第228話
奴隷市を過ぎてフィリアたちと別れたアルディスはひとりで町の噂を集めていた。
空き店舗の目立つ通りを歩きながら、普段よりは数の減っているであろう露店でさりげなく聞き込みをし、道行く人々の会話に耳をそばだてる。
それでわかったのは、先ほど物人を引き連れていたサイツ商会の評判がとんでもなく悪いということだった。
証文の偽造で自己に優位な契約をゴリ押しし、競合相手を貶めるのに水面下での実力行使も躊躇わず、恐喝紛いの交渉で取引相手の利益をむしり取り、相手の立場が弱いとみるや骨の髄までしゃぶりつくす。
商会へ連れて行かれた奴隷十人のうち、ひとりふたりは『商会から外へ連れ出されることなく消えていく』というのも商人仲間では有名な話らしい。
夜な夜な商会の敷地から怖ろしげな獣の声が聞こえてくるなどという眉唾物の話も含めれば、その黒い噂は十や二十どころではなかった。
嘘かまことか、周辺の村から逃げてきた難民を捕らえて違法に物人として売り払っているという話もある。
「埃どころか泥まみれじゃないか。なんでこんなのが放置されてるんだか……」
てっきり領主との癒着によってその地位を固めているのかと思いきや、どうやらそうではないらしい。
「もともと内偵が進んでいたみてえだな。本格的に証拠集めへと動こうとした矢先にこの内戦だ。国王派の領主にしてみりゃ、いち商会の悪事をあばいてる状況じゃなくなったんだろうよ。なんせこの領地は周囲をぐるっとコープス侯派に囲まれてるからな」
昼間から開いている酒場で情報屋から得たのはそんな話だった。
そういうことなら、とアルディスは探りを入れてみることにする。
アルディスとてあの光景を見て何も感じなかったわけではない。
しかし自ら犯罪者に身を落としてまで彼らを救うほど正義感に染まっているわけでもない。
フィリアが同行していなければ、苦々しく思いながらもそのまま素通りしていたことだろう。
だが相手が違法行為に手を染めている悪徳業者であるというのなら話は別だ。
もともと領主が目をつけていたというのも好都合である。
何もアルディス自身が商会全体を壊滅に追い込まずとも、領主や治安維持の兵士が介入するきっかけさえ与えてしまえばいい。
「さてと、さっさと終わらせるか」
さっそくサイツ商会へと赴き乗り込むアルディス。
魔法による障壁もなければトラップもないのだ。
密偵の心得などないアルディスだが潜入するのは容易いことだった。
遥か上空から屋上に降り立てば姿を消すまでもないし、魔力反応を確認しながら歩みを進めれば易々と建物の奥にまで足を踏み入れる事ができる。
「こういうのは地下にと相場が決まってるもんだが……」
アルディスの魔力探査に多くの反応が引っかかる。
さすがに大きな商会だけあって従業員も多いらしく、建物の個室で書類仕事をしていると思しき単独の魔力反応がいくつも見え、それ以上に忙しなく動いている人間の反応も相当数あった。
そんな中、敷地内で最も大きい建物の地下に弱々しい小さな魔力がひとつ。
それとは対照的にまず間違いなく人間ではない大きな魔力をひとつ見つける。
「……これまたずいぶんと場違いなのがいるな。小さい方は……虫の息か」
弱々しい魔力の方は今にも消え去りそうなほど小さい。
引っかかりを覚えたアルディスは先にそちらを確認することにした。
建物内を歩く従業員と遭遇しないよう慎重に進み、豪勢な装飾によって彩られた書斎のような場所にたどり着くと、扉続きの部屋に隠されていた地下への階段を見つけて下りていく。
「ここか」
たどり着いたのは通路の片側に小さな独房が並ぶ場所。
濃い血と糞尿の匂いがアルディスの鼻をついた。
独房の数は全部で四つ。
それぞれに鎖で手足を壁へ固定された人間が入っていた。
アルディスはその中で唯一魔力反応のある独房へと近付く。
鎖でつながれているのはまだ年端もいかない少年だった。
体中につけられた細長い痣と赤く焼けた肌。
