第229話
黄泉蟷螂を追いかけてアルディスは通路を駆ける。
やがてアルディスの目に入ってきたのは、地上へと続く階段の入口へ無理やり身体をねじ込もうとしている黄泉蟷螂だった。
地下の通路自体は人間が横に三人並んで歩けるほどの広さがあったが、上へ続く階段は横幅も一メートルほどしかない。
人間よりも遥かに大きな身体を持った黄泉蟷螂が通るには高さも横幅も全く足りていなかった。
「なるほど、いざとなれば閉じこめて餓死させればいい、と」
黄泉蟷螂の拘束されていた部屋では天井に小さな穴が開いていた。
普段はそこから餌や水を与えていたのだろう。
不測の事態が発生して黄泉蟷螂が拘束から解き放たれたとしても、危険に見舞われるのは独房の中にいた人間だけ。
地上に出ることのできない黄泉蟷螂はいずれ餌がなくなり餓死していく。
サイツ商会がどのようなつもりで魔物を飼っていたのかはわからないが、計画的な意図が根底にはあったのだろう。
「まあ、俺には関係ない話だが」
ひとまずアルディスにとって重要なのは町の只中でサイツ商会が魔物を飼っていたこと。
さらにそれがサイツ商会を追い込むのに都合が良いということだった。
「じゃあ、せいぜい派手にいくとするか」
アルディスは魔力探査により直上へ人間がいないことを確認すると、過剰なまでの魔力を使って魔術を放つ。
それは一条の光を敵に向けて放つ『輝く光』と呼ばれる攻撃魔法と似たものであったが、きっと一般的な魔術師が見たら目を剥いて「別物だ」と否定することだろう。
アルディスの放った光は一条どころか巨大な円柱と言ってもいいくらいの大きさだった。
それだけ大きければ町中から見えるであろうし、もちろんアルディスはわかった上でやっている。
地下の天井どころか建物の床を数層貫通した光によって、アルディスの頭上には青空が姿を現していた。
「ギィ、ギィ!」
これ幸いとばかりにその穴を通って上空へ飛び立つ黄泉蟷螂を追い、アルディスもその身を宙へと浮かび上がらせた。
黄泉蟷螂に続いて空へと出たアルディスの耳に人々の声が届く。
「今の光はなに!?」
「すごい音がしたぞ!」
「上を見ろ!」
「え、もしかして……魔物!?」
空を見上げて硬直する者、本能的に身の危険を感じて逃げ惑う者、突然の音と衝撃にただ慌てふためく者。
様々な反応を見せる人間たちの中にひとつ、黄泉蟷螂とは比べものにならない大きさの魔力を見つける。
「ロナ、か……? こんなところで何やってんだあいつ」
おそらく相棒であろうと思われる魔力にアルディスが内心首をひねる。
「ギイィ!」
だがそれも束の間。
空へ上がってきたアルディスに黄泉蟷螂が襲いかかってきた。
「さっさと逃げればいいものを」
ある意味黄泉蟷螂もサイツ商会の被害者と言っていい。
アルディスとしては大人しく山へ帰っていくのなら放置するつもりだったが、どうやら当の黄泉蟷螂は腹の虫がおさまらないらしい。
空という自らの力を十全に発揮できる場を得たからか、黄泉蟷螂は無謀にもアルディスへ挑みかかってきた。
「そっちがそのつもりなら」
無論アルディスとて慈愛主義者ではない。
向かってくるのであれば反撃を躊躇することはなかった。
「ギィー!」
おそらく生まれて初めて空を飛んだにもかかわらず、本能で間合いをはかって黄泉蟷螂がカマを振り上げてくる。
それを回避し、相手の背後を取ったアルディスにはこのまま一撃で勝負を決めることは簡単だ。
しかし今は敵を倒すことが目的ではない。
町中の耳目を集め、サイツ商会の建物から危険な魔物が現れたことを知らしめるのが目的だった。
アルディスはあえて黄泉蟷螂に攻撃させ、大げさなほどの動作でそれを避ける。
反撃の代わりに黄泉蟷螂を囲むような形で『煉獄の炎』に似せた爆炎を空へ連続して生み出す。
赤々と輝く巨大な球体は人々へ事態の異常さを強烈に訴えることだろう。
そうしてしばらくの間、アルディスは黄泉蟷螂と戦うふりをしながら見た目に派手な魔術を使って町中の注目を集め続けた。
「十分かな」
茶番のような戦いを繰り広げた後、眼下に統率された兵士らしき姿を確認したアルディスは目的が十分に達成されたと判断して攻勢に出る。
「哀れだとは思うが……」
アルディスが腰から赤い剣を抜く。
太陽の光を反射して輝く赤い剣身を構えると、正面から黄泉蟷螂へ突っ込んだ。
「ギイイィィ!」
黄泉蟷螂がアルディスを迎え撃つべく、両目の間にある噴出口から液体を放つ。
しかし並の傭兵であれば致命傷になるであろうその攻撃も、魔法障壁を展開したアルディスには効かない。
一切の無駄を排したアルディスの剣閃が黄泉蟷螂の首を切断した。
さらに刃をもうひと振り。
細い胴体を縦に割ると、魔術で丸ごと凍らせた黄泉蟷螂の身体をサイツ商会の敷地内に叩き落とした。
「あとは領主の仕事だ」
騒がしくなる周囲に目をやるとアルディスはサイツ商会の建物内へ降り、そのまま姿をくらました。
ロナらしき魔力が多数の人間らしき魔力と一緒に敷地の外へ出て行ったことを確認すると、兵士と商会の人間が押し問答する声を背後に人目を避けて自らも撤収する。
「それはまた思い切ったことをしたもんだね」
「成り行きだ」
サイツ商会の建物を破壊し、上空で黄泉蟷螂と派手な戦いを繰り広げることになった経緯をロナに説明した上で、アルディスはそれをひと言で締めくくった。
