第165話
ロナの連れとして紹介されたのはふたりの人間だった。
ひとりは剣士の男。
ところどころに装飾のある鎧は傭兵というより正規軍の装いを思わせる。
年の頃はアルディスと同じくらいだろう。
一応剣の心得はありそうだが、どうにも動きが鈍すぎる。
魔力の常時展開も行っていないようではその技量も期待出来ない。
もうひとりは肌の日焼けすらほとんどない少女。
多少ほつれが見えるものの、整えられた髪の艶は明らかに日常的な手入れのあとが見える。
分不相応なほど魔力の込められたショートソードを腰から提げているが、どう見ても戦う側の人間ではなかった。
その立ち振る舞いは守られる立場であることを否が応にも感じさせ、剣士の男から「お嬢様」と呼ばれていることからも、豪商あるいは貴家の娘なのだろう。
「人里なり街道を見つけるまで、ボクらも一緒について行っていいかな?」
「ついてこれるなら別にかまわんが、子供の足にあわせて速度を落とすつもりはないぞ」
ロナがふたりと一緒にアルディスへの同行を申し出てくる。
聞けばある人物から少女の面倒を見るよう頼まれているらしい。
本来ならば憤慨してもおかしくはないだろう。
アルディスが女将軍と戦い、敗れ、無念を引きずりながらさまよっている間、ロナはのんきに護衛の仕事を引き受けていたというのだから。
そんな依頼を受ける余裕があるならば、アルディスたちのもとへ駆けつけて戦いに参加するのが当然ではないか。
理屈ではそう思うものの、不思議とアルディスは腹が立たなかった。
むしろそんなロナの行動を首肯したくなるという奇妙な気持ちが芽ばえる。
自分自身の心に釈然としないものを感じながらも、アルディスはロナたちと同行することを受け入れた。
アルディス自身、ここがどこなのかわからないのだ。
ロナの持つ鋭敏な嗅覚や聴覚を頼りたい気持ちもあるし、それ以上に見知った存在はアルディスにとって自分を見失わないための道標にもなる。
足手まといがふたりついてくるくらいは許容範囲であった。
互いに情報を交換しつつ、アルディスたちは場所を移動して野営の準備をはじめる。
その結果わかったのは、ロナもアルディス同様に自分の置かれた状況を把握し切れていないということだけ。
方針は何ひとつ変わらず、人里あるいは街道を探して移動し続けるしかないだろうという結論に至った。
ロナが一体誰の依頼を受けたのかわからないが、なんだかんだと護衛対象のふたりを気遣っている様子が窺える。
さすがに飲み水ですらロナに出させている様子を見かねて、アルディスは口を挟んだ。
「自分の飲み水くらい自分で出せ。ロナは召使いじゃないぞ」
いくら護衛とはいえ、ロナはふたりの小間使いではないのだ。
わずかな手間すら惜しもうとする足手まといふたりの横柄さについ言葉が尖る。
反発する男をよそに、ロナが弁護の言葉を口にした。
「やめなよアル。仕方ないんだよ。ふたりは魔力が扱えないんだから」
「魔力が使えない?」
瞬間、アルディスの思考が止まる。
その言葉を咀嚼してようやく飲み込めたアルディスは、苛立ちをあらわにして男を詰問する。
「魔術も使えないやつがなんで町の外をウロウロしてるんだ?」
「俺は剣士だ。魔法が使えなくてもこの剣で戦えるだけの力はある」
弁解にもなっていない理屈で男が反論した。
型の手習いをしただけで剣士になったつもりなのだろう。
護衛をするロナの苦労も想像に難くない。
「剣士だったらなおさら魔力の扱いは必要だろうが。足場ひとつ作れなくてどうやって戦うんだよ」
「足場? なんだそれ?」
足場の形成すらできずにどうやって獣と戦うつもりなのか。
呆れて言葉も出ないアルディスに代わってロナが実演混じりに説明しはじめた。
ロナが作り出す足場を見て驚きの表情を見せる男へアルディスは冷たく言い放つ。
「足場も使えないやつが剣士なんて名乗るもんじゃない。死にたくないならさっさと剣を置いて安全な町で暮らす事を考えろ」
