第185話
空には夜が拡がり、人の歩く姿も見られなくなった王都の表通り。
歓楽街の一角から灯りがもれている他は闇に包まれ、夜の隙間へのぞく月がわずかにアルディスたちを照らしていた。
「ずいぶん遅くなっちゃったね」
「誰のせいだ、誰の?」
空を見上げてのんきにつぶやく黄金色の相棒へアルディスはジト目を向ける。
「だって残したらもったいないじゃない」
「だからって端から端まで全部平らげる必要はなかっただろうが」
芙蓉杯の三日目。
準々決勝でアルディスに敗れたムーアだったが、その戦いぶりは公爵も十分に認めるところである。
公爵邸の警備隊長が高齢ということもあり近く引退を控えていたため、その後任として公爵が誘いをかけたところ、身の振り方に頭を悩ませていたムーアはふたつ返事でそれを受けた。
その後、ムーアの警備隊長就任決定とアルディスの準決勝進出を祝い公爵邸にて晩餐が開かれることとなった。
当然主役のひとりであるアルディスも参加せざるを得ない。
明るいうちに森へ帰ることはできなくなるだろうが、晩餐だけならばそこまで遅い時間にならないはず。王都外壁の門が閉まるまでには間に合うだろうと安易に判断したのが間違いだった。
試合中は公爵邸の鍛錬場でのんびりと昼寝していたロナがミネルヴァの願いにより晩餐の場へ入る事を許されると、それをいいことに遠慮という言葉を放り投げて食い意地をいかんなく発揮しだす。
次々と運ばれてくる料理を片っ端から平らげてみせると、それを面白がった公爵が料理人たちへ追加を持ってくるよう命じたのが事の始まりだ。
結局厨房の食材が空になるまで新たな料理が提供され続け、それをロナが底なし沼のように腹へ詰めこんでいくという大道芸じみた光景を周囲の人間は見続けるはめになり、気が付けばすっかり遅い時間になっていたというわけだ。
「おかげでこんな時間になったじゃないか」
「全部じゃないよ。ほら、お菓子と果実はこうして持ち帰ってるんだし」
反論しながらロナが首に提げた袋をアルディスへ見せつける。
袋の中には焼き菓子や甘い果実がこれでもかと詰めこまれていた。
「あれだけ食べておいてまだ食べるつもりか?」
「お土産だよ、お土産。フィリアとリアナが喜ぶでしょ?」
アルディスは深くため息をつくと、相棒に向けて注文をつける。
「あんまりふたりに甘い物ばかり食べさせるなよ。悪い習慣をつけることになる」
「大丈夫大丈夫。ふたりにあげるのはこの一割くらいだから」
「残りは?」
「もちろんボクが食べるよ?」
「おい……」
つい先ほど『お土産だ』と弁解していたのはいったい何だったのか。
舌の根も乾かぬうちに前言を撤回したロナへあきれ顔を向けるも、当の相棒はそしらぬ顔で鼻歌交じりに歩き続けると悪びれもせず話題を変えた。
「この時間じゃもう宿も取れないよね?」
「……無理やりたたき起こすのも悪いしな。とはいえ門は当然閉まっているし……。仕方ない、人目のないところから外壁を越えるか」
アルディスたちは表通りを外れて横道に入る。
人通りの全くない道を進んでいくとやがて寝静まった住宅街へとさしかかった。
ふいに周囲を包む空気が張りつめ、ロナがアルディスに注意を促す。
「アル」
「わかってる」
平静を装いながら歩くアルディスだがその意識は鋭く研ぎ澄まされている。
ロナに言われるまでもなく自分たちを囲む存在に気付いていた。
「多いな」
魔力探査に引っかかる反応が多数。
アルディスとロナを四方から囲み、その距離をじわりと詰めてくる様子が手に取るようにわかった。
「どうしてもアルに準決勝へ出て欲しくないみたいだね」
誰が、とは明確にせずロナが口にした。
しばらくそのまま囲みを引き連れて歩き、視界が十分に確保出来そうな場所までたどり着くとアルディスは足を止める。
襲ってくるのは確実だろうと判断し、腰からゆっくりと『蒼天彩華』を抜き放つ。
その時、まるで示し合わせたように囲みが急速に狭まりはじめた。
建物の陰から、屋根の上から、路地の向こうから総勢三十人以上の人間が武器を手にして飛び出し、あふれんばかりの殺気と共にアルディスたちへと襲いかかってくる。
「なーんだ、二流ばっかりじゃないか」
拍子抜けといった感じでロナがつぶやいた。
殺気も抑えられず丸出しの刺客など、彼らにとって恐れるべき相手ではない。
「数で押し込もうってんだろ」
軽い侮蔑を込めてアルディスが言葉を返す。
確かに腕は二流でも三十人以上もの人間が一斉に襲いかかれば、襲撃された方はただで済むわけがない。
たとえ手練れの傭兵であろうとも同時に五人や六人といった数を相手に出来るわけではないのだ。
もちろんそれは襲われる方がただの手練れならば、の話である。
襲撃者たちは知っているのだろうか。
