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千剣の魔術師と呼ばれた剣士  作者: 高光晶
第十二章 令嬢は牙を求む
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第166話

「確かに今のアルは何だか、こう……。なんて言ったらいいのかな? 薄い? 感じがするね」


「薄い?」


「上手く言えないんだけど、存在感があまり感じられないというか、希薄というか……。まあ、それはいいとして」


「あ、ああ……」


 決してどうでもいいわけではないのだが、今は優先すべきことがある。

 それを理解しているアルディスはロナの話に耳を傾ける。


「でもね、そのアルはボクと別れてから――狂女の討伐に行ってから一年半も経ってるって言うんだ。不思議でしょ?」


 不思議も何も、アルディスにとってはロナの会ったという『アルディスという少年』の存在自体が受け入れられない。

 なぜか自分のアイデンティティが緩やかに崩されていくような悪寒に襲われる。


「むこうのアルは――まぎらわしいからアル少年って呼ぶけど、ネーレっていう女と一緒に双子の女の子を匿ってるんだ。双子の名前はフィリアとリアナっていうんだけど、聞き覚えないんだよね?」


「ない……、はずだ」


 その名を聞いた時、アルディスの脳裏にプラチナブロンドの髪を揺らしながら駆け寄ってくるふたりの幼子が一瞬映し出される。

 張りつめた冷たい心がふと痛みを忘れたかのように安堵の息をこぼす。

 その一方で身に覚えのない感情がアルディスを困惑させた。


「それからボクとアル少年は――」


 ロナがアルディスの知らないアルディスの話を続けている。

 何か得体の知れない世界へ迷い込んだかのように、アルディスは黙ってそれを聞いていた。


 ロナ曰く、アルディスの存在している世界とは別なる世界。

 それを端的たんてきに『異世界』と表現したロナは、偶然出くわすことになったクロル種のことや、アル少年と旅した四年の日々、そして隣国との戦争におけるアル少年の働きを話し終えると、どうしてこの場に自分たちが来るはめになったかを説明しはじめた。


