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千剣の魔術師と呼ばれた剣士  作者: 高光晶
第十二章 令嬢は牙を求む
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第145話

 ナグラス王国のニレステリア公爵家。


 先々代の王弟が興した家であり、下位とはいえ王位継承権を持つ貴族の中の貴族である。

 歴史は浅いがその財力と発言力は王国内でも屈指くっしであり、トリア侯のような地方の大貴族と比べても『格』という点においては遥かに上だ。


 現在の当主は家を興した初代の孫にあたる三代目の人間である。

 父親から爵位を継いでから五年。大過たいかなく領地を治め、現国王からの信頼も厚いと言われている。

 チェザーレの情報によれば『領民からの評判は上々。貴族社会でも王室派の重鎮として確固たる地位を築きながらも、一歩引いた位置から王室を支える忠義の人』らしい。


 生粋の貴族にしては珍しく平民を蔑視しておらず、平民出身の兵士や傭兵の間でも誠実な人柄で知られていた。

 もちろん『貴族である以上、真っ白けというわけではないでしょうがね』とチェザーレが言うように、きれい事だけで家を保っていられるわけもないだろう。


 権力を持った人間が見えないところで何をしているのかはわからない。

 だが少なくともトリア侯のように、権力を笠に着てあからさまな無理難題を押しつける人物ではなさそうだった。


 アルディスとて周囲の人間全てに噛みつく狂犬ではない。

 悪意を持って接してくる相手や権力にものを言わせて高圧的な態度をとる人間に対しては容赦しないが、敬意を払うべき相手にはそれ相応の礼儀をもって接するだけの分別はある。

 もちろん虎の威を借る狐に対して進ずる礼儀は持ち合わせていないし、女神を盲信するような人間はそもそも論外である。


「ずいぶんとしごいてくれているようだな」


「お気に召しませんか? でしたらこの場でお役目を解いていただいてもかまいませんが?」


 あくまでも言葉は丁寧に、しかし不躾ぶしつけな内容をアルディスがぶつけているのは四十手前に見える身なりの良い男性だ。


 ミネルヴァへいつも通り指導をした後、屋敷に呼ばれたアルディスが通されたのは執務室らしき場所。

 そこで待っていた男が誰であるのか、貴族社会にうといアルディスでもすぐに分かった。


 この世に生を受けてから常に人の上へ立つことを定められ、他者を従えてきた人間の風格が見て取れる。

 簡素なデザインながらも、身にまとうのはおそらく一級品であろう仕立ての服。

 他人の生死をその手に握り、その重圧と責任をごく自然に背負う器がたたずまいからも窺えた。


 彼の名はラーベスト。ニレステリア公爵家の現当主だ。


「娘が自分で望んだことだ。本人がを上げぬのであれば構わんよ。とはいえ嫁入り前の娘だからな。顔や身体に傷が残るようなことは避けてくれ」


 てっきりミネルヴァに対する指導内容へ口出しされるとばかり思っていたアルディスは、予想外の展開に珍しく目を丸くする。

 叱責を受けるか、あるいは指南役をクビになるかという可能性すら考えていたところへ、後押しとも取れるまさかの言葉だ。


「意外、という顔だな」


 それが相手にも伝わったのだろう。

 公爵がアルディスの表情を目ざとくとらえて指摘した。


「当然か。貴族の令嬢、しかも王位継承権まで持つ公爵令嬢が汗まみれになって走り込みをし、手のひらを硬くしてまで剣を振り回すなど前代未聞ぜんだいみもんだ。貴族の娘が戦いの術を学ぼうなどとはしたない、と言う者も当然多い。君が来てくれる前にあちこちの魔術師へ指南役にと話を持ち掛けたものだが、まともに取り合ってはもらえなかったよ」


