第137話
アルディスの行動を挑発と受け取ったのか、敵の騎兵たちが囲みをすぼめて八方から槍を突き出した。
その穂先が到達する前に、アルディスは正面にいる騎兵の懐へ潜り込む。
空いた左手で奇妙な騎馬の喉元に掌底を食らわせると、痛みに耐えかねた騎馬が暴れて鞍上の兵士を振り落とす。
落ちた兵士の命を容赦なく刈り取ると、アルディスは騎馬の腹を横から蹴ってけしかける。
制御する者のいない騎馬はたまらずあさっての方向へ走り出し、周囲の状況へ混乱をもたらす要因となった。
もともと乱戦に向かない騎兵でたったひとりの人間を囲もうというのが間違いである。
押し包もうというのなら、下馬して徒歩で取り囲む方がよほど効果的だろう。
しかし戦場ではおいそれと馬を下りることもできないのが現実だ。
密集した状況では身軽なアルディスの方が小回りも利く。
次々と突き出される槍をかわし、馬上からの死角を活用しながらアルディスはひとりまたひとりと敵を仕留めていった。
跳躍しながら馬の横腹を蹴った反動で方向を変えると背後の騎兵を一振りで屠り、その身体を馬から蹴り落としながら再び別の方向へと飛びかかる。
右へ左へと向きを変えながら跳ね回るその様は、偶然家屋の中に迷い込んだ野鳥を思わせた。
当然跳ね回っているのはただの野鳥ではない。
そのくちばしに一撃必殺の凶悪な剣撃を備えた危険きわまりない猛禽だ。
「くっ! ちょこまかと!」
「どこに行った!?」
アルディスの動きを追いきれない騎兵たちの動揺は手綱を通して騎馬にも伝わりはじめる。
制御の甘くなった騎馬に跨がる敵はアルディスにとって格好の獲物だ。
「何をしている! 相手はたったひとりだぞ!」
敵の指揮官らしき騎兵から叱咤の声が飛ぶが、それが無益であることを状況が証明していた。
アルディスが敵を倒すたびに持ち手を失った武器が増えていく。
それらはアルディスの見えざる手によって兵士たちを襲う凶手となり、一転してかつての同胞へと斬りかかっていった。
「剣が――! 生きているとでもいうのか!?」
剣魔術のことなど知らない敵の兵士たちは目の前で起こっている状況を理解できず、ただただ自分へと向かってくる危険から身を守ろうと長剣を抜いて対処するのが精一杯だ。
正面からならばアルディスと数合は斬り結ぶことができるであろう力量を持っていても、そんな状況ではまともに防ぐこともできない。
アルディスの持つ『蒼天彩華』がひるがえるたびに、その剣身は照りつける太陽の光を反射して、次の瞬間赤い飛沫を生みだした。
「回り込ませた部隊は何をしている!」
苛立たしげな声が敵騎兵の中からあがる。
「よく見えないが、何かと戦っているぞ!」
「くっ! この面妖な術を使う敵が他にもいるということか!」
後方から左右へ回り込もうとした部隊が何かと戦っていることはわかっても、それらが戦っている相手は騎兵と比べれば遥かに小さな飛剣たちだ。先頭部にいる騎兵が視認することは無理だろう。
自然と彼らはアルディスのような術の使い手が複数いて、それらが後方の部隊を相手にしているという考えに至ったらしい。
それがアルディスひとりの手によるものとはさすがに想像が及ばなかったのだろう。
自ら正面の敵を翻弄しながら、アルディスは剣魔術で操る武器により左右へ向かおうとした騎兵をも封じ込めている。
視認が困難なのはアルディスも同様だが、彼の場合は魔力の存在を探知することによって大まかな位置が把握できるのだ。
(鎧の隙間を狙うような事はできないが……)
コーサスの森でウィップス相手に行ったのと同じく、剣術を駆使するのは無理でも標的に飛剣を突き刺す程度ならば感覚でやってのける自信があった。
(どうせ狙いが少々はずれたところで、敵しかいないしな)