「あの娘が教え子?」


「そう。最初は気が乗らなかったみたいだけど、なんだかんだ言っても情が移ったみたいでね。ボクにミネルヴァの護衛を頼んできたのもアル少年だよ」


 その後、何者かの襲撃を受けてここに転移してきたという経緯を聞いたアルディスは、何とも言えない表情を浮かべる。

 自分と同じ名前の人間が自分の知らないところでロナを巻き込み何やら画策しているなどと聞けば、得体の知れない気持ち悪さを感じるのは当然だった。


 ロナの説明に納得はできなくとも、今はそれを追及している状況ではないだろう。

 一刻も早く人里へたどり着くのが何よりも優先されるべきだとアルディスは問題を保留する。





 しかしやはりアルディスの常識と相容れないふたりの存在は、彼の感情を苛立たせる。


「食いたくないなら食うな。誰も食ってくれと頼んじゃいない」


 ネデュロの肉を吐きだして文句を言う男に、アルディスは冷たく言い放つ。


「望んで飢えを選ぶというならそうすればいいし、ほかに食べられる物があるなら勝手に食べろ。止めはしない」


 ロナからの説明を受けても暗く沈んだ表情のまま独り言をつぶやいた少女に、らしくもなく棘のある言葉が口をついて出る。


 確かにネデュロの肉はこんな状況でもなければ口にしたくないまずさである。

 しかし今はまさに『その状況』であり、野外生活に慣れた人間ならば我慢と忍耐を強いられることはやむを得ないと理解もする。それが町の外という世界だ。


 男と少女の言動は、いかに彼らが町の外を知らないかという何よりの証だった。

 安全な町の中にある温かい寝床で眠り、選別された食べ物でおいしさを追い求め、命の危険など感じることもなく育ってきたならばそれも仕方がない話だ。


 普段なら自分とは別世界の人間だと軽く流すことも出来るだろうが、今のアルディスにそんな余裕はない。

 気を緩めれば暴発して制御不能になりそうな感情と焦燥しょうそうを、理性によって必死で抑え込んでいるのだ。

 それと同時に他者への配慮をできるほどアルディスは人間が出来ているわけではない。






 ただ腹を膨らませるだけの食事という苦行を終え、一行はその場で眠りにつく。


夜番よばん? いちいちそんなもの立てなくても襲われる前に各自で対応すればいい」


 夜番の順について口を出してきた男にそっけなく答えると、アルディスはあきれ顔を隠しもせずに男と少女へ視線を送った。


 自らの身にふりかかる害意があれば眠りは覚める。

 それはなにもアルディスが特別というわけではなく、町の外で活動する人間なら誰もが身につけている能力だ。

 逆に言えばそれが出来ない者は早晩そうばん命を失う。それがこの世界のありようだった。


 ましてやこの場にはアルディス以上に鋭敏な知覚をもつロナまでいるのだ。

 たかが獣ごときに不意を打たれることなどありえないだろう。


「大丈夫。ボクが側にいるからミネルヴァは安全だよ。朝までぐーすか寝ててもかまわないからね」


 ロナが周囲への警戒を請け負ったことで、アルディスはこれ以上話す必要性なしと見てさっさと身を横たえた。






 浅い眠りからアルディスが目を覚ましたのはまだ満天に星明かりが輝いている時間帯。

 頭上から忍び寄る害意を知覚して意識が浮上する。


いずり虫か)


 その気配を知覚してゆっくりまぶたを開くと、傍らに置いていた剣を手にとって鞘から抜いた。


 這いずり虫とは普段樹上を這いずり回り、獲物を見つけると死角となる頭上から飛びかかって捕食するという大型の虫である。

 森や林の中では当たり前のように生息しており、運の悪い旅人が眠っている間に襲われて死ぬことも時折あった。


 周囲を見渡したアルディスの目が、同じく目を覚まして剣を手にした男と交わる。

 どうやら気配を感じる程度の修練はしているらしい。


 だが少女の方は――。


(この状態で寝入ったままとはな……)


 横たわるロナの腹に上半身をもたれさせたままスヤスヤと寝息を立てていた。


 ロナは当然這いずり虫の接近に気が付いている。

 起き上がる様子は見せないが、空気をはらんだ黄金こがね色の尻尾が何かを窺うように揺れを見せていた。

 少女の眠りを妨げないように大人しくしているようだが、それはつまりアルディスに対して害虫の駆除を一任したというポーズでもあるのだろう。


 ため息と舌打ちを我慢しながらアルディスはゆっくりと少女のもとへ歩み寄っていく。


「何かおかしい……。獣か?」


 どうやら男の方は異変を察知して目を覚ましたものの、その原因までは理解できていないようだ。

 剣を手にしたまま視線をさまよわせ、見当違いの方向に警戒を向けている。


(まあ、この状態でのんきに寝入ってる娘の方よりはましだが)


「何をするつもりだ?」


 抜き身の剣を手にして少女へ歩み寄るアルディスに、男が問いかける。

 その声を無視してアルディスは少女のすぐ側まで足を進めると、剣を横向きに構えた。


「――オイ、待てっ!」


「えっ……?」


 慌てて制止する男の声に少女が目を覚まし、菖蒲あやめ色の瞳がアルディスの姿を捉えた。


 何が起こっているのか理解が及ばない少女の頭上に向けて、アルディスは迷いもなく剣を真一文字に振り抜く。

 残り火では照らしきれない闇の中を鋭い音と共に剣が駆け抜け、頭上から勢いをつけて落下してきた物体をものの見事に切り裂いた。

 少女へ襲いかかった這いずり虫はその白い身体を体液で染めながら、音を立てて少女の後方へと落ちていった。


「きゃあ!」


 突然のことに身をすくませた少女は自分の後ろを振り返って這いずり虫の骸を見ると一瞬泣きそうな表情を見せたが、すぐさま真剣な顔つきでかたわらに置いてあったショートソードを鞘から抜く。


「ふわぁ……。悪いね、アル。ありがと……むにゃ」


 ロナは大きくあくびをすると再び眠りにつこうとする。

 いざとなれば対処するつもりはあるのだろうが、自分で面倒を見ると言っておきながらアルディスへ対応を丸投げである。

 ロナらしいと言えばロナらしい。


 アルディスは剣身についた虫の体液をぬぐい取ると鞘に収めた。

 なおも周囲を警戒している少女には悪いが、他の危険がないことは既に確認済みである。

 どうやら彼女は寝ていようと起きていようと周囲の気配を読み取ることすらできないらしい。


「この程度も対応できないのか……」


 そんな力量で町の外へ出るなどと、自殺行為もいいところであろう。

 ため息が出てしまうのも仕方がないことだった。


「半年前まで剣を握ったこともなかった子供に向かって無茶言うなよ」


 男が見かねて口を挟んでくるが、それが逆にアルディスの神経を逆なでする。


「町の外に出る以上、そんな言い訳が通用するか。人間だろうが虫だろうが相手にとって獲物は弱い方が好都合だろう。こんなの相手に不意をつかれているようじゃあ、話にならん」


