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千剣の魔術師と呼ばれた剣士  作者: 高光晶
第十四章 悪意の力

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第200話

「ねえ。あれ放っておいていいの?」


 コーサスの森を家に向かって歩いているアルディスへ、同行するロナが後ろを気にしながらそう訊ねた。


 ミネルヴァの護衛を終え、一ヶ月ぶりに双子の待つ家へと帰る道中の彼らを尾行してくる人間がいるからだ。

 尾行する本人はバレていないと思っているのかもしれないが、周囲の生物を魔力によって探査できるアルディスとロナにはその動向も筒抜けである。


「どうせ途中で引き返すだろ」


 関心のなさそうな声でアルディスは適当に返事をする。


 アルディスが投げやりな態度をとっているのも、尾行されていることを大して問題視していないからだ。

 多少腕が立つ程度ではラクターのような肉食獣が闊歩するコーサスの森を歩くことなどできない。


 加えてアルディスは尾行してきている相手にも心当たりがあった。

 この一ヶ月、ミネルヴァの浄祷礼に護衛として同行していたアルディスへこっそりとつきまとっていた人物でもある。


「いつまで監視を続けるんだか……」


 ボソリとアルディスがつぶやいた。


 ここのところアルディスへつきまとっているのは、芙蓉杯ロータスカップ準々決勝後の夜に会った少女である。

 オルギン侯爵の放ったと思われる刺客を撃退した時、近くに潜み、逃げようとしていたところを発見したものの、襲撃者たちとは関係がないと判断して見逃した相手だ。


 その際『つけ回す程度なら大目に見る』と言った手前、尾行してきているからと今さら追い返すのもばつが悪い。

 こうも熱心に監視を続けるのであればそれを許容するような言葉は口にするべきではなかったと、今さらながらに自分の発言を後悔しているアルディスであった。


「まあ、今のところ害はないし、どうせ今回も途中で引き返していくだろう」


 芙蓉杯ロータスカップが終わってから浄祷礼じょうとうれいの旅に出るまでの間も少女はアルディスたちを王都から尾行していた。

 だがさすがに森の奥にまで足を踏み入れる事ができるほど戦えるわけではないようだ。

 毎回森に足を踏み入れはするものの、すぐに諦めて引き返していくのが常だった。


「ん? 諦めたみたいだね」


 アルディスの予想通り、森へ入ってしばらくすると少女の魔力は進む速度が落ち、今度は次第に遠ざかりはじめる。

 以前と同じように引き返していくつもりのようだ。


 しかしアルディスの魔力探査範囲を間もなく外れようかというその時、突然少女の動きが止まってしまう。


「あ、獣に出くわしたみたいだね」


 アルディスと同じように魔力探査でその動きを確認していたロナが立ち止まって振り向いた。

 少女の魔力に向かって獣とおぼしき魔力が接近していたのだ。


「この大きさはラクターかな? しかも二体だ。…………あーあ、詰んだねあの子」


 正に他人事。ロナの口調はそっけない。


 おそらくあの少女も見た目通りの小娘ではないだろう。

 アルディスに対する監視の役目を負っていることからも、多少なりと戦う術は持っているはずだ。

 だがそれも街中で対人間を想定した技術ではないかとアルディスは推測している。

 野生の肉食獣、しかも一人前の傭兵がようやく倒せるほどのラクターという強敵相手にどれだけ通用するかは未知数だ。


 しかも一体ではなく二体。

 逃げに徹したとしても生き延びることができるかどうか微妙なところだろう。


 アルディスは魔力の動きを注視する。

 ラクターに出くわした少女はすぐさま逃げの一手を取り、森の外へ向かって走り出す。

 だがそこに立ちはだかるもう一体のラクター。

 少女の足が止まり、前後からラクターがじりじりと近付いていく。


 その命はもはや風前の灯火であった。

 以前見た少女の面影がアルディスの心をちくりと刺す。

 逡巡したのも一瞬のこと。


「……アル?」


 相棒の変化を感じ取ったロナが声をかけると、アルディスは背負っていた荷物を地面に降ろすと短く告げた。


「先に帰っててくれ」


「ちょっと、アル? まさか行くつもりなの?」


「……俺から見ればまだガキみたいなもんだからな」


 答えにもなっていない言葉を残してアルディスは来た道を引き返した。


 少女の魔力はラクターの魔力に挟まれながらも小刻みに動いている。

 おそらく何とかして逃げようと試みているのだろう。


 だが次の瞬間、少女の動きが突然鈍くなった。


「間に合うか?」


 自分自身に問いかけながらアルディスは木々の合間をって駆ける。


 少女との距離は四百メートル強。

 いくら立ち並ぶ樹木が邪魔をしようと、アルディスにとってはほんのわずかな時間で詰められる距離だ。


 しかしラクター二体相手ではそのわずかな時間ですら少女にとって命取りになりかねなかった。

 とうとう少女の魔力が一所に留まって動かなくなる。

 魔力反応はまだ消えていないことから死んだわけではないだろうが、このままだと十秒先はまた違った表現を使わざるを得なくなるだろう。


 知らず知らず舌打ちしたアルディスは空間に小さな裂け目を作り、そこから二本の飛剣を出現させる。

 以前ふたつの世界を行き来することでようやく感覚を理解した、世界の間をつなぐ『門扉ゲート』である。

 まだアルディスには剣一本がようやくすり抜けられるほどの裂け目を作るのが精一杯だが、飛剣を収納しておくにはちょうどいいためなんだかんだと重宝している力だった。


 宙に浮いた状態でこの世界に呼び出され、そのままアルディスと並走していた二本の飛剣が放たれた矢のように飛び出していく。


