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千剣の魔術師と呼ばれた剣士  作者: 高光晶
第十二章 令嬢は牙を求む
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第157話

 自分を追いかけてくるミネルヴァの息遣いを感じながら、ムーアは泥に心臓を突っ込まれたような気持ちで走り続ける。


 若くして頭角を現し、傭兵仲間からも一目置かれる存在であったムーアが王国軍に仕官したのは五年ほど前のこと。

 育ちの良い兵士たちからは敬遠されつつもその実力で周囲を黙らせ、大隊長にまでのし上がった。

 平民出身の傭兵としては大出世と言えるだろう。


 剣の実力は軍の中でも十指に入ると言われ、ムーアのことを毛嫌いしている人間たちも実績で黙らせてきた。

 そんな彼が――。


(怯えているとでもいうのかよ?)


 自らの芯を震わせる得体の知れない感情に困惑させられていた。


 これまでムーアは一対一で後れを取ったことなど数えるほどしかない。

 たとえ相手がディスペアだろうと、一体であれば余裕を持って倒す自信があった。


 だが先ほどの魔物はこれまでにムーアが出会ったどんな魔物とも違う。


(目で追うのが精一杯だとか、へこむなあ)


 ロナと魔物の繰り広げる攻防は百戦錬磨ひゃくせんれんまのムーアですら動きを追いかけるのがやっとであった。

 援護しなければと身体が動きかけたが、もしあの時踏み込んだとしてもロナと魔物の間に割り込めたかどうか正直怪しいところだろう。


 悔しさで唇を噛みそうになる。

 それでも認めるしかなかった。あの黄金色をしたアルディスの相棒が、自分よりも遥かに格上の強者であると。


(それにしても、一体ここはどこなんだ?)


 ネガティブな思考を切り替えてムーアは状況の把握にかかる。


 少なくとも彼の記憶に先ほどのような魔物の存在はない。

 もちろんムーアとて全ての魔物について知見を得ているわけではないが、あれほど強力な魔物が存在するのなら噂話のひとつくらいはあってもいい気がした。


 あの魔物だけではなく、最初に遭遇した六つ足の獣についてもそうだろう。

 短い時間しか戦っていないためまだわからない事は多いが、その反応速度と硬さは『草原の絶望』と異名を持つディスペア以上だとムーアは見ている。


(下手するとナグラス王国の外、か……?)


 見覚えのない獣と魔物。

 その存在はここがナグラス王国から遥か遠い地である可能性を示唆しさしている。


 だがその一方でムーアの感覚はそれほど長い時間気を失っていたわけではない、と訴えていた。

 王都の公爵邸から国外にまで人間を連れ出すにはそれ相応の時間がかかるはずだ。


(まあ、考えるのは後回しだ。今は安全な場所を見つけて――)


