第235話
それまで戦いの行方を見守っていたセーラが、地上へ降りたアルディスの側へ姿を現す。
「ふたりとも、私が巻き添えになる可能性を少しは考えても良かったのではないの?」
恨めしげな言葉とは裏腹にその表情は呆れ返ったと言わんばかりだった。
「お前たちがあの程度でどうこうなるわけもあるまい」
そんなセーラを魔獣王が鼻で笑う。
「ロナは?」
「あの子なら大丈夫よ。気を失っているだけだから」
「そうか」
最後に吹き飛ばされたロナを気遣うアルディスの言葉に、セーラは柔らかい笑みを返す。
「それよりもあなたの方がよほど傷が深いでしょうに」
言いながらセーラがアルディスの傷へ手をかざした。
魔獣王の攻撃を食らってえぐれていた肉や裂けていた肌が見る見るうちに塞がっていく。
「あんた、治癒の術が使えたのか……」
意外そうな顔でつぶやくアルディスにセーラはさも大した事ではない風に答える。
「それくらいはね。あなただって仕組みさえ理解すれば使えるようになるわ」
「いや、それはないだろ」
即座にアルディスはセーラの言葉を否定した。
治癒の術はひ弱な人間へ女神が与えた慈悲の力だと教会は主張している。
事実、治癒術の使い手はそのほとんどが神へ仕える司祭や修道士たちだ。
アルディスと個人的に親しくしているソルテもそのひとりと言えよう。
しかし女神への信仰心などひとかけらも持ち合わせていないアルディスが、その術を身につけることなどできるはずもなかった。
「そうやって自分に足枷をつけるのは良くないわ」
何らかの意図が含まれているのか、単に会話の流れでそう口にしたのか判断できないセリフをこぼしながら、セーラはアルディスの傷を癒やし終える。
「私はいい」
続いて魔獣王へと目を向けたセーラに対し、巨大な竜は即座に断りの言葉を返す。
「それで、どうだった?」
「そこの小僧が十分に力を示したことは認めよう。長生きするのも悪いことばかりではないな」
セーラの問いかけに対して魔獣王は嬉しそうな声色で答える。
「自分で選んだ呪縛でしょうに、今さら何を言っているの。それよりもアルディスの力を認めたということは、つまり新たな約定を結んでくれるということでしょう?」
「約定を結ぶことに否はない。が、それを決めるのはお前ではない」
両者の間で合意らしきものに達したかと思われたそのとき、他人事のように横から見ていたアルディスへ魔獣王とセーラが体を向けてきた。
「ということで小僧。新たな約定に何を望む?」
「は?」
てっきり蚊帳の外だと思っていたアルディスは、唐突な魔獣王の問いかけに眉を寄せる。
「お前の望みはなんだ? 約定により私はこの地を離れることは難しい。だが古い約定に反しない範囲で新しい約定を結ぶことはできる。お前の望みを聞かせろ」
「いや……、戦いの前にセーラが言っていたんじゃないのか?」
戦いを始める前、セーラは『結界の範囲を広げさせてもらいたい』と口にしていた。
当然新しい約定とはそれのことだとアルディスも思っていたのだ。
「それはあいつの望みであってお前の望みではないだろう。私が新たな約定を結んでも良いと思ったのはお前であって、他の誰でもない。ああ、先ほどの金色にもその権利はあるな。だが少なくとも私はお前とあの金色以外から望みを聞き届けるつもりもなければその義務もない。だから私に何を望むのかはお前自身が決めろ」
「望みと言われても……」
アルディスはセーラの顔を窺う。
「魔獣王の言う通りよ。私には彼と約定を結ぶ権利はない。新たな約定を結べるのはあなたとロナよ。だから私にできるのはあなたへお願いすることだけ」
「それが『結界の範囲を広げる約定』ということか?」
「そう」
セーラの肯定に少し考え込み、アルディスは再び問いかける。
「どうして今さら村を広げようと思ったんだ? 村長やエルマーに聞いた話じゃ、ずっと前から今の広さで村を維持してきたんだろう。いくらアルバーンの内戦で行き場を失った人間が増えたとはいっても、これまでだってあちこちで戦争は起こっていたはずだ。今になって難民を大量に受け入れるようになった理由がわからん。難民を受け入れなければ今まで通りで良かっただろうし、無理に村を広げる必要はなかったんじゃないか? もちろん、俺が言えた立場じゃないってのは承知の上だが……」
