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千剣の魔術師と呼ばれた剣士  作者: 高光晶
第十四章 悪意の力

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第196話

 ニレステリア公爵令嬢ミネルヴァが浄祷礼じょうとうれいの旅路へとつく日がやって来た。

 教会からの同行者や護衛を含めて総勢二百人に迫ろうかという大所帯とあって、出発時にひと悶着もんちゃく起こったものの、ひとまず予定通り王都を後にすることができた。


 公爵令嬢の乗る馬車を守るようにして公爵家の私兵が周囲を固め、その外側をさらに傭兵たちが守っている。

 教会の司祭や修道士たちが乗る馬車は公爵令嬢の馬車を挟むように前後へ連なり、そちらにも護衛の傭兵たちがついていた。


 アルディスは他の傭兵たちとは違い、公爵家の私兵に混じって公爵令嬢のすぐ側で護衛についている。

 それはアルディスが公爵と公爵令嬢自身からの信頼を得ているなによりの証だった。


 公爵令嬢の乗る馬車は他の馬車に比べてひときわきらびやかな装飾が施されている。

 一見して高貴な身分の人間が乗っているとわかるそれは、セキュリティ上の観点から言えば好ましくないものの、浄祷礼に赴くことを周囲に喧伝けんでんするという観点から言えば必然的なことであろう。


 大事なのは浄祷礼を実際に行ったかどうかではなく、ニレステリア公爵令嬢が浄祷礼を行ったという認識を世間に与えることである。

 目立たなくては意味がないのだ。


 そんな豪奢ごうしゃな馬車の中では、ふたりの人物が向き合って座っていた。


 ひとりは当然ながら公爵家の令嬢。

 とくれば通常は令嬢のお世話をする側仕えの女性が同乗しているはずである。

 ところが令嬢の対面に座っているのは公爵家の人間ではなかった。


 どうしてこうなったのだろうかと、修道服に身を包んだソルテは困惑を表情に出さないよう注意しながら心の中だけで首を傾げる。

 馬車の中にはこれまで全く接点のなかった公爵令嬢と聖女候補のふたり、そしてそのふたりに挟まれる形で黄金色の毛をもつ獣が足もとにうずくまっていた。


「くあぁぁ」


 獣が大きくあくびする。

 沈黙の流れる中、先に口を開いたのは公爵令嬢だった。


「ご迷惑をお掛けしますね、シスターソルテ。あの子たち、いまだに怖がってしまうものですから……」


「あ、いえ……。お気になさらず」


 そもそもの発端は公爵令嬢がこの獣を馬車に招き入れたことだ。

 いくら傭兵が手なずけているとはいえ、体長一メートルを超える肉食獣のような外見を見て、普通の女性なら平然としてはいられないだろう。

 まして体が触れるほど近くに寄るなどと、成人男性でも嫌がるに違いない。


 なぜか公爵令嬢は恐れる様子もなく獣の体を撫でているが、周囲の側仕えはごく一般的な感情――恐怖――を抱いてしまったらしく、あろう事か腰を抜かして立てなくなってしまった。

 だからといって公爵令嬢を馬車の中でひとりきりにするわけにもいかず、結局一行の中で唯一獣を恐れなかったソルテが同乗者として指名されたというわけだ。


 ソルテにとって獣は決して怖ろしい存在ではない。

 なぜならその獣がかつて自分の危機を救ってくれた相手でもあり、親しくしている傭兵の相棒でもあるからだ。


「でも良かったです。シスターがご一緒してくれて」


 相手はやんごとなき血筋の令嬢である。

 通常なら一介のシスターが馬車へ同乗することなどありえない。

 聖女候補として名の知れたソルテだからこそ、公爵家の人間たちも表立っては不満を口にしないのだ。


 とはいえ身分が違いすぎるのは確かである。

 気軽に接していい相手ではなかった。


「でも無理はなさらないでくださいね」


 気遣いをみせる令嬢の言葉に、少しだけ間を挟んでソルテは答えた。


「……大丈夫です。無理はしておりませんので」


 再び会話が途切れて馬車の中に沈黙が訪れる。

 気まずいというほどではないが、若干居心地の悪さをソルテが感じていると、公爵令嬢がふと思い出したように座席に置かれていたバスケットから何かを取りだして獣に見せる。


「料理長がおやつを持たせてくれたの。焼き菓子とり菓子、どちらがいいかしら?」


 どうやらこの令嬢、獣に餌付えづけまでしているようだ。

 ずいぶん可愛がっているらしいとソルテが感じていたその時、獣の口から人の言葉が発せられた。


「ボク、焼き菓子がいいなあ。ソルテも一緒に食べる?」


「え?」


「え?」


 ソルテと公爵令嬢の目が同時に丸くなる。

 次いで互いに異なる言葉を重ねながら同じ疑問をロナに投げかけた。


「ロナ、貴方しゃべって大丈夫なの?」


「ロナ様、お話しになってよろしいのですか?」


「え?」


「え?」


 再びソルテと公爵令嬢が短く困惑の声をあげる。

 今度は互いに顔を見合わせながら。


 そのふたりに挟まれて、ロナは押し殺しきれない笑い声をもらしていた。






「知っていたのなら教えてくれれば良かったのに」


 ロナに対してむくれてみせる公爵令嬢は、先ほどまでの対外的な仮面をかぶっていたときと違い、年相応の表情を見せている。

 垣間見えた令嬢の素顔に、ソルテは肩に入っていた力が少しだけ抜けていくのを感じた。


「シスターソルテがロナの事をご存知だったとは思いませんでした」


「それは私も同じ気持ちです。本当に驚きました」


「でもロナの事をご存知ということは、シスターは師匠――ではなくアルディス様ともお会いしたことが?」


「はい。初めてアルディスさんに出会ったのは、まだ私がマリウレス学園に通う学生だった頃でした。お恥ずかしい話ですが身の程も知らず学友たちとコーサスの森へ挑み、危ういところを助けていただいたのです。もう五年、いえ六年も前の話ですね」


