第150話
公爵邸の鍛錬場でミネルヴァが襲われてから二日。
アルディスは公爵からの呼び出しを受け、襲撃の黒幕が判明したと知らされる。
黒幕はやはり貴族。王太子の第一王子と年の近い娘を持つ侯爵だった。
その名は聞き覚えのない貴族だったが、大事な生徒を危険にさらした敵としてアルディスはしっかりと脳裏に焼きつける。
公爵の話では令嬢暗殺を阻んだ邪魔者として、アルディス自身も逆恨みされているようだ。
『君ほどの腕前ならそうやすやすと後れは取らないだろうが、念のため警戒しておけ』
と、ありがたい忠告を受け取ったアルディスは公爵の強かさに顔をしかめる。
護衛の任についているならともかく、一介の指南役でしかないアルディスへ襲撃者の黒幕を教える必要など本来はないのだ。
それをわかっているであろう公爵がわざわざ黒幕の存在を明かすということは、この件にアルディスを巻き込もうという意図があることは明白だろう。
もちろんアルディスにとってミネルヴァはもはや見知らぬ他人ではない。
三日に一度のペースではあるが、半年間剣術を教えてきた大事な生徒である。
だから当然襲撃者とその黒幕に対する憤りは感じていた。
『貴族には貴族なりに報復の手段があるのでね』
公爵がそう言って冷たい笑みを浮かべていたことから、侯爵へ何らかの対処を行うつもりなのは明白だった。
ならばアルディスが対処すべきは実行犯である襲撃者たちであろう。
公爵のもとを辞したアルディスは、合流したロナへミネルヴァの護りにつくよう指示を出す。
「しばらくミネルヴァの身辺警護についてくれ」
「別にいいけど? アルはどうするの?」
「俺か?」
決まってるじゃないかとアルディスは口だけで笑う。
「今度はこっちから出向いてやるさ」
「なんかそっちの方が面白そうなんだけど?」
「俺がミネルヴァの側につくわけにはいかないだろ? それに一日中一緒なら食事もおやつも期待できるんじゃないのか?」
「むー……」
ロナは少しだけ考え込んだあと、諦めたような表情を浮かべる。
「そだね。わかった。今回はアルに譲るよ。ミネルヴァのことはボクに任せておいて」
「ああ、頼む。これで俺も心置きなく暴れられる」
翌日、アルディスはミネルヴァを訪ねるとしばらく鍛錬を中断すると伝えた。
「わ、私なら大丈夫です! 怪我もありませんし、三日もお休みさせていただいたのですから体力も十分です!」
「ああ、そういう意味じゃないんだ」
勘違いしているらしいミネルヴァに、アルディスは言葉を補足する。
「俺がしばらく時間を取れなくなるだけで、ミネルヴァがどうこうというわけじゃない。こっちの都合で申し訳ないがしばらくは自習ということで例の課題でもやっていてくれ」
「師匠の都合――ですか? ……そういうことでしたらわかりました。頑張ってあの課題をクリアして見せます」
前向きな雰囲気を見せたミネルヴァに、アルディスは「その意気だ」と満足そうに頷く。
「それでな、俺が忙しい間にロナを預かっていてもらいたいんだが、頼めるか?」
「ロナをですか?」
「公爵閣下には許可を得ているから、その辺は気にしないでいい。ただ、屋敷の使用人たちはロナを怖がってるから、どうしても世話をミネルヴァにお願いすることになるんだが――」
「全然、まったく、何ひとつ問題はありません! 師匠がお戻りになるまでロナのお世話はお任せください!」
身を乗り出して食い気味に承諾するミネルヴァ。どうやらずいぶんとロナは彼女に気に入られているらしい。
「そうか、助かる。これはお礼代わりだ、もらってくれ」
目論見通りロナをミネルヴァの側へつけることが出来たアルディスは、手に持っていた刃渡り七十センチほどの剣を生徒へと与える。
「なんですか? ショートソード……?」
「護身用に持っておけ。俺の魔力を込めてあるから、その辺で売っているのよりはいい品だぞ」
アルディスの表現は控えめだが、素体となっているのは王都でも指折りの鍛冶師シュメルツが打った重鉄製の逸品だった。
さらにそこへアルディスが護りの魔術を付与した魔剣である。その価値も市場に出れば金貨百枚はくだらないだろう。
「ありがとうございます!」
そうと知らないミネルヴァは純粋に師匠から剣を与えられたことが嬉しいのか、満面の笑みを浮かべている。
貴族令嬢が剣を贈られて喜びにかんばせを染めるというのは正直アルディスもどうかと思うが、この際それは気にしないことにした。
ロナが護りにつくなら、アルディスがいない間に次の襲撃が来たとしても安心できる。
この相棒を出し抜くことが出来る存在など、そうそういるものではないのだから。
アルディスはロナに「頼むぞ」と声をかけると公爵邸をあとにする。
三日前は公爵邸の護衛たちが邪魔になり、襲撃犯の一部を取り逃してしまった。
状況的にその場を離れられなかったのは仕方ないが、アルディスとしては少々不本意な結果である。
「さて。人の生徒に手を出しておいて、ただで済むと思ってもらっちゃ困るしな」
誰も聞く者のいない路上で不敵に言い放つと、そのまま三本の剣を両腰に下げて街の中へと足を進めた。
いくつかの酒場に顔を出し、お目当ての人物を見つけるとニヤリと笑みを浮かべながら近づいていく。
その笑みを向けられた人物の方はといえば、苦虫をかみつぶしたかのような顔をして必死に視線をそらそうとしていた。
