第153話
「ということで挨拶の時間はもう終わりだ。あとはあの世で仲間とよろしくやってくれ」
もはや歩み寄る余地はないとアルディスは突き放すように言った。
「…………な、なるほど。残念ですが話し合いは無駄というわけですね」
衝撃からかろうじて立ち直った眉なし男が交渉の失敗を認める。
もともとアルディスには交渉するつもりすらなかったのだが、今さらそれを口にしたところで何の意味もないだろう。
無言で剣を構えると、左右に浮かべた飛剣で部屋の中にいる構成員たちを牽制する。
「ですが、こちらも君を相手に正面から戦うつもりはさらさらありませんがね」
眉なし男のセリフに連動するかのようなタイミングで、部屋の中に変化が生じた。
それは目に見えるものではない。
おそらく大部分の人間にとって何が起こったのか理解できない類いの変化だ。
しかしごく一部の、魔力を感知することが出来る人間にとっては無視できないことであった。
その影響は魔力を感知することの出来ない者にもわかる形で現れる。
アルディスがその傍らに浮かばせていた二本の飛剣が、突然持ち手を失ったかのように音を立てて床に落ちた。
「魔力が……、消えた?」
本来であれば大気を満たしているはずの魔力がほとんど皆無と言ってもいい状態になっている。
「……いや、無理やり押し出されているのか?」
人の体も個人差はあれど魔力を有しているものだが、アルディスの身体からにじみ出ている魔力すらあっという間にこの場から拡散して離れていった。
明らかに自然な現象ではない。
なんらかの存在が関与した結果であることは明らかだろう。
「おや、さすがですね。しかしそれがわかったところでどうしようもないでしょう? 魔力が使えなければ魔術師などただの人。君ほどの魔術師を敵に回すのです。それなりの対策は立てているのですよ。多少は剣も使えるようですが、さすがにこの人数を相手にはできないでしょう?」
落ち着きを取りもどした眉なし男が獲物をいたぶるような表情で告げた。
それは彼らが意図的にこの状況を作り出したということを物語っている。
この状態でも体内にある魔力を消費することで魔術を使うことはできるが、発現した魔術はおそらく相手へ届く前に掻き消えてしまうだろう。
アルディスほどの魔力をもっていれば、それでもなお無理やり力技で魔術を展開することは可能かもしれない。
しかし無限に補われる大気中の魔力と違い体内の魔力は有限。
普段通りの威力と継戦能力は望めなかった。
ましてアルディスの手から離れて動く飛剣にいたっては、魔力の供給元を失いまったく役に立たなくなっている。
「今さら話し合いを再開したいなどと言ってももう遅いですよ」
飛剣の落下は、眉なし男へ自分たちが優位性を取りもどしたという錯覚を抱かせるに十分な現象だったのだろう。
先ほどまでの狼狽を捨て去り、生殺与奪の権を握ったとばかりに言い捨てる。
「剣魔術を使って奇襲をかければ今までは何とかなったのかもしれませんが、この状況で魔法が使えないとなれば、さすがの君でも打つ手はないでしょう。敵に回す相手を間違えましたね。君には仕事の邪魔をされたばかりか、拠点をつぶされた借りもあります。落とし前はきちんとつけさせてもらいますよ」
眉なし男の言葉が終わると同時、周囲の構成員たちが懐から思い思いの武器を取り出して一斉に襲いかかって来た。
「能力か道具かは知らないが、面白いものがあるんだな」
その手に握った『蒼天彩華』を構え、アルディスは敵を迎え撃つ。
「まあ、だからどうしたという話だが」
身体を沈めると真横に飛んで、向かってくる敵のひとりをかわしながら斬り捨てる。
その横に並んだ敵を斬り払った勢いのまま反転すると、今度は背後から襲いかかって来た敵の腕を骨ごと断った。
痛みに怯む相手の腹を蹴り飛ばし、再び立ち位置を素早く変えながら次の標的へと剣撃を叩きつける。
決してひとところに留まることなく、あえて先頭に立っている敵を負傷させ全体の動きを鈍らせる重石に変えながら、確実にアルディスは敵の数を減らしていった。
「何をしているのです! 相手は魔法も使えない魔術師ひとりですよ! 情けない!」
眉なし男が部下を叱咤するが、その『魔法も使えない魔術師』が実は剣術を最も得意としていることなど知っているはずもないだろう。
もちろんこの部屋にいる敵も階下の酒場で相手した三下とはわけが違う。
距離の詰め方ひとつとっても確かな力量を感じさせる。
しかしあまりにも相手が悪すぎた。
彼らが戦っているのは、軍ですら手出しを躊躇していた魔物相手に圧倒的な力で勝った人外じみたバケモノである。
いくら数を頼りに襲いかかろうともたったひとりを相手にするのでは同時に武器を振るう人数も限られるし、たとえ魔法を封じようとも剣魔術それ自体がアルディスにとってしょせん余技にすぎないのだ。
