第194話
芙蓉杯が幕を閉じてから十日。
アルディスは公爵邸でミネルヴァの指導を終えた後、警備隊の執務室でムーアとふたりくつろいでいた。
「まあ、執務室と言っても敷地内にある詰め所の一部屋だがな」
苦笑いを見せながらムーアがアルディスへ水の入ったカップを手渡す。
「謙遜とはらしくない」
「そりゃ『剣魔術の使い手』にして『三大強魔討伐者』、『千剣の魔術師』であり『芙蓉杯優勝者』のお前相手に尊大な態度が取れるほど俺も自分を過大評価しちゃいない」
「どれだけ異名が増えようと、しょせんただの傭兵だ。社会的地位でいえば公爵家の警備隊長の方がよほど上だろう?」
「そういうセリフはおちょくるような表情を隠してから言うもんだ」
アルディスもムーアも互いに本気で言っているわけではない。
決して長い付き合いとは言えないが、互いに軽口をたたき合える程度には親近感を抱いている――そんな気安さがふたりの間には漂っていた。
「まあ座れよ。どうせお嬢様がロナを解放してくれるまで時間をつぶさなきゃいかんのだろう?」
応接用の長いすをアルディスに勧めながら、ムーアも腰を下ろす。
「お嬢様のロナに対する可愛がりようも大概だが……、別に悪いことじゃないしな。待たされるお前にとっては迷惑だろうけど、ロナは喜んでるみたいだし」
「だがロナの奴、…………最近太ってきたんだよな」
「あー……、そりゃあ……。あれだけおやつを与えられてりゃ当然か」
ロナの堕落ぶりをボソリと口にしたアルディスへ、ムーアがバツの悪そうな表情を見せる。
執務室の中を漂う何とも言えない雰囲気を変えようと思ったのだろう。
話題を変え、ムーアが芙蓉杯終了後の顛末について話しはじめた。
「オルギン侯爵の話、聞いたか?」
「ああ、だいたいは。王太子の不興を買ったとか」
「やり過ぎたんだろうな。いくら面目を保ちたいからって、準決勝と決勝のあれはひどかったからなあ」
ムーアが苦笑しながら続ける。
「おまけに決勝では魔力を遮断する例の腕輪に細工がしてあったんだって?」
「細工というか、相手の身につけていた腕輪が見た目だけ同じ別物だったってだけだ。俺が身につけていた腕輪の魔力遮断を無効化するような効果があったんだろう。こっちは魔力が封じられてるってのに、あっちは身体強化も武装強化も使い放題だった」
それについては初耳だったのか、ムーアの表情が目に見えて歪む。
「お前、それでよく勝てたもんだな……」
「おかげでずいぶん苦戦した」
「端からはそう見えなかったぞ。それもあって今回軍の評判はがた落ちだとさ。そりゃそうだろうな。いくら名の知れた傭兵とはいえ魔術師に軍の精鋭が剣技で負けたんだから。結果的にはお前の狙い通りってことか?」
アルディスはその問いに答えず、軽く笑みを見せる。
おお怖い、とつぶやいてムーアは侯爵のその後を口にした。
「今回の不始末、と言っていいのかわからんが、侯爵は責任を負わされて隠居。爵位を嫡男に譲って領地で蟄居を命じられたらしい。当然全ての職を返上した上でだ。跡を継いだ嫡男は今……確か二十二だったかな? 若いというのもあるが、まだまだ当分現役でやっていくつもりだった侯爵からの権力基盤継承もほとんどされていなかっただろう。当分は足もとを固めるので精一杯だろうし、たとえ落ち着いたとしてもオルギン侯爵家の力は大きく削がれるだろうな」
今回の一件で侯爵家は大きなダメージを受けた。
当然軍からの信頼も損ない、それは発言力の低下に繋がるだろう。
少なくとも王太子の不興を買ったことで王子と侯爵令嬢の婚約話が消えてしまうことは間違いない。
だからといってミネルヴァが再び婚約者候補になることはないだろうが、本人が望んでいるわけでもなさそうなため、それについてはアルディスも気にしていない。
「それだけじゃ不服か?」
「まさか」
心を読んだかのようなムーアの言葉に、アルディスは即座に否定を返す。
叩き斬ってそれで終わる魔物とはわけが違う。
表面上、オルギン侯爵の罪は『芙蓉杯の判定に対する過度な干渉』ということになっている。
ミネルヴァの暗殺未遂やアルディスに対する襲撃、決勝戦での妨害工作は世間に知られていないし、今後も表沙汰になることはないだろう。
芙蓉杯の件だけで代替わりと領地での蟄居を命じられるというのは処罰が厳しすぎるように見えるが、おそらく王太子や国の上層部は公表していない罪についても加味した上で判断したのだと思われた。
もしかしたらニレステリア公爵が裏で手を回していたのかもしれない。
「出来過ぎだ」