「だから俺のような傭兵風情(ふぜい)を雇うはめになった、と?」


「そういう言い方は好きじゃないな。貴族には貴族の、傭兵には傭兵の果たすべき役割がそれぞれある。ただ立場が違うだけだと私は思うがね」


 わざと卑下ひげするようなアルディスの表現に、むしろ公爵の方が不快感を示した。


「騎士であろうと兵士であろうと、それが傭兵であろうと実力を持つ者は重んじられて当然だし、功績を立てた者は報われるべきだろう?」


 いつのまにか話題は二ヶ月前の戦争へと変わっていた。


「君に褒賞を与えてはどうかという話も出ている。もちろん正式な功績として見届けられたわけでもないのに噂を基にして褒賞を与えるなど認められん、という声もあるがね。『戦場で千の騎兵を下したなどという話も怪しいもの。目撃したというのも伝令兵ひとりとあとは学徒兵ばかりではないか。きっと大げさに誇張されただけだろう』と疑う者も確かに多い」


 公爵自身は疑う様子を見せていない。

 娘の指南役として招くにあたり、アルディスの身辺調査や噂の裏付けくらいはしているのだろう。


「別に褒賞が欲しくて参加した戦いではありません。その話についてはぜひ辞退させてもらいたいものです」


 アルディスは報酬や名声を目当てに戦いへ参じたわけではない。


「もらえるものはもらっておけばいいではないか」


 あっさりと褒賞をしたアルディスへ、公爵の口から貴族らしからぬ表現の言葉がこぼれた。


「お金には困っていませんから。公爵閣下を前にしてこんな事を言うのも失礼かと思いますが、本音を言えば貴族、特に中枢へ近い高位貴族や王族の方とは縁のない暮らしをしたいと思っていますので」


「ということは今回の話、君にとっては迷惑だったかな?」


 今回の話とはつまりミネルヴァの指南役という意味である。


 アルディスにとっては嬉しくない話だが、普通の傭兵ならば反応は違ったはずだ。

 報酬は十分すぎるほどもらえる上に命の危険もない指南役、しかも上手くすれば公爵とのつながりすら得られるとなれば喜んで応じる傭兵は多いだろう。


「……大隊長に借りがなければ俺がこの屋敷を訪ねることはなかったでしょう、とだけ言っておきます」


 しかしアルディスにとっては報酬や我が身の安全性よりも、貴族社会に関わる危険性の方へ天秤は大きく傾く。

 双子を守りたいアルディスにしてみれば、魔物よりも権力や宗教の方がよほど敵に回すとやっかいな相手だ。


 しかしどうやら公爵は指南役の傭兵をクビにしてくれる気配を見せない。

 仕方なくアルディスは観念して当初の話題へと流れを引き戻す。


「ひとつ伺ってもよろしいですか?」


「なんだね?」


 指南役を放り出すことが出来ない以上、たとえミネルヴァが剣魔術を習得できなくとも指導は続けなければならない。


「正直なところ、ミネルヴァ嬢は一週間ともたずに音を上げると思っていました。相手が令嬢ということでかなり手心てごころは加えていますが、それでも相当きつい思いをしているのは間違いありません」


 腹をくくったアルディスはかねてからの疑問を口にした。


「なぜそうまでして剣魔術にこだわるのか――いや、彼女にとっては剣魔術でなくても構わないのかも知れませんね。たぶん欲しいのは戦う力なのでしょう。ただどうして自ら戦う力を得ようとするのか、それが俺にはわかりません。閣下には何か心当たりが?」


 公爵令嬢ともなれば護衛もついているだろうし、いざとなれば周りの従者や使用人も彼女を守ろうとするだろう。

 身の危険を感じるなら護衛を増やすなり、手練れを招き寄せるなりすればいいのだ。

 アルディスのような使い手を護衛にと望むのならばまだわかりやすい話だが、令嬢自身が力を身につけて戦う必要など本来ならばどこにもないはずだ。


 なぜそこまで戦う力にこだわるのか。

 それがアルディスには理解できなかった。


「割り切れない、のだろう」


 そんなアルディスの問いに対して、公爵の口から返されたのはあまりにも説明不足で装飾のない言葉。


 無言の時が執務室に流れる。


 再び口を開いた公爵が一言発した。


「八人だ」


「八人、とは?」


 らちがあかないとばかりにアルディスが言葉の真意を問う。


「私を守ってこれまで死んだ人間の数だよ」


 アルディスから顔をそらした公爵が、執務室の窓から練兵場の方角へと視線を向ける。


「成人するまでに三人。家督を継ぐまでに四人。そして家督を継いだ後にひとり。私の命を狙った者から私を守って死んだ護衛や従者たちだ。刃を私の代わりに受けて命を落とした者もいるし、私の代わりに毒の入った料理を食べて命を落とした者もいる」