こびりついた血の塊が全身を覆い、元の肌がどんな色だったのかもわからない。
「胸くそ悪い」
アルディスの黒い瞳に義憤が宿る。
独房の鉄格子を『門扉』から呼び出した『蒼天彩華』でいとも簡単に切り落とすと、独房の中へと足を踏み入れる。
その気配に気付いたのか、少年の身体がピクリと反応した。
アルディスはお構いなしに近付くと剣をふた振り。
少年の両腕を壁に固定していた鎖を断ち切る。
「う……」
もはや痛みも麻痺しているのか、それとも叫び声をあげる体力もないのか、小さなうめき声だけをあげて少年が倒れこんだ。
「もう少しだけ耐えろ」
聞こえているかもわからない言葉をその耳に届けると、アルディスはまとっていたフード付きのローブを脱ぐと床に敷きそこへ少年を寝かせる。
「少しはマシになるだろう」
肌寒い独房に魔力でいくつかの炎を生み出して浮かべると、多少は部屋の温度が上がったような気がした。
次いで腰のポーチから高級治療薬を取り出すと、少年の上半身を起こす。
「飲めるか?」
封を解き治療薬の瓶口を少年の口元へとあてると、わずかに唇が動いた。
湿り気を帯びた少年の唇がかすかに笑みを象ったその時、目の前にあった魔力反応が儚く消え去ってしまう。
高級治療薬は瀕死の人間をも回復させる力を持つ。
だがそれも必ず効果があるというわけでもない。
隙間もなく傷を負った少年の身体全体へと振りまくほどの量はアルディスも持ち歩いていないし、ろくに嚥下もできないほど衰弱していれば内側から取り込むこともできないだろう。
あと一日早ければ死なせずにすんだかもしれなかった。
しかし今さらそんな仮定をしても何の意味もないのだ。
わずかに口へと含んだ高級治療薬が中途半端に効果を発揮したのだろう。
少年の身体に刻まれていた数多の傷が半分ほど消えていった。
「………………おやすみ」
少年の身体をゆっくりとまた寝かせ、アルディスは立ち上がる。
しばらく目を閉じて立ち尽くし、やがて開眼と同時に口を開いた。
「遠慮する必要は微塵もないわけだ」
ひとりきりの独房で冷ややかに宣言したその声はどこまでも平坦でありながら鋭い。
やりどころのない感情をぶつけるべく、アルディスは独房を後にしてさらに通路の奥へと進んでいく。
安全の確保された町中としては不似合いな魔力反応がその先にあるからだ。
通路の行き止まり、鉄格子よりも遥かに頑丈な造りの金属扉が一枚あった。
幅三メートルにも及ぶ両開きの扉だ。
強い魔力は間違いなくこの先から感じられる。
アルディスは蒼天彩華を手に金属扉の錠を叩き切ると、そのまま強引に扉を開いて部屋の中へと足を踏み入れた。
「ギイィィィ!」
その瞬間、アルディスの頭部に向けて勢いをつけた液体が飛んでくる。
しかし警戒していたアルディスはそれを悠々とかわし、続く第二波も魔法障壁で防ぐ。
「黄泉蟷螂? どうやってこんなのを?」
部屋の中にいたのはカノービス山脈にも生息する魔物『黄泉蟷螂』だった。
カマキリを思わせる老竹色の細身には暴虐なまでの力を備え、並大抵の傭兵では立ち向かうのも無謀と言われる相手だ。
そんな魔物を捕獲して町に連れてくるなど、容易なことではないだろう。
だがその疑問もすぐに解消する。
「ギイイイィィ!」
アルディスへ襲いかかろうとした黄泉蟷螂の足が不自然に止まり、同時に甲高い金属音が部屋に響く。
「足枷?」
黄泉蟷螂の足に付いている金属製の足枷がアルディスの目に入った。
攻撃を防ぎながらよく観察してみれば、その両足を拘束する足枷の輪はただでさえ細い黄泉蟷螂の足を圧迫し、外皮の形が変形するほど食い込んでいる。
サイズがあっていないのだ。
それを見てアルディスは理解した。
「幼体のうちに連れてきたのか」
確かに生まれたばかりの幼体ならば捕獲出来る可能性は高くなるだろう。
もちろんそれでも危険なことには変わりないが、成体の魔物を捕獲するよりは現実的だ。
成長するにしたがって足枷のサイズが合わなくなり、結果外皮に食い込むような状態に陥ってしまったのだろう。
