表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
千剣の魔術師と呼ばれた剣士  作者: 高光晶
第十三章 返杯は剣撃に乗せて
199/406

第186話

 ミディアムショートの髪色は夜闇に溶け残ったかのようなダークブラウン。

 褐色の瞳は驚きと警戒をないまぜにしつつアルディスへ向けられている。

 身にまとうのは街中でよく見られる若い女性用の服だが、その生地はずいぶんと汚れ、くたびれた印象を与えていた。


 装いはごく普通の町娘。

 しかしもちろん町娘風の身なりだからといって油断するわけにはいかない。

 裏稼業の人間が一般市民を装うことはよくあることだし、そもそもこんな真夜中にただの町娘がひとりで歩いているわけがない。

 目の前にいる少女がまともな人間ではないということくらい、容易に推測できた。


「何者だ?」


 アルディスが蒼天彩華そうてんさいかの切っ先を少女の喉元へ突きつけて問いただす。


「……」


 しかし少女は恐れた様子も見せず、アルディスの目を真っ直ぐ見つめたまま微動だにしない。


 そのこと自体、少女がただの町娘ではないことを証明している。

 剣先を突きつけられて悲鳴もあげず、それどころかこちらの出方を見逃すまいと鋭い視線で観察しながら隙を窺う様子は、明らかに何らかの訓練を受けた人間のそれである。

 しかしその一方でアルディスを困惑させるのは少女の体つきだった。


「どうしたのさアルディス? まだ始末してないの?」


 そこへ追いついてきたのは月明かりを反射して鈍く輝く黄金色の相棒。

 現れるなりアルディスにひと言投げかけ、剣先の人物へと視線を向けると素朴な疑問を口にした。


「なに、このガリガリ?」


 そう。アルディスを戸惑わせていたのは少女の身体がせ過ぎを通り越して病的なまでに細いことだった。


 もちろん男女関係無く体格には個人差というものがある。

 裏稼業の人間とて痩身そうしんの者もいれば恰幅かっぷくの良すぎる者もいるだろう。

 だが目の前にいる少女のそれはあまりにも細すぎる上、今にも倒れてしまいそうなほど弱々しく感じられた。


 お世辞にも肉付きが良いとは言えない腕はひじの関節が浮き彫りになり、スカートのすそから覗く足首もやけに細く見える。

 よく見れば先ほどから時折ふらつくような気配も感じられ、とても荒事あらごと生業なりわいにする人間とは思えなかった。


 なによりこうまでやせ細っていては、いくら町娘の格好をしていても周囲から浮いてしまうだろう。

 人混みへ溶け込もうにも、これでは変装の意味がまったくないのがはたから見て明らかだった。


 そんなちぐはぐさがアルディスを困惑させている。


「わからん」


 ロナに対する端的たんてきな答えはアルディスの率直な心情を表していた。


 それきりアルディスもロナも言葉を発せず、妙に長く感じる沈黙がふたりと一体の間へ横たわる。

 誰ひとりその場に存在しないかのような静けさが続く間に、少女が二度小さくふらついた。


「お前、さっき俺たちを襲ったやつらの仲間か?」


 再びアルディスが剣を突きつけたまま問い質す。

 少女は無言のまま、小さく首を横に振った。


「お前はどこの人間だ?」


「……」


「誰に頼まれた?」


「……」


 しかし全ての問いに答えるつもりはないらしく、アルディスの問いに帰ってくるのは沈黙ばかり。


「俺たちを狙っていたのか?」


 またも少女の首が横に振られる。

 全く殺気が感じられないことからも、それが嘘でないことはアルディスにもわかった。


「なら目的は監視か?」


「……」


 再びの沈黙。

 なおも探りを入れようとアルディスが口を開きかけたとき、場違いにもほどがある音がそれをさえぎった。


 腹の虫が鳴く音である。


 発生源は少女の腹。

 音は静まりかえった夜の裏路地へやけに大きく、そして間抜けに広がっていった。


「……」


「……」


「……」


 その場にいる全員が無言になる。

 アルディスとロナが目を合わせて微妙な表情を見せる一方で、むしろ盛大に腹を鳴らした少女が一番平然とした顔を維持していた。


 張りつめていた空気が弛緩しかんして、静寂の意味が先ほどとは変わりつつあった

 毒気を抜かれたアルディスが小さく息を吐きながら剣を腰に収めると、横からロナが確認の意味を込めて声をかけてくる。


「いいの?」


「まあ……、害意はなさそうだしな」


 いろいろと諦めたような声色でアルディスがロナの問いかけに答える。


「アルがそう言うんだったらいいけど」


 どっちでも良さそうなロナをアルディスが手招きする。


「ロナ」


「ん、なあに?」


 無警戒に近寄ってきたロナの首に提げられている袋へアルディスは素早く手を突っ込むと、断りもなく大きめの焼き菓子といくつかの果実を取り出す。


「あー! アル、それボクのおやつ!」


「お前はさっき散々食っただろうが」


 わめくロナを放置して、アルディスが少女の前に焼き菓子と果実を差し出した。


「ほれ、手を出せ」


「……」


 無言でアルディスを見る少女の顔には「何を言っているのだろう」と書いてあった。


「腹減ってんだろう? こんなのでも多少腹はふくれるはずだ。いいから受け取れ」


 今度は少女が困惑する番だった。


