第151話
王都の大通りから離れた外壁近くにある薄汚れた一角。
スラムと呼ぶほどひどくはないが、決して裕福な人間がいる場所でもない。
行き交う人々は搾取されるうつろな目をしている者と、搾取する側のギラついた目をしている者、そしてその合間をたくましく泳ぐ理知的な目をしている者に分かれる。
夜の街が最も活気を見せる時間帯、フードで顔を隠したアルディスはとある酒場に足を踏み入れた。
酒場でテーブルについて飲んだくれているのはいずれもギラついた目をしている人間ばかり。
ただの酔客ではない。
この場にいる人間はろくでなしどころか他人の不幸をメシの種にしている悪党ばかりである。
他人の不幸をメシの種にしているという意味では傭兵に世間から向けられる評価というのも大して変わりがないが、少なくともアルディスはこの場にいる人間のように自分から進んで不幸を振りまくほど性根が腐ってはいない。
店内は場末の酒場にありがちな装飾のかけらもないシンプルな内装。
酒の質よりも安く酔えればそれでいい、という客層向けの店に見えた。
もちろんそれが偽装された見かけだけのものであることをアルディスは知っている。
アルディスは店内に入るなり、四方八方から無遠慮な視線を浴びせられた。
それは単に常連の店へ見慣れない一見客がやってきたからではないだろう。
彼らにとって、ここは単なる酒場ではない。
酒場の体裁を整えているだけで、ここが万人に開かれた場所ではないことをこの周辺の住人は知っている。
だからこの辺りに住む人間は絶対に足を踏み入れない。
たまに外部からやって来た人間が間違って迷い込むこともあるが、よほど鈍い人間でなければ向けられる視線の鋭さと多さにすぐさま踵を返すだろう。
張りつめた雰囲気と刺すような視線を身に浴びながら、それでもカウンターへ向けて淡々と歩みを進めるアルディスのような人間はあまりいない。
やがて店員と思われる禿頭の男が、カウンターを挟みすぐ近くまで歩み寄ってきたアルディスへ向けて吐き捨てる。
「ここは一見お断りだ。帰んな」
それが男にとって最大限の優しさなのか、それとも面倒事を引き起こしたくない気持ちから出た言葉なのかはアルディスにもわからない。
だがいくら表向きとはいえ、仮にも酒場の体裁を整えている場所で客に向ける態度ではないだろう。
思わず鼻で笑ったアルディスへ禿頭の男が苛立つ。
「おい、聞こえなかったのか? さっさと回れ右して帰れってんだよ!」
アルディスは背後で数人が席から立つ気配を感じた。
ずいぶん沸点の低いヤツらだと思いながら、アルディスが用件を告げる。
「ここの責任者に用事がある」
「あん?」
一瞬意表を突かれた表情になった男が問い返す。
「なんだと?」
「ここの責任者に用がある、と言ったんだ」
繰り返すアルディスに、禿頭の男は不機嫌もあらわにして怒鳴った。
「はんっ、テメエの都合なんざ知らねえよ! あいにくこっちはテメエに用事なんてねえ。さっさと帰れ!」
「用事があるのは責任者であって、あんたじゃない」
「おれがこの酒場の主人だ! 店の責任者ってのはおれのことだろうが!」
一方的に帰れと声を荒らげる男に、平然とした声でアルディスは対応する。
背後で席を立つ人数が増えた。
「俺が言ってるのはここの責任者であって、あんたみたいな三下じゃない。あんたら全員に『死んでこい』と命令できる人間のことだ」
アルディスはわざとらしくため息をつくと、『ここ』という言葉を強調して告げる。
もともとこの酒場がミネルヴァ襲撃犯たちの所属する組織の拠点であることは知っているのだ。
エルメニア帝国、都市国家連合、そしてトリアと組織の拠点をつぶして回ったアルディスが、最後の仕上げとして王都にある三箇所の拠点をわずか一時間でつぶし終え、最後にやって来たのがここだった。
「テメエ……」
アルディスのいう『責任者』が何を意味するのか理解した禿頭の男は、警戒の色を表情に浮かべた。
同時に背後で鞘から剣を抜く音が聞こえる。
幾人かは退路を断つために入口を塞ぐ位置へ移動しているようだ。
「逃げられると面倒だから、せめて親玉の顔を確認してからにしようと思ったんだがな」
やれやれといった感じでアルディスがフードを脱いで顔を見せる。
「なっ、その顔は……!」
「へえ、やっぱり顔は知られてるのか。フードで隠しておいて良かった」
アルディスの顔を見た禿頭の男が絶句した。
「先日は派手な挨拶をありがとうよ。挨拶を受けっぱなしというのも礼儀に欠けると思ったんでな。今日は返礼、ってわけだ」
「ちっ!」
男の反応は早かった。
驚きから立ち直るなりカウンターの下から黒塗りのナイフを取り出すと、何の迷いもなくアルディスの首を狩るために振り抜こうとする。
「遅い」
しかしその刃先はアルディスのもとへ届かない。
ナイフが振り抜かれるより早く、アルディスが腰から抜いた『蒼天彩華』が男の首を横に斬り裂いていたからだ。
切り口から噴き出した血がカウンターまわりを赤く染める。
「テ、テメエ!」
アルディスを明らかな敵と認識して店内にいた人間たちが色めき立つ。
振り返ったアルディスが見たのは店中を埋め尽くす敵意と殺意。
店の中にいた全員が立ち上がり、武器を構えてアルディスを囲んでいた。
その人数はおよそ三十人。
