第171話
「やっぱり何もなし、か……」
ムーアが当たり前のようにつぶやいた。
ここは公爵邸からほど近い位置にある林の中。
アルディスたちが向こうの世界から戻ってきた、まさにその場所である。
公爵から行動の自由を許された後、アルディスはロナを連れて手がかりが何か残されていないか探しに来ていた。
もちろん何らかの手がかりが残されているのなら、こちらへ戻ってきたときロナが早々に気づいているはずだ。
あくまでも念のため確認に来ただけであり、何ひとつ見つからなかったとしてもそれはアルディスにとって想定内である。
「ですが一年前もそうでした。徹底的に周辺は調査されましたが、その時は見落としなどないと思われていたはずです」
答えたのは公爵が案内役としてつけてくれた私兵のひとりである。
おそらく監視役を兼ねているであろうその兵は、公爵邸が襲撃を受けた一年前を知る数少ない生き残りであった。
アルディスとムーアは先ほど公爵から一年前の事件について詳細を聞かされている。
噛みついてきた敵を放置しておくほどお人好しでは公爵家の主人など務まらないだろう。
『黒幕はすでにわかっている。しかし相手が相手だけに表立って糾弾することもできないのでね。可能な限りの報復措置は取ったものの、今回はしてやられたと言わざるを得ない』
その後、公爵家による調査で襲撃の夜に何があったかも判明した。
人を消し去る呪い。
それが今回の襲撃で使われたのだという。
多くの贄を捧げることで生きとし生けるものを消し去る、忌まわしい呪具の存在はこれまでもまことしやかにささやかれてきた。
『まさか現実に存在するとは思っていなかったがね』
襲撃の知らせを受け、軍の一部を引き連れた公爵が屋敷に着いたとき、不気味なほどの静寂が公爵邸を包んでいたという。
襲撃者も、護衛の私兵も、そして大勢いるはずの使用人たちすら忽然とその姿を消し、残っているのは戦いの傷跡や周囲を朱く染める血の跡ばかり。
困惑しながらも生存者と残敵の捜索を行っていたとき、公爵邸すぐ側の林で不審な人物を捕縛する。
その傍らには見慣れぬ形をした箱らしきものが置いてあったらしい。
『贄として捧げられたのか、それとも呪いによって消し去られたのか、いずれにせよ公爵邸の中に居た者はそのほとんどが一夜にして消えてしまった。娘も、そして大隊長、君もだ』
林で拘束した人物を考えられる限りの手を尽くして尋問し、得た情報を耳にして、公爵はおとぎ話の類いだと考えられていたその呪具がミネルヴァたちの行方不明につながっていると知った。
ミネルヴァたちがどこへ消えたのかもわからず、呼び戻す手段もわからない。
それ以前に消え去った人間たちが生きているのかすらわからない。
そんな状況で一年の月日が経過していたのだという。
『まさか異なる世界へ飛ばされていようとは、思いもしなかったが……』
呪具によってもたらされたのは人を消し去るという事象ではなく、実際のところは異世界へと人を転移させるという現象であった。
単に生きて戻れた者がいなかったため、『消し去る』と認識されていたにすぎないのだろう。
「まあ、確かにな。一年後に突然帰ってきた俺たちみたいに、時間が経過してから何か変化が起こる可能性もあるか」
アルディスが声をかけたわけでもないのにこの場へ同行してきたムーアが、まるで場を取り仕切っているかのように案内役の兵士と言葉を交わしている。
「はい。公爵閣下も今後他の者が戻ってくる可能性を考慮して、この場所へ監視小屋を立てて人を常駐させるおつもりです。ただ、なにぶん人手が不足していますので、四六時中というわけにはまいりませんが……」
「まあ、それは仕方ないだろうさ。例の襲撃で使用人も私兵もごっそりいなくなったんだろう? 公爵家ともなれば単に頭数を揃えてそれで良しってわけでもないだろうし、一年そこらじゃ十分な人材を集められないのは理解できる」
