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千剣の魔術師と呼ばれた剣士  作者: 高光晶
第十二章 令嬢は牙を求む

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第169話

「おつかれー」


「おまえ、ほんとに高みの見物してただけだな」


 のんきな口調で近づいてくるロナにアルディスがあきれ顔を向ける。


「えー、そんなことないよ。ちゃんとミネルヴァたちを守ってたでしょ。だいいち牽制する必要すらないほど簡単にあしらっといて、なに言うのさ」


 悪びれもせず答えるロナは視線を濃紺水の消えた小川跡へ向けた。


「そんなことよりアルディス。ほら見てよ、あれ」


 つられてアルディスが目を向けると、そこに見えたのは川底へ残った光を反射するわずかな水たまりらしき円形の存在。


「水……じゃないよな」


「そりゃあ、ねえ……。あんだけの魔力があふれてればただの水なわけがないよね」


 ロナの言葉通り、水たまりに見えたのは強烈な魔力を放つ奇妙な鏡面きょうめんだ。

 アルディスの白炎はくえんにさらされても消失もせず形を保っているということ自体が、その異常さを物語っていた。


「あれが汚染水の言っていた『濃密な魔力』ってやつだろうね」


 いぶかしむアルディスをよそにロナはさっさと近づいていく。


「アル、調べるなら早くしないと。じきに水がまた流れてくるんだから」


「わかってる。ミネルヴァとムーアは少し離れていてくれ。危険かもしれないから」


 アルディスはロナに向けて短く返事をすると、ミネルヴァたちへそう言い残して黄金こがね色の相棒に続く。


 円形の鏡面をのぞき込んだ彼らの目に入ってきたもの。

 それは土色の川底ではなく、生い茂る緑の木々と風に揺れる小枝。


 見えるはずもない光景が揺れ輝く光の向こうに映っていた。


「どう思う?」


「んー、当たり……じゃないかな? ボクがあっちの世界と行き来するときに開く穴とよく似てるし」


「確かにどこか別の場所へつながっているようには見えるが……。全く別の世界という可能性もあるんじゃないのか?」


「そんなにホイホイあちこちの世界とつながるもんかなあ? 前後の状況から考えて、ボクたちが飛ばされてきたこととまったくの無関係とは思えないんだけど」


「それはそうだが……」


 アルディスとてこのような現象、聞いたこともなければ当然出くわしたこともない。

 それが今このタイミングで起きているのだ。

 偶然と考えるにはあまりにも無理がある。


 おまけにロナが世界を渡るときと同じような穴だというのなら、この向こうがあちらの世界につながっている可能性は高いだろう。


 しかしだからといってこのまま安易に飛び込んで良いものか、判断材料が足りないのも事実である。

 まかり間違ってまったく知らない世界へと再び飛ばされようものなら、双子の待つ世界へ戻れる可能性はさらに低くなってしまう。


 判断に迷うアルディスたちへムーアから声がかかった。


「おーい。どうしたんだ? 何かまずそうなことでもあったのか?」


「んー、危険はなさそうだからミネルヴァたちもこっちにおいでよ」


 さしあたって直接的な危険はないと判断し、ロナがふたりを招き寄せる。


「うわっ! なんだこりゃ!?」


「君らにはわかんないかもしれないけど、ものすごい魔力が漂ってるんだよね。ボクはこれが向こうの世界につながってるんじゃないかと思ってるんだけど……」


「確証が持てないってか?」


 ロナの言葉を聞いて考え込みはじめたムーアのとなりで、鏡面に映る木々を見ていたミネルヴァが突然声を上げた。


「あっ、ここって……!」


「どうしたお嬢様?」


「この林、見覚えがあります!」


 その言葉を受けてミネルヴァに視線が集中する。


「そりゃ本当か?」


