第201話
その日、ロナはアルディスと別行動を取っていた。
とはいっても同じ王都内にいる上、互いの距離も五百メートルと離れていない。
ロナが距離をとっている理由はアルディス本人にあった。
『あの娘の身元をハッキリと確認したい』
そう口にしたアルディスから少女の監視を頼まれたからだ。
「んふふ~。かくれんぼやってるみたいで面白い。なんかワクワクしてきた」
のんきに状況を楽しみながら、ロナはアルディスの後を尾行する少女をさらに後ろから尾行している。
アルディスを少女が遠目に監視し、その少女をロナが監視しているというわけだ。
ロナとしては少女のことなどどうでもいいのだが、アルディスに頼まれれば嫌とは言いにくい。
もちろんしぶしぶやっているわけではない。
相手に感付かれず物陰からあとを追うという行為は本能を刺激されるのか、上機嫌で建物の陰や屋根の上を渡り歩きながら少女を監視していた。
少女はもちろんのこと街行く王都民にも姿を見せるわけにはいかず、ロナは魔術を駆使して人目を欺き尾行を続ける。
ロナが少女の尾行をしはじめてから早三日目。
森の家を出て、王都に入る前からアルディスと別行動をはじめたのはまだ午前の早い時間だ。
王都へ入ったアルディスをさっそく尾行しはじめた少女に気付かれないよう、ロナは距離を大きく取って後をつけはじめた。
アルディスがせせらぎ亭に顔を出し、鍛冶屋を訪ね、顔役の男に会い、呪術師の店へ寄る。
その間、ずっと少女は物陰からアルディスを監視していた。
少女にはアルディスに対する害意は感じられず、終始その動きを見逃すまいと目を光らせている。
「やっぱり、何度見てもガリガリだなあ」
ロナが少女の姿を遠目に見てつぶやいた。
ごくありふれた町娘の服をまとっているが、ひと目見ればその姿に誰もが眉をよせるだろう。
その風貌は多少採点を甘くしたとしてもスラムの住人一歩手前というのが精一杯だった。
身体の肉付きはお世辞にも良いとは言えず、頬はこけ、ダークブラウンの髪もぼさぼさで、今にも倒れてしまいそうなほどだ。
「またふらついてるし」
言ったそばから足もとをもつれさせた少女の姿に、さすがのロナも何とも言えない気持ちになる。
ある意味危うさを振りまきながら、それでも少女はアルディスの監視を継続している。
「よくわかんないな……」
つぶやいたロナの疑問も、尾行が五日目を過ぎる頃には一部解消されることになる。
「そりゃガリガリなわけだよ」
理解した一方で、ちっともスッキリしない気持ちを抱きながらロナは『門扉』を通じて取りだした干し肉にかじりつく。
ロナが少女の監視を始めてから十日。
その間、ロナはアルディスのもとへ戻ることなく四六時中少女を遠目に見ていた。
それで分かったことがいくつかある。
少女のねぐら、少女が時折訪れる元酒場の廃墟、そして少女の食生活だ。
「どういうことだろ? 個人的にアルを監視してる――ってのも考えられるけど、あそこまで自分に無頓着なのってもう病気に近いよね」
ロナの目には少女が異常に映った。
少女はほとんど食事をしない。
ロナは監視をしている最中でも時折『門扉』から保存食を取りだして食べているが、一方の少女はアルディスの監視をしている間、一切食事をとっていなかった。
アルディスがせせらぎ亭を出てから夕方に戻ってくるまでの間、ひどいときにはそのまま一晩中監視を続けて丸二日食事をとらないこともあったくらいだ。
いくらなんでもこれはおかしいとロナも考えはじめる。
少女がアルディスの監視を一時中断してねぐらに戻っても、食事をとっている気配は感じられない。