アルディスにしてみれば、敵の密集する中へ武器を適当に飛ばしているだけでも十分な戦果が得られる状況である。
仕留めた敵騎兵の武器をさらに加えると、アルディスは攻撃の手をさらに増やしていく。
もちろん操る刃が増えればそれだけ細かな制御はできなくなる。
実際にアルディスがその動きを十全に操作できるのはせいぜい二十本まで。
それ以上になれば途端に並の剣士と打ち合うのが精一杯の動きしかさせられない。
だがこの状況でなにより必要なのは敵の脚を止めることである。
敵の数が多いといっても、相手は隊列を組んで高速で移動しようとする部隊だ。
(鼻先をひっぱたけば十分だろう)
その先頭部分をちょっとくじいてやれば、部隊としての動きを阻害できる。なにも全ての騎兵を足止めする必要はない。
別働隊を先導しようと先頭に立つ敵騎兵に限っていえば、一斉に数十もの武器が襲いかかってくるのだからたまったものではないだろう。
しかも相手をするのは人間や獣ではなく、痛みも怖れも持たない物質の塊である。
怯えも戸惑いもなく一直線に命を刈り取ろうと襲いかかってくるような相手を想定した戦いなど、軍の兵士といえど――いや、軍の兵士だからこそ経験はないだろう。
たとえ飛剣そのものに攻撃を加えたところで、相手はひるみもしなければ傷も負わない。
ただ一瞬その動きが揺らぐだけだ。
槍の柄は木製であるため、剣を振り抜けば断ち切ることはできる。
だがそれが何になるというのだろうか。
たとえ柄が折られようと断ち切られようと、穂先の刃はそのままである。
柄を断ち切られた槍はト型の風変わりな剣に見えるだけで、その危険性には何ら変わりがない。
単純な突きや薙ぎ払いも、複数の刃から同時に繰り出されれば防ぐのは困難である。
どれだけ騎兵たちが精鋭だといっても、その腕は二本しかないのだから。
全体としては圧倒的に敵の方が数は多い。
しかし別行動を取ろうとした二隊の先頭集団にしてみれば、自分たちよりも圧倒的に数の多い飛剣で周囲を囲まれているように感じるだろう。
ごく一部の狭い範囲において、アルディスは数的優位をもって力尽くで敵をねじ伏せる。
四方から突きを受けた敵の騎兵がその一撃を長剣で弾き、もう一撃をかろうじてかわす。
だがそこまでだった。残る二撃を弾き飛ばす手段も、かわす余裕もなくその身に受けて荒れた大地へと沈んでいく。
同時にそれはアルディスが新たな刃を得た瞬間でもあった。
敵を倒すたびにアルディスの操る武器は増えていく。
戦えば戦うほど、敵を倒せば倒すほどに敵の戦力は減り、アルディスの戦力は増していった。
部隊の先頭を走る騎兵が戦闘状態に陥れば、必然的に後続の騎兵も減速せざるを得ない。
地に倒れた仲間の騎兵が障害物となり、さらにはその傍らから彼らの武器が自分たちを襲ってくるのだ。
理解不能な状況と自らを襲う奇妙な敵に、敵の騎兵は狼狽を見せてとうとう騎馬の脚を止めてしまった。
左右に展開しようとしていた後方の騎兵たちは宙を舞う無数の武器によって、正面を突破しようとしていた騎兵たちはアルディス自身によってだ。
足を止めた騎兵は実力の半分も活かせない。
そこから先はもはやアルディスの独壇場である。
「包囲されてるんじゃないのか!?」
「包囲だと!? 訳のわからんことを言うな! 敵はひとりだぞ!」
意味不明なことを口走った騎兵に向けて別の騎兵がどなりつける。
だがそれは決して世迷言などではない。
事実、この場で彼らと戦っているのはアルディスひとりだが、ある意味その数は敵を凌駕しつつある。
騎兵隊の先頭はその足を止められ、後方から左右に展開しようとした騎兵は出足をくじかれて身動き取れずにいた。
