第199話
ナグラス王国西部にあるオルギン侯爵領。
領都の中心にある城の中は上級貴族にふさわしい調度品で飾り立てられている。
その城にある一室では神経質そうな容貌の男がロッキングチェアに揺られていた。
「旦那様。王都から若様がおいでです」
使用人風の装いをした白髪の老人がそう告げる。
室内にいる人間は全部で五人。
ひとりはロッキングチェアに腰掛けた、この場で最も上位の存在である前オルギン侯爵。
ひとりはその前侯爵に長年仕えてきた老側仕え。
前侯爵の後ろには武装して直立したままの護衛がふたり。
そして最後のひとりは前侯爵の前で跪いている斥候風の装備をまとった男だ。
「少し待たせておけ。今大事な話をしているところだ」
「かしこまりました。若様には自室でお待ちいただくようお伝えいたします」
指示を受けた老側仕えが一礼して部屋を出て行く。
「それで? わざわざ直接報告に来たということは、何か掴んだという認識で良いのだな?」
前侯爵は老側仕えが来ることで中断していた話を再開する。
「千剣の魔術師の住み処をつきとめました」
「なにっ? 本当か?」
思わずといった感じで前侯爵が身を乗り出す。
「はい。千剣の魔術師は王都外に住み処を構えておりました。王都を出て北東に進んだ先、コーサスの森へ入ったところです」
「コーサス? あの魔境に住んでいるというのか? 道理で足取りがつかめぬわけだ……」
苛立たしげに前侯爵は爪を噛む。
「詳しく説明しろ」
「はい。これまでにも幾度か千剣の魔術師を尾行いたしましたが、ことごとく撒かれておりました。そこでアプローチを変え、千剣の魔術師に近い人間へとターゲットを変更したところ、マリウレス学園へ通う男子学生が定期的に日用品などを買い込んで王都の外へ出ていることがわかりました」
「それで?」
「学生はその日のうちに王都へ戻ってくるのですが、往路で抱えていた荷物が復路では毎回全て空になっておりました。いずこかへと荷物を届けているのは間違いないと判断し、先日男子学生の後をつけたところ――」
「やつの住み処を見つけたと言うことか?」
報告の言葉を遮って前侯爵が問う。
「はい。コーサスの森外縁部ではありますが、通常ならば傭兵も探索者も寄りつかない場所が切り開かれ、一軒の家が建っておりました。千剣の魔術師の住み処とみて間違いないでしょう」
「よし、でかしたぞ!」
喜色を浮かべて前侯爵が立ち上がる。
「それだけではございません。私がこの目で見た光景は、きっと閣下にとってお役に立つことでしょう」
「ほう、何を見た?」
「年の頃十四、五歳くらいの――――双子です」
「双子、だと?」
思いもよらぬ言葉を前侯爵は真顔で受け止めた。
「はい。千剣の魔術師が人里離れた森に隠れ住んでいるのも納得できます。双子を抱えて王都で暮らす事などできないでしょうから。きっと双子の姿を世間の目から隠すのが目的なのでしょう」
「ほほう……。そうか。そうかそうか! 双子か!」
報告者の言葉が意味するところを理解しはじめ、次第に興奮をあらわにする前侯爵。
「良い情報を持ち帰ってくれた! 報酬は約束の倍出そう!」
前侯爵が上機嫌で報酬の増額を口にしたところで、部屋の扉をノックする音が聞こえた。
「父上、私です」
ノックに続いて聞こえてきた声の主は、前侯爵の返事を待つことなく扉を開けて部屋に入ってきた。
前侯爵よりも二回りほど若い男。
実の息子である現在のオルギン侯爵だ。
「今忙しい。待っておくように伝えたはずだが?」
現侯爵の後ろには言伝を命じた老側仕えの姿があった。
その表情を見る限り、言伝を無視して息子の方が勝手にここまでやって来たのだろう。
「全ての職を辞して隠居した父上が何故そのようにお忙しいので?」
「黙れ。たとえ職を辞したとて人付き合いがなくなるわけではない。侯爵家のために動いている儂に向かってその言いぐさはなんだ?」
「誰もそのようなことを頼んだ覚えはありませんよ、父上。何やらこそこそと動いているようですが、余計なことはなさらず庭の手入れにでも精を出していただければそれで結構です。侯爵家のことは万事私にお任せください」
「誰に向かってものを言っている! いつからお前は儂にそのような口が利ける身分になった!?」
激昂する前侯爵にも怯むことなく、息子は冷たい目で実の父親を射抜く。
「侯爵位を継いでからですが? はっきり申し上げましょう、父上。今の貴方は隠居した元侯爵にすぎません。今の当主はこの私です。私の許可無く勝手な行動は慎んでいただきます」
「誰が侯爵家をここまで栄えさせたと思っている!?」
「その貴方自身が侯爵家をここまで追い込んだのですよ! 妹を次期王太子妃に据えようと考えたのはいいでしょう。軍部内に作った派閥を利用するのもいいでしょう。ですが貴方は失敗した! その結果ニレステリア公爵には睨まれ、王太子殿下の不興を買い、芙蓉杯の利権までも失った! 今や落ち目の貴族と後ろ指を指されているのは一体誰のせいですか!? 貴方の尻ぬぐいで私がどれだけ手を煩わされているか、ご存じないとは言わせませんよ!」
「ぐ……」
思いもよらず強い調子で非難された前侯爵は言葉を詰まらせた。
「……とにかく、これ以上状況を悪化させたくはありません。私の知らないところで余計な事をしないでください。今のオルギン侯爵は私です。それをお忘れなく」
言いたいことだけを言って現侯爵が部屋を後にする。
息子が立ち去った後、前侯爵はやりどころのない怒りを爆発させた。
「くっ……! これというのも全てあの忌々しい黒髪のせいだ!」
先ほどまで自分が座っていたロッキングチェアを蹴飛ばし、息を荒くした前侯爵はその目に暗い色を灯す。
「許さん、許さんぞ……! 黒髪の小僧め! 『三大強魔討伐者』だか『千剣の魔術師』だか知らんが、儂に盾突いたことを後悔させてやる! 双子などという穢れた存在を匿っているなら好都合だ。いくら名のある傭兵だとて、邪神の手先となれば味方するものはおるまい」
女神の教えによれば双子はかつて邪神の尖兵として世界を乱した忌むべき存在だという。
老若男女、貴賤を問わず信仰されている女神の存在は、王侯貴族ですら無視できるものではない。
政治的には不倶戴天の敵同士であるナグラス王国とエルメニア帝国ですら、宗教的には同じ女神を信仰しているのだ。
そんな世界で女神の教えを無視し、邪神の尖兵を匿うということがどういうことか、学のない平民ですらわかるだろう。
まずは教会に協力者を作り、千剣の魔術師が匿っている双子の存在を密告する。
当然千剣の魔術師は異端者の烙印を押され、名声は地に落ちることだろう。
そうなれば忌々しいあの魔術師をかばい立てするものはひとりもいなくなる。
ニレステリア公爵とて、さすがに異端者認定された傭兵とは手を切るはずだ。
「まずは教会へ渡りをつけねばな」
先ほど息子から釘を刺されたことなどさっさと頭から追いやり、前侯爵は企みにふけりはじめる。
「扱いやすそうな奴がいい。信仰心が人一倍厚く、それでいて視野の狭い人間が」
2019/09/29 誤字修正 例え → たとえ
※誤字候補侯ありがとうございます。






