」
わざわざ指摘されずともアルディスだってわかっている。
向こうの世界、ロナの住み処へと保管していた保存食を残らず吐き出しても三千人もの人間を長期間養うことはできない。
ムーアが先頭に立って避難民を率い、周辺の獣を狩って食料の足しにしてはいるものの、それでも三日も経てば蓄えは尽きるだろう。
それまでに安定的な食糧供給の方法を考えなければならなかった。
「運ぶ方法はともかくとして……、問題は金か」
食料の運搬はアルディスとロナが『門扉』を使えばなんとかなるだろう。
だがその食料を入手するためにも金銭は必要だった。
しかもアルディスにはそれがどの程度の金額になるのか、いまいち実感出来ていなかった。
「ミシェルにでも相談してみるか」
餅は餅屋。
商売を生業とするミシェルならば、そういった計算もお手の物だろう。
そう結論付けると、アルディスは隠れ里へと急ぐことにした。
隠れ里へと戻ったアルディスは心配顔の双子に出迎えられる。
「無事でよかったです」
「何もなかった?」
アルディスの無事を喜び、その上で詳しい事情聞こうとするふたりを家に送り届けると、ひとり村長の家に滞在するセーラを訪ねる。
報せを聞いたミシェル、エルマー、その他村の世話役たちが村長宅に集まる中、アルディスは自分が見てきたことを詳細に説明した。
「王都が陥落!?」
この場にいる人間はナグラス王国出身者ばかりではない。
むしろ王国以外の出身者が大部分だ。
しかし生まれ故郷ではなくとも王国の首都が陥落したと聞けば、それがどれだけの大事かは理解できるだろう。
特に国をまたいで商売を行っているミシェルにしてみれば、今後の情勢が予断を許さないことは言うまでもないはずだ。
「トリア侯爵が謀反ってのは本当かい?」
「ああ。トリア軍と他の領軍、王国同士が戦っているところをこの目で実際に見てきた。それでトリア軍迎撃のため、王都へ残っていた軍が出撃して空になったところを――」
「帝国が海から奇襲した、と」
ミシェルの言葉をアルディスは頷いて肯定する。
「はあ……。また物価が上がっちまうね」
ミシェルはため息交じりに行商人らしい考えに行き着く。
驚きに包まれたままの周囲へアルディスはニレステリア領都への帝国侵攻と、避難民たちの状況を説明する。
「まさか、その避難民をここへ受け入れたいとでも?」
世話役のひとりが冗談ではないと顔を歪ませる。
「いや、さすがに三千人もの人間を受け入れるのは無理だろうし、第一俺が勝手に決めることじゃない。数人ほど受け入れて欲しい人間はいるが、それも今じゃなくていい。時間をかけて人物を見極め、村に溶け込めそうな人間だけを受け入れてくれればそれでいいと思う」
アルディスがこのメンバーを集めたのは、情報の共有と現状を理解してもらうためである。
国家権力の及ばない僻地にある隠れ里とはいえ、影響が皆無というわけではない。
ミシェルが危惧した通り世の中が混乱すればするだけ物価は上がっていくし、王国内で物資を調達するのも危険が伴うようになるだろう。
「わかった。ひとまず我々としては直接どうこう関与することもないじゃろうが、情勢を注視しておくに越したことはない。それでよろしいでしょうかな、御使い様?」
「そうね。私もできるだけ村から離れないようにするわ」
村長とセーラの言葉を最後に解散という流れになりそうなところへ、アルディスは待ったをかける。
「報告についてはこれで終わりなんだが、いくつか相談したいことがある。すまないがセーラとエルマー、それにミシェルは残ってくれないか?」
家主である村長と指名を受けた三人が残り、他の人間が出ていった後でアルディスは口を開く。
「さっき話した避難民のことなんだが……」
「開拓村で受け入れてもらったっていう三千人のことかの?」
村長の確認に頷いてアルディスは話を続けた。
「この村に受け入れるつもりはないが、かといってさすがに知らん顔もできん。開拓村には土地も森林資源もあまるほどあるが、すぐに三千人を食べさせるほどの食料はないからな」
話の流れに不安を抱いたのか、村長が険しい表情を見せる。
「困窮が目に見えるのはわかるが、この村とて余裕があるわけではないのだぞ? さすがにその人数を食べさせるだけの援助は無理というものだ」
「心配しなくてもその点で村に負担を強いるつもりはない。相談というのはエルマーとミシェルになんだ」
「私ですか?」
「アタシかい?」
エルマーとミシェルがそろって声をあげる。
「ああ。開拓村――グロク村というんだが、当然まだ拓いて間もない村だから教会の建物もなければ派遣された神父もいないんだ。そこへエルマーには神父として赴任してもらえないかと」
「それは……、私は教会から破門された身ですよ。避難民の中には教会の関係者もいるでしょうし、避難民たち自身も簡単に受け入れてくれるとは思えませんが?」
エルマーの懸念はもっともだ。
今世の中に広まっている教義を否定しているとも取れるエルマーの言葉が、教会関係者に受け入れられるわけがない。
教会の教えに固執する者がいれば、対立は火を見るよりも明らかだろう。
「避難民の中にいる教会関係者は三人だ。ひとりは俺も顔見知りの修道女で、少なくとも異端者だからといって血眼になって排除しようとするような人間じゃない。彼女にはエルマーのことも話してあるし、本人は直接会ってから判断すると言っている。他のふたりには俺も面識はないが、彼女が言うにはまだ若い修道士だそうだ。強引に教義を押しつけたりしなければ表立って突っかかってはこないだろうし、もし反抗するようならとっとと追い出せばいい」
アルディスとしては軋轢が生まれるのも織り込み済みである。