「……くそったれ!」


「どうなさいましたか?」


 突然悪態をついたムーアにミネルヴァが問いかける。


 ムーアの視線が向いた先に立つ存在を見れば、その疑問もすぐに解消されることだろう。

 その場所にいるのは濃紺の毛に身を包んだ六つ足の獣。

 見覚えのある姿であった。


「あ、……さっきの!」


「またかよ……」


 ムーアたちの前に現れたのは先ほどロナが蹴散らした大型の猫を思わせる獣だった。


 しかし今ロナはこの場にいない。

 黄金色の獣に頼らずムーアたちだけの力でこの場を切り抜けなければならなかった。


「だが一体なら……」


 先ほどの一戦で六つ足の獣が尋常ならざる相手であることはムーアも理解している。

 しかし見たところ今度の相手は一体のみ。

 容易な相手ではないが、一対一ならば十分戦えるとふんでムーアは剣を抜く。


「お嬢様はここにいてくれ。周囲から他のヤツが来ないか見ていてくれると助かる」


「はい、お気をつけて」


 ミネルヴァをその場に残すと、ムーアはひとり獣に向かって距離を縮めはじめる。

 当然相手もこちらに気付いていた。

 姿勢を低くして今にも飛びかからんという雰囲気だ。


「さて。さっきは後れを取ったが、汚名はここで返上させてもらうぜ」


「シギャアアア!」


 ムーアの言葉を合図ととらえたのか、瞬時に六つ足の獣が距離を詰めてきた。


「スピードはさっき掴んだ!」


 初見ならば反応できなかったかもしれない獣の俊敏さも、二度目ともなればムーアにとって対応するのは難しくない。

 その移動先を予測して渾身こんしんの力を込めた一撃で迎える。


「そこだ!」


 込められた力が空気を裂く刃となって獣を襲った。


 しかし獣もすんなりとやられてはくれない。

 ムーアの剣が胴体を薙ぎ払う直前に獣の足が何もない宙を蹴る。

 不自然な反動を得た獣が浮いたまま横に跳び、ムーアの剣撃は空を切った。


「だろうな!」


 それを予期していたムーアがすかさず追撃の一手を放つ。

 剣を引き戻すのではなく、逆に振り抜いた剣に向けて身体を近づけるとその勢いのまま獣へと肉薄する。


「もういっちょ!」


 さすがに二回連続で不可思議な軌跡を描くことはできなかったのか、今度の一撃はかわされることなく獣の横腹へと吸い込まれていった。


「フギャアアア!」


「くそっ、硬いな!」


 手に伝わってくる予想通りの硬い感触にムーアが悪態をつく。


 見た目以上の硬さを持つ濃紺の毛並みは重鉄じゅうてつ製の刃をものともしない。

 まるで鎖かたびらを切ったような手応えは、ムーアの一撃が獣に対してさしたる効果を現していないなによりの証拠だ。


 苦し紛れに振るわれた前肢をかわし次の動作へ移ろうとしたムーアの顔を、続いて獣の中肢が襲った。


 前肢と中肢によるコンビネーション。

 六つ足の獣だからこそできる戦い方だろう。


 初めて出くわしたその連携をかろうじて躱すことができたのは、実戦経験豊かな元傭兵であるムーアだからこそだろう。

 しかしさすがのムーアも完全な回避にはいたらない。

 中肢の爪がムーアの頬をかすめるように引っ掻いた。


 もちろんかすり傷である。

 戦いに身をおく者にとって傷とも言えない程度のわずかなもの。

 それがムーアの身体を縛る一手となった。


「か、身体が……!」


 途端にムーアの動きが鈍る。


(即効性の麻痺毒か!)


 突然言うことを聞かなくなった自らの身体に、長年の経験がそう結論付ける。

 わずかに届いた爪が持っていたのは肉を斬り裂く鋭さだけではなかったのだ。


(足が……!)


 踏ん張ろうとした足の感覚が鈍っている。


「大隊長!?」


 ムーアの様子がおかしいことに気付いてミネルヴァが声をあげた。


「まだまだあ!」


 声を張り上げてムーアは自分自身に気合いを入れる。


 どうやら麻痺毒はそれほど強いものではないらしい。

 感覚は鈍っているものの、動かせないほどではなかった。

 だがそれはつまり、これまで通りのように俊敏な動きは出来なくなったということでもある。


「どうした六本足! かかってこないのか!」


 今のムーアが獣を屠るためには、何とかして攻撃の届く範囲へと相手をおびき寄せるしかない。

 万が一にもミネルヴァへその牙を向けられないよう、ムーアはあえて大げさなまでの威嚇をする。


 しかし六つ足の獣はそんなムーアの意図を見透かしたかのように距離を取って近づこうとしなかった。


 その距離はおおよそ五メートル。

 いつものムーアならひと息で斬りかかれる距離だが、そこから前に出ようとせず様子を窺う獣の何と嫌らしいことであろうか。


 決して長くはない沈黙の時間。

 それを終わらせたのは獣の方だった。

 六つ足の獣が口を半開きにした次の瞬間、その中へ揺らめく炎が生み出される。


「なんだと!?」


 目の錯覚かと思われたその赤い色が、獣の口からこぼれ落ちるようにして垣間見えていた。


(まさか……、炎を吐くとでも言うのかよ!)


 見る見るうちにふくれあがる獣の頬。

 大きく息を吸って獣がのけぞった。

 明らかに攻撃の予備動作だろう。


(こんな、状態で……!)


 ムーアの背筋に冷たい汗が流れる。

 あれだけあからさまな予備動作があるのだ。

 普段のムーアならば回避することもできるであろう攻撃も、麻痺毒で身体の動きが鈍っている今の彼には脅威であった。


 獣が息を止める。

 その瞳が射貫くのは感覚の鈍い足でかろうじて立っているムーア。

 長く感じられる一瞬が過ぎ去り、獣の口が大きく開かれる。


(まずい!)


 赤い揺らめきが勢いを得てムーアへ放たれようとしたその時、周囲をかき乱す風と共に大きな物体が視界へと飛び込んできた。


「何だ!?」


 ムーアの問いに答える者は当然いない。

 代わりに周囲へ響きわたったのは重い衝撃音と獣の悲鳴。


「フギャアアア!」


 今まさにムーアへ炎を放とうとしていた獣が、どこからか飛んできた物体に押しつぶされていた。

 見れば獣を押しつぶしている物体そのものも、同じ形をした六つ足の獣である。


 だがその身体は無残に斬り刻まれ、六本中二本の足は既に存在していない。

 ボロボロの身体でぶつかってきた獣は既に息絶えている。

 それに押しつぶされた形の獣ももはやまともに動ける状態ではなさそうだ。

 事切れるのも時間の問題だろう。


(助かった……のか?)


