第242話
本来であれば村まで歩いて五日ほどの距離がある。
実際の物理的な距離という意味ではそれほど離れているわけではない。
だがその道中はろくに道も整備されていない森が続き、坂の上り下りも多いのだ。
なにより並の傭兵であれば足を踏み入れたが最後、あっという間にその命を散らすと言われる魔物の大生息地である。
当然馬車が通れる道などなく、馬やロバを連れて行っても魔物に餌を提供するようなものだから、結局は人が荷物を背負って歩くしかない。
必然的に進みは鈍くなる。
片道五日かかる行程となるのも致し方ないことだろう。
ましてや今のミシェルたちは荷物を捨てて身の回りにある品だけを持ち出した状態だ。
水はともかく食料の方はどうにも心許ない。
そこでアルディスは馬を森に連れ込み、騎乗することによってその行程を縮めようと提案した。
「いや、確かに食料の不安はあるけどよ。さすがに馬を連れて行くのは無謀じゃねえか? 魔物をおびき寄せるだけだろ」
テッドの懸念も当然である。
セーラ特製の魔除け護符もさすがに馬の分までは用意されていない。
ミシェルやテッドたちが護符を身につけていても、馬を狙って魔物が寄って来るのでは意味がなかった。
「寄って来る魔物は俺がなんとかする。今は時間が惜しい」
水はアルディスが魔術で作り出せばいいし、食料はシャルの背負い袋からと見せかけて『門扉』から取り出せばいい。
五日かけて歩いても、おそらく水や食料に困ることはないだろう。
だが問題は時間である。
アルディスはどうにもトリア軍の話が気になっていたのだ。
可能な限り早くミシェルたちを村へ送り届け、その動向を調べておきたかった。
馬の数は十分ある。
もちろん均された道ではない以上、駆け抜けるというわけにはいかないが、リアナとシャルを誰かの後ろに乗せてもらえれば歩いて行くよりもかなり速く進むことができるだろう。
「それって、馬に並走しながら襲いかかってくる魔物をアルディスひとりで撃退できるって言ってるの? 君、今さらっととんでもないこと言ったって自覚ある?」
言葉にしては問い質すように。一方で表情はにこやかなまま、言外に愉快な見世物を期待していると言わんばかりの雰囲気を漂わせてノーリスがアルディスの目を覗き込む。
「魔物が襲ってきたときは一所に固まって、馬を宥めることに集中してくれればいい。後は任せろ」
自信満々にアルディスがそう告げると、ノーリスひとりを除き、周囲の人間はそろって判断に困るといった表情を浮かべる。
とはいえアルディスの力量を知っている『白夜の明星』の面々は明確な反対を口にする事もない。
結局ミシェルがテッドたちの判断を尊重すると意思表示したため、消極的ながらも一行はアルディスの提案を受け入れることとなった。
アルディスたちが村に到着したのはそれから二日後のことだ。
正確には村の敷地内ではなく結界の内側に足を踏み入れたわけだが、ここまでやってくれば危険な魔物に襲われる心配はないし、あとはテッドたちだけでも安全に村までたどり着けるだろう。
「いやあ……。規格外だとはわかっていたけど、改めて目の当たりにすると言葉に表せないほどのデタラメっぷりだったねー」
あははと笑い飛ばすのは弓を背負ったまま馬を操るノーリス。
周囲はその言葉に頬を引きつらせて乾いた笑顔で反応する。
「ほんとにひとりで片付けやがったしな」
何かを諦めたような表情でテッドがノーリスに同意する。
アルディスは宣言した通りテッドたち護衛の傭兵を含む八人に加え、リアナとシャルの合計十人をたったひとりで守りきった。
しかも魔物にとって垂涎の餌ともいうべき馬に乗ったままの十人をだ。
テッドの危惧したようにカノービス山脈の森へ入った途端に魔物から襲われたが、間を置かず現れる魔物たちをアルディスは無言のままに操る魔術と『門扉』から呼び出した飛剣によって次々と撃退した。
テッドたちが馬から下りて戦闘に参加する余地もないほどの、まさに瞬殺である。
結果、道が悪いとはいえ馬に乗って移動しているという事もあり、一行は通常五日かかるであろう行程をわずか二日で踏破する事ができていた。
このまま進めばあと半日とかからず村に到着するだろう。
そう考えていたアルディスは接近する大きな魔力に気付く。
数はふたつ。
やがてその魔力はアルディスたちの姿を見つけて目の前にやってくると、開口一番疑問を投げかけてきた。
「あれ? なんで一緒にいるの?」
魔力の主はアルディスの相棒ロナ、そしてその後ろに付き従うのは二年前に村の一員となったクロル種のルプスだ。
魔力の大きさが魔物よりも遥かに大きかった事、ここが結界の内側である事、魔力が村のある方向からやって来た事、それらの手がかりからアルディスがあたりをつけていた通りである。
「ああ、ちょうど良かった。ルプス、ミシェルたちを村まで連れて行ってくれるか?」
「あ、はい」