その姿を見かねた老婆が時折少女へ施しを与えているようで、これが彼女にとって貴重な栄養源になっているらしい。
当然それだけで腹が十分に満たされるわけもなく、アルディスを尾行し終えてねぐらに戻るまでの道中で飲食店の残飯をあさる姿までロナは目にしていた。
「どういうこと?」
ロナはわけがわからなくなった。
長い間アルディスと行動を共にしているため、ロナもある程度人間社会のことには詳しい。
密偵、隠密、草、間諜。呼び方は色々あるが、ああいった陰働きの人間がいることはロナも知っている。
しかし敵地へ単身乗り込むことも多い彼らにとって、自らの健康を損なうということは命を落とす危険にも繋がりかねない。
だからこそ彼らは自分の健康管理をおろそかにすることは絶対にない。
だが今目の前で不健康そのままを絵に描いたような少女が、自分の身を顧みることなく、わき目もふらずアルディスの監視を続けている。
あれならまだその日暮らしをしている傭兵の方がしっかりと自己管理をしているだろうと思えた。
その日、酒場の喧騒も消えた深夜になって少女はアルディスの監視を中断した。
少女は自分のねぐらへと戻る前、これまでもロナの監視期間中に何度か訪れていた元酒場の廃墟へと足を運ぶ。
「なんなんだろ? あの場所に何かあるのかな?」
自分の事に無頓着な少女がわざわざ足を運ぶような場所だ。
意味もなく訪れているわけがなかった。
廃墟へと入り込むと、少女はいつものように二階にある部屋へと足を踏み入れる。
ロナは道を挟んで向かいの建物の上へと移動した。
屋根の上で月明かりに照らされない影の中へ身を潜ませると、廃墟の二階へと目を向ける。
普段ならわざわざここまではしない。
しかし今日だけは事情が違っていた。
なぜなら廃墟の二階、少女が足を踏み入れた部屋にひとり人間が待ち構えていたからだ。
「よお、久しぶりだな赤ミサゴ」
少女を待っていた小男が口を開いた。
人間よりもはるかに優れた聴覚を持っているロナだからこそ、この距離でもそれが聞こえるが、常人ならばまずそこに人間がいることすら気が付かないだろう。
「伝書鳩……。生きていたのか」
わずかな戸惑いを瞳に浮かべて少女が小男の通称らしきものを口にした。
「まあな。運良くアルバーンの方へ仕事で行ってたんでな。だが帰ってきてみれば組織は壊滅、構成員もほとんどが死んだとあって今じゃただのチンピラと変わりゃしねえ。せっかくあとちょっとで幹部に手が届きそうだったってのに……」
小男が大きくため息をつく。
「千剣の魔術師に手を出したのがそもそも間違いだったって事なんだろうがな。まさかたったひとりの魔術師に組織が数日で壊滅させられるなんて、誰が予測できるかって話だ」
肩をすくめて気を取り直した小男がカビだらけになった執務机を椅子代わりに腰掛ける。
「それはそうと、ひどい顔だな赤ミサゴ。ちゃんとメシ食ってるのか?」
「……食べていなければ死んでいる」
「つってもろくに食えてないのは見りゃわかるぞ。まったく、エキスパート化の弊害だな。いくら腕の方が確かでも、日々の食い扶持を稼ぐ方法すら教えてないんだから。組織のサポートがなけりゃ、凄腕の手練れもスラムのクズどもと大して変わりゃしない」
小男は机の上に置いてあった袋に手を突っ込むと、そこから大きめのパンを取り出す。
「ほれ、食えや」
そう言うなり小男はパンを赤ミサゴと呼ばれた少女へ放り投げた。
「なんだよ、いらねえのか?」
受け取ったパンを口に運ぼうとしない赤ミサゴへ小男は苦笑いを向ける。
再び袋の中からパンを取り出すと、今度は自分でかじりつく。
「ワイン飲むか? グラスはないから直飲みだけどよ」
