第236話
魔獣王と新たな約定を結ぶことに成功したアルディスたちは、その日のうちに村へと帰還する。
翌日からセーラは精力的に動きはじめた。
村長に話を通し、村を大きく拡張する方針を伝えると、すぐさま結界の範囲を広げる。
今までに数倍する広さとなった結界。
その内側へ取り残された魔物掃討のためアルディスやロナも駆り出され、忙しい日々が続いた。
五日ほどかけて結界内の安全を確保すると、セーラは満足そうな表情を見せる。
「これでもっと大勢を受け入れることができるわね」
「簡単に言うが、ここまで広げてしまっていいのか? 魔物の討伐は別としても、結界内の見回りだけでも手が回らなくなりそうだが?」
人手が足りないのでは、とアルディスは上機嫌なセーラに水を差す。
村では結界内の安全を確保するために定期的な巡回を行っている。
確かに難民を受け入れて人口が急増しているとはいえ、そのほとんどは戦闘技術を持たない一般人だ。
侵入者への警戒を兼ねて狩りを行う人間の数が足りなくなるのは明白だった。
「ちょうどいいのがいるじゃない」
そんなアルディスの懸念にロナが答える。
「ちょうどいいの?」
「気が弱いけどその辺の魔物なら蹴散らすほどの実力があって、人間と会話できるのが。コーサスの森で人目を避けて暮らしているでしょ?」
「コーサスの森……? ああ、もしかしてルプスのことか?」
言われて思いだしたのか、アルディスがその名を口にした。
ルプス。
それはアルディスたちと同じ世界からこちらの世界へ迷い込んできたクロルという種の獣である。
アルディスやロナと真っ向から戦えるだけの実力を持ちながら、拍子抜けするほど臆病な性格をしているその獣は、今現在コーサスの森でひっそりと暮らしていた。
気弱な性格である上になまじ言葉が通じてしまうことから、悪い人間にそそのかされ、あるいは騙されて利用されかねないため、人がめったに足を踏み入れない森の奥深くへアルディスたちが連れて行ったのだ。
魔境と呼ばれるほど危険な魔物が跋扈するコーサスの森だが、ルプスにとっては手頃な獲物がよりどりみどりの楽園のような場所である。
何度かアルディスも様子を見に行ったことがあるが、ずいぶんと生き生きしていたことを思い出す。
「あれを村に連れてきて、ここで匿う代わりに結界内の巡回をさせればいいじゃない。ボクを受け入れてくれた村なんだし、少々図体は大きいけどルプスも受け入れてもらえるんじゃないかなあ?」
「そうだな……。確かにルプスと俺たち、両方にとってもその方がメリットがあるか」
その翌日、アルディスはロナを連れてコーサスの森へと出発した。
村からコーサスの森までは上空を飛べば数時間しかかからない。
地上を駆ける獣がゴマ粒にしか見えないほどの高度を飛びながら、アルディスはふとロナが前足につけている円環を話題に乗せる。
「そういえば、ロナがもらったそれってなんなんだ?」
「ん? これ?」
円環のついた前足を持ち上げてロナが問い返す。
アルディスがレシア製の剣を受け取ったのと同様に、ロナも魔獣王から装備をひとつ譲り受けていた。
それが今話にあがっている円環だ。
しかしアルディスはその円環がどのような代物か知らない。
どうやらアルディスがセーラと話をしている最中に、ロナと魔獣王の間で円環についてのやり取りが終わっていたらしい。
「むふふー、内緒。アルにはぜひともビックリしてもらいたいからね!」
「へいへい。じゃあ楽しみにしておきますよ」
いたずらっ子のような表情を見せるロナへ、アルディスは手をひらひらと泳がせて適当に答える。
別にアルディスとしてもそこまで気になるわけではないのだ。
そうこうしているうちにコーサスの森上空へとさしかかった。
森の奥深くへ到達すると、アルディスたちはルプスの魔力を道標に地上へと降りていく。
「あ、アルディスさんとロナさん」
そこにいたのは黒い毛で全身を覆われた体長七メートルほどの四つ足。
一見すると狼のような外見だが、その正体は異世界においてヒエラルキーの上位に位置するクロル種という獣だ。
「どうしたんですか?」
ルプスがロナの身体ほどもある大きな頭を傾けて問いかけてくる。
初めて出会ったときはあれほどアルディスたちを恐がっていたルプスも、さすがに慣れてきたのだろう。
その瞳にはもう怯えの色も浮かんでいない。
「元気でやってるみたいだな」
「はい! ここは怖い敵もこないし、手頃な獲物もたくさんだからすごく暮らしやすいです」
ルプスの答えにアルディスはつい苦笑を浮かべる。
手頃な獲物とルプスが言っている魔物たちは、いずれも傭兵や探索者から『出会ったら死を覚悟しろ』と言われている凶悪な存在ばかりだ。
