第163話
女が叫ぶ。
「また邪魔をして!」
忌々しそうに氷槍を障壁ではじき飛ばす女将軍の足もとの床をアルディスは衝撃波で崩す。同時に無理な体勢を承知の上で剣を横なぎに払った。
さすがの女将軍も正面と足もとの同時攻撃をいなすのは容易でないのだろう。
たまらず崩れかけの床を蹴って剣をかわす。
もちろんアルディスとてこのような攻撃が女将軍に通用するとは思っていない。
しかし狙いは傷を負わせることではなく、女の体勢を崩すことにある。
「そこだ!」
気合いが入ったサークの声と共に、アルディスの頭上を斜め上から打ち下ろすようにして女将軍へと流星のごとく光のつぶてが降り注ぐ。
巻き込まれてはたまらないと、すかさず後退するアルディスの視界を埋め尽くすように無数の光弾が女へ襲いかかった。
しかしながら三人による連携も女将軍へ手傷を負わせるには至らない。
「うっとうしいわね!」
煩わしげな女将軍の声が響き、分厚い障壁が光弾へ立ちふさがる。
「これでも通らないのかよ!」
光弾が防がれるのを見てサークが舌打ちする。
「本当に目障りな双子ね。もうその顔、二度と見たくないわ。いいかげん消えなさい!」
「気が合いますね。僕らも同じ気持ちですよ」
「上等だ! じゃあこの先永遠に誰ともツラあわせなくてすむようにしてやるぜ!」
女将軍の言葉に双子がすぐさま言い返す。
「お前が消えろ!」
ありったけの魔力を込めた一撃がアルディスの手から放たれた。
「雑兵の魔術など!」
取るに足らぬとばかりに女将軍が片手で払いのける。
双子の魔術とアルディスの剣が絶え間なく女将軍を襲うが、力量差は歴然としていた。
繰り出す剣撃はことごとく障壁や銀の球体によって遮られ、放つ魔術はさらに威力の高い魔術によってかき消される。
幾度となく放たれるアルディスたちの攻撃、そのいずれもが女将軍にあと一歩届かない。
しかしだからといって攻撃の手を休めるわけにはいかない。
ようやく剣の届くところまでたどり着いたのだ。
もともと戦場ですら多くの護衛に囲まれて手出しが困難な相手である。
たとえ罠であろうとも、守りを薄くして隙を見せることがこの先もう一度あるとは限らない。
だからこそ今この場所で仕留める。
アルディスも、仲間たちも同じ不退転の決意でここにやってきたのだ。
鋭い斬撃が、強大な魔術が遠慮のかけらもなく互いに叩きつけられる。
城塞の奥深く、四人の人間によって繰り広げられる戦いはいつ終わるともなく延々と続いていた。
その戦いに変化をもたらしたのはほんの小さな偶然だった。
数千分の一。刹那と呼ぶのも憚られるほどわずかな瞬間。
アルディスの攻撃によってわずかにずらされた障壁の隙間へ、エリオンの魔術が潜り込み、その傷口をサークの魔術が突き崩す。
意図せず実現した理想的なまでの連携が、女将軍の牙城を崩した。
余裕の笑みを浮かべていた女の顔が強ばる。
その頬をひとすじの血が伝って落ちた。
「な、な……」
指先でそれをぬぐった女将軍は、自らの身体から流れ出た赤い色を確認すると声を震わせた。
「…………くも」
うつむいた口からかすかな声がこぼれ出る。
「よくも……」
ゆっくりと顔を上げた女将軍はそれまでの嘲るような笑みを消し去り、憤怒の感情がこもった視線で双子を射貫く。
「よくも、よくも私の顔に傷をつけてくれたわね! 一度ならず二度までも! 許さない! 許さない! 許さない! 跪いて許しを請うても絶対に許さない! ここで死ね! 私の敵となったことを後悔しながらぶざまに朽ち果てて死ね!」
激昂した女将軍がその膨大な魔力を破壊の力として放つ。
室内の空気が希薄になり身体が引き寄せられたのも一瞬のこと、女将軍を中心にして放たれた衝撃がアルディスたち三人に向けられた。
危険を感じたアルディスが飛び退るよりも早く、女の放った衝撃波が襲いかかる。
これまでとは比べものにならない圧力がアルディスの身体を押しつぶそうとする。
「くっ!」