十代と思われる年若い者もいれば五十を過ぎたであろう初老の者もいる。
そのうち四人ほどが女だった。
ひとりの例外もなくアルディスに敵意を向けていることからも、この場にいる人間すべてが組織の構成員であることは間違いないだろう。
だがそれは絶体絶命の危機を示すわけではない。
アルディスに言わせれば「わかりやすくていい」ということになる。
味方どころか一般人すらひとりもいない、斬る相手を選ぶ必要がないというのは、ある意味気持ち的に楽ですらあった。
ふり向いて顔を見せたアルディスに、敵の幾人かが動揺を見せる。
「あいつ、千剣の魔術師だぞ!」
「乗り込んで来やがった!」
商売柄、強い人間の情報は得ているのであろうし、何といってもミネルヴァが襲撃を受けた際にそれを阻んだ張本人でもある。
酒場内にいる敵の顔色が変わった。
「詰めろ! 魔法を唱えさせるな!」
「続けて斬り込め!」
誰ともなく指示が飛び、すぐ側にいた数人がアルディスへ斬りかかってくる。
もちろん対魔術師の戦い方としては間違ってなどいない。
距離が開けば魔術師に利するばかりである以上、連続して斬りかかるというのは有効な対処だろう。
もちろん、相手がアルディスでなければの話だが。
「近づいてくれた方が――」
都合がいいとばかりにアルディスは蒼天彩華を振り抜いて、まずはふたりをあっさりと斬り伏せる。
アルディスにとってはまとわりつかれるよりもこの場から逃げられる事の方が面倒であった。
『刻春霞』と『月代吹雪』を表口と店の裏手へと続く場所に位置取らせ、逃げ場を絶った上で自らは敵中へと斬り込む。
アルディスは撫でるように剣を滑らせて襲いかかってくる敵を裂いていく。
ひと振りで確実に相手の首を掻き切りながら、同時に二本の飛剣でも敵を追い詰める。
やがて血だまりに倒れる人間が二十人を超えた頃、ようやく自らの判断ミスを理解した敵の一部が逃走を試み出した。
しかし当然ながらそれは二本の飛剣により防がれてしまう。
「うわあっ! 助け――」
救いを求める声を遮るように月代吹雪の刃が喉元を斬り裂いた。
出入口を飛剣により塞がれた敵はひとりまたひとりとアルディスに倒されていく。
もとよりアルディスはひとりも逃すつもりなどない。
この場にいない者はどうしようもないが、目の前にいる敵へかける慈悲などという考えはなかった。
アルディス自身に、何より教え子であるミネルヴァに手を出した時点で彼らの運命は決していたのだ。
ほんの三分。
それが酒場の中にいた人間全てを屠るのに必要とした時間であった。
「増援は……、来なかったか」
酒場は二階建てとなっている。
外から中の様子を窺うことはできなかったが、おそらく上に組織の長がいるのだろう。
既に国外国内を問わず組織の拠点はここ以外全てつぶしてきている。
衛兵のように多数の人間で一斉摘発が出来ない以上、ある程度の取りこぼしは仕方ないことだとアルディスは考えていた。
必要なのは組織の人間を根絶やしにすることではなく、今後アルディスやその保護対象に手出しを躊躇してしまうほどに圧倒的な力を見せつけることだ。
もちろん目の前にいる敵をわざわざ逃がしてやるほどアルディスは慈悲深くもないのだが。
「上にまだ大勢いるな。三十……、いや四十人くらいか」
これだけの大立ち回りをしたにもかかわらず誰ひとり下りてこないということは、襲撃だと理解した上で待ち受けているということでもある。
同時に襲撃があることを事前に把握していたということなのだろう。
いくらアルディスが短時間で組織の拠点をつぶしていったとはいえ、相手は諜報活動も行っているプロだ。
国外の拠点壊滅はまだ報告が届いていないだろうが、一時間前につぶした王都内の別拠点については情報が届いている可能性も高い。
襲撃が来るのを把握した上で迎え撃つ準備をしつつ、酒場にいた役立たずの三下たちへは救いの手を差し伸べることなく躊躇なく見捨てる。
今の状況はこの組織の長がそういうドライな判断が出来る人物であることを表していた。
「失敗したか?」
長に逃げられた可能性に考え至り、アルディスは先に長や幹部連中を叩いておくべきだったかと自問する。
「しかしそれをするとモグラたたきだしな……」
下手にまとまりを欠いて組織が分裂してしまっては余計な手間をかけることにもなるし、台頭してくる人間をその都度叩くという面倒さがあった。
もともとは組織を壊滅させて今後こちらに手出しすることを躊躇させるのがアルディスの目的だ。
当然ながら他の同業者たちに対する警告や見せしめの意味もある。
そういう観点からは、現時点でも十分目的を達成していると言えよう。
国内外にある主要な拠点を全てつぶされ、相手は組織として大打撃を受けている。
たとえ組織の長が逃げたとしても再建は相当困難を極めるはずだ。
二度とアルディスやその周辺へ簡単に手を出そうとはしないだろう。
「完璧を求める必要はないか」
アルディスはそう言って自らに言い聞かせると、最後の仕上げとばかりに二階へ向かう階段を上りはじめた。
2019/05/02 誤用修正 荒げる → 荒らげる
2019/07/30 誤字修正 関わらず → かかわらず
2019/07/30 誤字修正 例え → たとえ
2019/08/12 修正 吹き出した → 噴き出した
※誤字報告ありがとうございます。