第152話
酒場の奥にある階段を上りはじめたアルディスは、不意に頭上から降りかかってくる殺意へ反応する。
考えるより早く、抜いたままの『蒼天彩華』を殺意に向けて突き上げた。
「ぐは……」
剣の先が貫いたのはダガーを片手にした男の腹。
天井の一部がポッカリと空き、そこから隠し部屋のようなスペースが見えていた。
階段を上り下りする人間への不意打ちを考えて作られた場所なのだろう。
男が手に持つダガーには何やら液体が塗られ、窓から差し込む月光を妖しく反射している。
剣をつたって垂れ落ちる血に顔をしかめる暇もなく、今度は階段左右の壁から二本ずつ槍が突き出された。
天井から襲いかかって来たのとは違い人間の気配が感じられなかったためアルディスの反応が一瞬遅れるが、魔力によって強化されているわけでもないただの槍では瞬間的に展開された物理障壁を破ることさえできない。
硬質の岩へ穂先を叩きつけたような音と共に、槍の柄が折れて弾かれる。
「からくり仕掛けか?」
持ち手もなく襲いかかってきた四本の槍を見て、アルディスが聞きかじりの知識を思わずこぼす。
まだ息のあった天井男にとどめを刺して階段の下へ放り投げると、アルディスはそのまま歩みを進めた。
階段を上りきり、二階の廊下に出たアルディスが見たのは、厳めしい扉とその両側に立つふたりの女。
女たちは使用人のお仕着せを思わせる揃いの服を着ており、やって来たアルディスに向けて恭しく頭を垂れた。
外から見る酒場の薄汚れたイメージと違い、小綺麗な身なりをしたふたりの存在と彼女たちに挟まれた両開きの立派な扉は妙に場違いな雰囲気を感じさせる。
「ようこそいらっしゃいました。この奥で頭目がお待ちです」
先ほどアルディスが階段でひとり始末したのも当然目に入っているはずにもかかわらず、何事もなかったかのように女たちはアルディスを迎え入れた。
扉を左右それぞれ引いて開けると、再び一礼して扉の左右に控える。
開いた扉の奥には立ち並ぶ大勢の人影が見えていた。
訝しみながらも部屋の中へ入ろうとしたアルディスに、突然何の前触れもなく左右にいた女たちが腕を突き出してくる。
その手にはいつの間に取りだしたのか刃渡り二十センチほどのダガーが握られており、切っ先はアルディスの首と脇腹を的確に狙っていた。
もちろんこの状況で油断するアルディスではない。
当然の対応とばかりに右から襲ってくる女の腕を斬り落とし、同時に左手でもう一方の女が突き出してきた手首を握って止めた。
なおも武器を取り出して斬りかかろうとしてくる女たちの首を、無詠唱で生みだした魔力の刃を使いすぐさま刎ねる。
力を失いゴトリと音を立てて倒れた女ふたりをそのままに、アルディスは平然と部屋へ足を踏み入れた。
「ようこそ、お客人」
アルディスの通った扉は部屋の端に位置するらしく、向かって左側はすぐに壁が続き、逆に右側へ空間が広がっていた。
声のした右側へ視線を移すと、部屋の奥に置かれた机へ両肘を立てて顎をのせた姿勢の中年男が目に入る。
四十代半ばに見えるその男には眉がなかった。
生来のものかそれとも剃っているのかはわからないが、頭部は薄い紫色の髪で覆われており、決して体質的に無毛というわけではなさそうだ。
その男が油断のならない笑みを浮かべてアルディスへと視線を向けている。
先ほど聞こえた声の主はおそらく彼のものなのだろう。
その左右には武装した男たちが立って控え、部屋全体を囲むようにして大勢の人間が立ち並びこちらを見据えている。
立ち位置的に眉なし男がこの場で最も上位の存在と思われた。
「さあ、そんなところで立っていないで中へお入りください」
つい先ほど、目の前で彼らの仲間であろうふたりの女を殺したアルディスに向け、何事もなかったかのようにふるまう眉なし男。
周囲に立つ人間たちも平然としたままだ。
アルディスはその様子に薄気味悪さを感じながらも、顔には決して出さず歩を進める。
相手が常軌を逸した行動でこちらへ揺さぶりをかけるつもりなら、こちらはそれを涼しい顔で受け流すだけだ。
雰囲気に飲まれたところでアルディスには何の利もないのだから。
魔力を使って確認した限り、この建物に残っている人間は全てこの部屋にいると思われた。
過程はどうあれ最終的には叩きつぶす対象である。
