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千剣の魔術師と呼ばれた剣士  作者: 高光晶
第十二章 令嬢は牙を求む
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第170話

 色を失いかすんでいくアルディスの思考を覚醒させる突然の痛み。

 それは身体をむしばむ物理的な痛みではなく、魂を引き裂かれる形のない痛みだった。


 身体の中から何かを引きずり出されてしまう感覚。

 数日前、向こうの世界からこちらの世界へと飛ばされてきた時と同じ不快感。

 共通する感覚の一方で前回とは対極の、引きずり出された何かが自分から失われていくという感触に言いようのない不安が湧き起こる。


(なんだ……? いや、当然か……)


 身体の奥底から何かが失われていった後、小さいとはいえない喪失感と共に妙な納得感がアルディスを包んだ。


 当然と感じる自分の思考に明確な根拠はない。

 理屈ではなくただ感覚として。それが起こるべくして起こったと理解した。


 失いつつある何かと共に、再び薄れてゆく意識。

 完全な暗闇に沈んだアルディスを呼び起こしたのは、ミネルヴァの声だった。


「――ください! 師匠!」


 声に引き寄せられてアルディスの意識がゆっくりと浮上する。


 森の香りが鼻腔を刺激した。

 まぶたごしにやわらかい日中の光が染みこんでくる。

 気づかいながらアルディスの身体を小さくゆする手。

 耳に入ってくるのは騒がしい教え子の声だった。


「師匠! 大丈夫ですか、師匠!」


 目を開けたアルディスの視界にミネルヴァの顔が飛び込んできた。

 菖蒲あやめ色の瞳が心配そうな視線を向けてきている。


「あ、ああ……。大丈夫だ」


 アルディスは軽く片手を上げて答えると、身を起こしながら無意識のうちに周囲の魔力探査を行う。

 周囲に敵はいないと判断し、ひとまずは安心する。


 少々ふらつきながらも二本の足で立ち上がったアルディスへ、あくび混じりの言葉が投げつけられた。


「ずいぶんのんびりしてたね、アル。ボク、待ちくたびれちゃったよ」


 付き合いの長い相棒はアルディスの身を案じるでもなく、率直な不満を口にするだけだ。

 むしろ付き合いの浅いミネルヴァの方がアルディスの身を心配していた。


「お身体に不調は? まだ少しお休みになっていた方がいいのではありませんか?」


「すまん、心配させたか? まあ本調子とは言えないが、問題になるほどじゃない。大丈夫だ」


「おいおい、本当に大丈夫なのか? こっちに飛び込んできたと思ったら突然気を失っちまって。それにその姿……」


 ムーアがアルディスの身を気づかう言葉に続けて、最後に言いよどんだ。


「姿?」


「その……、師匠のお姿が……」


 疑問に感じたアルディスがミネルヴァに問いかけると、少女は戸惑いながら言葉を濁す。


「アル、また身体が子供になっちゃってるよ」


 そこへ容赦なく現実を突きつける黄金こがね色の相棒。


「せっかく元に戻れたと思ったら、また小さくなっちゃったね」


「ロナ、もう少し言い方を……」


 ミネルヴァがたしなめるような視線を送るが、当のロナは気にした風もない。


「ああ、構わん。気をつかわなくていい」


 自分の手足を確認しながらアルディスが淡々と告げる。

 腰にある三本の剣、『蒼天彩華そうてんさいか』『刻春霞ときはるがすみ』『月代吹雪つきしろふぶき』の存在でここがどこなのかすぐさま理解する。


 身体に異変があったことはアルディス自身理解しているし、気づかってもらったところで現実は何も変わらない。

 そんな余裕があるなら優先すべきことはもっと別にあった。


「で、問題はここがどこかってことだが……」


「それならもうわかってるよ。危険もなさそうだし、さっき近くを見て回ったんだ。アルがいつまでも来ないから暇だったしね」


 ロナが一言多いのは、この際アルディスも指摘しない。

 アルディスが円形の鏡面に飛び込むまでほんの一分に満たない時間だったとはいえ、こちらで待つロナたちにとっては長い時間であったに違いないから。


「それで、結論は?」


「向こうの坂を上がっていったところからミネルヴァの屋敷が見えたよ。結構近いね。歩いても三十分とかからないんじゃないかな」


「それはまた……、ずいぶんと近くだな」


 このことは率直に喜ぶべき事だろう。

 ミネルヴァは確信があったようだが、あの鏡面からつながる場所が別の世界という可能性もゼロではなかったし、同じ世界であったとしても遥か遠い土地に飛ばされるということも十分考えられた。