剣を持っていない方の手でとっさに頭部を庇うが、全力で張り巡らせた分厚い障壁でも防ぎきれない衝撃がアルディスを吹き飛ばした。
一瞬意識を飛ばされて視界が真っ暗になる。
「うぅ……」
全身を覆う痛みに顔をゆがめながらまぶたを上げると、目の前にはエリオンの姿があった。
「よかった。気が付いた、アルディス?」
「エリオン……、俺は……」
「気を失っていました。ほんの少しだけですが」
一瞬どころか結構な時間戦いの最中に無防備をさらしていたらしいと知り、アルディスは自らのうかつさを恥じる。
「サークは?」
「あの女を抑えています」
聴覚が正常に機能しだすにつれ、ようやく周囲の状況がわかりはじめる。
戦線離脱したアルディスとエリオンのせいで、サークひとりが女将軍と対峙していた。
もはやガレキの山と化した城塞の一室で、女将軍の放つ魔手がサークを翻弄している。
「すまん。足手まといになるつもりはなかったのに……」
「いえ、足手まといは僕の方です」
エリオンの視線を追ったアルディスが息をのむ。
「おまえ、その足は……」
エリオンの右足はひざから下が完全に千切れ、骨があらわになっていたのだ。
「どうやら運がなかったようです。飛ばされた場所が悪かったので」
「くそっ!」
「今となってはアルディスひとりが最後の望みです。僕のとっておきを施しますので、じっとしていてください」
「しかしサークひとりじゃ――」
「サークも長くはもちません。だからこそ今のうちしかないんです」
「……わかった。急いでやってくれ。たとえ刺しちがえてでも……、あの女だけは絶対に……!」
「…………」
エリオンは無言で頷くと、黙々と魔力を練って術を構築する。
おそらく身体能力の一時的な向上、もしくは強力な障壁を他者へ授ける術だろうとアルディスは推測した。
細かいことは任せればいい。
たとえそれが得体の知れない術であろうとも、自らの身を無防備に差し出しても不安を抱かない程度にはアルディスもエリオンを信頼しているからだ。
アルディスの周囲に魔力が大きな円を描く。
その線上からしみ出すように内外へ向けて小さな紋様が生まれた。
エリオンの魔力を受けて紋様が輝きはじめる。
ずいぶん大がかりな術だなとアルディスが思った時、前触れもなくエリオンが口を開いた。
「アルディス、僕もサークもずっと悔やんでいました」
「いきなりなんだ?」
戦いの最中突然切り出されたその言葉に、アルディスは眉を寄せて問い返す。
「あの時、ルーをひとりで行かせてしまったことを……」
エリオンの口にした名で、アルディスの中に苦い思いが後悔の味と共に甦る。
「……おまえらのせいじゃない。あいつが自分で選んだことだ」
「それでも、ですよ。僕らはルーを力ずくでも押し止めておくべきでした。せめて僕らふたりのうちどちらかだけでもついていくべきでした。完全に僕らの落ち度です」
沈痛な面持ちで語るエリオンの様子に常ならぬものを感じたアルディスは、話をそらそうとする。
「術の方はまだか? サークだっていつまでもひとりじゃもたないぞ」
「術は話と並行して組み立ててますからご安心を。それより話をはぐらかそうとしないでください」
「この状況で話すようなことじゃないだろう?」
「ええ、その通りです。戦いの最中に話すようなことではありません。でも今この場でしておかなければならない話です」
エリオンは言葉通り、会話をしながらもその一方で術の展開を並行して進めている。
「僕らはアルディスに償いをしなくてはいけません。いつかきっと、と思っていましたが、ようやくその時が来たみたいです」
「何を言ってるんだ、エリオン?」
奔放な性格のサークと違い、双子でもエリオンは時と場をわきまえる人間である。
いくら術の構築中に時間があるとはいえ、絶体絶命とも言えるこの状況でまったく関係のない話を持ち出すのはおかしい。
普段のエリオンならば決してそのようなことはしないだろう。
アルディスはらしくないエリオンの様子に違和感を抱く。
