第227話
突然のことにフィリアは思考が真っ白になる。
どうして囚われていた女性が笛などという物を持っているのか。
どうして今この場でそれを吹いたのか。
混乱するフィリアへ後ろから鋭い声が届いた。
「フィリア、拘束して!」
ロナの指示にハッとしたフィリアはすぐさま魔術で紐状の粘性物を生み出し、女性の手足をからめ取る。
「な、なんだいこりゃ!?」
まさかフィリアのような年若い娘が魔術を行使できるとは思っていなかったのだろう。
油断を突かれた女性は身をかわす暇もなく四肢を拘束された。
「あんた、魔術師だっ――」
うるさい口を同じように粘性物で塞ぐ。
唸ることしかできなくなった女性は手足を必死に動かすが、その程度でどうにかできるほど甘い拘束ではない。
ひとまずの危険を抑え込んだフィリアの横でロナが感心したようにつぶやいた。
「ずいぶんと用心深い連中みたいだね」
「どういうこと?」
「侵入者対策のために囚われた人間を装った見張りがつけられてたんじゃないかな。わざわざあんな格好までさせてさ」
ロナの答えを聞いてようやくフィリアの理解が追いつく。
拘束された女性は他の女性たちと同様、汚れた布一枚を身体に巻いただけである。
商会の人間なのか、それとも雇われた傭兵なのかはわからないが、救出対象にまぎれて鈴の付いた敵が紛れ込んでいたのではこっそりと救い出すのは無理だっただろう。
思ってもみなかった事態にフィリアは眉をひそめかけたが、悪化する状況はそれすらも許してくれなかった。
人の走る足音が部屋の外に続く通路から響いてくる。
近付いてくる三つの魔力。
先ほど見かけた見張りの男たちだろう。
「こっそり逃げ出すのは無理だね、こりゃあ。……まあ、この人数を気付かれずに連れ出すのがもともと無理だったのかもしれないけど」
「どうしよう、ロナ……」
「どうするもこうするも、強行突破するしかないと思うよ」
「そう、だよね……。うん、やってみる」
一瞬表情を曇らせたフィリアだが、すぐに気を取り直して力強く頷いた。
「まあ、いざとなったら……」
「いざとなったら?」
「うんにゃ、何でもないよ。それよりまずはすぐにやって来る三人をどうするかだね。そろそろ来ると思うけど?」
疑問を口にしたフィリアへロナは目先の対処を考えろと促す。
フィリアはひと呼吸のうちに考えをまとめると、姉の側についているハルへと声をかけた。
「ハル君、お姉さんたちと一緒に部屋の隅に固まっていて」
「あ、うん」
ハルが姉や他の女性たちを壁際へと誘導しているのを横目に見ながら、フィリアは自らへ不可視の魔術をかける。
あわせて魔力で足場を造り出し、その階段を使って出入口の扉――今となっては溶け落ちた穴――よりもさらに上へと身を移す。
ちょうどフィリアが天井近くにまで上ったタイミングで、見張りの男たちが駆けつけてきた。
「と、扉が」
「溶けてるのか!?」
金属製の扉が溶け落ちているという尋常ではない状況を目にして驚く男たち。
「侵入者か!」
当然考えられる原因を真っ先に思い浮かべたのだろう。
警戒しながら部屋の中を覗き込んだ男のひとりが、拘束された色黒の女性を発見すると厳しい声で問い詰める。
「おい、他の女どもはどこへいったんだ!?」
その問いは姿を消したフィリアに向けられたものではなく、ロナや他の女性たちに向けられたものでもなかった。
なぜならフィリアが自分の姿を消しているのと同様に、ロナがハルや他の女性たちの姿を不可視の魔術で見えなくしていたからだ。
「んー、んんー!」
色黒の女性は必死で首を振って何かを伝えようとするが、部屋の中を見回した男は警戒しながらも近付いていく。
彼の目には拘束された色黒の女性以外、空っぽの部屋が映っていることだろう。
後から続くふたりの男も警戒を緩め、武器を降ろしてゆっくりと部屋へ入ってきた。
その瞬間、フィリアは無言のまま魔術を行使する。
色黒の女性を拘束した時と同じように紐状の粘性物を生み出すと、無防備な背後からふたりの男を拘束した。
「敵か!」
最初に部屋へ入ってきた男が異常を察知して武器を構えるが、フィリアの姿を捉えられない以上は周囲を警戒することしかできないだろう。
フィリアは先ほどふたりの男へしたのと同じように紐状の粘性物を使って拘束を試みる。
「魔法!?」
しかし警戒していた男は突然生じた紐状の粘性物を認識するなり、素早く身をかわして拘束から逃れることに成功した。
粘性物の放たれる速度は戦い慣れている者にとって決して避けられないものではない。
不意打ちや油断している相手に使うならともかく、警戒している相手に通用するほど実戦向きの術ではないのだ。