 それがいざやって来てみれば意図した通りの世界へつながっていた上、目的の場所まで目と鼻の先といっていいほど至近の距離なのだ。

 むしろ都合が良すぎると思えるほど出来過ぎの結果である。


「じゃあアルも目を覚ましたことだし、行こっか」


「ようやく帰ることができたのですね」


 ロナの言葉に実感が湧いてきたのか、ミネルヴァが顔をほころばせた。

 実際の体感時間は一日ほどだろうが、安全も保証されず飲み食いにも寝る場所にも事欠く生活は令嬢として不自由ない暮らしをしてきた少女にとってさぞ長く感じられたに違いない。


 ムーアの方も表情はやわらかい。

 元傭兵だけに野外活動はお手の物だろうが、帰ることができるかもわからない異世界で太刀打ちできない敵を警戒しながらの旅はさすがに負担が大きかったらしい。


 前に立ってアルディスたちを先導するロナ、その後に続くミネルヴァとムーアの足取りは見るからに軽そうだ。

 だがその後ろを歩くアルディスは無言でこれからのことに思考を巡らせ、口の中で小さくつぶやいた。


「さて、どうやって説明したものか……」


 アルディスの予測が正しければ、こちらでは一年近くの月日が経過しているだろう。

 つまりこの世界の人間から見ればアルディスたちは一年もの間行方知れずになっていたということになる。

 無事に戻れてめでたしめでたし、というわけにはいかないはずだった。






 案の定、公爵邸へとたどり着いたアルディスたちは門を守る私兵から武器を向けられることになった。


 当然だろう。

 どこからどう見ても屈強な戦士にしか見えないムーア。

 年若く見えるとはいえ眼光鋭いアルディス、少女であるミネルヴァですら腰に剣を下げて武装しているのだ。

 加えて体長一メートルを超える大型肉食獣にしか見えないロナが一緒にいれば、警戒をあらわにするのも必然というものだった。


 アルディスたちの見た目が明らかに物騒だったこともあるが、そもそも事態を悪化させた原因は門を守る私兵がふたりともミネルヴァの顔を知らなかったことだった。

 しかし私兵との間に不穏な空気が流れ出したところへ、ミネルヴァも知る古参こさんの使用人がたまたま通りかかったことでかろうじてその場は事なきを得る。


 ところが今度は行方不明だったミネルヴァが戻ってきたと知れるなり、公爵邸中が天地をひっくり返したような大騒ぎになる。

 そこからはもう大変だった。


 やはりアルディスの予想通り、こちら側の世界ではすでに一年の月日が流れていたらしい。

 娘が戻ってきたと連絡を受けてすぐさま屋敷に戻って来た公爵と感動の対面――と本来ならば表現するべきところだが、なにせミネルヴァの方は体感時間で一日と少ししか経っていない。

 感激のあまり目を潤ませる公爵とは対照的に、別の意味で戸惑いを見せるミネルヴァだった。




 その後、アルディスとムーアは公爵邸で一夜を過ごし、翌朝になって公爵から呼び出される。

 出来る事ならすぐにでも森へ帰って双子を安心させたいアルディスだったが、状況が状況だけにさっさと暇乞いとまごいをするわけにもいかない。


「よう、よく眠れたか?」


 案内をする使用人の後に続くアルディスへ後ろから声がかかる。

 振り向いて声の主へ軽く視線をあわせると、再び顔を前に向けて短く答えた。


「まあまあだ」


「お前も今から公爵閣下のところへ?」


 横に並んできたムーアが歩く速度を合わせながらアルディスへ訊ねてくる。


「ああ。あんたも呼ばれたのか?」


 同じ方向へと同じタイミングで進んでいるのだから、それくらいはアルディスにも容易に推測できた。


「まあな。俺たちの口から直接これまでの経緯を聞きたいってのは当然だろうが、問題は信じてもらえるかどうかだよなあ。場合によってはしばらくこの屋敷から出してもらえないだろうし」


