第138話
予定調和じみた一方的かつ圧倒的な蹂躙。
アルディスがその身をひるがえすたびに敵の騎兵は確実にその数を減らしていく。
あわせて数え切れないほどに増えた飛剣が、斉射された矢の様に襲いかかり騎兵たちを追い詰めていった。
すでに敵は浮き足立ち、隊形も何もない。
アルディスを直接視認している一部を除き、自分たちが何と戦っているのかも把握できないまま馬上から姿を消していった。
もちろんアルディスとてそれほど余裕があるわけではない。
敵が混乱に陥っているからこその結果であり、敵の目的がアルディスたち全員の殲滅だったからこその優位的状況である。
これだけの数が最初からキリルたち学生へと矛先を向けていれば、さすがのアルディスといえど一騎残らず防ぐことは難しかっただろう。
しかし今の状況はアルディスの思惑通りに進んでいる。
敵騎兵は単身立ちふさがるアルディスを取るに足らぬ相手と判断し一蹴しようとした。
だがそれに失敗して足を止めた以上、アルディスにとってもはや不安要素はない。
また一騎、アルディスの振るう剣で騎兵が血を流し落馬する。
乗り手を失った騎馬の背を蹴り、跳躍したアルディスが着地しようとした時、その足を狙って一本の短刀が飛んできた。
「くっ!」
予想以上の鋭い投擲に、アルディスは慌てて身をよじる。その足を捉え損なった短刀が荒れた大地に深く突き刺さった。
「隙あり!」
体勢の崩れたアルディスに向けて、短刀を投げてきた一騎が突っ込んでくる。
馬上槍を手にしたその騎兵を迎え撃つため、アルディスは側に控えていた『月代吹雪』を敵の横合いから振り抜く。
「ふんっ!」
しかし不意をついたはずの一撃を、騎兵は腰から長剣を抜き一振りで払いのけた。
一瞬だけ目をむいたアルディスだが、すぐさま気を取り直して突撃してくる敵を迎え撃つ。
いったん斜め後ろに飛び退り、着地と同時に大地を蹴りつけて前方へと急激にベクトルを変える。
瞬時に速度を上げて距離を詰め、両手で『蒼天彩華』をしっかり握ると相手の足もとから突き上げた。
その鋭さは無類。
この戦場においても数多くの騎兵を刈り取った一撃だった。
しかしそれを――。
「防ぐのか!」
思わずアルディスの口から驚愕の言葉が漏れる。
放った会心の突きを長剣で払われ、無意識のうちに次の一手を打つため踏み込もうとしたアルディスの背筋に冷たい悪寒が走る。
ほとんど本能的に後退したアルディスの顔に向けて、敵が右手一本で放った馬上槍の一撃が襲った。
(まずい!)
このままでは後退が間に合わないと判断し、アルディスはとっさに障壁を展開する。
槍の穂先とアルディスを遮るように構築された障壁が、生まれた瞬間に突き破られて霧散した。
(軽々と!?)
余裕をもって防げると思っていた敵の一撃は予想外に鋭い。
とはいえ槍を止めることができずとも、その勢いを一瞬弱めることくらいはできる。
アルディスにとってはその一瞬があれば十分だ。
槍の穂先が最終的に突き刺さる到達点を見極め、回避が間に合うことを感覚で理解したが、次の瞬間それが甘い見積もりであったことを知らされる。
(伸びるだと!?)
