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千剣の魔術師と呼ばれた剣士  作者: 高光晶
第十二章 令嬢は牙を求む
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第158話

 ロナのつぶやきへ反応したのは側についていたミネルヴァだ。


「知ってる人なの、ロナ?」


 ミネルヴァの問いかけに「まあ、ね」とロナは適当な返事をする。 


 こちらならともかく、ロナの知る限り向こうでアルディスのことを『アル』と呼ぶ人間はいない。

 また、アルディスのことをロナがそう呼んでいることは、ほとんどの人間が知らないはずだった。


 そもそもロナは人前でアルディスと会話することがないのだ。

 唯一の例外はネーレであったが、当然ミネルヴァとムーアはその場に居合わせたこともない。

 だからロナが「アル」という名を口にしても、ミネルヴァにはそれが誰のことかわからないのだろう。


 一瞬ミネルヴァたちにも説明をするべきかという思いが頭をよぎったロナだが、すぐさま考えを自分勝手な都合で振り払う。


(めんどくさいや)


 そもそもロナですら何がどうなっているのかわからないこの現状を、ふたりにうまく説明できる自信はないし、そこまで面倒を見てやる義理とてない。


「ボク、ちょっと行ってくるから。ミネルヴァたちはこの辺で待っててね。危なくなったら大声出して知らせるか、さっさと逃げるんだよ」


 早々に説明責任を放棄したロナは、なおも多数のネデュロと戦い続けるアルディスのもとへ向け、散歩にでも行くような足取りで歩きはじめた。


 近づいていくにつれてアルディスの姿がハッキリと見えてくる。

 傷だらけの身体、ボロボロの防具、刃こぼれがひどすぎてもはや鈍器となった剣、真っ黒に汚れた顔。


 その顔に浮かぶ表情は焦燥しょうそうと憎悪。

 つい先日まで双子に穏やかな笑みを向けていたアルディスとはまるで別人だった。


 なによりの違いはアルディスの姿が子供ではないことだろう。

 若さによる勢いと経験による熟練の技量が調和しつつある三十手前、かつてのロナが知っていた年齢相応の姿を見せていることだ。


(どういうことだろ?)


 最後にあの姿をしたアルディスと別れてから二日が経ち、そのあと向こうの世界へ行き子供になったアルディスと会って約五年。

 どうやらこちらとあちらでは時間の流れる速さが違うらしいと理解している今、ロナの推測が正しければこちらの時間で七日が経過していることになる。


(あれって、本当にアルなのかな?)


 視線の先にいるのがアルディスなら、向こうにいたアルディスは一体何者なのか。


(偽物……、じゃないのはハッキリしてるし)


 いくら身体が若返り、力が半減していてもアルディスの戦い方はロナが一番よく知っている。

 五年も側にいて偽物と本物の違いがわからないほど、ロナは自分の目が節穴だとは思っていない。


(まあいいや。まずは目の前にいるアルと話してみて、それから考えよ)


 見ればあれほどたくさんいたネデュロも、後は二体を残すのみ。

 アルディスにとってはあとはクールダウンのようなものだろう。

 ネデュロを叩き落としながらその黒い瞳がロナへちらりと向けられ、何事もなかったかのように戦いへと戻る。


(やっぱりアルだよね)


 少なくともこちらを敵とも不審な相手ともみなしていない様子からロナは確信を持つ。


 それからロナが四本の足を使って十回大地を踏みしめたころ、全てのネデュロを片付けたアルディスが陽気さとは最も縁遠い表情を浮かべて上から降りてきた。


「ロナか」


 開口一番、アルディスが短く言う。


 この距離まで近づいても確信は揺らがない。

 目の前にいる人物は紛れもなくロナの相棒アルディスだった。

 だがその一方でロナは不思議な感覚に襲われて首をひねる。


 根拠はない。

 しかしよく知っているはずのアルディスがすぐ側へいるというのに、どういうわけか妙に存在感の希薄な印象を抱いてしまうのだ。


「こんなところで何してるの、アル?」


 内心疑問を山ほど抱えながらも差し障りない問いかけをするロナ。

 それに対するアルディスの反応は予想以上に激しいものだった。


 何かに耐えるような苦悩の表情を瞬時に崩し、烈火のごとく怒りをあらわにする。

 そのまま刺すような視線をロナへ向けると、叩きつけるように怒声を放った。


「何をしているかだと!?」


「ひぃ!」


 ロナの毛が逆立つ。

 今にも斬りかかってきそうな殺気を飛ばされ、本能的に防御障壁を張った。


「負けたに決まってるだろうが! 俺がひとりで、こんなどこかもわからないところで、こんなみっともない姿で戦ってるんだぞ! これがあの女を討ち取って勝鬨かちどきを上げているように見えるとでも言うのか! 祝杯を上げているように見えるってのか!」


 激しく言葉を叩きつけるアルディスに気圧けおされ、ロナは尻尾を股に挟み、耳をペタリと塞いで縮こまった。


「俺たちの動きは筒抜けだったんだ! あの女、俺たちを手ぐすね引いて待ってやがった! 全部掌の上だ! ジョアンも、ダーワットも、レクシィもみんなやられた! グレイスだってあの傷じゃあ……! せめてあの女だけはと……! でも届かない、俺じゃ届かないんだよっ! 俺だけたったひとり、エリオンとサークに救われてこんなところでおめおめと……!」