 複雑そうな表情でムーアがため息をついた。

 アルディスはあからさまに眉を寄せる。


「今さら一日二日の足止めくらいは気にしないが、長いこと行動の自由が制限されるのは困るな」


「地下牢に入れられなかったってことは、お嬢様がちゃんと説明してくれたってことだろ? 昨日からの扱いも悪くはないし、強引に閉じこめられる事はないと思うが」


 公爵から見ればアルディスとムーアは一年もの間行方不明だった娘と一緒に現れた人間である。

 短慮な人物であれば原因がアルディスたちにある、あるいはアルディスたちこそ事件の首謀者であると断じかねないだろう。


 さすがに公爵家の当主ともあろうものがそのような短絡的な考えをするとは思えないが、人間というのは常にその立場も考えも揺れ動き変わりゆくものだ。

 今の公爵がどういう判断を下すのかなどと、アルディスに分かるわけもなかった。


「出来れば早く家の様子を見に帰りたい。まあ、揉めるようならロナだけ先に帰せばいいだろうが……」


 当のロナはミネルヴァの側についている。

 こちらの世界ではすでに一年もの時間が経過しているが、ミネルヴァ本人にとっては襲われたのもつい先日のこと。

 彼女の心理的安定と不測の事態に対する備えとして行動を共にしている。


 そもそもこちらにロナが同行したところで、公爵を前にしてロナにしゃべらせるわけにもいかないのだ。

 だったらせいぜいお守り役として働いてもらった方が有意義というものであろう。


 そうこう考えているうちに案内役の足が止まり、アルディスたちの前に立派な作りの扉が立ちふさがった。


「旦那様。お二方をお連れしました」


「入れ」


 中からの返事を待って使用人が扉を開く。

 促されて部屋に入ったアルディスの目に、正面の執務机を挟んでイスへ座っているニレステリア公爵の姿が映った。

 その左右に武装した護衛が控えているのは、今の状況を考えれば仕方のない事だろう。


 アルディスとムーアが執務机の前に進み出ると、ひと息の間を置いて公爵が話を切り出す。


「ふたりとも、ゆっくり休めたかね?」


「それはもう。公爵邸の寝心地が良いベッドを一晩しっかり堪能させてもらいましたよ」


 ムーアが緊張感を漂わせながらも軽口をたたく。


「それは良かった。ではさっそく本題に入ろう。前置きなどで時間を無駄にする余裕はないのでな。私の気持ち的に」


 貴族らしからぬ性急さで公爵が表情を改めた。


「私が何を聞きたいかは、今さら言うまでもないだろう?」


「それは、まあもちろん」


「一応娘からも昨晩の内に少しだけ話を聞いているが、なにぶん時間がなかったものでね。それ以上に内容があまりに予想外で私も混乱している」


 ミネルヴァからどこまで話を聞いているのかはわからないが、普通に考えてもアルディスたちが体験した現象は荒唐無稽こうとうむけいすぎてにわかには信じられないだろう。


「一年前の襲撃で何があったのか。娘と君はいったいこの一年、どこへ行っていたのか。何故連絡ひとつよこさなかったのか。納得できる答えが得られることを私は期待してもいいはずだ」


 ミネルヴァと同じ菖蒲色をした公爵の目がスッと細められる。

 剣ではなく権を武器に修羅の道を歩んできた者が持つ、馴染みのない威圧感がアルディスたちへ向けられた。


「ご納得いただけるかはわかりませんが、あの日何があったのか、それからのこともお話しさせていただきます。もっとも、俺も完全に理解できているわけではないのですが――」