「よう、チェザーレ」
「……どうも」
もちろん彼がアルディスから逃れられるわけもない。
情報屋であるチェザーレにとって、アルディスは望む望まざるに関わらず客であることに変わりないのだ。
「……何のようですか?」
おそらくアルディスの表情からロクでもない用件だと察したのだろう。
チェザーレはしぶしぶと用向きを訊ねた。
「情報を買いたい」
「どんな情報をお望みで?」
あきらめ顔でチェザーレが商売に移る。
「三日前に公爵邸が何者かの襲撃を受けたのは知ってるよな?」
「まあ……、これでも情報屋の端くれですから」
公爵邸襲撃については一応箝口令が敷かれている。
王都のど真ん中で高位貴族の屋敷が白昼堂々と襲撃されたなどと、あまりにも風聞が悪すぎるからだ。
公爵自身にしてもそうだし、王都の治安という意味でも王家として、国として、軍として面目は丸つぶれだろう。
しかし夜間に侵入者を許した程度ならいざ知らず、魔石による大規模な爆発が起こっている。
いくら関係者が口を噤んだところで、騒動の情報は人の口から口へと凄まじいスピードで駆け抜けていった。
当然情報屋であれば知っていて当然のことである。
それを確認した上でアルディスは単刀直入に告げた。
「襲撃者の情報が欲しい」
「売れと言われれば売りますけど……。それを聞いてどうするつもりです?」
どう考えても厄介事の気配がするのだろう。
チェザーレは嫌そうな顔を隠しもしない。
本来なら情報屋と客の間でそのように相手の事情へ踏み込んだ問いかけがされることはないが、初めて会った時からこれまでの経緯がチェザーレの警戒心を刺激するらしく、彼はその裏事情を探りにかかった。
「いやなに、ちょいとおイタが過ぎるみたいだからな。イタズラも度が過ぎると取り返しのつかないことになるって勉強してもらおうかと思ってさ」
「別に貴方が襲われたわけじゃないでしょうに」
「ここのところ公爵家とは付き合いがあってな。詳しくは話せないが公爵から報酬をもらって仕事をしているんだ」
「それは知っていますよ」
「だったら言うまでもないだろう? 俺の大事な生徒に手を出したんだ。それなりのしっぺ返しは受けてもらわなきゃな」
チェザーレが大きくため息をつく。
その様子を見る限り、アルディスが指南役としてミネルヴァへ剣術を教えていることも掴んでいるのだろう。
なんだかんだと言ってアルディスとチェザーレの付き合いも長い。
チェザーレとしては不本意かもしれないが、この状況でアルディスが大人しくしているような性格ではないことを理解できるほどには多くの言葉を交わしてきたのだ。
「言っておきますけど、相手は大きな組織です。いくら公爵家が後ろについているからと言って、もめると後々尾を引きますよ? 魔物相手とは話が違うんですからね」
忠告めいた言葉を口にするチェザーレへ、アルディスは軽い調子で答える。
「大丈夫、大丈夫」
「何が大丈夫なんだか……」
再び大きなため息を吐いたチェザーレはしぶしぶと情報料をアルディスへ提示した。
公爵から聞いた話に加え、数枚の金貨と引き替えにチェザーレから情報を手にしたアルディス。
人格はともかくとしてさすがアルディスの認めた一流情報屋である。
襲撃犯の所属する組織について、拠点や構成人数など必要な情報を知ることができた。
王都を中心として都市国家連合や帝国にまで勢力を伸ばしているその組織は、裏社会でもそれなりに名の知れている存在らしい。
依頼を受けて暗殺、諜報、破壊工作を行い、同時に生業として人身売買や違法商品の売買、そして場合によっては野盗紛いのこともやっているようだ。
『手心を加える必要性は微塵もないわけだ』
アルディスがそう口にしたとき、チェザーレは見目の良い顔を思いっきりしかめていた。
金で暗殺を請け負うような組織がまともであるわけもなく、アルディスは徹底的に叩きつぶすことを決める。
酒場から表に出ると、アルディスは大通りをひとり歩きながらこれからの予定を立てた。
「本体を最初に叩いてもいいんだが……。討ちもらして各地へバラバラに逃げられると面倒か。遠いところ――、まずは帝国にある拠点をつぶして、次に都市国家連合にある拠点をつぶしたら……」
チェザーレから得た組織の拠点情報を手元のメモで確認しながら歩く。
「ああ、トリアにも拠点があるんだったな。面倒なことに」
因縁浅からぬ地の名前にアルディスが顔をしかめたが、すぐさま「まあ深夜に忍び込めば衛兵に見つかることもないだろ」と懸念をあっさりと放り投げ、大した事ではないとばかりに言い捨てた。
それから二日後。エルメニア帝都にある貧民街の一角で何者かにより組織の拠点が壊滅に追い込まれる。
襲撃を受けた際に拠点を離れていた数人は難を逃れ、組織の本部があるナグラス王都グランへとその身を寄せた。
当然彼らは数日後に自分たちを襲う恐怖のことなど知るよしもない。
2018/11/18 修正 年の近い、后候補の娘を持つ侯爵 → 年の近い娘を持つ侯爵
2019/02/16 誤字修正 侯爵のもとを辞した → 公爵のもとを辞した
※誤字報告ありがとうございます。
2019/07/21 誤字修正 関わらず → 拘わらず
※誤字報告ありがとうございます。
2019/08/12 誤字修正 遅れは取らない → 後れは取らない
※誤字報告ありがとうございます。