「はい。屋敷の近くにある林です。あそこに見える大きな木、林へ入った時いつも目印に使っていた木ですから。間違いありません」


 確信を持った様子で言い切るミネルヴァの言葉に、ロナはアルディスへ水を向ける。


「だってさ、アル」


「……多少のリスクは仕方ない、か」


 本来ならばもっと時間をかけて熟考したいところだが、そうはいかない理由がある。


 まずひとつは向こうの世界とこちらの世界で違う時間の流れ。

 こちらの世界で一日過ごせば向こうの世界ではだいたい一年の月日が流れてしまう。

 こうして考えている間にも向こうでは数時間が経過していることだろう。


 もうひとつの理由は目の前にある円形の鏡面が好ましくない変化を見せていることだ。


「なんだか、少しずつ小さくなっていませんか?」


「……確かに言われてみれば」


 ミネルヴァとムーアもその変化に気が付いた。

 円形の鏡面はわずかずつではあるがその大きさを縮小させている。

 今はまだ人間ふたりが同時に通り抜けられるサイズだが、よく観察してみるとその直径が減じていくのを見て取れる。


「汚染水にずいぶん取り込まれてたみたいだね」


 ロナの推測にアルディスも仕種だけで同意する。


 濃紺水の消滅と共にどれくらいの魔力が失われたのかはわからないが、少なくとも目の前にある鏡面から放出されている魔力は時間と共に減っていた。

 やがてその魔力が完全に失われたとき、この鏡面が消失するであろう事は想像にかたくない。


「どうする?」


 ロナが決断を迫る。


「……行くしかないだろう」


 他に手がかりがあるでもなし、この機を逃したあとで再び同じような鏡面を見つけられるという保証もない。

 しかもミネルヴァやムーアを一刻も早く向こうの世界に戻してやらなければ困った事態におちいるのは明白だ。


 多少のリスクは承知の上で飛び込むのもやむを得ないとアルディスは判断した。


「じゃあ、まずはボクから行くね。ボクひとりならいざとなれば戻ってこられるだろうし」


 一番手を買って出ると、ロナは迷う素振りも見せず円形の鏡面に飛び込んだ。


 水しぶきの立たない水面へと吸い込まれるように、ロナの身体が鏡面に消えていく。

 次の瞬間、鏡面の向こう側に見える林へ黄金色の身体が現れた。


 ロナは滑稽なほど素早い動きで周囲を窺うと、こちらへ振り向いて前肢を上げて手招きするような仕種を見せる。

 その動きもやはり奇妙なほど素早く、こちらとあちらで時間の流れが違うということを嫌でも感じさせられた。


「だ、大丈夫みたいですね」


「次はどっちが行く?」


 ホッとした様子のミネルヴァに、アルディスが問いかけた。


「俺が先に行く。お嬢様はその後に来てくれ。アルディスは最後でかまわないだろ?」


 アルディスが無言でうなずくのを確認すると、ムーアは躊躇ためら素振そぶりも見せず鏡面へと飛び込んでいく。


 それを見届けると、今度はミネルヴァの番だ。

 アルディスは教え子の背をそっと押して鏡面の前へと誘導した。


「怖いか、ミネルヴァ?」


 手に少女の震えが伝わってくる。


「……いえ、大丈夫です」


 明らかに嘘とわかる言葉だが、怖いからと足を止められるよりはよほどましだろう。

 アルディスがミネルヴァの背をポンと叩く。


「では師匠、お先に」


 覚悟を決めたようにミネルヴァは言い残して鏡面へと飛び込んでいった。


 残るはアルディスただひとり。

 円形の鏡面は明らかに小さくなりつつあり、大きさは最初に見たときより二回りも縮小している。

 もう少し時間が経てば、その直径は人ひとりが通れるか通れないかというサイズになってしまうだろう。


 アルディスは迷っていた。


 この鏡面に飛び込めばおそらく向こうの世界に戻ることができるだろう。

 しかしそれはつまりアルディスがこの世界から去るということでもある。


 あの女将軍に挑んだ戦いの結果がどうなったのか、そして共に戦った仲間たちの消息はどうなったのか、この七年間ずっと気になっていたことだ。

