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千剣の魔術師と呼ばれた剣士  作者: 高光晶
第十三章 返杯は剣撃に乗せて
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第181話

「安いよ安いよ! カルヴス産の蜜リンゴがお買い得だよ!」


芙蓉杯ロータスカップ二回戦の結果と試合の詳細はこの芙蓉報ふようほうに書いてあるよ! さっきり上がったばかりの最新情報だ!」


 芙蓉杯ロータスカップの観客や、それを当てにして商機を逃すまいとやって来た商人たちで王都は久しぶりの賑わいを見せていた。

 帝国との戦争から明るい話題がなかった中で、二年ぶりに開かれたもよおしとなれば無理もないだろう。


 街行く人々の顔にも笑顔が浮かび、露店の商人たちは声を張り上げて客をつかまえようとしている。

 そんな雰囲気から取り残されたような余裕のない表情で、町娘風の格好をしたひとりの少女が道の端を歩いていた。


 ミディアムショートの髪色は黒に近いダークブラウン。

 褐色の瞳は行き交う人の群れを挟んでとある人物へと向けられていた。


 少女に名はない。

 自分の歳も、生みの親も知らない彼女は『組織』とだけ呼ばれる集団の中で育てられた。

 育ての親が彼女へ与えてくれたのは生き抜く術と敵を出し抜く手段、そして人を殺す技術だ。


 やがて少女は組織から『赤ミサゴ』という通り名を与えられ、言われるがままに組織の手足として指令をこなしてきた。

 その状況に何の疑問も抱いていなかった赤ミサゴの日常が一変したのは一年前のこと。

 ある貴族の令嬢を暗殺する仕事についたときからだった。


 その時、赤ミサゴは見届け役を指示されて直接戦闘には参加していなかった。

 しかし彼女を除いたとしても襲撃者は合計九名、しかもただの刺客ではなく王都の組織でも指折りの手練てだれたちだ。

 そこまでの戦力を注いで襲撃したにもかかわらず、仲間の襲撃者はあっけなく返り討ちに遭ってしまう。

 令嬢の側に、巷で『千剣の魔術師』と呼ばれる腕利きの傭兵がいたからだ。


(あの時から全てがおかしくなった)


 当時の事を思い出して赤ミサゴは他人事のように結論付ける。


 襲撃に失敗した後、組織から赤ミサゴへ新たな指令が伝えられた。

 彼女が受けた指令は、襲撃失敗の主因ともいえる『千剣の魔術師』を監視しろというものだった。


 それからというもの赤ミサゴは傭兵の監視に専念する。

 千剣の行動を遠目に監視して、時折現れる『伝書鳩』へ見たままの情報を伝えた。


(あの男、あたしの監視を振り切って一体どこへいっていたのか……)


 時折姿を見失うという失態をさらしながらも監視を続ける日々が続いた後、予想もしていなかった事態に赤ミサゴは遭遇してしまう。

 王都にある組織の拠点を千剣が襲撃しはじめたからだ。


(まさか組織に真っ正面から突っ込んでくるとは思わなかった)


 街の荒くれ者ですら避けて通るような組織の拠点へ迷いなく向かうと、千剣はまたたく間にそれを力尽くで制圧してしまう。

 赤ミサゴはそれを遠くからじっと見ていた。


(あたしが組織から受けた指令はあの男の監視。組織の拠点が襲撃を受けようと、その中で何人死のうと関係無い。最優先するべきは組織からの指示だ)


 拠点に詰める者たちもそれなりに荒事あらごと慣れしている者たちのはずだった。

 数は少ないが赤ミサゴと対等に渡り合える者もひとりやふたりはいるだろう。

 だがそれをつゆほども感じさせず千剣は拠点を踏みつぶしていく。


(あんなのと戦っていたとは……)


 幸い赤ミサゴが組織から指示されたのは監視であって襲撃ではない。


(戦えと言われれば戦うけど、全く勝てる気はしない)


 死んだ『裏糸手繰うらいとたぐり』が言っていたほど容易な相手ではないことを、赤ミサゴは嫌と言うほど見せつけられる。


 ひとつ、またひとつと千剣が通りすぎた後には壊滅した拠点が残されていた。

 王都の裏社会に大きな影響力を持つ組織がたった一日でひとつの拠点を残して壊滅したのだ。

 自分の目で見ていても信じられない思いだったが、同時に納得せざるを得ないほどに圧倒的な力の差を痛感させられる。


(夢でも見た気分だけど、……あれはまぎれもない現実)


 そうして王都にある最後にして最大の拠点へと千剣は殴り込む。

 公爵令嬢の襲撃失敗で多くの手練れを失っていたとはいえ、それでもかなりの数が千剣を迎え撃った。


おさのところには腕利きが大勢控えていた。衛兵が乗り込んできても返り討ちにできるほどの戦力は揃えていただろうし、いざとなれば長ひとりで逃げ出す準備くらいはしていただろうに。まさかそれがあんな結果になるとは)