アルディス自身、よそから流れてきた人間だ。
余計な人間を受け入れなければというのなら、五人プラス一体で村に居着いたアルディスたちこそ村が狭くなった要因のひとつである。
ましてつい先日アルバーンからハルとその姉を連れてきたこともあり、村の拡張について反対をするつもりなどさらさらない。
アルディスが疑問に思っているのは『なぜ今になって』という一点だった。
「今の村――結界の範囲は古い約定で定められたもので、勝手に広げることはできないの。今の広さでも多分百五十人くらいならギリギリ養えるでしょうけど、不作や不猟が重なれば外部からの助けを得られない村はあっという間に飢餓に苦しむことでしょう。だからこれまではずっと…………抱えきれない人たちは見捨ててきたわ」
セーラがまぶたを閉じる。
その拳が握りしめられていることに気付きながらも、アルディスは見て見ぬふりをした。
「故郷を焼け出されて行き場のない人間を、迫害を受けて虐げられる人間を、無実の罪を着せられて追われる人間を……。確かにあの村はそういった人々にとって安息の地になり得るでしょう。でも悲しいかな安息の地には定員制限があるの。村で暮らす人間の数を確認しながら、ときおりわずかな人数にだけ手を差し伸べてきたのよ。とんだ偽善でしょう? いいえ、ただの自己満足かしら?」
自嘲を浮かべながらセーラがまぶたを開く。
その問いかけに答えたのは魔獣王の方である。
「もともと村を作るための結界ではないのだ。百人もの人間を匿うことがそもそもおかしい。……だが少なくとも村に招き入れられた人間は救われている。それは確かではないか」
擁護するかのような魔獣王の物言いを、アルディスは意外に思った。
「それはわかっているわ。でもだからといって救う相手と救わない相手を選別するなどと、本来あってはならないことでしょう? 古い約定は変えられない。なら新しい約定を結ぶことで村の拡張につなげればいい。でも魔獣王にその力を認められて約定を結べそうな人間なんて一体どこにいるのか……」
セーラの赤い瞳がアルディスへ真っ直ぐと向けられる。
「そう思っていたときに現れたのがあなたなのよ、アルディス。あなたならきっと魔獣王と渡りあえると思ったの」
「だから村の拡張に舵を切って、急に難民を大勢受け入れはじめたのか」
だったら最初から考えを明かしてくれれば良かっただろうに、とアルディスは内心恨み言をつぶやく。
「どうする、小僧? お前の望みは結界範囲の拡張か、それとも別のものか?」
「……」
アルディスの脳裏にひとつの望みが浮かぶ。
魔獣王は強い。
アルディスとロナが連携して戦ってもようやく一太刀入れられるかどうかというほどの強さだ。
その魔獣王が味方として戦ってくれるならば、これほど心強い事はないだろう。
仇である女将軍との戦いにおいて非常に強力な戦力となる。
だがしかし、問題はその仇敵が世界の壁を越えた先にいるということだった。
「ひとつ訊かせてくれるか?」
「なんだ」
「あんた、どこまで行ける?」
「どこまで行ける、とは?」
「どんな手段を用いてもいいが、あんた自身の力で赴くことのできる場所の限界はどこまでだ?」
「馬鹿にするな。限界などない。この空が続く限りどこまでも、だ。彼方へと続く大空に私を妨げるものなどありはしない」
「そうか……」
魔獣王の答え。それはつまりあくまでも『この世界の中』が限界であることを示している。
いくら魔獣王が強くとも、あちらの世界に渡れないのであれば仇敵との戦いには参加できない。
だったら意味はない、とアルディスは思った。
そこへ横から聞き慣れたのんきな声が届いてくる。
「ねえねえ終わったの? ボクだけのけ者ってひどくない?」
「ロナ……」
「結局勝負はどうなったの?」
首を傾げて訊ねてくるロナに、アルディスはこれまでの経緯を説明する。