 このままこちらの世界に残れば生き残った仲間と再会することができるかもしれない。

 たとえ生き残りがいなくても、討伐に不参加だった者たちと合流することは出来るだろう。


 なによりアルディスにとって仇敵である女将軍はこの世界にいるのだ。

 会えるかどうかもわからない神話としての存在ではなく、実在の人物として今も軍を率いているはずだった。

 七年もの間、ずっと追い求めた怨敵おんてきがここにはいる。


 あらがいがたい衝動だった。


 今のアルディスにとっては七年前でもあり、同時にたった七日前のことでもある。

 このまますぐにでも駆け出したくなる心を理性で抑えながら、アルディスはまぶたを閉じた。


 決めなければならなかった。

 残された時間はさほど多くない。


 これが六年前ならば、向こうの世界をあっさりと切り捨てられただろう。

 しかしアルディスのまぶたにはどうしても振り払えない姿がいくつも浮かぶ。

 双子と出会う前ならば、ネーレと出会う前ならば、キリルと出会う前ならば……。

 そうして思い知る。縁もゆかりもなく、何の思い入れもなかったあの世界が、今やアルディスにとって帰るべき場所になっているということを。


 燃え上がるような恨みと憎しみがアルディスをこの場に留めようとし、揺らぐ心を引き留めるようにフィリアとリアナの顔が浮かんだ。


 アルディスがこのままこちらの世界に留まったとして、あのふたりはどうなるのだろうか。

 なんだかんだとネーレはふたりの面倒を見てくれるかもしれない。

 ロナもふたつの世界を行き来しながら力になってくれるかもしれない。


 だがそれは希望的観測だろう。

 何より双子を保護すると決めたのは他でもないアルディス自身だ。

 それをネーレやロナに押しつけようとするなど無責任にも程がある。


 ネーレはなぜかアルディスを主とあおぎ、付き従っている。

 だからこそ、アルディスの保護する双子も同時に守るべきものとして考えているふしがあった。

 ならばアルディスが姿を消した途端に双子を見捨てる可能性もあるだろう。


 ロナにしても時折きまぐれに手を貸してくれることはあるかもしれないが、自分の生活を犠牲にしてまでも双子の面倒を見ようとはしないだろう。

 キリルに至っては双子の教育役として雇っているだけだ。

 いくらアルディスに借りがあるといっても、双子が成人するまで面倒を見てくれるなどと期待するのは虫が良すぎる。

 そもそも彼にそこまでの経済的余裕はないはずだ。


 あと四、五年も経てば双子も自立するかもしれないが、今このタイミングでアルディスの庇護を失えば彼女たちの未来は暗いままだろう。


 刻一刻と迫るタイムリミット。

 アルディスは無意識のうちに拳を握りしめた。


 迷い、躊躇い、逡巡しゅんじゅん、葛藤、苛立ち、様々な思いがとめどなくあふれ出る。

 この世界を七日間さまよった自分は燃えさかる憎悪を理由にこの場へ残ることを望み、向こうの世界で七年間暮らした自分は守るべきものを見捨てられずにいる。

 その口からうめくように言葉がもれた。


「どちらを……、選べと……」


 時間にすればたった数十秒のこと。

 それがアルディスにはずいぶんと長く苦しく感じられた。


 やがて意を決すると、アルディスは未練を断ち切るように首を左右へ振る。


「絶対に、戻ってきてやる」


 それは自分自身への誓い。

 決して破ることの許されない約定やくじょうであった。


 アルディスは一度だけ振り返って何もない空を見上げた後、その足を円形の鏡面へ向けて踏み出す。

 かろうじて人ひとり分が通れる大きさの鏡面が、アルディスの身体を吸い込んでいった。


 一瞬にして視界が暗転する。

 光のかけらすら感じられない闇に包まれながら、アルディスは意識が遠ざかっていく感覚に襲われた。


2021/09/09 ロナの一人称を修正

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