「いらない。任務に支障をきたす」
「任務? 今さらなんの任務だよ」
「あたしの任務は千剣の魔術師を監視することだ。命令の変更は受けていない」
「変更も何も、その指示を下した頭目も幹部連中も今となっちゃあ誰ひとり残ってねえだろうが。それどころか組織自体なくなっちまったのに、命令変更がないからって馬鹿正直に古い命令へ固執してどうすんだよ」
小男が呆れ顔を見せた。
「それでも任務は任務だ。あたしが勝手に判断することはできない」
「ほんと、融通きかねえな。まったく、こいつをこんな風に教育したのは一体どこのどいつだ……」
半分独り言のように小男がぼやく。
「で? おまえはあれか? 最後に下された指示を愚直に遂行して、今も千剣の魔術師をずっと監視してるのか?」
「そうだ」
「一年以上もずっと?」
「そうだ」
「報告する相手もいないのに?」
「任務の遂行に支障はない」
「食うや食わずのそんなふらふらの様子でか?」
「それは任務に関係ない」
「まさかおまえ、ここが千剣の魔術師に襲撃されたときもずっと見てたのか?」
「それが任務だから」
「手を貸そうとか考えなかったのかよ」
呆れの色をさらに濃くしながら小男が訊ねる。
「あたしが命じられたのは千剣の魔術師を監視することであって、襲撃者を撃退することじゃない」
「かーっ! おまえは単一命令にしか従えないゴーレムかよ!?」
若干苛ついた表情を見せながら小男が頭をかきむしる。
「これじゃあ潜りツバメも浮かばれねえよな」
ボソリと小男が口にした言葉に赤ミサゴの瞳がわずかに揺れた。
赤ミサゴの変化にも気付かず、小男は腕を組んでつぶやきはじめる。
「どうしようかな。やめちまおうかな」
そんな小男に今度は赤ミサゴが問いかけた。
「どうして今頃戻ってきたの? この一年音信不通だったのに。てっきり他の人間と同じように死んだとばかり思っていた」
「どうして今頃かって? そりゃまあいろいろあるさ。今まで戻ってこなかったのも、最初は身の安全を確保するためだったがな。今でこそ千剣の魔術師が襲撃してきたと分かっているが、当時は正体不明の襲撃者に王国内だけじゃなく他国の拠点までもが壊滅させられてたんだ。警戒するのも当然だろうが」
小男はワインの瓶に直接口をつけて飲み、のどを潤した。
「そもそもこっちに戻ってくるつもりはなかったんだが、おまえが生きてるって分かったんでな。勧誘するつもりでわざわざやって来た」
「勧誘?」
「ああ。実は今、アルバーンに新しい組織を作っているところでよ。頭数もそうだが、やっぱり組織の体裁を整えようと思ったら手練れの刺客も何人かは欲しいところだからな」
「アルバーン……? 島国の?」
「そうだ。北隣のブロンシェル共和国から東に海峡を越えた先の島国だ。近いうちにあそこは荒れる。裏の仕事はいくらでも湧いて出てくるだろうよ」
それを聞いた赤ミサゴは黙ったまま小男の目をじっと見つめる。
「どうだ? 壊滅して再起は絶望的な組織の任務なんぞ放り出して、俺と一緒にひと旗あげねえか?」
「行かない」
即答した赤ミサゴに、小男はうんざりした顔を見せる。
「おいおい、ちったあ自分の頭で考えろよ。このまま意味もない任務を続けてどうするんだ?」
「任務が解除されていない以上、あたしのやるべきことは千剣の魔術師を監視することだ」
「おまえのそういうところは嫌いじゃないが、現実を見ろ。今のおまえは組織にも所属しないただの野良猫と同じだ。自分で衣食住をまかなえないおまえが集団を離れてひとりで生きていけるわけねえだろ」
次第に小男がいらつきを見せはじめた。