予想到達点を過ぎてなお近づいてくる穂先に、アルディスの肌が粟立った。
とっさに『刻春霞』と『月代吹雪』を眼前に展開し、二本がかりでその軌道を右へ受け流しつつ、アルディス自身は左へと身をかわす。
間一髪でかわしたアルディスの側を槍が通りすぎる。
瞬時にアルディスは槍が自分を追い詰めた理由に気付いた。
敵はアルディスの障壁を突き破った後、間合いが届かないと悟るや槍を手から放してその限界到達点を伸ばしたのだ。
一度限りの奇襲ではあるが、アルディスの不意をついて冷や汗をかかせるには十分だった。
次なる危険を感じ取り蒼天彩華を振り上げると、重い一撃がそこに叩きつけられる。
「ほう! これも防ぐか!」
感心するような声でニヤリと笑みを浮かべる騎兵。
装いは豪奢であり、一見して他の一般騎兵とは異なることが見て取れる。
その口から放たれるのは、先ほど敵部隊の中から聞こえてきた指揮官らしき騎兵の声だった。
「王国にこれほどの使い手がいるとは驚きだ!」
指揮官と思われる敵騎兵が、アルディスと剣を交えながら声を張った。
「それはお互い様だ」
対するアルディスもその瞳に驚きの色を浮かべている。
純粋な武技だけでアルディスの攻撃をこうも簡単にいなした相手は、『白夜の明星』のテッド以来だった。
「その力、ここで散らせるのは惜しいが。こちらも部下を大勢死なせているのでな――」
互いに剣を押し込む力が拮抗するが、最初にその均衡を破ったのは騎兵隊長だった。
「死んでもらわねばならん!」
緩やかに長剣を引きながらアルディスの剣を受け流す。
体勢を崩されまいと同様に剣を引いたアルディスへ、騎兵隊長の刃が先手を打って襲いかかる。
もちろんその攻撃はアルディスも予想済みだった。
「お断りだ!」
振り下ろされた長剣を蒼天彩華で弾こうとして、アルディスはまたも主導権を握り損ねたことに気付かされる。
長剣とともに騎兵隊長の身体が真っ直ぐアルディスへ向け覆いかぶさってきたからだ。
(体ごとだと!)
騎兵隊長はその体を騎馬から投げ出し、勢いと体重を乗せた一撃を放ってきた。
(組み伏せるつもりか!)
その意図を察してアルディスはとっさに騎兵隊長の股を蹴り上げようとするが、敵もさるもの。反射的に右足のヒザから下を内側に向けてそれを防いだ。
しかしそれによって、アルディスを組み伏せようとした騎兵隊長の体勢は崩れる。
互いの身体がぶつかった。
すぐさま半身をそらして勢いを受け流すと、アルディスはその場を飛び退いて距離を取る。
何の躊躇も見せず下馬した騎兵隊長にアルディスが意外そうな表情を見せた。
「ずいぶん思い切ったことをするんだな」
「どうせこの状況では騎乗の優位性もないのでな」
「そりゃ道理だ」
立ち上がりながら答える騎兵隊長に、アルディスは同意する。
黒髪少年の言葉と態度を受けて、やはりと言わんばかりの表情で騎兵隊長が目を細めた。
「貴様、ただの傭兵ではあるまい。何者だ?」
「買いかぶってもらって悪いが、一応はただの傭兵だぞ」
「ふん! ただの傭兵ひとりに我が飛馬隊千騎がいいように翻弄されているとでも? 冗談ではない」
「冗談だろうが何だろうが、現実は現実だ。俺が誰であろうが、あんたらがどこの誰であろうが、そんなことはどうでもいい事だろう?」
挑発するようなアルディスの態度に、騎馬隊長は口を閉ざす。
長いようで短い沈黙の後で、騎馬隊長が悔やむような言葉を口にした。
「……たかがひとりと侮って、飛馬の足を止めたのが間違いであったか」
しかし今さらそれを言ったところで事態が好転するわけでもない。
もし騎兵たちがアルディスや剣魔術の存在を知っていたならばこうは上手くいかなかっただろう。
手強い相手との戦いを避け、アルディスの後方に向けて全騎で突撃されれば少なからぬ被害を受けていたはずだ。
「率直だな。そのまま素直に負けを認めて引いてくれればこちらも助かるんだが」
「ぬかせ! これだけ部下をやられて、おめおめと引き下がれるか!」
叫びながら騎兵隊長が長剣を両手で持ち斬りかかってくる。
迎え撃つ蒼天彩華の剣身が陽光を受けて空色に輝いた。
アルディスは正面から打ちつけられた一撃をはじき返すと、そのまま円を描くように力の向きを変えて騎兵隊長の足もとを狙う。
騎兵隊長はいったん後方に退いてそれをかわすと、すぐさま距離を詰めて鋭い剣撃をアルディスへ叩き込んだ。
一合、二合、三合。
互いに両手で持った剣が打ち合わされ、鈍い金属音が響きわたった。
騎兵隊長の長剣がアルディスの脇腹に向けて横から振るわれる。
「若いのに、いい腕をしている!」
「そいつはどうも!」
蒼天彩華でそれを弾き落とし、アルディスはお返しとばかりに騎兵隊長の手元へ斬撃を見舞う。
半身を引いてそれをかわした騎兵隊長は、仕切り直しとばかりに距離を取った。
「いつまでもこうしている訳にはいかんからな。そろそろケリをつけさせてもらおう」
「そうだな」
一方のアルディスは言葉少なく蒼天彩華を構え、騎兵隊長の出方を窺う。
(ん? 魔力が……)
騎兵隊長を注視していたアルディスは、その周囲に漂う魔力の流れが変化するのに気付く。
同時に騎兵隊長の口が聞き慣れない文言を紡ぎ出した。
「――我が力、我が刃、我が志。――赤の音、黒の言霊、銀の生。報いはここに――惑いの大気」
(詠唱? 何だ?)