 ムーアはそう切り出すと、公爵邸で夜に襲撃を受けた日から今日までのことを二点だけのぞいてすべて説明しはじめた。

 公爵に明かさなかったこと。それは『向こうの世界がアルディスのもともといた世界である』ということ、そして『ロナが人間の言葉を操る』という点だ。


 異世界に飛ばされたということだけでも眉唾物なのに、加えてアルディスが異世界人であるなどと言い出せば面倒なことになるのは明らかだろう。

 相手を混乱させるのはもちろん、無用な疑いや不審を招きかねない上、悪い意味で注目を集めてしまうのは容易に想像出来る。


 ロナが人語を操るということも同様だ。

 今はまだ周囲も『傭兵が飼う大きめの獣』程度の認識だろうが、人と言葉を交わし、人並み以上の知性があると知れればどう考えてもトラブルを招く結果になる。

 そのためアルディスはこの二点について口外しないことをミネルヴァとムーアへ約束させていた。


「――それでようやくこちらに戻ってきたわけです。俺たちにとってはたった一日の出来事だったはずなのですが……」


 ムーア自身まだ戸惑いの残る言葉でそう締めくくる。


「ふむ……、にわかには信じがたい話だが……」


 何とも言えない表情で公爵がつぶやく。

 仕方がないだろう。

 こんな奇想天外の話を聞かされてあっさりと信じる方がむしろどうかしている。


「それで、この件にアルディス君はどうかかわっているのだ? 襲撃を受けたとき、君はその場に居合わせていなかったのだろう?」


 当然話の矛先はアルディスにも向けられる。

 いくらミネルヴァの指南役をになっているとはいえ、公爵から全面的に信用されているわけではない。


「それは俺にもさっぱりとわかりません。その時点で俺は街中にいたのですが、急に意識が遠のいて、気が付いたらミネルヴァ嬢やムーア大隊長と同じように見知らぬ土地へ放り出されていたんです」


 アルディスなりの推論はあるものの、確信も確証も得られているわけではない。

 おまけに今はそれを口にしたところで何の意味もないと判断して、ぼんやりとした言葉を返す。


「困ったものだ」


 あやふやな主張は下手をすれば公爵の疑念を呼び込みかねないものだったが、幸いこの場では問題視されることもなかった。


 公爵は大きく息を吐くとイスの背もたれに身体を預ける。


「にわかには信じがたい話だが、娘の姿を見ればあながち夢想や虚言の類いと言い切ることもできない」


「お嬢様の姿?」


 言葉の意味をくみ取れず、ムーアが疑問を口にする。


「君はまだ独身だからあまり子供と接する機会もないだろうが、あの年頃の子供というのはあっという間に成長するものだ。一年も経てば身長も身体の大きさもずいぶんと変わる。それがどうだ? 娘の姿は一年前とまったく変わりがない。成長しきった大人ならともかく、十二歳の娘が一年経っても何ひとつ変わらぬなどと、普通に考えればありえないだろう」


「あー、なるほど」


 確かにムーアのように成長しきった年齢であればともかく、ミネルヴァの年頃ならば身体の成長も著しい。

 公爵家ともなれば身体の成長に合わせて衣服を新調するのは当たり前だろうし、一年前の服を着させてみれば身体がまったく成長していないことはすぐに分かるだろう。


 まさかミネルヴァ自身が事実を裏付ける根拠になるとはアルディスも思っていなかった。

 同時にそのことへ考え至る公爵の冷静さに心中で感心する。


「君らの話を完全に信じ切るのは……少々難しいが、確かに我々の想像を超えた現象であるということは認めざるを得ないし、その点について君らに非を押しつけるつもりもない。ただ、あれから一年間の調査でわかったこともあるが、いまだに未解明な点も多々ある。ふたりには今後の調査へ協力してもらいたいのだが、構わないね?」


 この状況で拒否など出来るわけがないし、そもそも拒否する理由がない。

 アルディスとしても向こうの世界へ戻る手がかりが得られるかもしれないという意味で、今回の件は可能な限り情報を得ておきたいところだった。


「それはもちろん」


 公爵の協力依頼にムーアが即答し、一方のアルディスは無言で首肯しゅこうした。

 その反応を見て公爵の顔に張り付いていた固さがようやくほぐれる。


「ともかく無事に娘が帰ってきたことはなにより喜ばしい。君らには礼を言わなければならないな。よく娘を守ってくれた」


「いえ、俺はもともとお嬢様の護衛だったわけですし、任務を果たしただけですので」


「俺の場合はまあ…………、大事な教え子ですからね」


 アルディスが短い沈黙を挟んで答えを絞り出す。

 公爵の目にはそれが必死に理由を探しているかのように映ったのだろう。

 相好を崩すと、アルディスへ優しい視線を向けて父親の顔を見せた。


「娘はいい指南役に恵まれたようだ。これからもよろしく頼む」


2019/05/05 脱字修正 認めざるを得なし → 認めざるを得ないし

※脱字報告ありがとうございます。


2019/08/12 俗語修正 真逆の → 対極の

※ご指摘ありがとうございます。


2021/09/09 ロナの一人称を修正

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