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千剣の魔術師と呼ばれた剣士  作者: 高光晶
第十五章 カノービスの魔獣王

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第226話

 ハルの後を追ってたどり着いたのは表通りに面した大きな建物だった。

 フィリアがこれまで見たこともない大きさの建物に目を丸くしていると、建物の横へ続く壁に沿ってハルが小さな路地を進んでいく。


「待って」


 呼び止めるフィリアの声にも振り向かず、ハルはひとり先へと進む。

 仕方なくその後をついていくと、やがて建物の裏門らしき場所へと出た。


「あそこから出ていくんだ……」


 ふたりの守衛が立つ門を遠目に見ながら弱々しい声でハルがつぶやく。

 出ていくのが『何なのか』は言うまでもなかった。

 商品として売られた人たちが荷馬車に乗せられて買い手のもとへと連れて行かれるのだろう。


「あの中にハルのお姉さんも?」


 確認のため訊ねるフィリアへハルがコクリと頷く。


 改めて建物を見れば、その大きさに圧倒される。

 表通りから壁伝いに結構な距離を歩いてきたが、その距離ですらも敷地全体からみればほんのごく一部なのだ。


 壁の高さは見たところ三メートルを優に超えている。

 その向こうに見えるのはひときわ大きな建物がひとつと、それらと比較すれば小さいとはいえフィリアの感覚で言えば十分に大きな建物がふたつ。

 ハルの言っていることが本当なら、あのどこかに彼の姉がとらわれているのだろう。


「どうやって潜入するつもり?」


 ロナの問いかけにフィリアは身を引き締める。

 優しそうに聞こえるその声色こわいろは、ロナがフィリアたち双子を指導する時のそれと同じだったからだ。


「魔力を使った仕掛けはなさそうだし、入るだけなら簡単だと思うんだけど……」


 アルディスやネーレほどではないがフィリアも魔力を感じることはできる。

 キリルにはコツを教えてくれと懇願こんがんされたが、こればかりは感覚的なもので、フィリアも上手く言葉にして伝えられないのだ。

 むしろ魔力を感じられないことの方がフィリアには不思議に思えた。

 フィリアが魔力を探れる距離は五十メートルほどとアルディスに比べれば短いが、見通しの良い場所を避けるように注意すれば簡単に見つかってしまうこともないだろう。


 フィリアは門から視線を壁に向ける。

 壁やその周囲に魔力は感じない。

 侵入者を物理的に防ぐ障壁はおろか、侵入を感知する魔法や魔術もない証拠だ。


 守衛のいる門を通るのは無理でも人目のない場所を選べば壁を越えることはできる。

 魔力で足場を作れば高さ三メートルの壁など意味をなさないし、ハルの姉が囚われている場所さえわかれば救出も不可能ではない。


「具体的には?」


「足場を作れば壁は越えられるよね。あとは光を伸ばせば姿は見えなくなるし、音を立てないように気をつければ見つからずに建物の中を回れると思う……んだけど?」


 そう自分の考えを口にすると、フィリアは採点を言い渡される子供のようにロナの反応を待つ。


「ふーん、まあいいんじゃない」


 どうやら及第点きゅうだいてんだったらしいと内心フィリアはホッと胸をなでおろした。


「フィリアが言いだしたんだから、そっちの子は責任を持って姿を消しなよ。ボクは自分のしかやんないからね」


「うん、わかった」


 そう答えると、フィリアはハルの手を引いて門の見える場所から離れ、壁沿いに少し来た道を戻ると人目のない場所を選ぶ。

 周囲を見回し、同時に人間の魔力がないことも確認すると、壁に向かって階段状に魔力の足場を形成しはじめた。

 魔力の見えないハルにもわかるよう足もとの砂を軽く振りまくと、何もなかった空間にぼんやりと即席の階段が現れる。


「えっ?」


「階段から落ちないように気をつけてね」


 突然のことに驚くハルの手を引くと、フィリアは壁の上に向かって階段を上っていく。

 壁の上にたどり着くと今度は同じ要領で下りの階段を作り、ハルの手を引き下りていった。

 用済みの足場をすぐに消し去り、ひとまず近くの物陰へと身を隠す。


「今から姿が見えないようにするからね。はぐれないように手を離しちゃダメだよ」


 ハルにひと言伝えると、再び魔術を行使する。

 ネーレが言うには人間の姿が眼に映るのは光という波が空間を伝わっているからなんだとか。

 その波を無理やり長くしてやると、変化した光は人の目に映らなくなるらしい。


 実際にネーレはその理屈で姿を消して見せたのだ。

 ならばきっとネーレの言う通りなのだろう。

 キリルはその話を聞いて頭を抱えていたが、フィリアは「そういうものなんだ」としか思わなかった。


 だがさすがにネーレのようには上手くできない。