隠れた相手を捜し回るより手間が省けてちょうど良かった。
部屋の中央まで進み出たアルディスは、周囲を四十人近い敵で囲まれたような状態になる。
決して狭い部屋ではないものの、中にいる人数が多いため最も近い相手との距離は三メートルほどしか開いていない。
向こうが斬りかかって来たならば、おそらくひと息で刃が届く距離だろう。
もちろんそれはアルディスとて同じ条件だ。
その気になれば部屋の中にいる誰が相手でも一瞬で命を刈り取れる自信があった。
「ようこそおいでくださいました。下ではずいぶん手荒な歓迎をしてしまったようで、申し訳ありません」
悪いなどとちっとも思ってなさそうな口調で、眉なし男が気持ちのこもっていない謝罪を口にする。
「なあに。迷惑なのはお互い様だ。それに今からあの世へ旅立つ人間がいちいちそんなことを気にする必要はない」
「おや、怖いですね」
おどけて見せた眉なし男は体勢を変え、イスに背中からもたれかかるとアルディスの言葉などどこ吹く風で話を続ける。
「うちとしてはもともと『千剣の魔術師』と事を構えるつもりもありません。先日は仕事の都合上、やむを得ず衝突する形になってしまいましたが、出来れば君とはこの辺で手打ちにしたいと思っているんですけどね?」
「都合のいい話だな。手打ちにしたいと考えるのは勝手だが、こっちは何の理由もなくある日突然襲われたんだ。はいそうですか、とすんなり受け入れるわけがないだろう?」
「ですがそちらもうちの大事な部下たちをついさきほど大勢手にかけたのです。お互い様ですよね? 階段で君を歓迎した彼も、そこで君を迎え入れた彼女たちも、うちにとってはかけがえのない人員だったんですよ」
「襲いかかっておいて、今さら被害者面か? それに一切の助けもよこさないで『大事な部下たち』とは、聞いて呆れる」
「大事ですとも。大事だからこそ彼らの死はうちにとっても大きな損失であり、耐えがたい傷になるのです。だって――」
ねっとりとベタつくような笑みを浮かべて眉なし男は机に立てた両腕の先へ顎をのせる。
「こちらにも被害がないと、ご納得いただけないでしょう?」
「……ああ、なるほど」
アルディスは胃を汚泥で満たされるような感覚に陥る。
階下の酒場でアルディスに襲いかかった者たちは最初から手打ちのために捨て駒として用意されていたのだろう。
彼らは何も知らされず、ただアルディスの溜飲を下げさせるために生け贄として差し出されたというわけだ。
もちろん彼ら自身が組織の一員である以上、もとから叩きつぶす対象であることは変わらない。
だがそれでも、眉なし男と組織のやりようにアルディスはツバを吐きかけたい気持ちになった。
「あんた。俺の大嫌いなタイプだよ」
飾り気ひとつない素直な言葉がアルディスの口から叩きつけられる。
「困りましたね。しかしこれ以上の譲歩はこちらとしても――」
「譲歩はいらん。俺が要求するのはただひとつ、『消えろ』という事だけだ」
なおも言葉を重ねようとする眉なし男の言葉をアルディスは一蹴した。
「それは穏やかではありませんね。『消えろ』とおっしゃっても、まさかこの場にいる全員を殺すつもりと言うわけではないでしょう?」
「だからそのために来たんだと、まだわからないのか?」
困った坊やだと言わんばかりに眉なし男がため息をつく。
「世の中には必要悪というものがありましてね。うちはうちなりにこれでも世の中で必要とされる役割を担っているのですよ。うちを必要としてくださるお客様も大勢いらっしゃいます。まあ、お金を持っている方限定ですが」
「自分たちに存在価値があるとでも?」
「違いますか? 自分たちが正義だなどと寝言を申し上げるつもりはありませんが、なくても良いというものでもない。それくらいの主張は許されるでしょう?」
「あんたらみたいなのが必要悪だということは俺も理解している。だが、それとこれとは話が別だ。似たような組織はいくつもある。あんたらがいなくなれば他の組織がその分仕事をするだけだ」
現に王都の拠点をつぶして回る間、アルディスは自分を監視し続ける視線に気付いていた。
おそらく競合相手である組織の人間が、眉なし男の組織相手に派手な立ち回りをしているアルディスの動向を探るため張り付かせているのだろう。
アルディスに対する敵意も感じられず、手を出してくるわけでもないためとりあえず放置している。