話を聞いている間にセーラの治癒術を受けて回復したロナは、少し思案した後にあっさりと「じゃあセーラの言う通り、村の結界を拡張するってことでいいんじゃない?」と口にした。
「……いいのか?」
「そりゃあ、アルが何を考えているのかはわかってるつもりだけど……。今のボクらは後がないわけでも、時間に追われてるわけでもないでしょ? 今のボクらには十年でも二十年でもじっくりと準備をする時間がある」
確かにロナの言う通りだった。
こちらの世界における一年があちらの世界における一日に相当するとわかってから、アルディスの中で時間に対する焦りは消えた。
アルディスたちがこちらの世界で十年を過ごしても仇敵はその間にたったの十日しか歳を取らない。
復讐の機会が失われることを心配することはないのだ。
「そのためにもまずはフィリアとリアナが独り立ちできるようになることが優先じゃないのかな? あの村はふたりにとって安住の地になるだろうし、村が大きくなればそれだけ暮らしも豊かになると思うんだけど」
「そう、だな……」
ロナの言葉にはアルディスも同意せざるを得ない。
対女将軍の戦力として魔獣王の力を借りることができない以上、アルディスが次に望むのは双子の安全と将来の確保だ。
そういう意味でもセーラの願いは利害が一致していた。
アルディスはひとつ頷き魔獣王に顔を向ける。
「俺の望みも『結界の範囲を拡大すること』でいい。あの村がフィリアやリアナのように行き場を失った者たちにとって安息の地になるのなら、それは俺にとっても意味のあることだから」
「いいだろう。そこの金色も同じだな?」
「うん、ボクもそれでいいよ」
ロナの同意を受けて魔獣王が厳かに口を開く。
「では小僧よ、金色よ。名乗るがいい。約定を結ぶからには名を明かせ」
「アルディスだ」
「ロナだよ」
魔獣王はその大きな顎を開き、山脈中に響きわたりそうな咆哮を上げた後で宣言した。
「我が名はシューダー。ただのシューダーだ。アルディスとロナを新しき約定の相手と認めよう」
次いで巨大な目をセーラに向ける。
「その望みを叶え、村を守る結界の拡大を容認すると我が友の名にかけて誓う。――無論古き約定に反しない限りは、だが」
「それは大丈夫よ。あなたの庭が少し狭くなるだけだもの」
「……どこまで広げるつもりなのだ」
さらりと答えるセーラへ魔獣王はじっとりとした視線を向けると「それはともかく」と話題を変えてアルディスに話の矛先を変える。
「お前たちにはそれなりに楽しませてもらったからな。約定とは別にひとつくらい土産でも持たせるべきだろう。……そうだな、これでも持ち帰るか?」
魔獣王はどこからともなく取りだした鉱石を前肢でつまんで差し出した。
鉱石は不思議な輝きを放ち、角度によって様々な色彩の変化を見せている。
「これは……?」
一見すれば宝石のようにも思えるが、アルディスも見覚えがない。
ただその輝きをどこかで見た気がしていたアルディスに、魔獣王がとんでもない答えを返してくる。
「レシア精製石と言えばわかるだろう」
「レシア精製石!? これが全部?」
アルディスの目が驚きに見開かれた。
レシア精製石とはこの世で最も硬く、最も美しいとされる宝石の王者であった。
見覚えがあるにも関わらず、アルディスがすぐに気付かなかったのも無理はない。
なぜなら魔獣王が差し出した精製石のサイズは子供の身体ほどもあったからだ。
アルディスが見たことのある精製石はせいぜいが一センチ未満のサイズ。
宝飾品として指輪やペンダントに宝石として使われている程度の大きさである。
あまりにもサイズの違いが大きすぎて、このように巨大な精製石が存在するわけがないという先入観が邪魔をした結果だ。
レシアはただ美しいだけではなく魔力との親和性が高いことからも武具の素材として非常に優れ、精製石を使った武具装飾品には値段がつけられないと言われている。
そもそもその精製技術はすでに失われているため、新たな品が出回ることはまずない
レシアを粉末状に砕いた七色粉ですらとんでもない金額で取引され、精製前の原石でも金の十倍という高値がつく。