アルディスを討ち取ろうとするならば、せめてこの場にいる全員を『白夜の明星』のテッドや都市国家レイティンでマリーダの護衛をしているニコルほどの強者で揃える必要があるだろう。
敵の繰り出す攻撃はその全てがアルディスへ届く前に標的を見失い、逆にアルディスの剣は振るわれるたび血飛沫を生みだして部屋を赤く染めていく。
部屋の中と外界とを隔てる窓のガラスもその透明さは失われ、血色へと化粧されたように姿を変えていった。
「ま、まさか……、そんな……」
その惨状に眉なし男が再び青ざめた表情を見せはじめる。
既に眉なし男の配下たちは半数以上が物言わぬ姿になり果てていた。
魔力を封じられた魔術師ひとりと侮った失敗をようやく彼も認識したようだ。
その間にもアルディスの蒼天彩華は新たに血だまりを作り続けた。
やがて部屋の中で生きているのがたったふたりの人間だけになると、アルディスはもうひとりの生者に向け、赤く濡れた床を歩いて近づく。
一歩ずつアルディスの足が動くたびに物騒な液体の跳ねる音が響いた。
「な……。いや、待ってください……」
「命乞いか? さっきあんたが言ったセリフをそのまま返すぞ。――今さらだ」
「くっ……」
冷たい口調で突き放すアルディスにとりつく島もなしと観念したのだろう、眉なし男の表情に諦めのような色がはじめて浮き上がる。
「ふんっ、ここまでですか……。あっけないものですね、終わりの到来というのは」
イスの背もたれに上半身を投げ出すと、肩の力を抜いて大きく息を吐く。
「まあいいでしょう。最後に君の悔やみ苦しむ顔が見られないのは残念ですがね」
「どういう意味だ?」
最後の抵抗とばかりに吐き捨てる眉なし男をアルディスが問い詰める。
「一度請け負った仕事、それも実入りのいい大仕事から一度失敗したくらいで手を引くと思いますか? 今頃あの令嬢はどことも知れぬ場所へ迷い込んで帰って来れなくなっていることでしょう。君ひとり勝ち逃げはさせませんよ」
「……」
アルディスが言葉を返さないことに気を良くしたのか、乾いた笑いと共に眉なし男は舌をなめらかに回転させた。
「ははっ。いい気味ですね。こういうのを何て言うんでしたっけ? ざまあ見ろって――」
だがその言葉が最後まで紡がれることはない。
もはや聞く耳ももたないとばかりに振り抜かれた蒼天彩華の刃が眉なし男の首を刎ね飛ばす。
血の匂いと静寂に包まれた部屋の中で、ゴトリと音を響かせて床に落ちた首に一瞥を投げながらアルディスはひとりつぶやく。
「ロナが側にいる以上、大丈夫だとは思うが……。急ぐか」
ミネルヴァが再び襲撃されることは想定していたことだ。
だからこそアルディスは自身が最も信頼する相棒を彼女の護衛にと残している。
この程度の相手にロナが後れを取るとは思わないが、それでもこちらの用事が片付いたからには駆けつけることに躊躇する理由はない。
その一方で先ほど部屋中の魔力を拡散させてしまった何ものかを突き止めたい、という欲求も同時に浮かぶ。
部屋の中にいた全員が血に沈んだ今、おそらく先ほどの事象を起こしたのは人ではなく何らかの道具だろうとアルディスは推測している。
ならばそれを探る機会は今をおいて他にないだろう。
今この場所を離れれば、次にここへアルディスがやって来ることはきっとないからだ。
アルディスの迷いはほんの数秒。
決して長い時間ではなかった。
だがしかし、状況はそんなアルディスをあざ笑うかのように変化を見せる。
突然アルディスは自らの身体を襲う異変に見舞われた。
「な、んだ……これは!」
アルディスの身に降りかかったのは今まで感じたことのない不思議な事象。
身体の中から何かが引っ張り出されてどこかへと吸い寄せられるような、奇妙な感覚だった。
「引っぱら、れる……」
身体の奥底、そのさらに深部へと直接手を突っ込まれたかのような不快感。
立っていられなくなったアルディスが思わず床にヒザをつく。
精神に干渉する魔法は多々あれど、このような感触をもたらす魔法の存在はアルディスにも覚えがない。
周囲の風景が歪んで見え、金属片を鍋の中でかき回すような異音が耳をつく。
「ふざけるな……!」
眉なし男や組織の残した最後の悪あがきなのか。
それとも彼らとは関係のない第三者からの攻撃なのか。
今のアルディスにそれを確かめる余裕はない。
ただ感覚的に自分の存在が希薄になるような、それでいてどこか懐かしさを感じる気配に包まれながら、アルディスはついにその意識を手放した。
2019/08/12 脱字修正 話合い → 話し合い
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