 公爵は淡々とした口調で語る。

 しかしそれが長い月日によってようやく心の奥底へ押し込めた、苦悩の上澄みにすぎないことをアルディスは察した。


「……俺にはよくわかりませんが、貴族というのはそういうものでは?」


 アルディスに彼の苦悩を理解することは出来ない。


 片や生まれつき命を狙われる立場で、誰かを犠牲にし続けて生きる貴族。

 片や常に死と隣り合わせで生き、誰かの命を奪うことで生き続けてきた傭兵。


 あくまでも推測の域を出ないアルディスの言葉に公爵は肯定の仕種を見せる。


「そうだ。そういうものだ。そういうものだと割り切らなければ貴族は務まらない」


「それがミネルヴァ嬢には出来ないと?」


「娘も下位とはいえ王位継承権を持っている。それ以上に王太子殿下の第一子であらせられるカルスト王子と年が近いこともあって、后候補として有力視されているからな。暗殺者を差し向けられる理由には事欠かない。これまでにふたり、護衛と側仕えだった者が身代わりに命を落としている。ひとりは死んでからまだ半年も経っていない」


 暗殺者を差し向けられたのは王位継承権を本人が持つからか、それとも未来の王太子妃候補だからなのか、それはわからない。

 いずれにしても命を狙われたことは事実であろうし、それによってミネルヴァの周囲で犠牲になった人間がいることも事実なのだろう。


「貴族とて人間。姉妹同然に親しくしていた側仕そばづかえが、自分を守って凶刃に倒れれば悲しむのは当然だ」


「だから自分が強くなろうと考えた、と?」


 公爵は頷くと、アルディスへ背を向けて窓の外に広がる景色へ視線を向ける。


「本末転倒な話だがね。娘の気持ちは良くわかる。私自身若い頃は同じような事を考えもした」


 遠い景色の中へ何かを求めるように真っ直ぐと見つめ、まるで懺悔ざんげのように娘の心をおもんぱかった。

 納得したアルディスはミネルヴァの考えをはかって代弁する。


「自分が強ければ周囲の人間が無茶をして命を落とすこともない。ミネルヴァ嬢はそう考えたのでしょうね」


 意味のないことを、とはさすがのアルディスも口に出さない。


 だがいくら令嬢が強くなろうと、それで護衛をつけなくて良いという理由にはならないし、周囲の者がミネルヴァを守らなくて良いということにもならない。

 結局ミネルヴァ自身が戦うよりも前に周囲の人間は命を落としていくことになるのだ。


 それを理解しているからこそ公爵は割り切らざるを得なかったのだし、ミネルヴァもいずれそれを受容しなければならないのだろう。


 ひとまず疑問を解消したアルディスに向けて、公爵は窓ガラスに映った視線を送りながら話を締めくくる。


「娘は十二歳。いずれ現実を受け入れなくてはならないとしても、今はまだ好きにさせてやろうと思っている。ただまあ――」


 公爵は身体の向きそのままに、首だけを回してふり向くとわずかに苦笑した。


「娘がここまで気概きがいを見せるとは思っていなかったがね」


 その表情には娘の意外な素顔を垣間見たことへの困惑と、新たな一面を見つけることが出来た喜びとが混じり合う、複雑な感情が浮かんでいた。


2019/04/04 誤記修正 一ヶ月前の戦争 → 二ヶ月前の戦争

2019/04/04 誤記修正 一週間ともたず → 七日ともたず

2019/07/30 誤字修正 例え → たとえ


2019/08/12 誤字修正 報奨 → 褒賞

2019/08/12 誤字修正 噂を元に → 噂を基に

※誤字報告ありがとうございます。


2019/10/02 誤字修正 大隊長からの借り → 大隊長に借り

※誤字報告ありがとうございます。


2021/01/12 誤字修正 公爵には何か → 閣下には何か

※誤字報告ありがとうございます。


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