自分たちが刃を向けた相手の異名を。
その人物が成した常識外れの偉業を。
「後ろは任せた」
「りょーかい」
短いやりとりで役割を分担すると、アルディスは蒼天彩華を手にして襲撃者を真っ正面から迎え撃つ。
前から襲いかかって来たひとりの刃をかわしながら通り抜けざまに剣をひと振り。
深手を負って倒れる相手を視界の隅へ追いやりながら、後続の敵へと剣を構える。
慌てて距離を取ろうとした襲撃者の横から、突然の剣撃が場に割り込んだ。
「いつの間に!?」
驚きに目を見開く襲撃者の首を、宙に浮いた白剣が真一文字に切り裂く。
慌てて他の襲撃者たちが距離を取ろうとするが、それを阻むように今度は薄い黄緑色の刃がその体を貫いた。
「な、どこから……!?」
またたく間にふたりの仲間を失い、襲撃者のひとりが狼狽気味に周囲を見回した。
その視線が捉えるのは暗がりに怪しく浮かぶ十二本の飛剣。
もちろんアルディスが十二本もの剣を身につけていたわけではない。
以前は左右の腰に合計三本の剣を提げていたが、今のアルディスが腰に提げているのは蒼天彩華の鞘一本のみ。
アルディスはとある特殊な手段を用いて、この場に十二本の飛剣を引き寄せていた。
当然襲撃者たちはそれを知る由もなく、彼らにとっては突然あるはずのない剣が現れたように感じられることだろう。
かすかな月明かりを反射して鈍く光る切っ先はいずれも襲撃者たちの急所へと向けられている。
「三十人じゃあ少なすぎたな」
アルディスが不敵に言い放つとそれを合図に飛剣が動きはじめ、まるで一本一本が不可視の使い手によって操られているかのごとく襲撃者へと襲いかかった。
「なっ、このっ……ぐあ!」
「は、速い! うわあああ!」
ただ真っ直ぐに飛んでいくわけではない。
時に薙ぎ、時に打ち、時に突き刺し、時に斬り下ろす。
金属の塊である剣が生き物のように動き、一流の剣士が操るがごとくフェイント混じりに斬りかかってくるのだ。
相手にとってはたまったものではないだろう。
宙に浮いて舞い踊る飛剣という、これまで遭遇したことのないであろう敵を前に、襲撃者たちの命はまたたく間に刈り取られていく。
時間にすればほんの一分たらず。
街路の一角が襲撃者たちの血だまりでべったりと塗装されていた。
「こっちも終わったよ」
後方からの襲撃者を片付けたロナが足取りも軽く近寄ってくる。
「門扉を開くのもずいぶん慣れたみたいだね」
「ああ、おかげで何本も剣を持ち歩かなくていいから助かる」
アルディスのもとへと帰ってきた飛剣たちが、突如空中に現れた小さな裂け目へと吸い込まれ消えていく。
剣を吸い込んだ十二の裂け目は役目を終えると余韻も残さず消失した。
「門扉が小さすぎて剣くらいしか通れないのが情けない限りだがな」
アルディスの声には若干の苛立ちがこもる。
「それはいずれ解決するんじゃないかな。コツは掴んだんだからそう遠くないうちに門扉も大きく出来ると思うよ。今は飛剣が収められるようになっただけでも良しとしなよ。おかげであれだけの敵を素早く片付けられるんだし――ってあれ? でもあとひとり残ってるね」
ロナに指摘されるまでもなく、アルディスもその存在を認識していた。
三十メートルほど離れた場所に潜む人間サイズの存在がアルディスの魔力探査に引っかかっている。
「行ってくる」
短く答えると同時に、アルディスの身体が目にも止まらぬ速さで最後のひとりを仕留めるべく動きはじめた。
それほど強い魔力ではないが、こんな時間に建物の外で息を潜めている以上、一般市民だとは思えない。
こちらの動きに感付いたらしく、目標の人物が慌てて後退しようと動きはじめた。
「逃がすか」
だが今さら遅い。
アルディスの追跡から逃げ切ろうというのであれば、彼が戦っている最中に後退しておくべきだろう。
捕捉された状態から逃げだそうとしても、魔力探査で相手の位置を把握し、場合によっては空すら飛んでしまうアルディスを振り切れるわけがないのだ。
裏路地へと入り込みながらその人影は追跡を撒こうとする。
その進路を予測すると、アルディスは空中から先回りして闇夜から人影の前に突然降り立った。
「ひゃ……!」
まさか先回りされるとは思っていなかったのだろう。
人影の口から短い悲鳴のような声がもれた。
その姿を目にし、アルディスの頭上に振り上げられていた蒼天彩華の動きがピタリと止まる。
「なんだお前?」
アルディスの戸惑いはもっともである。
てっきり襲撃者と同じような装いの人間がいると思っていたにもかかわらず、目の前にいるのがくたびれた町娘風の服に身を包む年若い少女だったからだ。
2019/06/24 誤字修正 敵の前に → 敵を前に
※誤字指摘ありがとうございます。
2021/09/09 ロナの一人称を修正