一年前の襲撃と呪具のせいで公爵邸の人員は致命的なまでに減少してしまった。
公爵邸の門兵がミネルヴァへ武器を向けたのもそれが原因である。
彼らにとって主である公爵の娘を知らないというのも本来はあり得ない話だが、事情が事情だけに仕方がないだろう。
公爵邸ではこの一年間で新たに雇い入れられた者も多く、加えてミネルヴァは表向き病に伏せっているということで公の場にも姿を見せていなかったからだ。
「もっとも、俺たちにとっては一昨日の話なんだがなあ……。なあロナ?」
困り顔でため息をついたムーアは、視線を下に落として黄金色の獣に語りかける。
「わん」
案内役の私兵がいるため獣のふりをしているロナは、ぼやいても仕方ないだろうとばかりに短く返事をする。
「勤め人は大変だな」
その様子をからかうように、アルディスが口を開いた。
「まったくだ。こっちにはこれっぽっちも責がないのに、気が付いたら一年間の無断欠勤だぞ。案の定大隊長の職は解任されてるって話だし、そもそも軍からも除名されてるだろうからな。うちの使用人については公爵閣下が手を回して再就職先を斡旋してくれたっていうから、それだけは不幸中の幸いだったけど」
「これからどうするつもりなんだ?」
「それなんだよなあ……。今さらこの歳で傭兵稼業に戻るのもつらいし、かといってまた軍に入って一兵卒からやり直しってのも勘弁だしな。まあ、しばらくは公爵閣下が援助してくれるらしいから、ゆっくり身の振り方を考えてみるさ。そういうお前はどうするんだ、アルディス?」
「今日の内に森へ帰る。ミネルヴァに声をかけたらすぐ出るつもりだ」
「なんだよ、もっとゆっくりしていけばいいじゃないか。――あ、もしかして……。帰りを待ってる女でもいるのか? お前も隅におけないなあ」
ニヤニヤとした笑みを浮かべて的外れな勘ぐりをするムーア。
それに対するアルディスの反応はひどくぶっきらぼうだ。
「あんたには関係のない話だろ」
確かに森の家にはアルディスの帰りを待つ人間がいる。
性別だけでいうなら女であることも確かだが、少なくともムーアが考えているような関係ではない。
「もうここに用事はないし、先に屋敷へ帰るぞ」
そう言い残してアルディスが踵を返す。
「おいおい、そう照れなくたっていいだろ。なあ、どんな女なんだ? 一緒に異世界を旅した仲じゃないか、聞かせろよ」
慌てて追いかけてくるムーアの問いかけを無視して、アルディスはさっさと林を出るために歩いて行った。
ミネルヴァへ一声かけるとアルディスは公爵邸を後にする。
表通りの露店に寄り道することもなく、そのまま王都を出て森にある我が家へと向かっていった。
森の中に入りさえすればロナも他人の存在を気にする必要はなくなる。
「フィリアもリアナも、元気にしてるかなあ?」
「……」
アルディスの反応はない。
ロナの口にした言葉だけがむなしく森の中へ消えていった。
「大丈夫だよ。ネーレだって子供ふたりをこんなところへ置き去りにするほど冷たい人間じゃないって……たぶん」
「…………そうだな」
たとえ気休めだとわかっていても、それがロナなりの思いやりだと理解しているアルディスは短くない沈黙の後で返事をしぼりだす。
実際、家に戻ったとしてネーレと双子が一年前と同じように暮らしているかはわからない。
ネーレとはかれこれ五年ほどの付き合いだ。
その実力は双子を託すに申し分ないし、それなりに信頼も寄せている。
しかしもともとネーレはアルディスに頼まれて双子の面倒を見ているだけだ。
アルディスが突然音信不通になってもなお、彼女が双子を守り続けるだけの理由はないだろう。
もはやアルディスが戻ることはないと判断された場合、ネーレはフィリアとリアナをどう扱うか。