 今思えば本当にあの時は無謀なことをしたものだとソルテは思い返す。

 ついこの間のことにも思えるが、考えてみるともう六年もの月日が経っていた。

 あの時仲間を牽引していたハンスリックは、帝国との戦争ですでに帰らぬ人となっている。


 ソルテ自身もあの頃とは違う。

 日々の修行と奉仕のおかげで癒やしの術はあの頃と比べものにならないくらい習熟しているし、長年の経験もあって、祭事の勝手がわからずにうろたえてしまうことももはやない。

 見習いではなく正式なシスターとして認められ、今では半人前扱いされることもなかった。

 唯一、身長がそれほど伸びなかったのだけが残念な点だった。


「その時はボクいなかったけどね。ボクとソルテが初めて会ったのはそれから何ヶ月かしたあとだよ」


 ロナが補足を口にしたことで、ソルテは短い追想から現実に引き戻される。


「そうですか……。私よりよほど長いお付き合いなのですね」


 公爵令嬢がどことなく羨ましそうな表情を浮かべた。


「お嬢様はいつからアルディスさんとお知り合いに?」


「私は二年ほど前からです。今は定期的に剣術をご指南いただいておりまして、師匠と呼ばせていただいています。ロナともその時からの付き合いです」


 意外な話にソルテが言葉を詰まらせながら問いかける。


「け、剣術……ですか?」


「はい」


 すぐさま返ってきた答えに、念を押すような形で再びソルテは訊ねる。


「お嬢様が、ですよね?」


「ええ。令嬢らしくないのは承知の上ですけれど」


「あ、いえ失礼いたしました。ご令嬢が剣術というのもですが、それ以上にアルディスさんが他人へ剣術指南をするというのがあまりにも意外で」


 さすがに話の流れがまずいと感じ、ソルテはごまかすように話の方向を修正する。


「くっくっく。確かにそうだね。アルが貴族のご令嬢に剣術を教えるなんて、あり得ない話だとボクも思ってたもん。まあそれだけアルがミネルヴァを気に入ってるってことだよ。ああ、変な意味じゃなくて、教え甲斐のある相手としてってことだけど」


 ソルテの内心を知ってか知らでか、楽しげな声でロナが話にのっかってくる。


「だとしたらいいのだけど……」


 不安げな様子の公爵令嬢へロナはあっけらかんと言い放つ。


「あのアルが気に入らない相手に手ほどきなんてするわけないじゃない。たとえ相手が大貴族のご令嬢だとしても、たぶんアルは『知ったことか』って気にも留めないよ」


「ああ、それは確かに師匠ならそう言いそう……」


 公爵令嬢が納得の表情を見せると、ロナはさっさとそれまでの話題を置き去りにした。


「ま、そんな事はいいからおやつ食べようよ。ボクお腹すいた」


「ふふっ、そうね。せっかく料理長が腕を振るってくれた焼き菓子なのだし、固くならないうちにおいしくいただきましょう」


 バスケットから取りだしていた焼き菓子を、公爵令嬢が手ずからロナの口へと運ぶ。


「あーん。んー、甘ーい!」


 ロナの尻尾がはた迷惑にも狭い馬車の中でブンブンと左右に揺れる。

 尻尾の先がソルテの横と公爵令嬢の横、ふたつの座席を往復して叩きつけていた。


「よろしければシスターもおひとついかがですか?」


「え……。あ、恐縮です、お嬢様。ありがたくご厚意を頂戴いたします」


 いまだ硬さの取れないソルテに向けて、公爵令嬢がやわらかく微笑んだ。


「ミネルヴァと呼んでいただいて結構ですよ、シスター。これから先、長い道中をご一緒することになるでしょうし。ここにはロナと私たちだけです。とがめる者は誰もおりません」


 その優雅さと上品さにソルテは改めて育ちの違いを痛感する。


 公爵令嬢の年齢は確か十五歳。

 かつてソルテがコーサスの森で死にかけたときの年齢と同じである。

 平民出身である自分と目の前にいる貴族令嬢の間に横たわる距離を思い、ソルテは少しだけみじめな気持ちを抱く。


 同時に公爵令嬢からの申し出がその距離を極端に縮めるものであると理解し、嬉しさと戸惑いを感じながら訊ねる。


「……よろしいのでしょうか?」


「師匠とロナ以外の方がいらっしゃるときは今まで通りにしていただければ」


「……わかりました」


 さすがに公私の区別はつけるというその言葉に、ソルテはそれならばと承諾した。


「それでは王都に戻るまでの間、よろしくお願いいたします、ミネルヴァ様。私のことはどうぞソルテとお呼びください」


「はい。よろしくお願いしますね、ソルテ様」


 嬉しそうな表情を向けてくるミネルヴァへ、ソルテも同じように親愛の笑顔を返した。


2019/09/07 誤字修正 「……わかりました。」 → 「……わかりました」

※誤字報告ありがとうございます。


2019/09/29 誤字修正 固さ → 硬さ

2019/09/29 誤字修正 知ってか知らずか → 知ってか知らでか

※誤字報告ありがとうございます。


2021/09/09 ロナの一人称を修正


2021/11/19 修正 すでに帝国との戦争で帰らぬ人 → 帝国との戦争ですでに帰らぬ人

※ご指摘ありがとうございます。

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