 彼女が言うには人の目に映らなくなるだけでは不十分で、相手の目に届かせるための偽装した光を作り出すところまでいってようやく完成らしい。


『姿を消したとて歩めば足音も生じる。わずかではあるが周囲に風も起こる。まして匂いは消せぬ。それを忘れぬようにな』


 戒めるようなネーレの言葉を思い出していると、つないでいた手を強く握りながらハルが驚きの声をあげた。


「すごい、見えなくなった……。お姉さん、魔術師だったんだね」


「ふえ?」


 一瞬何のことかわからずフィリアの口から間抜けな声がもれる。


「だってこれ魔法でしょ? 魔法が使えるんだから魔術師じゃないの?」


「え、そうなのかな……?」


 自分が魔術師だと考えたこともないフィリアは首を傾げるが、それを目にするものはこの場にいなかった。


「姿を消すなら壁を越える前にやっておくべきだったんじゃないの?」


「でもそれだと足場を上るときに危ないと思って……」


「足場はその子にも見えるようにしたんだし、手を引いてれば大丈夫だったと思うけど? それよりも見つかる危険の方がよっぽど問題だよ」


「え、あ……。うん、そうかも……」


 ロナの指摘に落ち込むフィリア。


「まあいいや。とりあえずここでずっと隠れててもしょうがないし、動こうか?」


「う、うん。そうだね」


 気を取り直したフィリアはハルにいくつかの注意点を伝えると、周囲を窺う。

 一番近くの建物に人間サイズの魔力がいくつか確認できたが、これらは囚われた人間ではないだろう。

 ハルの話では商会にさらわれた難民もひとりやふたりではないし、捕まえた人間を自由に行動させる理由など商会側にあるわけもないからだ。


「人の少ないところを選んでぐるっと歩き回りながら魔力を探ってみるね。たぶんハルのお姉さんたちは一箇所に集められてるだろうし」


 動き回っていない人間が一箇所に集中していれば、おそらくそこが囚われた難民たちの監禁場所だろう。


 ふとフィリアは自分たちが物人ものびとだった頃のことを思い出す。

 手足に円環をつけられ、自由に動き回ることも許されずただ荷馬車の中でリアナと身を寄せ合うことしかできなかった日々。

 瞬間、心臓をわしづかみにしそうな不安を無理やり押し込んで、忌まわしい記憶を消し去るように頭を振る。


「じゃあハル君。絶対に手を離さないようしっかり握っててね」


「うん」


 ハルの返事を確認したフィリアは物陰から出て音を立てないよう慎重に歩きはじめる。

 まずは比較的小さなふたつの建物から確認するべく、物陰を縫うようにして近付いていった。


 最初に近付いた建物はどうやら物置き場になっているらしく、荷物やカゴをかついだ人間が頻繁に行き来していた。

 地面から二メートルほどの高さまでは中を覗けるような窓がない造りだ。

 そのため内部の様子を目で見ることはできないが、魔力を使って探る事は可能だった。

 一箇所にまとまってとどまっている人間がいないことから、フィリアはこの建物を『ハズレ』と判断する。


「あっちの建物かな?」


 再びフィリアはハルの手を引いて慎重に歩きはじめる。

 もうひとつある小さな建物には人の出入りがほとんどないようだ。


 先ほどの建物同様に窓はなく、出入りする人間の様子からも中がどうなっているのかうかがい知ることはできない。

 だがフィリアが建物の壁越しに魔力を探ると、建物の地下に三十人ほどの人間が一箇所にとどまっている反応があった。


「ここかも……」


 動かない多数の人間。しかも整然と並んでいるわけでもないとなれば、囚われた難民たちである可能性は高いだろう。


「建物の中に入るから、できるだけ音を立てないように気をつけてね」


「うん」


 ハルの返事を確認したフィリアは手を引きながらゆっくりと建物の中に足を踏み入れた。

 音を立てないよう注意を払いながら薄暗い廊下を進んでいくと、やがて開いたままの扉が見えてくる。

 いつもよりも速い心臓の鼓動を感じながら部屋の中を覗くと、三人の男がテーブルを囲んでカードゲームに興じている姿が目に入った。

 視線を少し先に向ければ、部屋の奥に地下へ続いているだろう階段が見える。

 囚われている人たちと思われる魔力反応の方向から考えて、あの階段が監禁場所になっているのだろう。


 フィリアはハルに向けて小声で話しかける。

 部屋の中では男たちの大声が響いているため、フィリアの小さな声が相手に届く心配はない。


「たぶんこの部屋から地下に行けるんだと思う。こっそり通って階段を下りるよ。絶対に音を立てないようにしてね。ゆっくり行くから、足もとに気をつけて」


 ハルの握った手に力が込められる。

 それを返事と受け取ったフィリアは慎重に部屋の中へと足を踏み入れた。


「ああー! くっそ、また負けかよ!」


「へへへ。悪いねえ、こんなに勝たせてもらって」


「次だ次! 賭け金倍にするぞ!」