「お前の雇い主が誰だか知らんが、まともにメシも食わせてくれないってんならさっさと見切りをつけた方がいい。……お前にとっては余計なお節介だろうが」


「……」


 状況を飲み込めないでいる少女の手へ強引に焼き菓子と果実を押しつけると、アルディスはついでに少女へ警告を突きつける。


「言っておくが、さっきのやつらみたいに襲ってくるなら容赦はしないからな。つけ回す程度なら大目に見るつもりだが、敵対するなら温情はかけない。憶えておけ」


 立ち尽くす少女をおいて、アルディスは外壁の方へと足を向けた。


 慌ててロナが追いかけてくる。

 時折後ろをふり向きながらとなりに並んで顔をアルディスの方へ向けた。


「敵かもしれない相手に、あそこまでする必要あるの?」


 理解不能とばかりにロナが問いかける。


「どうせだからついでに始末しておけば良かったのに」


「害意はなかったからな」


「でも鬱陶うっとうしいじゃない。害意がなくてもどうせ敵なんでしょ?」


「鬱陶しいのは確かだが、だからといってつけてくる連中を片っ端から始末するわけにもいかんだろう? それに雇い主が必ずしも敵とは限らん。もしかしたら公爵の指示で俺を監視しているだけかもしれない」


 アルディスは自分自身でも信じていないような推論で抗弁する。


「公爵があんなのを監視によこすわけないじゃないか。フラフラで今にも倒れそうだったもん。あれじゃあいざというとき役に立たないよ」


「たとえあれの雇い主が公爵じゃないにしても、監視されてるからっていちいち始末してたらキリがないだろ」


「確かにここのところ王都へ来るたびにボクらを――というかアルを監視してる連中が絶えないもんね。時々お互いに牽制し合ってるくらいだから、同じ雇い主ってわけでもないんだろうし。まあ追いかけてくる人間が多いのはそれだけアルの名前が売れてる証拠だもんねえ。よっ、有名人!」


「ちゃかすな」


 王都の端にたどり着いたアルディスたちは、周囲に歩哨ほしょうの姿がないことを確かめると一飛びに外壁を越える。

 高さ十メートルを超える外壁といえど、アルディスやロナにとっては何の障害にもならない。


 王都の外へ降り立ったアルディスは、門からの灯りが届かない位置を歩きはじめる。


「相手が誰であろうと襲ってくるなら返り討ちにする。だが敵か味方かわからない相手へこちらから好き好んで喧嘩を売るつもりはない。それに……」


 アルディスは言葉を途切れさせる。


 さきほどの少女は見たところ双子やミネルヴァたちとそう違いない年齢だろう。

 そんな少女が命の危険を伴う裏稼業に手を染めている。

 にもかかわらずやせ細った身体はろくな食事も取れていないことを窺わせ、そのことがアルディスの胸を鈍く締め付ける。


 生きるため、食うために真っ当な道を外れる子供は世の中掃いて捨てるほどいるだろう。

 外れざるを得ない子供たちと言った方がいいかもしれない。


 アルディスは聖人君子ではない。絶大な権力を持った王でもなければ、ましてや神でもない。

 全ての不条理や不幸を片っ端から粉砕することなど出来ないし、そこまでの正義感も持ち合わせていない。

 だが自分の手が届く範囲で誰かを守りたいとは思うし、救えるものなら救いたいと思う。


 偽善であることは百も承知。

 自らの手が届く範囲などしれている。

 救えるのはごく限られた相手だけだろう。


 そして今のアルディスにとり、最も優先すべきはフィリアとリアナのふたりである。


 アルディスはふたりと初めて出会った頃のことを思い起こす。

 ふたりは最初、周囲の全てを警戒してろくに食事もとろうとしなかった。

 あの頃の双子と先ほどの少女。アルディスの目には何故かそのふたつが重なって見えたのだ。


 安っぽい感傷だと理解はしている。

 だがそれでも重なって見えてしまったものは仕方がない。

 アルディスは少女に害意がないのをいいことに、きまぐれで手を差し伸べてしまったのだ。


 今さらながらアルディスは後悔した。

 あのまま何も言わず黙って立ち去るべきであったと。


 今はアルディスに害意を持っていないとしても、あの少女は使われる側の――しかも使い捨てにされる側の人間だ。

 雇い主からの命令次第では途端に武器を持ってアルディスへ襲いかかることになるだろう。


 明日になれば自らの剣であの細い身体を切り裂くことになるかもしれない。

 そんな相手へ思わず情けをかけてしまった自分自身をアルディスは心の中で咎める。


「それに?」


「いや、なんでもない」


 続きをうながすロナに曖昧あいまいな言葉を返すと、アルディスは口をつぐむ。

 あの少女の雇い主が心変わりして命を狙ってきたりしないように、と心の内で願いながら。


「本当に?」


「……」


 なおも問いかけを続けるロナをおいてアルディスは森へと足を向けた。


「アルもずいぶんと丸くなったもんだね。……まあ、良いことなんだろうけどさ」


 小さく聞こえてくるロナのつぶやきを背に、アルディスは聞こえないふりをしたまま黙って先を急いだ。


2019/08/12 誤字修正 押さえられず → 抑えられず

2019/08/12 誤字修正 アルディスの元へ → アルディスのもとへ

※誤字報告ありがとうございます。


2021/09/09 ロナの一人称を修正

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