「伝書鳩は伝書鳩。あたしに命令する権利はない。だからあたしは最後に受けた命令が撤回されない限り任務を継続するだけ」
「だからその命令を撤回できる人間がもうどこにもいねえって言ってんだろうが!」
一向に考えを変えない赤ミサゴへ、小男はしびれをきらして怒鳴り声をあげる。
「これが最後だ。俺と一緒にアルバーンへ来い。よく考えて返事しろよ」
赤ミサゴを睨み、声を低くして告げる小男に部屋の空気が張りつめたように感じられた。
「行かない」
だが赤ミサゴは小男の勧誘をにべもなく断る。
話は終わったとばかりに赤ミサゴが部屋を出ようとしたとき、小男が執務机から腰を下ろして床に立つ。
「そうかい、残念だ」
次の瞬間、小男が懐からダガーを取りだして赤ミサゴに襲いかかった。
「くっ!」
赤ミサゴはとっさに横へ飛び退いて初撃をかわす。
「動きが鈍いな。相当弱ってるみたいじゃねえか」
「内輪での私闘は制裁対象だったはずだ」
「私闘? 馬鹿じゃねえのかおまえ。組織も何もねえのに今さら内輪もくそもねえだろ。俺の下に付くってんなら使ってやろうと思ったが、そうじゃねえならさっさと始末するだけだ。おまえは生かしておくと後々王都へ進出するとき邪魔になりそうだからな」
小男の追撃。
それを避けようとして赤ミサゴが足をもつれさせる。
「はっ。組織でも十本の指に入ると言われた手練れの刺客が今じゃそのざまか? 今のおまえなら俺の腕でも余裕で勝てるってもんだ」
何とかして反撃をしようと赤ミサゴは懐から暗殺用のスティレットを取りだして構えるが、万全の状態ではないことが遠目からでもロナには見て取れた。
「じゃあな。あばよ同僚」
小男が言葉少なく別れを告げる。
赤ミサゴの急所を狙って黒光りするダガーが繰り出された。
身をよじってダガーを赤ミサゴが避けようとするが、その動きは精彩を欠く。
小男の刃が何のためらいもなく赤ミサゴの胸を狙って突き出された。
その瞬間、室内に強い風の音が響く。
「何だ!?」
それが小男の口にした最後の言葉だった。
何が起こったかも理解できないまま、小男の首が切り落とされ血が噴き出す。
ほこりまみれの床があっという間に小男の血を吸い込んでいく。
天井や壁までもが噴き出た血で赤く染まる部屋の中、小男だった物体が力を失って床に倒れこんだ。
「あ……。とっさに助けちゃったけど、あのまま放っておいた方が良かったのかな……?」
小男の命を刈り取った風の正体。
それはロナの放った魔術である。
のぞき見ていた光景と耳に届いてくる声から赤ミサゴの危険を読み取ったロナは、考えるより先に小男を排除していた。
赤ミサゴも小男もロナにとってはどうでもいい存在だが、自分が監視する対象に余計なちょっかいを出してきた小男の方を本能的に排除するべき異物として判断してしまったのだろう。
「まあいっか」
本当にどうでも良さそうな口調でそうつぶやいたロナは、赤ミサゴがその場を立ち去るのにあわせて屋根から飛び降りる。
「んー。おかげでだいたい事情は分かったし、そろそろアルのところへ戻ろうかな」
小男のおかげで赤ミサゴという通称がわかり、彼女の正体や目的も判明した。
この後どう判断するかはアルディスに任せればいい。
ロナは遊びを堪能してスッキリしたような気持ちのまま、アルディスの眠るせせらぎ亭へと足を向けた。
2019/10/12 誤字修正 気が付かないだろう。。 → 気が付かないだろう。
※誤字報告ありがとうございます。
2020/01/13 誤字修正 鍛冶屋を訊ね → 鍛冶屋を訪ね
※誤字報告ありがとうございます。
2021/11/19 誤用修正 屋上 → 屋根の上
※ご指摘ありがとうございます。