 人数の多さにさすがの千剣も苦戦するかと思われたが、三軒離れた建物の屋根からその光景を見ていた赤ミサゴの目に映ったのは一方的な蹂躙じゅうりん

 ふたを開けてみれば無数の死体を生み出す結果に終わっていた。

 もちろん死体と成り果てたのは組織の人間だけだ。


 結局あの男ひとり敵に回しただけでこのざまだと、相変わらず冷めた目で一部始終を監視していた赤ミサゴはさらなる異変を目の当たりにする。

 生者としてただひとり残っていた千剣が、突然苦しそうな様子でその場へうずくまったのだ。


 赤ミサゴの注視する中、次第に千剣の身体がかすみのように薄れていく。

 見えるはずのない壁の装飾がうっすらと千剣の身体越しに見えはじめた。


(今思い出しても情けない。呆然として手をこまねいて、結局監視対象を見失ったのだから)


 希薄になる一方の千剣は、やがて最初からそこへいなかったかのように姿を消してしまった。

 後に残ったのは血まみれの拠点と数多くの死んだ組織の人間。


 監視対象を見失い、赤ミサゴはそれから千剣の姿を探し回り続けることとなる。


(あれからもう一年経ったのか)


 一年前、千剣の姿を見失った赤ミサゴは隠れ家に戻って指示を待つことにした。

 しかし定期報告をする相手の『伝書鳩』も、指示役の人間も一向にやって来る気配がない。

 緊急時の規定に従い本拠点へとおもむいたところで誰ひとりとしてそこにはいなかった。


 当然である。

 自分自身がその目でみたように組織の構成員はほとんど皆殺しに近い形で壊滅しているのだ。


 生まれてからずっと指示に従い、愚直なまでに上層部の命令へ忠実だった赤ミサゴはこの時初めて途方に暮れる。

 命令に従うことしか知らなかった彼女は指示がなければ何ひとつ自分から行動を起こせなかったのだ。


(だったら組織から下された最後の指示を守るしかない)


 赤ミサゴは自分へ与えられた『千剣の魔術師を監視すること』という直近の指示へ従う事で行き場のない困惑を押さえ込む。

 だが問題の監視対象は痕跡こんせきすら残さずに消えてしまっている。

 昼夜を問わず王都とその周辺を駆けずり回るも、一体どうしたことか千剣の姿はあの日以降目撃情報がなくなり足取りが全く追えなくなっていた。


 そんな状態が一年続いた。


 上からの指示が得られず、最後の命令を守り続けた赤ミサゴの生活はひと言で表すなら酷いものである。

 もともと組織の中で生きることしか教えられていない少女が、突然ひとりで放り出されればどうなるか。

 赤ミサゴを任務へ専念させるため、彼女の衣食住は全て組織が面倒を見ていた。

 だから赤ミサゴは自分でお金を稼いだことがない。


(そんなこと、教えられてない)


 人をおとしいれるすべには習熟していても、世間に溶け込んで生きるほど俗世の生活に慣れているわけではない。

 一応の一般常識は詰めこまれているが、知っていることと身についていることはまた別である。

 ごく当たり前の生き方をするにはあまりにも赤ミサゴの知識はかたよりすぎていた。


 何より赤ミサゴにとって最優先であるのは千剣の魔術師を監視することだ。

 監視のためには対象の居場所を突き止めなくてはならない。


(余計なことをする暇があったら命令を遂行するのが先)


 寝る間も惜しんで千剣の魔術師を探し続ける赤ミサゴに、生活のための雑務へ傾ける時間などなかった。

 組織のサポートを失いひとりきりになった赤ミサゴは食べ物の入手にもきゅうしはじめる。

 まるでスラム街に捨てられた子供たちのように残飯をあさり、商人の目を盗んで露店から売り物をくすねて食いつなぐ毎日。


(力が入らないし視界も揺れる。なんだか頭もぼんやりする。組織が面倒見てくれたときはお腹いっぱい食べられたのに)


 当然身だしなみに注ぐ余裕などなく、今の赤ミサゴはかろうじて町娘に見えるギリギリの身なりだった。

 若い娘とは思えないほど頬はこけ、身はやせ細り、艶を失ったダークブラウンの髪はまとまりもなくボサボサに乱れている。


 そんな状態にあってもなお、赤ミサゴは千剣の魔術師を監視するという最後の命令に縛られていた。

 赤ミサゴにとって世界とは組織そのものであり、生きるということは組織の命令を遂行することだった。


 命令遂行のため当てもなく探し続けて約一年。

 突然千剣の魔術師は王都へと姿を現した。

 どこへ行っていたのか、いつ戻ってきたのか、そんな疑問はひとつとして解消されていない。

 だがようやく現れた監視対象を目に捉え、赤ミサゴはも言われぬ喜びに身を震わせる。


「今度は見失わない」


 赤ミサゴの小さなつぶやきは往来のざわめきにまぎれてき消えた。


2019/05/25 誤字修正 返り討ちに合って → 返り討ちに遭って

※誤字報告ありがとうございます。


2021/11/19 修正 王都で裏社会に → 王都の裏社会に

※ご指摘ありがとうございます。

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