当然重鉄程度の強度では魔物の拘束などできるわけもない。
しかし黄泉蟷螂の足に付いている枷とそこから続く鎖は一般的な金属と異なりほのかに赤みがかっていた。
「七色粉を混ぜ込んでるとは、ずいぶん奮発したもんだ」
七色粉は精製技術が失われた希少宝石『レシア』の粉末である。
金属加工の際、魔力と共に練り込めば飛躍的に強度を増すことができるため、七色粉を使った拘束具ならば魔物相手にも十分通用することだろう。
アルディスの持つ『蒼天彩華』『刻春霞』『月代吹雪』の三本も七色粉を使った希少な剣である。
七色粉自体が今では精製不可能な希少素材のため、目が回るほどの高額で取引されていることでも知られている。
まさか拘束具にそんな七色粉を使う人間がいようとは誰も思わないはずだ。
「どうしたものか……」
アルディスは黄泉蟷螂が飛ばしてくる液体を障壁で防ぎながら思案する。
黄泉蟷螂の存在を明らかにすれば間違いなくサイツ商会は終わりだろう。
生きた魔物を町中に連れ込むのは重罪である。
非合法な物人の扱いも重罪だが、それとは比べものにならないほど罪が重い。
だが問題はこの事実をどうやって領主に伝えるかだった。
面識も何もない旅の傭兵が訴え出たところで領主が信じるわけもない。
まして今のアルディスはお尋ね者のようなものだ。
アルディス自身がここでさんざんに暴れるというのもひとつの手かもしれないが、可能ならば魔物の存在を多くの人に知らしめた方がサイツ商会を確実に葬ることができるだろう。
その時である。
黄泉蟷螂を前にして考えていたアルディスの耳に通路を駆ける複数の足音が聞こえてきた。
「まあ、これだけ暴れてれば気付かれるよな」
アルディスがじっとしていたところで黄泉蟷螂が大人しくなるわけでもない。
足枷に拘束されながらも暴れ回る黄泉蟷螂のおかげで、どうやら商会の人間に気づかれてしまったらしい。
「ギイィィィ!」
慌ただしい足音に興奮を増したのか、黄泉蟷螂がいっそう激しく暴れ出す。
「おいおい、大人しくしとけって」
アルディスが苦々しい顔になるのも仕方がない。
黄泉蟷螂は自らの足が千切れそうなほどの勢いで身を乗り出していた。
足に食い込む枷の周囲にヒビが入る。
ヒビが入っているのは足枷の方ではなく、黄泉蟷螂の足だ。
黄泉蟷螂の本能が、その身を削る痛みよりも上回っているのだろう。
「なんだ! どうなってるんだ!?」
「誰だ貴様!?」
そこへ五人の武装した男がやって来た。
当然彼らにとってみれば存在がわかっていた魔物よりも、不審者であるアルディスの方が警戒すべき相手だろう。
部屋の入口を外側から半円状に囲んで抜剣すると、油断なくアルディスの動きを注視する。
「ギギィィィ!」
その時だ。
ズルリという不快な音と共に黄泉蟷螂の足が千切れ、足枷からその両足が解き放たれた。
黄泉蟷螂は最も手近にいたアルディスへと襲いかかるが、渾身の一撃をその強力な障壁に阻まれると、すぐさま方向を転換して部屋の入口へと矛先を変える。
「う、うわあああ!」
一瞬にして武装した男がひとり、黄泉蟷螂のカマで首を刈られた。
「ひいぃ!」
さらにもうひとりが胸を裂かれ倒れてしまうが、残りの三人はかろうじて命を拾うことができた。
黄泉蟷螂がアルディスや彼らを無視して通路の中を低空で飛び去って行ったからだ。
「まずいな……」
さすがに黄泉蟷螂をあのまま自由にするわけにはいかないだろう。
いくらサイツ商会があくどい商売をしていたとしても、商会に所属する人間全てが悪人であるわけもない。
経営層やこの男たちのように裏の事情を知ってなお協力している者は別として、末端の従業員や下働きは何も知らず働いている者もいるはずだ。
サイツ商会には悪事の代償を支払ってもらうつもりだが、だからといって個々の従業員に命を差し出せと言うつもりなどなかった。
アルディスは足を震わせて立ち尽くす男たちの脇をすり抜けると、黄泉蟷螂の魔力反応を追いかけて駆け出した。