さすがに見捨てることはないと思いたいが、双子をいずこかへ預けてネーレひとり旅立っているという可能性も十分あり得る。
ネーレの他に双子の存在を知っているのはキリルと『白夜の明星』の面々だけだ。
学生の身であるキリルに多くを求めるのは酷だろうし、テッドたちはアルディスが行方不明になったことなど知らない可能性が高い。
こんなことならもっとこまめに連絡を取っておくべきだったか、とアルディスは後悔するが――。
「そもそも双子を連れて傭兵稼業なんぞできるわけがないか」
と、ひとりごつ。
子供を連れて傭兵を続けること自体困難な事である。
その上、連れている子供が双子ともなれば、いくら『白夜の明星』といえど手にあまってしまうだろう。
「アル」
足取り重く森の中を歩いていると、唐突にロナが声をかけてきた。
すぐさまアルディスは意識を切り替えて周囲の魔力を探りはじめる。
森の中に息づく多くの獣や魔物。
それらとは一線を画す強い魔力が進行方向に確認できた。
このあたりに生息するどの魔物よりも強い魔力。
「ネーレか?」
すぐさま思い当たる人物の名が口をつく。
「しかし……」
問題はそのすぐ側にあるふたつの魔力だった。
確かにアルディスやネーレに比べれば遥かに小さく頼りない魔力。
だが世間一般の基準で言えば十分に強いと表現できるレベルだろう。
大きさは人と同じくらい。
それがネーレらしき魔力と近づいては離れ、またひと息ついて近づくような動きを見せていた。
「戦っているのかな?」
「かもしれないが、この森にあんな小さい魔物いたか?」
「キリルだったらあれくらいの魔力はもってそうだけど……。そうすると反応がふたつってのもおかしいよね」
「まあ近づいてみればわかる。あの程度ならネーレが後れを取ることもないだろう」
じゃれつくように近づいては離れてを繰り返す三つの魔力。
目指す家と重なるその方向へアルディスとロナは警戒しながら歩みを進めていった。
それから少し距離を縮めたところで魔力の動きに変化が現れる。
三つの魔力の内、小さい方のふたつが突然こちらへ向かって急速に接近しはじめたのだ。
「なんだ?」
警戒しながらもアルディスの足は止まらない。
アルディスやロナに比べれば、近づいてくるふたつの魔力は比べるのも無意味なほど小さいものである。
たとえ奇襲を受けたとしても撃退するのは容易いだろう。
しかも相手はその存在を隠しもせずに、こちらへ真っ直ぐ向かって来ている。
アルディスたちにとって脅威となりえるわけもない。
やがてその魔力の持ち主が視界に入ろうかというその時、静かな森の中を人の声がこだました。
「アルディス!」
「アルディス!」
あらかじめ示し合わせたかのようにふたつの魔力から同時に放たれたその声は、アルディスのよく知るものであった。
森の木々を縫うようにして全力疾走してくるふたつの人影。
アルディスの姿を捉えるのはやや青みがかった浅緑色の瞳。
身にまとう簡素な服とは不釣り合いなほどきらびやかに輝くプラチナブロンドの髪が、自らの作り出す風でゆられて忙しそうに泳いでいる。
アルディスの記憶にある一年前の姿から少し大人びたふたりの少女がそこにいた。
姿を見せた双子の少女は、まるで的へ吸い込まれていく矢のように身体全体を投げ出して飛びついてくる。
「アルディス!」
「アルディス!」
その勢いをものともせず、アルディスは自らの名を連呼するふたりの少女を軽々と受け止める。
力の限りを振り絞り強く抱きついてくる双子の姿を見て、アルディスはようやく自分がこの世界へ戻ってきたという実感を得ることができた。
2019/05/02 誤字修正 傭兵家業 → 傭兵稼業
2019/08/12 誤字修正 務め人 → 勤め人
2019/08/12 誤字修正 遅れを取る → 後れを取る
※誤字報告ありがとうございます。