 野生の獣や虫達は人間側の都合など考慮してくれない。

 弱い者から淘汰されるのは生物の宿命だ。ならば弱者は安全の確保された町から出るべきではない。


 アルディスやロナがいなければ、男も少女もあっという間に獣の腹に収まってしまうだろう。

 何か事情があるのかもしれないが、今のままではただ死に急いでいるだけだった。


「今はまだ……。でもいずれはきっと――」


「いずれじゃ意味がない。生死がかかっているのは今だということを自覚しろ。魔力も扱えない、気配も察知できないんじゃあ、外で生き抜くのは無理だ。悪いことは言わん。町に戻ったら剣なんぞ握らずに大人しくしていろ」


 その振る舞いから察するに少女は裕福な家の人間なのだろう。

 生命の危険に鈍感すぎるのも町で生まれ育った者である何よりの証である。


 アルディスのように寄る辺のない人間とは違うのだ。

 帰る場所があり、そこが安全の確保された町であるならば、何もわざわざ好きこのんで危険に飛び込む必要はない。


 愚か者が勝手に危険へ飛び込んで勝手に死んでいくのは別にかまわないが、さすがに年端としはも行かない少女が何も知らないまま命を散らそうとしているのは見て見ぬ振りも出来ない。

 言い方はきつくなっても、その甘さを打ち砕いてやるのが少女のためになるだろう。


「それは……、承服できません」


 しかしアルディスの気も知らず、少女は断固として譲らなかった。


「そんなに死にたいか?」


「死にたいわけではありません。自分と、自分の大事な物を守りたい。その力を求めることの何が悪いのですか?」


 わずかにアルディスの心が揺れた。

 その問いかけを否定することは自分自身をも否定することになるからだ。


「悪いとは言わん。だが世の中には『分相応ぶんそうおう』という言葉がある。自分の力量を知らない人間はあっという間に死ぬぞ。その剣にしたって――」


 乱暴な物言いにもひるまない少女から目をそらすように、アルディスは彼女がもっているショートソードへ視線を逃がした。


 飾り気もないシンプルな作りの剣に結構な魔力が込められていることをアルディスは一目で見抜く。

 その気になればアルディスにも作れる程度の物だが、どう贔屓目ひいきめに見ても少女が持つには過ぎた品だった。


「お前が持つには過ぎた代物だ。どこぞのお嬢様だかなんだか知らないが、実力が伴わないのに武器だけ高価なものを持っていたところで宝の持ち腐れだな」


「わかっています。この剣が私に不相応な物だということくらい。それでもこれは師匠が私にとくださった大事な品です。今は使い手としてふさわしくなくても、いずれは……」


「師匠……、師匠ねえ」


 少女の口にした『師匠』という言葉の響きがアルディスの中で何かをうずかせた。

 それを押し込めるように片手で頭を押さえる。


「お前の師匠も俺と同じ名前だってロナに聞いたが……」


 ロナの話によれば少女が師事していた人物はアルディスと同じ名らしい。

 何が目的でアルディスの名をかたっているのか知らないが、勝手な事をされては良い迷惑というものである。


 過ぎた武具は使い手の成長を阻害する。

 本当に弟子の成長を促すのなら、分不相応な武器を与えるのではなくネデュロの群れにでも無理やり放り込んだ方がよほど本人のかてになるだろう。


「お前のようなひよっこにそれほどの剣を与えるとか、ずいぶんと過保護で甘っちょろい師匠だな。よほどぬるい生き方をしていると見える」


「師匠のことを悪く言わないでください!」


 それまで反論はしつつもどこか遠慮のあった少女が、突然アルディスに噛みついてくる。


「悪くは言ってない。ただ甘ちゃんだと言っているだけだ」


「黙りなさい! それ以上の侮蔑ぶべつは許しません!」


 少女は怒りをあらわにするとアルディスを正面から睨みつけてくる。

 よほどその師匠に心酔している様子だった。


「許すも何も、どうするんだ?」


「このっ!」


 少女が剣を振り上げる。

 どうやら狙いはアルディスが腰に差している剣らしい。

 激情しても相手に傷を負わせまいとする心がけは立派だが、そもそも敵うわけもない力量の相手へ牙をむく時点で落第だ。


 アルディスはその剣先が通る空間に物理障壁を展開する。