 アルディスの目が血走って赤く染まる。


 もしも憤怒が破壊の力に変わるなら、牙となり刃となり周囲のありとあらゆるものを砕くであろう激しい感情。

 不用意に触れれば斬り裂かれてしまいそうになる、刀身のような危うさを感じさせる人間という物体がそこにあった。


 激情のあまり漏れ出したアルディスの魔力が大気中の魔力に干渉して空気を不気味に振動させる。

 蜃気楼のように周囲の景色が歪んで見えたのは決して錯覚などではない。


 とても長く感じるわずかな時間。


 物言わぬ圧力に押しつぶされそうなロナがようやく解放されたのは、呼吸三つ分を数えた後だった。


「……悪い。おまえにあたっても仕方ないよな」


 それまでとは打って変わって弱々しい声でアルディスが非を詫びた。

 身体から漏れ出していた魔力も収まり、呼吸も落ち着きを取りもどしている。


 だがロナにはその姿が、感情の渦を理性で無理やり押し止めているようにしか見えなかった。


「ロナ。おまえ、ここがどこかわかるか?」


「わかんない。ボクも帰り道探してるところだから。……アルもわかんないの?」


 アルディスからの威圧感がなくなったことで、ようやく人心地ひとごこちついたロナは恐る恐る答えた。


「……わからん。かれこれもう七日も歩きづめだ。エリオンが俺を飛ばしたらしいが……。あの野郎、あんな切り札持ってるなら最初から俺をあの女のところへ飛ばしてくれれば……」


 顔をゆがめてひとりごつアルディスを見つめながら、ロナは頭をフル回転させて状況を把握しようとした。


(あの狂女に挑んで負けた……後なんだろうね)


 アルディスの様子と向こうの世界で本人から聞いていた経緯を重ね合わせて、ロナはそう推測する。


(その時点からこっちで七日、ってことは向こうだと七年か。計算が合っちゃうんだよなあ。でもそうすると奇妙なのはこっちと向こうで同時にアルがいたってこと? うーん、よくわかんないなあ)


 ひとまずロナは向こうのアルディスと縁深い人物の名を挙げてみる。


「ねえアル。ネーレって名前憶えてる?」


「誰だそれは?」


「フィリアとかリアナとか、キリルとか聞き覚えある?」


「新入りの名前か? 悪いが俺も新入りまではよく知らん。そんな余裕はなかったし、今回の件でも若いヤツらは連れて行ってなかったからな」


 アルディスは本当に誰のことだかわからないといった反応だった。


 もちろん今この状況でアルディスがロナに嘘をついたりとぼけたりする必要性はないだろう。

 ということはつまり。


(向こうのアルとは別人? いや、そんなわけない)


 ロナがアルを見間違えたりするはずはない。

 たとえ種族が違い、生き物としてのありようがどれだけ異なっていようとも、ふたりの絆はそんなに浅いものではないのだ。


(どっちもアルだ。どっちもアルだけど、でも同じじゃない……)


 どちらも本物のアルディスだと確信しつつ、それでも目の前にいるアルディスと向こうのアルディスが完全に同一の存在だとはとても思えなかった。

 会話から推測できるのはこのアルディスがロナと別れたのは七日前であるということ、そして向こうの世界について何も知らないということだろう。


 こちらのアルディスに全ての事情を明かしてしまおうかと一瞬考えたロナだが、すぐに思いとどまる。

 今それを口にしたところでおふざけが過ぎると取られてしまう可能性が高いだろう。


 そんなことになればたまったものではない。

 ただでさえ切羽詰まった様子を見せるアルディスが、怒りをあらわにしてどういった行動に移るかわからないのだ。


 正直怖かった。


「最後にボクとアルが会ったのは七日前……なんだよね?」


 アルディスの様子を窺いながら、ロナは慎重に言葉を選んだ。


「ああ、おまえと別れた後そのまま討伐に向かったからな」


 それなら、とロナは頼み込む。


「人里なり街道を見つけるまで、ボクらも一緒について行っていいかな?」


「僕ら?」


「うん、あのふたりとボク」


 ロナが後ろに首を回してミネルヴァたちへ顔を向けた。


「なんだあのふたりは?」


 ミネルヴァたちの姿を見たアルディスが怪訝けげんな表情を見せる。


 当然その存在は把握していただろうが、彼にとっては魔術ひとつ使えない人間などまさに路傍ろぼうの石でしかない。

 ロナが話を振らなければアルディスはそのまま無視していただろう。


「うーん……。説明するのがちょっと難しいんだけど、ある人から女の子の面倒を見るよう頼まれててさ。放っておくわけにはいかないんだよね」


 男の方はどうでもいいけど、とロナは最後に付け加えた。


 まるでアルディスを利用するようで気が引けたが、事情を説明したところでおそらく返ってくるのは拒否の言葉だろう。

 向こうの世界ならいざ知らず、こちらの世界で足手まといをふたりも抱えながら野の魔物と対峙するなどさすがのロナでも無謀な話である。

 ミネルヴァを守れと言ったのはアルディス本人なのだから、協力してもらっても罰は当たるまい。


(目の前にいるアルとは多分違うアルだけどね)


 そんなロナの内心など知るはずもないアルディスは、ぶっきらぼうに言い放つ。


「ついてこれるなら別にかまわんが、子供の足にあわせて速度を落とすつもりはないぞ」


「わかってるよ」


(まあ、こっちのアルならそう言うだろうね)


 ロナは心の中で納得しながらも、あのふたりを脱落させないためにはどうしたものかと思案するのであった。


2018/12/15 誤字修正 黒い瞳がアルへちらりと向けられ → 黒い瞳がロナへちらりと向けられ

※誤字報告ありがとうございました。


2019/02/11 脱字修正 首をひねる → 首をひねる。


2019/03/11 誤字修正 何かに絶える → 何かに耐える

※誤字報告ありがとうございました。


2019/08/12 誤字修正 元へ向け → もとへ向け

※誤字報告ありがとうございます。


2021/09/09 ロナの一人称を修正

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