ソルテにも伝えた通り、エルマーの言葉を受け入れられないならこちらからの厚意も受けられなくなるだけの話だ。
「追い出すなどと……」
村長がアルディスの物言いに悲しそうな表情を見せる。
「こっちもわざわざ骨を折ろうってんだ。向こうにもそれなりに歩み寄りを見せてもらわないと不公平ってものだろう? それになにも魔物が跋扈する山脈の中で追い出そうってんじゃない。普通に開拓村ができるような場所なんだから、自分たちで村でもなんでも作ればいい」
「つまり、アルディスさんは時間をかけて避難民たちの意識を変えていきたいと?」
エルマーがアルディスのやろうとしていることを察して訊ねてくる。
「そういうことだ。幸い、と言うのは不謹慎だが今の王国は右も左も混乱のただ中だ。王都の教会だって辺境の開拓村に目を向けていられる状況じゃない。どれくらいこの混乱が続くかは分からないが、教会の本部も王国が平穏を取り戻さない限りはちょっかいも出せないはずだ」
アルディスの返事を聞いて、エルマーは少しだけ考え込んだあとで結論を口にする。
「なるほど、そういうことでしたら私としては異論もありません。開拓村への赴任の件、喜んで引き受けましょう」
「助かる」
「で? そっちの話はいいとして、アタシの方に相談ってのはなんだい?」
エルマーへの相談が終わると、それまで横で大人しく話を聞いていたミシェルが催促してくる。
「三千人を半年食わせるのにどれくらい金がかかるか、ちょっと想像がつかなくてな」
その言葉を聞いてミシェルが顔を歪める。
「食わせるつもりなのかい?」
「金額次第だな。当然金は俺が出す」
先ほど宣言した通り、この件でアルディスは村やミシェルに負担を強いるつもりはない。
魔物討伐の報酬などで蓄えは人並み以上にあるアルディスだが、大勢の人間が食っていくのにどれくらいの金銭が必要なのかという知識もなければ、それだけの食料を手配した経験もない。
かつて所属していた傭兵団では戦うばかりで、そういった運営に関わることには一切触れる機会がなかったのだ。
「そりゃまた豪儀な話さね。……三千人ねえ」
ミシェルが額を指でトントンと叩きながら思案する。
「人手はあるから、周囲の森で狩りをすれば食料の半分まではいかずともかなりの量が確保できるだろう。調達が必要なのはその不足分だ。贅沢をさせるつもりはないから、飢えない程度の量でいい」
何も食料の全てをアルディスが提供する必要はないのだ。
避難民たちにもできることはやってもらわなければならない。
「三千人もの食料を狩ってたらあっという間に獲物がなくなっちまうよ?」
「開墾してそこから収穫ができるようになるまでの間、持ちこたえればいいだろう。獲物の問題まで考えてやるつもりはない」
将来的には問題となる可能性もあるが、正直アルディスひとりでそこまで面倒は見きれない。
三千人を半年間食べさせるだけでも本来いち傭兵には荷が重い話だ。
ミネルヴァやソルテが絡んでいなければ、きっと放っておいただろう。
「そうさねえ……。狩りである程度まかなうとして、ひとりあたり一日で小銅貨二枚。三千人分だと……金貨六枚。月に金貨百八十枚。それが半年、掛ける五の金貨九百枚ってとこさね。最低限腹を膨らませるだけの食事になるだろうけどね」
金貨九百枚。それはさすがのアルディスも蓄えを全て吐きだして足りるかどうかという金額だ。
「だけどアンタ。見ず知らずの避難民を食わせるために自腹で金貨九百枚もの大金をはたくつもりかい? そういうお人好しには見えなかったけどね」
皮肉っぽいミシェルの言葉にアルディスも眉間にしわを寄せる。
「こっちにもいろいろと成り行きってものがあるんだよ。相手が着の身着のままで逃げてきた避難民じゃあ、対価を求めようにもな……」
「そのグロク村って開拓村、もともとは重鉄鉱脈を目当てに作られた村だろう? 採掘した重鉄を食料の対価にはできないのかい?」
「どうもまだ試掘段階みたいだな。鉱脈があることは確かなんだろうが、本格的に採掘するほどの鉱脈を見つけられていないらしい」
確かに重鉄の採掘がはじまっていたのなら、重鉄鉱石を対価として受け取ることもできるだろう。
だがないものはないのだ。
そこへそれまで黙って聞いていたセーラが唐突に口を挟んできた。
「だったら私が鉱脈を見つけましょうか?」
「できるもんならな」
どうとでもないことのように軽い口調で言うセーラへ、アルディスは大して期待もせず言葉を返す。
「じゃあ娘たちにちょっと聞いてみるわね」
しかしセーラの方は本気で言っていたらしく、意味の分からないことを言いながらその場でそっと目を閉じた。
「えーと、グロク村って……これね。じゃあそこから近いところで、行き来がしやすくて……うん、ここがいいわ」
閉じたまぶたの奥で何を見ているのか、まるでわかりきった探し物を見つけるように独り言をこぼす。
そんなセーラの奇行もすぐに終わりを告げた。
「見つかったわよ」
「は?」
眼を開けて当たり前のような口調で言うセーラとは対照的に、アルディスは困惑に包まれる。
「グロク村から西へ一キロほど進んだところ。少し窪んだ土地があるから、そこを五メートルほど掘ってみて。多分鉱脈にぶつかるはずだから」
そんなアルディスの様子などお構いなしに、セーラは事実を淡々と口にしているといった感じで言い放った。
2020/10/04 修正 月に金貨十八枚 → 月に金貨百八十枚
※商人のくせに計算で桁間違えをするミシェル……うん、作者が悪いんだけどね
2021/04/09 誤字修正 協会 → 教会
※誤字報告ありがとうございます。