「あっ!」


 障壁に弾かれたショートソードを思わず取り落としそうになり、少女が自らの両手に意識をとられた隙をついてアルディスは手を伸ばす。

 力尽くで少女の手を押さえながら、アルディスはあえて皮肉めいた言い方で彼女の力不足を指摘した。


「みっともない話だな。素手の人間相手にこの距離から斬りかかって一太刀も入れられないなんて」


「くっ……」


 少女の動きはろくに実戦を経験していない者のそれだ。

 獣との戦いになれば、真っ先に狙われてもおかしくない弱者である。

 多少厳しくとも実力を痛感させて、大人しく町へ帰らせるのが少女のためになるだろう。


「おい、それくらいにしてくれ。お前も結構大人げないぞ」


 またも横から男が口を挟み込んでくる。

 師匠といいこの男といい、少女のまわりには甘い考えの人間しかいないようだ。


「こういうことは怪我をする前に誰かが言っておか――」


 甘やかすのと優しくするのは別のことだと反論しようとしたアルディスは、不意に異変を察知して少女の持つ剣へ視線を向ける。


「――なんだ!?」


「え、何!?」


 驚きの声をこぼしているのは、少女にとってもこれが予想外の事態だからだろう。

 少女の持つショートソードが白い輝きに包まれていた。

 剣から放たれる魔力がアルディスの魔力と接触し、連鎖するように光の強さを増していく。


 同時にアルディスの脳裏へ膨大な情報が流れ込みはじめた。


 エリオンの術で飛ばされた後、目覚めた森の中。

 見知らぬ姿形をした獣を撃退しながら歩いていたときに出会った強面こわもての剣士と赤毛の魔術師、そして童顔の弓士――『白夜(びゃくや)明星(みょうじょう)』と名乗る三人の傭兵たち。

 月が昇らず、地平線から染みこむように拡がっていく夜の空。

 無邪気な笑顔でまとわりついてくる双子の顔。

 薄い水色の髪をたたえた自称従者を名乗る不遜(ふそん)な女。

 三大強魔(ごうま)と呼ばれていた魔物の討伐。

 思わぬ場所で再会したかつての相棒。

 戦争での借りを返すためにしぶしぶ請け負った貴族令嬢の指南役。

 教え子を襲撃された意趣返(いしゅがえ)しに壊滅させた組織の建物で、突然その身を襲った異変。


 見知らぬ誰かの見聞きした情報ではなく、それが自分自身の記憶だと今なら理解できた。


「うっ……、なんだこれは?」


 もやがかった意識の中、ゆっくりと脳裏に映し出されるのは仲間と共に女将軍へ挑んだかつての記憶。

 再現される屈辱と無力感、そして怒りの感情が時間の感覚を狂わせる。

 挑み、敗れ、そして逃されたアルディスは操られた人形のように人里を求めてさまよい続ける。


 まるで夢を見ているかのようだった。


「頭が……、夢……、今は……」


 頭を左手で押さえながらひざをつく。

 夢かうつつか判然としないまま混乱するアルディスは、自分の中でふと何かがピタリとあるべきところへ収まった感覚を得る。


 その瞬間、意識がはっきりとしはじめた。


 夢でも幻覚でもない。

 この世界を七日間さまよった自分、向こうの世界で七年間生きてきた自分。

 その両方が紛れもなく自分自身であることを、理屈ではなく感覚で理解する。


 引き裂かれていた何かがようやくふさわしい居場所をみつけて落ち着いた、言葉にするならそういうことだろう。


 どれくらいの時間が経ったのか。

 アルディスの意識が次第に明確さを増していく。

 頭の痛みは治まっていた。


 顔を上げたアルディスの視界に入ってきたのは、生真面目でひたむきな教え子の姿。

 瞳に怖れを内包しながらも、同時にアルディスを心配するような気配を浮かべてこちらを見ていた。

 アルディスが自然と疑問を口にする。


「どうしてこんなところに居るんだ、ミネルヴァ?」


2019/05/05 誤字修正 振るい舞い → 振る舞い

※誤字報告ありがとうございます。


2019/08/12 誤字修正 押さえ込んで → 抑え込んで

※誤字報告ありがとうございます。


2021/09/09 ロナの一人称を修正

2021/11/18 這いずり虫の説明を追加

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