言い方こそ乱暴だが、言っている内容は学のない平民でも知っている常識だ。
足場も作れず、剣先に魔力を載せることも出来ない人間が獣相手に戦おうなどと無謀にも程がある。
戦う力を持たないまま町を出ようなどという考えはよほどの世間知らずか、そうでなければただの死にたがりだろう。
「俺だって剣一本で大隊長まで出世したという自負がある! ここまで馬鹿にされて黙ってられるか!」
「魔術ひとつ使えない男がか? どんな田舎のおままごとだよ、その大隊とやらは」
アルディスとて普段ならここまで棘のある言い方はしない。
しかし女将軍に手も足も出ず、仲間を失い、無力感を抱いたまま怒りのぶつけ所を失った今、ともすれば周囲全てに当たり散らしたくなる感情が抑えきれないのだ。
わずかに漏れ出る痛みを伴った熱が鋭く相手へ斬りつける言葉と変わり、目の前にいる男へとぶつけられる。
「そんなにケンカが売りたいんだったら買ってやるよ! お前の言うおままごとの剣をたっぷり味わわせてやる!」
激昂した男が腰に下げた剣へと手をかける。
「いい加減にしろ!」
何とか場を収めようとしていたロナも、とうとう堪忍袋の緒が切れたらしい。
男はきつい言葉をロナからぶつけられてようやく自らの実力を理解した様子を見せる。
そのままロナとふたりの会話に耳を傾けていると、何やら『あわぞら』などという聞き覚えのない言葉がロナの口から飛び出す。
(あわぞら……?)
不意にアルディスは頭痛に襲われる。
何かが無理やり頭の中から引きずり出されるかのような感覚に、思わず片手でこめかみを押さえた。
空へ染み入るように拡がる黒のカーテン。
どうしてそんな光景が脳裏に浮かぶのか、アルディス自身わけがわからない。
「こちらの世界には淡空なんてものはないんだ。だってミネルヴァたちの生まれた場所とは世界が違うんだから」
「世界が……違う?」
何とも言えない違和感と不透明感を煩わしく思いながら話を聞いていれば、ついには『世界が違う』などとわけのわからない事を言い出す始末だ。
「ここはボクが生まれ育った世界。そしてアルが――アルディスが育った世界だよ」
「どうしてそこに俺の名が出てくる?」
あげくの果てに突然ロナがアルディスの名を出すものだから、つい反射的に口を挟んでしまった。
「え? 師匠?」
「アルディスだと?」
その問いかけに反応したのはロナではなく男と少女の方。
困惑を表情に浮かべながらアルディスを凝視していた。
「とりあえず今はこっちのふたりに説明するのを優先させてよ。同時に説明するのはややこしいし……、アルには後でちゃんと説明するからさ」
疲れを顔に浮かべて半ば懇願するかのようなロナに、アルディスはしぶしぶ引き下がる。
頭を襲う原因不明の痛みは徐々に和らぎつつあった。
「さて、と……。じゃあ今度はアルに説明する番だね。どこから話そうか」
ふたりへの説明を終えたロナがアルディスの側に近寄り、難しそうな顔で話を切り出した。
「もともと聞きたいことはいくつもあったんだが、今の話を横で聞いていると逆にわけがわからなくなった」
「そりゃあ……まあ、そうだろうねえ。ボクもどうやって説明したらいいのかわかんないし」
「根本的なことだが……」
「ん? なあに?」
「お前……、ロナだよな?」
馬鹿馬鹿しい話ではあるが、アルディスはまずはそこから確認しなければならない気がした。
「寝ぼけてるの?」
「……そうかもな」
モヤがかったようなふわりとした意識、先ほどから断続的に襲ってくる頭痛。
自分が自分でないような、夢を見ているような感覚。
それでいてハッキリと魂にきざみこまれた痛みと恨みと復讐心。
根源たる自分の存在に確信が持てない。そんな不安定さがアルディスにまとわりついている。
「答えるのも馬鹿馬鹿しいけどボクの名はロナだよ。アルとルーの友人で、あの女への復讐を誓った同志。それは間違いない」
「そうか……」
間抜けなやりとりだと自覚しながらも、ロナの答えにアルディスはホッと息をつく。