その状態を包囲されていると表現した騎兵のセンスは賞賛に値するだろう。
アルディスの操る武器はすでに五百を超え、敵を倒すにつれてなおも増えていく。
この数になると、もはや剣撃らしき動きをさせるのもおぼつかない。
いくつか少数の飛剣だけを操作すると同時に、それ以外の刃は指揮官の号令下で隊列を組む兵士のように整然と並んで一斉に敵へ向けて突き進むのが精一杯だ。
しかしこの場においてはそれで十分だった。
最大の武器である突進力と速度を殺され、何の迷いもなく同時に飛びかかってくる何本もの武器に襲われた敵騎兵は次々と倒れていく。
すでに形勢は逆転しはじめていた。
九死に一生を得たのも束の間。
再び絶体絶命の状況に陥り、エレノアは今度こそ死を覚悟していた。
「何よあれ」
それが一体どうしたことだろうか。
自分たちは血と恥辱にまみれた戦いではなく、傍観者として目の前で繰り広げられる光景に呆然とするばかり。
最初に黒髪の少年が放とうとしたのは、魔術師の中でもごく限られた者しか使い手がいないと言われる『虹色の弓』である。
それだけでも驚愕に値するというところへ、光の矢が放たれる直前に敵のただ中へ突然発生した十を超える『煉獄の炎』。
誰が放ったものか聞いたわけではないが、少なくとも自分たち学生や伝令の兵士に魔法の詠唱をしていた者はいない。
「何よ、あれは」
アルディスと呼ばれていた黒髪の少年が本当にキリルの言うような『自分が百人束になってかかってもかなわない』ほど規格外の実力を持っているのであれば、彼の行使した魔法であると考えるのが妥当だろう。
そこへ放たれた『虹色の弓』。
『虹色の弓』というのは術者の実力によって放たれる矢の本数が変わる。
エレノアの知る限りその数は平均して十本前後。
記録によれば、過去に確認された最大数は二十八本だったという。
しかしながら目の前で放たれた光の矢は確実に百本以上あっただろう。
「何なのよあれ……」
『煉獄の炎』が炸裂して爆炎が視界を覆い尽くす中、百本以上の『虹色の弓』が狙い澄ましたように着弾する。
上級魔法を同時に複数発動するだけでもエレノアの常識を超えているのに、それに合わせて異なる魔法を操って攻撃のタイミングを重ね合わせるなど、もはや驚かされたというレベルではない。
自分がこれまで学んできた魔法が児戯にしか思えなくなってしまうほど、高度で鮮やかな技術。
まさか夢でも見ているのではないかと思い、頬をつねってみれば確かな痛みがそれに答えを返す。
先ほど伝令の騎兵を追ってきた三十騎相手に戦った姿とキリルの話から、アルディスが王都でも名高い『剣魔術の使い手』であり『三大強魔討伐者』であることは理解していた。
確かにエレノアの耳にも『三大強魔討伐者』が若い傭兵だという噂は届いていたが、さすがにあんな自分と同年代の少年だったとは思っていなかった。
彼が『三大強魔討伐者』だというのなら、キリルの言葉が決して大げさな表現ではないと理解もできる。
だが実際にその戦いを目にすれば、現実はそれをはるかに上回っていた。
魔法による攻撃が効果的でないと理解するや、まるで「仕方がないな」と言わんばかりの口調でつぶやくと、先ほど倒した敵兵の武器すらも操って信じられない戦いを繰り広げている。
自らは剣を抜いて敵の正面に立ちふさがると、周囲には剣魔術で操った飛剣を浮かべながら、千騎にも達しようかという敵をたったひとりで押し止めたのだ。
それはとても奇妙な光景だった。
たったひとりの魔術師がその千倍の敵を相手して互角に――いや、むしろ優勢に戦っている。
夢物語の世界、あるいは異次元での出来事にしか思えないのは当然であろう。
再び頬をつねろうとしたエレノアの横で、同じような考えに至った同級生が先んじた。