「死に損ないがそろって何をコソコソと!」
エリオンが術を行使していることに女将軍が気付き、矛先をアルディスたちに向けてくる。
「やらせるかよ!」
「邪魔よ!」
押し寄せる爆炎の波を遮るため、サークがエリオンとアルディスの前に立って障壁を展開する。
全てを吹き飛ばさんとばかりに女将軍の放った爆炎がアルディスたち三人を包み込んだ。
かろうじてサークの障壁がそれを食い止めているものの、じわりじわりと押されているのが目に見えてわかった。
「急げエリオン! もうもたねえぞ!」
叫ぶサークの後ろ姿を見てアルディスは絶句する。
「サーク……!」
脇腹がひと目見てわかるほど赤く染まり、そのシルエットは明らかに歪んだ曲線を描いていたからだ。
おそらくアルディス同様、衝撃波によって壁に叩きつけられたときえぐれてしまったのだろう。
「サークも僕もご覧の通りです。勝つことはおろか逃げることも無理でしょう」
アルディスの視線がとらえたものを理解して、エリオンが無慈悲な現実を突きつける。
「だとしても――」
「一応実験は何度も重ねていますが、まだ細かいところまでは調整し切れていないんです。危険がない場所を指定するつもりですけど、もしかしたら妙なところに飛ばされるかもしれないので、先に謝っておきますね」
食い下がろうとするアルディスの言葉を遮って、一方的にエリオンが話を進めていく。
「まてエリオン! 何をするつもりだ!?」
身を乗り出そうとしたアルディスは、自分の身体を拘束する魔力の存在に気が付き困惑する。
それが誰の手によるものなのか、そんな事は聞くまでもなかった。
「どういうことだ、エリオン!?」
困惑に包まれたアルディスはわけもわからず叫ぶように問い質す。
「アルディス。僕らは今日勝てなかった」
「まだ負けと決まったわけじゃない!」
「いいえ、負けです。僕らはあの女を甘く見ていました。決してそんなつもりはなくても、やはりどこかで見積もりの甘さがあったのでしょう。だから今日のところは僕らの負けです」
「エリオン、お前何を……」
「でもアルディス。僕らの敗北が結果としてあの女の勝利となる、そんな理屈を許すわけにはいかないでしょう? ここに来るまで散っていった仲間たちの死が無駄であって良いはずはないでしょう? こんな役どころを押しつけてしまうのはとても気が引けるのですが、僕やサークはそろそろ舞台から降りる時間のようですし、これだけ時間が経っても誰ひとりここにやってこないということは、グレイスたちももう……」
静かに落ち着いた表情のまま、エリオンはアルディスの黒い瞳を真っ直ぐ見つめながら言葉を伝えてくる。
「だけどアルディス、まだあなたがいる。誰かひとりでも生きている限りは、負けじゃないんです。あなたの存在が僕らの勝利につながるなら、今僕がやるべきことは決まっています」
「ちょっと待て! エリオンお前まさか――!」
魔力の高まりが頂点に達し、術の発動が近いことをアルディスは理解させられる。
周囲に描かれた魔力の円が鈍く輝きはじめ、中央へ向けて魔力が流れ込む。
その流れはアルディスの身体を目指して集まっていく。
「エリオン! サーク!」
アルディスの声に反応してサークがちらりと視線を向けてきた。
「死ぬんじゃねえぞ、アルディス!」
にじんでいく世界の中で、怒鳴り声のように乱暴な言葉がアルディスの耳へ届き、すぐ側でやわらかい笑みを浮かべたエリオンの言葉が最後に瞬く。
「だからアルディス。僕らの分も――――」
音が消える。
エリオンの顔が歪む。
いや、歪んでいるのは空間か。
エリオンの後ろで繰り広げられる女将軍とサークのせめぎ合いも、静寂の中で渦巻いて遠ざかっていく。
視界が闇に閉ざされる直前、サークの後ろ姿とエリオンの笑顔が爆炎に飲み込まれていく光景がアルディスの目に焼き付いた。
2019/08/12 誤字修正 跪いて → 跪いて
※誤字報告ありがとうございます。