 カードゲームに熱中している三人の男がこちらに気付く様子はない。

 背中ににじみ出る汗を感じながら、フィリアはハルの手を引いて男たちの側をすり抜け階段を下りていく。

 やがて二十段ほどある階段を下りたところで安堵のため息をついた。


「やっぱりこの先だ」


 階段を下りた先には短い通路の両端に金属製の扉がいくつか見える。

 魔力反応はその扉のひとつを挟んだ先から感じられた。


「たぶんここだよね?」


「うん。確かにたくさんの人間がこの中にいるみたいだ。ただこの扉、頑丈そうだし当然鍵はかかってるだろうね。魔術で無理やり壊すことはできるだろうけど……」


 ロナの言う通りフィリアなら扉ごと破壊する事は可能だろう。

 だが相手に見つからないよう潜入している今、さすがにそんなことはできない。


「音を立てないように……。うん、ちょっとやってみる」


 フィリアは扉の一部に意識を集中してその温度を高めていく。


「あ、いけそう」


 誰にともなくつぶやくと、今度は扉全体にその範囲を広げていく。


 動け。

 動け。

 動け。


 そう念じながら魔力を媒介にして金属を構成する小さな粒を束縛から解き放った。

 その動きは次第に熱となって変化をもたらしはじめる。

 最初はほのかな温もりを発するだけだった扉が次第に熱を放出する塊と化し、やがて灼熱の泥へと姿を変えて溶け落ちた。


 鈍重な液体と化した扉がその役目を放棄した時、フィリアたちの視界に(さえぎ)られていた中の様子が映し出される。

 家具ひとつない部屋の中で、汚れた布一枚を体に巻いた数十人の女性が一様いちように驚きと怯えの色を瞳へ浮かべていた。


「フィリア。溶かすのは鍵の部分だけで良かったんだよ。扉一枚全部溶かしたら、中にいる人たち全員熱でやられちゃうからね。あと、熱気が階段の上まで伝わったらボクらの存在がさっきの男たちにバレちゃうよ」


「あ……。ご、ごめん」


「今回はボクが中の温度を下げておいたから大丈夫だったけど、次はもっと気をつけなよ」


「うん……」


 危うく助けようとした相手に危害を加えるところだったと教わり、落ち込むフィリア。

 しょんぼりとしながらもすぐに『元』扉の粘体を冷却して固まらせる。


「な、何……?」


 部屋の中にいる女性たちの中から戸惑いの声が上がった。

 当然だろう。

 今のフィリアたちは姿を消しているため、彼女たちにしてみれば突然扉が溶け落ちてどこからともなく人の話し声が聞こえてきたのだ。困惑するのも無理はない。


「あ、えと。助けに来たんだけど……」


 姿隠しの魔術を解いてフィリアたちが姿を現すと、囚われの女性たちが驚きと共にざわめきはじめる。


「女の子……?」


「助けに来てくれたの?」


「私たち、助かるの?」


「……ハル?」


 不安と安堵、疑問と光明が交差する数々の言葉にまぎれてハルの名を呼ぶ声がした。


「お姉ちゃん!」


 それまで固く握っていたフィリアの手を離してハルがひとりの女性に駆け寄っていく。

 フィリアよりも少しだけ年上に見えるその女性が、おそらくハルの姉なのだろう。

 飛びつくようなハルの体を受け止めて、女性の両腕がしっかりと弟の身体を抱きしめる。

 その光景にフィリアの頬が自然と緩んだ。


 だがこれですべてが解決したわけではない。

 むしろこの後の方が大変なのだから。


「ねえ、ロナ。気付かれ―――どうしたの?」


 相談しようと呼びかけたフィリアは、ロナがあさっての方向へ注意を向けているのに気付く。


「……ああ、なんでもないよ」


 ロナはフィリアに顔を向けてそう言いつつ、ボソリと「ただの偶然かなあ」とつぶやいた。

 何のことかわからないフィリアが首をかしげたその時。

 突然耳をつんざく笛の音が部屋に響く。


「えっ?」


 慌てて振り向いたフィリアの眼に映ったのはひとりの色黒な女性。

 どこから取りだしたのか、その口には親指サイズの小さな笛がくわえられていた。


2020/04/05 誤記修正 波を無理やり短く → 波を無理やり長く

※逆でした。短くしたら攻撃魔法になってしまう……。


2020/04/05 誤記修正 光を縮めれば → 光を伸ばせば

※誤記指摘ありがとうございます。


2021/09/09 ロナの一人称を修正

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― 新着の感想 ―
[一言] よくわからないな 数話読んで意図が分かるのかな
[一言] まだまだ幼いのと経験不足で考えが足りてないけど、魔術師としての腕は悪くない…のかな? 逃亡や反乱を防ぐために手下を忍ばせてたのか どうするフィリア?
[気になる点] ああ〜なるほど。そういうこともあるのか
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