 アルディスは魔力探査で得られた情報を頼りにラクター二体へ同時に飛剣を突き刺した。


 魔力の位置だけを頼りに放った剣では狙いが粗すぎて、致命傷を与えられるかどうかは運任せに近い。

 しかし少なくともラクターの意識を少女からそらすことはできるだろう。

 アルディスにはそれで十分だった。


「キシャアァァァ!」


 ラクターの叫び声がアルディスの耳に聞こえてきた。


 それからひと呼吸の間も置かず、視界にその姿をとらえる。

 まず目に入ったのは二体のラクター、そしてその間に血だらけで倒れている少女の姿だ。


 ラクターの一体は首元に、もう一体は胴体部に飛剣の一撃を受けていた。

 首元を飛剣で突き刺されたラクターはすでに反射で動いているだけに見える。

 偶然致命傷を与えることに成功したのだろう。

 放っておいてもそのうち息絶えるはずだ。


 もう一体、胴体部に傷を負ったラクターの方は動きこそ鈍っているものの、突き刺さった剣の主を探してこちらへ視線を向けてきた。

 新たに現れたアルディスを見てラクターが威嚇の態勢を取る。


 もちろんラクターなどアルディスにとってはしょせん大きいだけの獣。

 取るに足らない相手と言ってもいい。

 魔力で風の刃を作り出し、次の瞬間あっけなくその首を刈り取った。


 断末魔の悲鳴すらあげる間もなく息絶えたラクターには目もくれず、アルディスは倒れたままの少女へと駆け寄る。


「おい。生きているな?」


 用心しながら声をかけ、傷の具合を目で確認する。


 すでに少女は気を失っているようで、返事どころかうめき声すら聞こえてこない。

 赤く染まった腹部からはとめどなく血が流れ、見る見るうちに地面へと血だまりを作っていた。

 このまま放置すれば五分ともたずに死んでしまうだろう。


「まったく。どうしたのさ、アル」


 後ろから呆れたような声がかけられる。


 それが誰かなどと今さら確認する必要もない。

 アルディスは振り返ると、ロナが運んできた荷物を見てひとりごとのように言った。


「ちょうどいい」


 先ほどまでアルディスが背負っていた荷物。その中から一本の薬を取りだして封を開ける。


「え、それ使っちゃうの?」


 アルディスが手にしたのは今日王都で購入したばかりの高級治療薬だ。

 瀕死の傷ですら癒やしてしまうというそれは、一本あたりの販売価格が金貨五枚に達するというその名の通り高級品である。

 傭兵や探索者がもしもの時に備えて保険代わりに所持しておくという代物しろものであった。


「もったいない……」


 それをなんの躊躇ちゅうちょもなく少女の傷口へ注いだアルディスに、ロナが呆れ果てるのは当然のことだろう。

 治療薬を空になるまで使い切ると、アルディスは少女の身体を抱えて立ち上がる。


「なんだ、ついてくるのか?」


「ボクひとりで先に帰ったら多分フィリアもリアナも不機嫌になるだろうし……」


 仕方ないとでも言いそうな顔でロナが追従した。


 アルディスは森の出口まで移動すると街道が見える位置へ少女を横たわらせ、その周囲に魔力で作った防壁を張り巡らせる。

 半日ほどしか効果は続かないが、さすがにそれだけ時間が経てば途中で少女も目を覚ますだろう。

 防壁がある間はラクター程度の獣なら防ぎきることができるし、そもそも森の出口付近ではそういった獣がうろつくこともほとんどない。

 万全とは言わないが、命の危険にさらされることはこれでないはずだった。


「情が移っちゃった?」


 少女の安全を確保して再び森の中を家に向かって歩きはじめたアルディスに、横からロナが問いかけた。


「……」


 それにアルディスは答えられない。

 ハッキリとそれを否定できないからだ。


 いくら明確な悪意を向けてこないからといっても、常に監視されているというのは気分が良いものではない。

 相手が大人であればアルディスとて遠慮はしないだろう。

 だが相手がまだ双子やミネルヴァと同年齢くらいの少女であったことがアルディスを悩ませる。


「……知らなかったな」


「え? 何を?」


「いや、何でもない」


 フィリアとリアナにしても然り、キリルにしても然り、ミネルヴァにしても然り。

 どうやら自分は子供に対してずいぶんと甘いらしいと、今さらながらアルディスは気付かされた。


 自分自身、庇護ひごされるべき子供時代を無慈悲に奪われたこと。

 そしてひとりの男によって救われ、守られ、多くのものを与えられて今の自分があること。

 そんな過去が知らず知らずのうちに自らの行動指針に大きな影響を与えていたらしい。


 もしかしたら敬愛する恩人と同じ事をすることで、少しでも彼に近付きたかったのかもしれない。

 生きるだけで精一杯の生活から、この世界に来たことで初めて他人に手を差し伸べる余裕ができたというのもひとつの理由だろう。

 死が近すぎた毎日ではこんな事を考える暇すらなかったのだ。


 先ほど助けた正体のわからない少女と昔の自分、そしてこの世界で出会った少年少女たち。

 アルディスの脳裏に解けることのない疑問が浮かび上がる。


 同じ人間として生まれたにもかかわらず、たまたまそこへ生まれたというだけでなぜこうまでも境遇に違いがあるのだろうか、と。

 その間へ横たわるあまりのへだたりと理不尽さにアルディスはやりきれない思いを抱きながら、自らが守るべき者のいる家へと無意識のうちに足を速めた。


2020/01/08 誤字修正 声をかけるながら → 声をかけ、

※誤字(表現重複)報告ありがとうございます。


2021/09/09 ロナの一人称を修正

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