アルディスは結果をそう評する。
アルディスほどの力があれば侯爵へ直接的な報復をすることは可能だ。
ミネルヴァの命が奪われていたならば、たとえ公爵やムーアが止めてもアルディス自身は直接出向いて報いを受けさせただろう。
だがアルディスとて何も好き好んで国や王家を敵にしたいわけではない。
彼らが侯爵を裁いてくれるというのなら、アルディスもわざわざ望んで体制の敵になるつもりはなかった。
「まあお嬢様のこともあるし、旦那様がこのまま黙っているとも思えないがな」
ムーアがアルディスの内心を読み取って、予想される未来を口にする。
権力基盤の多くを失った新オルギン侯爵が相手であればニレステリア公爵も遠慮なく叩けるだろう。
貴族を叩くのは貴族に任せればいいのだ。
「そのあたりは勝手にやればいいさ。公爵の怒りは当然だし、報復をする権利も十分にある」
跡を継いだ息子がミネルヴァ襲撃に一切関与していないのであれば、彼にとってはとばっちり以外の何ものでもない。
だがそれは爵位を継ぐ以上仕方がない話である。
高位貴族の跡取りであるからには承知の上だろう。
「しかしまあ、貴族というか、王族ってのは怖いもんだな」
言いながらムーアが肩をすくめる。
「なにがだ?」
「芙蓉杯の実質的な主催者はオルギン侯爵の家だっただろ? それがいつの間にか王太子殿下の掌中に収まってるみたいなんだ」
ムーアの言うところによると、どうやら今回のゴタゴタが起こっている間に利権を含め、芙蓉杯主催の実権を王太子がその手に収めたようだ。
来年以降の芙蓉杯は王太子が後ろ盾となって実施されるのだろう。
なるほど、とアルディスは納得する。
決勝の試合で勝敗を宣言したのはどこから湧いてきたのか知らないが『補佐官』と呼ばれていた男だ。
男はアルディスの勝利を宣言する際、『王太子殿下のご明断により』という文言をやけに強調していた。
あのひと言は大したことが無いように見えて実は大きい。
それまで一方的かつ不公正な判定により観客たちの間によどんでいた不満を解消すると共に、旧主催者の不実を白日のもとにさらし、それを正す断罪者として王太子を印象づけた。
旧主催者である軍とオルギン侯爵の評判は地に落ち、その分だけ王太子の名声は高まる。
加えて今後の芙蓉杯が王太子の差配によって催されるとなれば、軍に対する王太子の発言力も高まるだろう。
高位貴族の力を削ぎ、それをそのまま王室の力として取り込んだとも言える。
アルディスの快進撃とオルギン侯爵の不手際を見逃さず利用した、なかなかに強かなやりようだった。
「うまいこと利用されたわけか」
「腹が立ったか?」
「いや別に。目的は達したし、王太子がこっちに余計なちょっかいを出してこないなら、あとはどうでもいい話だ」
「それを聞いて安心した」
「なんだ? 俺が利用されたと腹を立てて王太子相手に騒動を起こすとでも思ったのか?」
「お前なら王族相手に揉めても正面から叩きつぶしそうだしな」
「馬鹿言うな。魔物相手とはわけが違うんだ。本人の首を取ったところで余計やっかいなことになるだけだろうが。権力者なんてものは距離を置くに越したことはない」
「その割にはお嬢様のことはずいぶん目にかけてるじゃないか」
「ミネルヴァが権力者だとでも言うつもりか?」
「いずれは権力者になるかもしれないだろう? 少なくとも権力者の嫁になる……とも言い切れないんだったな」
言いかけて語気を弱めるムーア。
襲撃を受けてから一年間、療養ということで人前に姿を現さなかったミネルヴァだ。
療養どころか異世界へ飛ばされていて存在していなかったわけだから、それ自体は仕方がない。
だが襲撃により傷物になったとの噂が流れたことで、なかなか良縁が得られずにいるという。
無論いくら悪い噂があるとはいえ王位継承権すら持つ公爵令嬢だ。
選びさえしなければいくらでも縁談はあるだろうが、さすがに伯爵家や子爵家へ嫁入りするわけにはいかないだろう。
ミネルヴァの境遇に限って言えばアルディスに全く責任はない。
それどころか、アルディスがいなければミネルヴァは最初の襲撃で死んでいるか、向こうの世界へ行ったきり戻って来られなかったのどちらかである。
それでもアルディスは若干の心苦しさを感じていた。
多少なりとも関わりを持ってしまった以上、知ったことかと切り捨てることも出来なかった。
数日後、ミネルヴァからの願いを断ることが出来なかったのはそんな心境が影響していたからだろう。
2019/08/24 誤字修正 掌中 → 掌中
※誤字報告ありがとうございます。