アルディスがこれまで耳にしたことのない魔法詠唱。
魔力を用いた何らかの動きがあったことは確かだが、さすがのアルディスとて見たことも聞いたこともない魔法を予測することはできない。
詠唱終了とあわせ、騎兵隊長がその長剣をアルディスへと向けて鋭い突きを繰り出してくる。
(身体強化か?)
騎兵隊長の行動から、彼の使用した魔法が身体を強化するもの、あるいは武器に何らかの効果を付与するものと予測したアルディスは、魔法障壁ではなく物理的な攻撃に対する障壁を選択して展開した。
先ほどとっさに展開して破られた間に合わせの障壁とは異なり、綿密に魔力を構成して作り出した堅固な障壁だ。
「もらった!」
気合いとともに突き出される騎兵隊長の長剣。
たとえ完全に弾くことができなくても、その勢いを殺すことは間違いないと思われたその切っ先がするりと障壁を潜り抜けた。
(すり抜けた!?)
予想外の事態にアルディスがあわてて蒼天彩華で長剣を払おうとして、その剣身が何の手応えもなく宙を切る。
(幻影か!)
瞬時にその正体と騎兵隊長が使った魔法の効果を見抜くアルディス。
しかしその時、すでにアルディスの眉間を目がけて繰り出される本物の長剣が目の前に迫っていた。
「くっ!」
考えるよりも早くアルディスの本能が飛剣を呼び戻した。
後方へ飛び退りながら目の前へ五本の飛剣を組み合わせ、横倒しにした五角錐の様な形を作り出す。
その底辺に当たる部分で騎兵隊長の長剣を包み込むと、長剣を中心にして回転する。
今度は騎兵隊長が驚きの声をあげる番だった。
「何だと!?」
切っ先が回転する飛剣に絡め取られ、はじき飛ばされそうになった長剣を騎兵隊長は引き戻そうとするが、当然その隙を見逃すアルディスではない。
飛剣が長剣を絡め取っている間に、地面を蹴って騎兵隊長の懐へと潜り込む。
「しまっ――!」
失敗を悟った騎兵隊長の声はそこで途切れた。
回避する余裕も与えず、蒼天彩華が彼ののどを斬り裂いたからだ。
騎兵隊長はその体をゆっくりと傾け、荒れた大地の上に赤い染みを作りながら倒れ伏す。
「た、隊長が……!」
唖然とする周囲の騎兵たちに向け、アルディスは不敵な笑みを見せて警告を発した。
「まだやるか? やる気があるならいくらでも相手になってやるぞ」
周囲に無数の飛剣を浮かべ威圧するその姿は、敵騎兵たちにとってさぞ禍々しく恐ろしい悪鬼に見えたことだろう。
やがて騎兵隊長の死が部隊に広がると、敵は戦意を失って撤退しはじめた。
その姿が見えなくなり、アルディスはようやく安堵の息をつく。
「ふぅ。何とかなったな」
蒼天彩華を鞘に収め、刻春霞と月代吹雪を呼び戻すと、アルディスは後方で呆然としている学生たちに身体を向ける。
学生たちの口から誰にともなく向けられた声がこぼれ出ていた。
「す、っげえ……。勝っちまったぞ」
「本当にひとりで、あの数を追い払った……」
「嘘だろ……。なんだよ、あれ……」
目の前で繰り広げられた光景が、あまりにも現実離れしていて信じられないのかもしれない。
伝令の兵士に至ってはもはや声も失っているようだ。
アルディスの実力を最も理解しているはずのキリルですら、何とも言いがたい微妙な表情を浮かべていた。
「よし。じゃあ新手が来ないうちにさっさと移動するぞ」
彼らの心境などお構いなしに、先ほどまで激しい戦いを繰り広げたとは思えないような軽い調子でアルディスは号令を下した。
2019/05/04 誤字修正 絡み取られ → 絡め取られ
2019/05/04 誤字修正 伏せるようとした → 伏せようとした
※誤字報告ありがとうございます。
2019/11/07 誤字修正 体制の崩れた → 体勢の崩れた
※誤字報告ありがとうございます。