「難民を捕まえて売ってるというも本当だったのか……」
離れていた間に起こった出来事の詳細をロナから聞き、アルディスは情報収集の際耳にした噂が本当であったと知る。
「つぶして正解だったね」
アルディスの気持ちを代弁してロナが口にした。
「俺としてはフィリアを止めてほしかったがな」
「別に危ないことはしてないよ。ちょっと商会に忍び込んで、ちょっと何人かと戦って、ちょっと囚われていた難民を助け出しただけじゃないか」
「ちょっと、ね……」
アルディスの冷たい目にさらされてもロナは平然と反論する。
「フィリアひとりで対処できると思ったからやりたいようにさせたんだよ。実際、潜入してから脱出するまでボクは手を出してないもん。認めたくないのか身内だから評価が厳しいのか知らないけどさ、アルが思ってるよりもフィリアは強いよ。純粋な戦う力だけならその辺の傭兵なんて相手にならないほどにね。まあ、経験が圧倒的に足りないからいろいろと抜けたところはあるけど」
大事に懐へ抱えたままじゃあその経験だっていつまで経っても積めないよ、とロナが非難めいた言葉をアルディスにぶつけた。
確かにアルディスは認識を改める必要があるだろう。
いつまでも双子を大事に守り続けることは、彼女たちのためにならないのかもしれない。
ふたりはすでに無力な幼子ではなく成人を間近にひかえた魔術師の卵だった。
しかもただの卵ではない。
ナグラス王国軍の魔術師が一生かけても到達することのできないステージへすでにその手をかけている異才の卵である。
「俺はあいつらをどうしたいんだろうな……」
ボソリとアルディスがつぶやくが、ロナは興味もなさそうに目をそらした。
もともとアルディスは双子に魔術を教えるつもりなどなかった。
だが双子は見よう見まねで魔力の操り方を覚え、アルディスがミネルヴァたちと異なる世界へ飛ばされている間にネーレから手ほどきを受けることになり、今では世にも珍しい無詠唱で魔術を使える希少な魔術師となっている。
アルディスとしては護身術代わりになればと消極的にそれを認めていたのだが、いつの間にかふたりは旅に同行すると言い出すようになってしまった。
ふたりの意志を尊重するのであれば確かにもっと実戦経験を積ませるべきだろう。
だがアルディスの中には今もって、ふたりに平凡で平和な暮らしをして欲しいという勝手な希望もあった。
こんなに長い間面倒を見るつもりはなかったんだ、と心の中で今さらな言い訳を他でもない自分自身へ向ける。
深いため息をついたアルディスは気を取り直してロナに問いかける。
「それは今横に置いておくとして……。あそこにいるふたりはなんだ?」
アルディスの視線が向いた先にいるのは十五、六歳ほどに見える少女とその弟だという幼い少年。
フィリアとロナが救い出した難民がそれぞれ町へ散っていった中、ふたりだけがフィリアと共にこの場へ残っていた。
「ハルとその姉だよ」
「それはさっき聞いた。ハルという少年を助けたのが今回の件に首を突っ込むきっかけになったというのも。俺が聞きたいのは彼女たちがどうしてフィリアと今も一緒にいるのかということだ」
「アルが言ったんじゃないか。『救いの手を差し伸べるつもりなら最後まで面倒を見る覚悟を持て』って、ついでに言うなら最後に『好きにすればいい』とも言ったよね。だからフィリアはそれ相応の覚悟で好きにしたってことじゃないの?」
「…………言ったな。確かに」
しばしの沈黙を挟んでアルディスは顔を片手で覆う。
口にしてからまだ半日も経っていない。
それを忘れてなかったことにするほどアルディスも厚顔ではなかった。
「でもさ。案外いい拾いものかもしれないよ?」
「どういう意味だ?」
「姉の方は違うみたいだけど、弟の方はどうも魔力が見えてるっぽいもん」
「……なんだと?」
ロナの口にした予想外の言葉にアルディスは改めて少年を見る。
睨まれたとでも思ったのか、少年は身体をビクリとさせて姉にしがみついた。
「最初ボクに怯えてたのは見た目のせいかとも思ってたんだけど、どうも違うみたいなんだよね。ほら」
そう言いながらロナが魔力を集めて塊にすると、少年の側へゆっくり飛ばしていく。
炎や氷といった現象を呼び起こさない純粋な魔力は無色透明であるため通常なら人の眼に映らない。
しかし少年の目は何もないはずの宙を恐ろしいものを見ているかのような表情で凝視していた。
ロナが魔力を操作して少年のすぐ側まで浮遊させると、それから逃げるようにして少年は身体をのけぞらせる。
一方で少年のすぐ横にいる姉はなんの反応も見せない。
それが普通だ。
アルディスたちと同じように魔力を感じることのできるフィリアは、何をしているのかと疑問いっぱいの顔でこちらを見ていた。
「鍛えれば村の戦力として有望だと思うよ」
確かにロナの言う通りだった。
アルディスやロナの使う魔術は一般的に知られている魔法と違い、魔力を感じて操作出来ることが大前提の術だ。
訓練を続けていたミネルヴァも「何かを感じる」程度だったし、キリルにいたっては修練を開始してずいぶんと経つのに結局魔力を感じることはできなかった。
最初から魔力を感じることができるのであれば、魔術の習得も相当容易であるといえよう。
「そう……だな」
ロナの言葉を肯定しながらも、どこか腑に落ちないアルディスは力なく肩を落とした。
2021/09/09 ロナの一人称を修正