むしろアルディスに手を出した組織の末路をしっかりと持ち帰って報告してくれれば、他の組織に対しても牽制になると判断したからだった。
「たとえ全ての組織が壊滅しても、また同じような組織が出来上がる。だからあんたらがいなくなっても、大して世の中は変わらん」
「だったら逆も言えるでしょう? うちだけがなくなったところで世の中は何ひとつ変わりません。うちに『消えろ』と求めたところで無意味ではありませんか」
「言っただろう、それとこれとは話が別だと。俺があんたらに剣を向けるのは、別に正義の味方を気取ってるからじゃない。単にあんたらが『俺の敵』になったから、それだけだ」
単純な理由だった。
眉なし男の組織が今まさに窮地へ陥っているのは、それが悪だと断じられたからではない。
単に半年間面倒を見てきた生徒の命を狙われたからである。それもアルディスを巻き込むという釈明の余地すらない形で、だからだ。
「困りましたね。これでは話が平行線です。ですが本気でこの人数相手に勝てるとでもお思いで? うちの構成員はここにいるだけが全てではありませんよ? その全員をおひとりで相手にするつもりですか?」
「ここにいる全員を相手にしても勝てるし、他の構成員はあらかた片付けた。今ここにいるのが組織のほぼ全てだ」
平然と言ってのけたアルディスに、眉なし男は思わず相貌を崩した。
「ふ……、ふふふ……。はははははっ!」
何がそこまでおかしかったのか、それまでの怜悧な印象を吹き飛ばすかのように大笑いする眉なし男へアルディスは冷たい視線を送る。
「いや、失礼。あまりにも非現実的なお話だったものですから、少々意表を突かれました。さすが『千剣の魔術師』様ともなれば、気宇壮大でいらっしゃる。ですがあまり突拍子もないことを口にされるのはおすすめしませんよ。まわりの方にご迷惑が――」
「エルメニア帝国に三拠点、都市国家連合に五拠点、トリアに三拠点、そしてこの王都にここを含めて四拠点。全部で十五拠点」
再び眉なし男の言葉へ重ねるようにアルディスが口を開いた。
ただ場所と数を並べ立てているだけだが、それを聞いているうちに眉なし男の顔色が明らかに変わっていく。
眉なし男の両側に立つ武装した男ふたりもその表情に動揺を見せ、周囲の人間たちからも言葉にならないざわめきの気配が伝わってくる。
アルディスの言わんとするところを理解したのだろう。
「――ここ以外の拠点は全部つぶした」
「ま、まさか。確かに王都の拠点がひとつ襲撃を受けたとは聞いていますが、それ以外は何も……」
アルディスの言葉をにわかには信じられないのも当然だろう。
実際、チェザーレから入手した情報では組織の拠点数もエルメニア帝国にふたつ、都市国家連合に四つ、トリアにひとつ、それに王都にこの場所を含めて四つだった。
それ以外の拠点についてはアルディス自身が調べ、あるいは捕らえた者の口から聞き出したのだから。
もしかしたらまだ残った拠点があるかもしれないとアルディスは考えていたが、眉なし男の引きつった笑みを見る限り取りこぼしはなさそうだった。
「帝都からの報告は明日くらいに着くんじゃないかな? 報告を送る人間と、報告を受け取る人間がいればの話だが」
「ハ、ハッタリです!」
余裕の仮面が剥がれつつある眉なし男へ、アルディスは指折り数えながら教えてやった。
「帝都の双剣使い、都市国家連合のカルヴスにいた細剣使い、あとトリアのは暗器使いだったか。偉そうにしていたヤツは全員あの世であんたたちが来るのを手ぐすね引いてまってるぞ」
「な、な……」
絶句する眉なし男は、取り繕った笑みを浮かべる余裕すら既になくしていた。
ようやく自分の置かれた状況を理解したらしい眉なし男へ向けて、アルディスは二本の飛剣を左右へ配置して宣告する。
「ということで挨拶の時間はもう終わりだ。あとはあの世で仲間とよろしくやってくれ」
2019/03/10 誤字修正 まだ息の合った → まだ息のあった
※誤字報告ありがとうございます。
2019/07/23 誤字修正 例え → たとえ
※誤字報告ありがとうございます。
2019/08/12 脱字修正 四十半ば → 四十代半ば
※脱字報告ありがとうございます。
2019/12/22 誤字修正 陽光 → 月光