それを餌扱いしているルプスはこの世界に置いて疑う余地もない強者なのだが、当の本人だけがその事実を理解できていなかった。
「そうか。それは何よりなんだが、実はな――」
現状に不満がないのなら住み処を変えることには難色を示すかもしれない。
そう思いながらもアルディスは事情を話し、ルプスに移住を持ち掛けた。
「え、と……その……。せっかく慣れてきたんだし、ここなら怖い敵もいないし……。たくさんの人間がいるところはちょっと……」
予想通りと言うべきか、ルプスは住み処を変えることに難色を示した。
ここの居心地良さもさることながら、やはり他者との共同生活に及び腰なのが目に見えてわかる。
あまり無理強いをするべきではないかとアルディスが思った時、横からロナが口を差し挟む。
「ふーん、じゃあこの先何があっても自分でなんとかするってことだね」
「え?」
ロナの突き放すような口調にルプスの瞳へ不安の色が浮かぶ。
「だってそうでしょ? ボクらこれでもルプスのことを気にかけてたんだよ? これまでも時々様子を見に来てたし、戦争の時も万一帝国兵がやって来たら危険だからってボクがしばらくここにいたよね? それって、少し前まではボクらもこの森に住んでたからできたことなんだよ? 今はもうカノービス山脈の方に住んでるから、これまでみたいに様子を見に来ることもできないし、この森に人間がやって来てもその度にルプスを守る事なんてできないもん。ってことは、今後ルプスは森に入ってくる人間やボクら並に強い獣が襲いかかってきたとき、自分だけで撃退できるってことでしょ?」
ルプスの顔が怖れを抱いたように歪む。
「え……、え? だってここには人間なんて来ないって……。強い敵もいないって……」
「うん、多分来ないし、多分いないね。でも絶対なんてことはないよ。探索者の中にはこの辺までやって来る人間もいるだろうし、森の中にいる魔物だってボクらの把握してないやつがいるかもしれないし」
「そ、そんなあ……」
弱々しい声をルプスがもらす。
「でもボクらの村に強い敵が来てもいざというときはアルやボクが戦うし、その分ルプスも安全なんだけどなあ。遠いコーサスの森で何が起こってるかなんてボクらにはわからないしなあ。わからなければ当然助けに行くのは無理だしなあ。まあ、ルプスが手練れの人間や強い魔物相手に自分だけで対処できるっていうんならそれで構わないけどねえ」
「う、うう……」
「あんまりいじめてやるなよ、ロナ」
今にも泣き出しそうなルプスへ助け船を出したのはアルディスだ。
「だがロナのいうことも間違いじゃない。カノービス山脈とコーサスの森じゃあ距離がありすぎるから、何か起こっても俺たちにはわからない。当然ルプスがひとりで問題に対処する必要がある。もちろんルプスがかなわない敵なんてそうそういないだろうが……」
ロナは大げさに言っているが、たとえ低くてもその可能性は否定できない。
もちろんルプスに勝てる敵などまずいないだろう。
しかし危険なのは純粋な強さよりもむしろ悪意をもってルプスを謀ろうとする人間だった。
そういった悪意からルプスを守るにはコーサスの森は遠すぎるのだ。
そんなアルディスの説明を聞いて、ようやくルプスは移住を承諾する。
「うぅ……、わかりました。……行きます。アルディスさんたちについていきます。でもルプスが困ったときは本当に助けてくれるんですよね?」
「心配するな。もちろんルプスにも協力してもらうが、村にいる限りは俺とロナで守ってやる」
こうしてアルディスたちに説得されたルプスは村へ移り住むことになった。
見た目が獰猛な肉食獣であり、しかも巨体のルプスを見て最初村人は大いに怯えていた。
しかし、セーラが早々に受け入れを承諾したことや意思疎通ができる相手であったこと、加えてロナを受け入れ済みという下地も大きかったらしく、大きな混乱もなく村の一員として認められる。
むしろ逆に村人へ怯えるという情けない姿も幸いしたのか、ルプスは次第に村へなじんでいった。
ルプスには双子たち同様、結界内の見回りという役目が与えられる。
人間をふたり背に乗せて苦もなく駆け回るルプスの機動力は、大幅な巡回効率の向上につながった。
もちろん村の急激な拡張に伴う問題は見回りだけではない。
食糧の増産、塩や飲み水のさらなる確保、新しい住人と古くから村に住む人間との融和など、解決すべきことはいくつもある。
それまで人知れずひっそりと営みを続けてきた隠れ里は、こうしてアルディスという名の傭兵が生み出した小さな波紋をきっかけに新たな一歩を踏み出した。
国のしがらみも教会のしがらみもない、捨てられ虐げられた人間たちの村――。
行き場のない人々を次々と受け入れ、村の規模は拡大の一途をたどっていくこととなる。
2021/09/09 ロナの一人称を修正