「剣なり防具なり、材料として使えばそれなりのものができる。粉を混ぜた程度の劣悪品よりは役に立つ」
それなりどころの話ではなかった。
アルディスの使っている三剣――『蒼天彩華』『刻春霞』『月代吹雪』は重鉄をベースに七色粉を練り込んだものだ。
もしもこの三剣をオークションに出品しようものなら、とんでもない値がつくことは想像に難くない。
それを『劣悪品』と言い切ってしまう魔獣王とアルディスたちの価値観にはどうやら大きなズレがあるらしい。
「どうした?」
何とも言えない表情のアルディスに魔獣王が問いかける。
「いや……、確かに貴重品であることに変わりはないが……」
気まずそうなアルディスの横からロナが口を差し挟んだ。
「これ、加工できる人間なんていないんじゃない?」
まったくもってその通りであった。
すでに精製することはおろか、粉砕して七色粉にする技術さえも失われている。
レシア精製石を受け取ったところで、結局のところは宝石として売却するしか使い道はないのだ。
しかしこれほどの大きさとなれば、市場に出すだけで大きな騒動を呼び起こすに違いない。
間違いなく国家レベルでの干渉が生じる上、権力者たちの思惑に振り回され売り払うことすら困難を極めるだろう。
その説明を聞いて魔獣王の瞳に明らかな失望の色が浮かんだ。
「そこまで退歩しているのか……」
「あなたも少しくらい世間に目を向けなさいよ。ずっと世捨て人みたいな生活を続けているから世の中とズレが生じるのよ」
「お前たちに言われてはおしまいだな。……だが加工ができないのであれば、精製石だけあっても意味はないか。ううむ……、ならばすでに加工済の方が良いだろうな。少し待っていろ」
セーラに諫言めいた指摘を受け、少し考え込んだ魔獣王はそう言うとどこかへ飛んで行ってしまう。
やがて十分ほど経ち、戻ってきた魔獣王はその前肢に一振りの剣を持っていた。
「これを持っていけ」
「これは?」
差し出された剣を受け取ると、アルディスは鞘から抜いて確認する。
曇りひとつない銀色の剣身は光を反射して七色の輝きを放つ。
光の反射方向によってその色を変える様はどこか神秘的な雰囲気をまとっていた。
「レシア精製石で作った剣だ。持ち手と鍔は違うが、剣身は全てレシアでできている。使い古しで悪いが、切れ味は落ちてないはずだ。これならそこそこ使えるだろう」
またも魔獣王とアルディスたちとの間に大きな認識の乖離が生じていた。
剣身が全て精製したレシアで作られた剣。
それは精製や加工技術が失われた現在において、もはやお金と引き換えにできるようなものではない。
国宝として宝物庫に保管されているのがふさわしい品といえた。
「こんなもの……、もらっていいのか?」
確かに魔力との親和性が高いレシアで作られた剣ならば、強い味方となってくれることだろう。
しかしさすがのアルディスも国宝級の剣を受け取るのは気が引けていた。
「かまわん。久々に楽しい戦いだったからな。まあその代わりといってはなんだが時たま顔を見せて運動に付き合え」
そんなアルディスの遠慮も魔獣王の言葉を聞いて消え失せる。
「お前たちとなら良い運動不足解消になりそうだ」
「……」
それはつまり、定期的に先ほどのような戦いを余儀なくされるということでもあった。
「ご近所付き合いは大事だろう?」
とぼけた言葉を吐く魔獣王に対して、意外にふざけた性格をしているようだと呆れながら、アルディスは遠慮することをやめた。
現状では魔獣王に傷をつけられるのは赤い魔剣のみ。
今後も定期的に魔獣王と戦うことを考えれば、手持ちの装備を強化するのは必要なことだろう。
「……ありがたく頂戴するよ」
内心げんなりしつつもアルディスは剣を受け取ることにした。
2020/06/09 誤字修正 げんなりしなつつ → げんなりしつつ
※誤字報告ありがとうございます。
2020/07/28 重言修正 宝石のようにも見える → 宝石のようにも思える
※ご指摘ありがとうございます。
2021/09/09 ロナの一人称を修正