それを失念していたのはフィリアの失態と言って良い。
「そこか!」
見えないはずのフィリアへ向けて男がダガーを投げる。
粘性物の生み出された場所をしっかりと確認していたのだろう。
慌ててフィリアは防御障壁を展開すると同時に、自分が立っている足場を消して床へ飛び降りる。
動揺したのか、それとも集中力が切れたのか。
不可視の魔術が効果を消失してフィリアの姿があらわになった。
「子供!?」
男の口から放たれる驚きの声とダガーが防御障壁に弾かれる音を同時に聞きながら、拘束するのは困難と判断してフィリアは魔術を攻撃的なものに切り替える。
着地とあわせてフィリアが手を横薙ぎに振り払う。
その手から風の魔術が繰り出された。
切り裂くための魔術ではなく、圧縮した風の塊をぶつけて衝撃を与える魔術だ。
いかに鍛えた身体を持っていようと魔力による衝撃波を狙って防ぐのは難しく、ましてや回避しようにも一瞬で到達するのではどうしようもないだろう。
「がはっ!」
まともに衝撃波を腹部へ食らった男が勢いのまま壁に叩きつけられて気を失う。
そのままフィリアが紐状の粘性物を使い他の男たち同様に拘束すると、ロナが不可視の魔術を解いて姿を現した。
「不意を打つなら全員同時に拘束しないと。相手が警戒すると無駄に手間がかかっちゃうよ? なんで一度に終わらせなかったのさ?」
「えーと……」
「どうせさっきみたいに『三人同時で狙ったら外しそう』とか思ったんでしょ」
「う……」
図星を指されたフィリアが言葉に詰まる。
「まあ、反省は後でゆっくりしようか。問題はこの人数をどうやってここから連れ出――」
ロナがそう言いかけたところで突然地下にまで響きわたる爆発音が起こり、同時に部屋全体が大きな力で揺さぶられた。
加えて追い打ちをかけるかのように、獣と思われる何者かの咆哮がフィリアたちのもとへ届く。
「きゃあ!」
「な、何?」
「やだ怖い!」
囚われていた女性たちが口々に叫ぶ中、フィリアはすぐさま周囲の魔力を探った。
半径五十メートルと狭い範囲ではあるが、周囲の人間がどのような動きをしているかを知ることくらいは可能なのだ。
しかしフィリアは魔力探査の結果に首を傾げる。
探査範囲に引っかかった魔力反応は近付いてくるどころかあらぬ方向へと動いていたからだ。
その動きは『集結』というより『離散』と呼ぶにふさわしい。
「ロナ」
「あーあ、何やってんだか」
「え?」
疑念を抱いたフィリアがロナに声をかけると、黄金色の獣は呆れたような表情を浮かべていた。
「いや、何でもないよ。それよりちょうどいいや。この混乱にまぎれて逃げちゃおう」
「混乱?」
いまいち状況がつかめないまま、ロナの言葉に従いハルや女性たちを先導して地下から出たフィリアが見たもの。
それは周囲に散らばる大小様々な瓦礫と逃げ惑う人々、そして敷地内で最も大きな建物の一部が崩壊している光景だった。
「え、なんで?」
つい先ほどまでとはガラリと変わった光景を見て、ハルが誰にともなく疑問の言葉をもらす。
その時、再び周囲一帯を包み込む爆音が響いた。
音の発生源を探してフィリアが見上げると、空の青を背景にして煌々と燃える炎塊が目に入る。
「何なのあれ?」
「大きい……」
女性たちが口々に疑問と驚愕の言葉をこぼす。
無理もない。
燃えさかる巨大な赤い球体はきっと町中どの場所からでも見えることだろう。
ただそこにあるだけで強大な破壊の力を感じさせる暴虐の化身。
戦いに身を置く人間でもなければ一生目にすることがないであろう光景だった。
誰がやったのかはわからないが、そんな炎塊を生み出すことができる人間は魔術師以外に考えられない。
「どうして魔術師がこの町に……?」
女性たちの誰もがそう思ったことだろう。
それが普通の考えだ。
しかしフィリアの認識は彼女たちと少しだけ異なる。
魔術師といえど、あれほどの炎塊を生み出せる人間は少ない。
まして町の上空に現れた炎塊は全部で八つ。
ネックレスのように円を模して並んだそれらは、使い手の凶悪なまでの実力を示すと共にある人物の姿をフィリアに思い起こさせた。
ひとつであれば生み出せる魔術師は大勢いるだろう。
だが連続してそれをふたつ、みっつと生み出せる魔術師はほとんどいない。
八つ同時にそれを作り出すような規格外の魔術師となれば、フィリアはひとりしか知らなかった。
「行くよ、フィリア」
「……うん」
絶対的な安心感と同時に自らの至らなさを改めて痛感しつつ、フィリアはハルや囚われていた女性たちを誘導して商会の敷地から脱出するため炎塊に背を向けた。
2020/06/27 脱字修正 後ゆっくり → 後でゆっくり
※脱字報告ありがとうございます。