 危機を脱したかに思えたムーアの周囲へ、再び飛来する六つ足の獣。

 いや、かつて獣であった物体と言うべきだろうか。

 あるものは首がなく、あるものは腹を斬り裂かれ、あるものは身体を黒焦げにされた状態で、多数のむくろが投石のようにムーアの周囲へと着弾する。


「一体どこから!?」


「大隊長、あちらからです!」


 いつの間にか駆け寄って来ていたミネルヴァが草原のある一方向を指し示す。


 遙か遠くかすかに見えるのは小さな影がいくつも飛び回っている様子。

 それが遠方の景色でなければ羽虫の群れと思えたかもしれない。


「こちらに近づいているようです」


 小さな影は時折方々へ飛ばされながら、一団となって移動していた。

 影の大きさが少しずつ大きくなる。

 それはつまり影の群れがこちらに近づいているということだ。


「誰かがあの獣と戦っているのか」


 やがて影の大きさが親指の爪ほどになったとき、それが多数の六つ足獣とひとりの人間が戦っている姿だとわかった。


 その動きはムーアが知る人間という種族の戦い方ではない。

 まるで空中のいたるところに足場が設えてあるかのように、不自然な挙動で右へ左へ上へ下へと縦横無尽に動き回っている。

 空を飛んでいる、と表現してもおかしくない光景だった。


「一体何者なんだ?」


 そうこうしているうちにも六つ足の獣は数を減らしていく。


 たった一体相手に命を落とす寸前であったムーアとその人物との力量はもはや比べるまでもないだろう。

 その人物が左右へ飛び回るのにあわせて六つ足獣が一体また一体と地に落ち、あるいは吹き飛ばされる。


 ある種異常な状景に目を奪われていたふたりは、後ろから近づいて来ていた存在に気が付かなかった。


「お待たせー。ずいぶん騒がしい感じだけど、どうしたの?」


「きゃっ!」


「う、うわあ!」


 突然声をかけられて肩を跳ね上げたムーアたちが振り向くと、そこには先ほど魔物を一体で引き受けたロナの姿があった。


「ロ、ロナ? 貴方無事だったのね」


「いつの間に……。びっくりさせないでくれよ。寿命が縮むかと思った」


「こんなところでボーッとしてる方が悪いんでしょ。……ん? ああ、誰か知らないけどネデュロの群れと戦ってるんだね」


 ムーアたちに軽く言葉を返すと、ロナはすぐさま周囲の状況を把握する。

 六つ足の獣とひとりの人間が戦っている様子に気付くと、事も無げに言い放つ。


「ネデュロって、あの六つ足獣のことか?」


「そうだよ。大して強くもないんだけど、どこに行っても湧いて出てくるし、気が付いたら増えてる面倒なやつだよ」


「大して強くも……」


 ロナの言葉に落ち込むムーア。

 その大して強くもない獣一体を相手にして、命を落とす寸前だったとはとても口にできなかった。


「うーん、こっちに近づいてくるねえ」


 ロナの言う通り、まとわりつく虫を払うように次々と獣を叩き落としながら男らしき人影は近づいて来ている。


「逃げた方がいいと思う?」


「多分大丈夫だと思うけど。あいつら頭悪いから血が上ってるとむやみやたらと突っ込んでいくばっかりだしね。まあ、万一ってこともあるから立ち去った方が――あれれ?」


 ミネルヴァの問いかけに答えていたロナの視線が、不意にある一点へ釘付けとなる。


「どうしたの、ロナ?」


「もしかして、あれって……」


 ロナの視線を追ってムーアたちも戦っている人物へと目を向けた。

 すでに彼我ひがの距離は相手の顔を判別できるほどに縮まっている。


 ムーアの目に映るのはボロボロの装備をまとった黒髪の男。

 年の頃は三十歳前後だろう。

 戦うために磨き上げられたバランスの良い筋肉はほとんどムーアの考える理想形に近い。


 彼の敵わなかった六つ足獣を、まるで取るに足らぬ存在のように吹き飛ばし、次々と骸を量産していた。

 荒々しさを感じさせながらも何故か切羽詰まった印象を受けるその戦い方に、ムーアは不思議と悲壮めいた感情を読み取る。


(なんだ、あいつの顔……、どこかで?)


 その顔にムーアは奇妙な既視きし感を抱いてしまう。

 引っかかる何かを記憶の奥から掘りおこそうとするが、どうにもうまくいかない。

 もどかしさで満たされ、思考の海へ沈んでいたムーアにはロナがぽつりと口にした人物の名も耳に入らなかった。


「アル? ……どうしてここに?」


2019/05/05 誤字修正 金色色 → 金色

※誤字報告ありがとうございます。


2019/08/12 誤字修正 遅れを取った → 後れを取った

2019/08/12 誤字修正 効果を表して → 効果を現して

※誤字報告ありがとうございます。


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