理由も訊ねず素直な返事をするルプスへ、アルディスはテッドやミシェルを押しつける。
「アンタは村に帰らないのかい?」
「話に聞いたトリア領軍の動きが気になる。俺とロナで少し様子を探ってくるよ」
アルディスがミシェルの問いかけにそう答えると、横からオルフェリアが口を挟んできた。
「でもアルディス、あなたこの二日間寝てないでしょ? 村で一晩身体を休めてからの方がいいんじゃないの?」
「全く寝てないってわけでもない。大丈夫だ」
夜営の際、周囲の警戒をしながらも短い睡眠はとっていた。
本来のアルディスよりも若いこの身体は、少々の睡眠不足でもさほどパフォーマンスが落ちない。
若いってのはいいもんだな、とアルディスは心の中だけで苦笑する。
もちろん眠気は常に襲いかかってくるが、それはいつもの事であって今さら困るようなものでもなかった。
それよりも今は少しでも早く状況を確認することが優先である。
そう結論付けたアルディスはルプスにあとを任せて、自分は今来た道を引き返すことにした。
リアナが自分もついて行くと異を唱えたが、さすがに今回ばかりは同行を許す事はできない。
もしも戦闘――という事になれば相手はおそらく人間だ。
対人経験の少ないリアナでは、むしろ魔物相手よりも危険が大きいだろう。
「行くぞ、ロナ」
連れて行くのはあうんの呼吸で背中を任せる事のできる相棒だけだ。
「……ちゃんと説明してくれるんだよね?」
「もちろん。事情は道中で話す」
しぶしぶながらも付き従うロナを連れ、アルディスは草原の方向へと歩き出す。
ミシェルたちとの距離を十分に取った後、アルディスとロナは上空へと昇り高速で移動をはじめる。
「トリアの領軍? ボクはよく知らないけど、アルや双子とは確か因縁があるんだよね?」
「因縁と言っても大した事じゃないけどな。まああまりかかわりたくない相手である事は確かだ」
「だったら放っておけばいいでしょ」
「ミシェルたちが追われていた以上、何も知らないまま放置というわけにもいかんだろう。少なくとも理由くらいは把握しておきたい」
途中でミシェルたちから聞いた事情をロナにも説明し終え、互いに言葉をいくつか交わしたころ、遠目に蠢く影が見えた。
「何だあれは?」
近付くにつれてその影は人の形をハッキリと見せはじめ、次第にそこで何が起こっているのかをアルディスも理解する。
武装した人間の集団。
それが二手に分かれて争い、戦い、殺し合う光景が眼下に広がっていた。
「これは……」
「トリア領軍と……、戦ってるのも王国兵だよね。どこの領軍かは知らないけど」
アルディスたちがいるのは王都とトリアを結ぶ大きな街道沿いの草原。
国境からは遠く離れた王国の中央部と言っていい。
魔物と人間が戦う事はあっても、人間同士が剣を交えるなど普通はあり得ない場所だ。
だがアルディスが目にしているのはそのあり得ない光景。
王国軍が敵味方に分かれ刃をもって命を奪い合う、戦場という名の舞台がそこにはあった。
トリア領軍の騎乗した兵士が草原を駆け、勢いそのままに歩兵をはね飛ばす。
その騎兵に放たれた矢が偶然にも馬の目を射貫き、痛みに暴れた馬から落ちた兵士が複数の歩兵に囲まれて切り刻まれたかと思えば、今度は騎兵へ剣を振り下ろしていた歩兵が背後から突き出された槍に貫かれて絶命する。
一瞬にして加害者と被害者が入れ替わる混沌の中、増えていくのは紅という不吉な色ばかり。
恐怖を打ち消すための雄叫びと死の間際に絞り出される苦悶の声が重なり合い、喧騒と呼ぶにはあまりにも残酷な音が周囲へ響きわたっていた。
「アル、王都の方向」
ロナの声に南へ目を向けたアルディスは思わず顔をしかめる。
「燃えているのか……?」
遠く彼方に存在する王都の姿は、この位置からだと霞んだ影にしか見えない。
だがその影から、普段なら決して見えないはずの煙らしきものが立ち上っている。
これほど離れていても見えるとなれば、ただ事であるはずがなかった。
「一体どうなってるんだ」
「どうする?」
予想もしなかった事態に思わず呻くが、アルディスがとるべき行動は考えるまでもない。
眼下の戦場にいるのはアルディスにとって何の関係もない他人ばかり。
だが王都には幾人もの顔見知りがいる。
情報屋のチェザーレ以外とはこの二年間ほとんど顔をあわせる事もなかったが、それでも赤の他人と切って捨てられるほど浅い付き合いではない。
幾人かの顔を思い浮かべ、アルディスは迷いなく口にした。
「王都へ行く」
「だよね」
当然とばかりに返事をするロナと共に、アルディスは南へと進路をとる。
上に目を向ければ抜けるような青空が広がっていた。
雲ひとつない晴天の中、紅に染まった地を背後にするアルディスたちの目的地は鈍色に包まれる王国の都グラン。
せき立てられるような胸騒ぎと不安を感じながら、アルディスは王都へと急いだ。
2021/09/09 ロナの一人称を修正