これが現実ではなく悪夢だったとしても、傍らに信頼できる相棒が控えているというのは心強い。
「でも……」
「でも、なんだ?」
「アルが数日前に会っただろうボクと、今のボクとには大きな乖離があると思う」
「どういうことだ?」
「ボクはアルと別れた後、二日後にアルと再会してそのまま五年くらいアルと一緒にいたんだ」
「……何を言っているんだお前?」
「そりゃあ、わけがわかんないよね。うーん、何から説明したもんかな……」
ピクピクと逆三角形の耳を震わせながらロナが思案にふける。
「ちょっと長くなるけど聞いてね。最後にアルがボクと別れたとき、ボクは負傷していたでしょ?」
「ああ、とても戦える状態じゃなかったな」
女将軍討伐に赴く直前、ロナは戦闘で深手を負ってしまっていた。
そのためアルディスたちと同行することを断念し、傷を癒やすことに専念していたはずだ。
「二日ほど大人しくしてようやく何とか動けるようになったんだけど、さすがに狩りをするのは厳しそうだし、かといってお腹はペコペコだし、アルたちはいないし……」
「……その話、必要なのか?」
ロナがどうしてそんな話をしはじめたのかアルディスにはさっぱりわからなかった。
「まあまあ、そう言わないで聞いてよ。ボクらの種はね、いざっていうときのためにとっておきの狩り場を持っているんだ。そこは強い敵がいない上にここよりも獲物が多くて狩りにはピッタリだからね。でも長い間居着いちゃうと寿命が縮まるからって、よほどのことがない限り使わないし、狩りが終わったらすぐその場を離れるようにするんだけど」
「寿命が縮まる? ずいぶん物騒な狩り場だな」
「うん。実際には縮まらないってわかったけどね。アルのおかげで」
意味不明なロナの話を聞いてアルディスは眉間にシワをよせる。
心なしか頭痛が再発しているようにも感じられた。
「……わけがわからん」
「あの時のボクはひとりで狩りをするのも厳しいくらいだったからね。寿命が縮まるのは嫌だったけど仕方なくその狩り場で森に入って獲物を狩ってたんだ。身の危険を感じずに狩りが出来るのはあそこくらいだったし。で、ある程度お腹が膨れてそろそろ帰ろうかなって思った時、人間の声が聞こえて。どうしようか迷ったんだけど危険はなさそうだからちょっとのぞいてみたんだ。そうしたら何だか人間の女の子が何人かの男に襲われてるっぽくてさ、まあきまぐれで助けてあげたんだよ。ソルテっていう女の子なんだけど、知ってる?」
「知ってるわけないだろう」
当たり前の答えを口にしながら何故か引っかかるその名前に、アルディスはのどへ小骨が引っかかったような違和感を覚える。
「それで?」
ズキリと痛む頭に片手を添えながら話の続きを促す。
「そしたらさ、そのソルテっていう女の子を護衛していた傭兵が居てね。その名前がアルディスっていうんだ」
「は?」
「黒目黒髪で飛剣を使う、おまけに傷が完全に癒えてなかったとはいえボクと互角に戦えて、とどめは『乙の三番白』っていう符丁も理解するとなれば――」
「いやちょっと待てよ! 誰だそれは? 名前が同じなのはともかく、符丁まで知ってただと? 俺の名を騙るやつがいたってことか!?」
「そりゃ最初はボクだって疑ったよ。でもさ、アル。ボクがアルの匂いを嗅ぎ間違えるとでも思う? いくらアルが子供の姿だったからってさ」
「子供? 俺が?」
「うん。十四、五歳くらいかなあ? 年相応でずいぶん弱くなってたからあの時のボクとはいい勝負だったよ」
アルディスの頭が再び痛みだす。
「なあ、ロナ。俺はもしかして悪い夢でも見ているのか? 何が何だかさっぱりわからん」
「夢ねえ……。少なくともボクは夢を見ているわけじゃないって確信があるんだけど」
2019/08/12 誤字修正 アルディスたちの元へ → アルディスたちのもとへ
※誤字報告ありがとうございます。
2021/09/09 ロナの一人称を修正