「痛ってて……」
その声に横を向くと、立っていたのは赤くなった頬を手のひらでさするライ。
どうやら彼も自分の頬をつねって夢か現実かを確かめずにはいられなかったようだ。
「夢じゃなかったのか、これ」
複雑な表情でアルディスの戦いを見守るライに、エレノアは訊ねる。
「ねえ、あれってやっぱりすごいのよね?」
もちろんエレノアが訊ねたのは魔法についてではない。
周り全てを敵の騎兵に囲まれながらも、縦横無尽に戦い続けているアルディスの剣技についてだ。
アルディスの魔法が規格外であることは明らかだが、剣術の素人であるエレノアには彼の力量がどれほどのものか判断できない。
もちろんあれだけの敵に囲まれて戦い続けられるというのは、並外れた実力がなければなしえないことだろう。
しかしそれが果たしてどの程度すごいのか、剣術に対しては短い物差ししか持たないエレノアにしてみれば計測不可能という点に変わりはないのだ。
「すごい」
それに対するライの答えは簡潔そのもの。
しかしその言もすぐに訂正される。
「いや、すごいなんてものじゃないな。あれはバケモノってやつだ」
ライの目に浮かぶのは畏怖ではなく別の色。
エレノアはそこに羨望と嫉妬、そして焦燥のような感情を見て取った。
「俺の叔父さんと同レベル――いや、もしかしたらそれ以上かもしれない」
「以前話していたバケモノの叔父さん?」
「うん、ちょっとその言い方は語弊があるが……。まあその叔父さんだ」
ひどい言われ様の叔父さんを思い浮かべたのか、ライは少し苦笑いを浮かべる。
そうして言葉を交わしている間にも、アルディスの周囲では次々と敵の騎兵が倒れていく。
気が付けばその周囲に浮かぶ武器の数も比例して増加している。
無数の剣が宙を飛び、訓練済みの兵士じみた動きを見せてからはもう乾いた笑いを浮かべるしかなかった。
次元が違いすぎる。
となりに立つライも同じ思いに至ったらしい。
「すごいな。というかひどいな。ホントにあれ魔術師なのか? 本職の剣士だってあれに勝てるやつなんて……」
尻すぼみになるライの言葉に反応して、キリルは「誤解があるようだけど」と口にする。
「魔術師って呼んでるのは周りの人間であって、アルディスさん自身の口から自分が魔術師だという言葉を聞いたことは一度もないよ」
予想もしなかったキリルの言葉にエレノアがすぐさま反論する。
「はあ? ちょ、ちょっと待ってキリル! だってあれだけの魔法が使えるのよ? 魔術師じゃないなら何だって言うのよ!」
「魔術師じゃなくて剣士だっていうのか? ――いやいやキリル、それはおかしい。魔法が使える使えないという問題は別にしても、剣士だって言うのならなんでひとつも防具を身につけてないんだ? わざわざ無防備にする必要はないだろう?」
続けてライも疑問を呈する。
「なんでって言われても……。アルディスさんだから、としか言いようがないんだけど」
それに対する回答は問いかけた人間たちにとっては当然のこと、問いかけられた当の本人にとっても納得からはほど遠いものであったようだ。
答えを口にしたキリルの表情には諦めのような雰囲気が漂っていた。
釈然としない表情を各々なりに浮かべ、三人がそろって目を向けた先では乱戦となった戦場を藤色のローブがひるがえっている。
それが大きく動くたびに敵の騎兵は数を減らし、代わりに宙へ浮かぶ飛剣の数が増えていた。
ひとりの人間が一軍を相手に戦っているという非現実的な光景。
実際に目の当たりにしてもにわかには信じがたく、未だに自分が夢を見ているのではないかという感覚に陥りながら、エレノアは素朴な疑問を口にした。
「ねえキリル。あの子って本当に人間なの?」
「うん、そう思うよね。気持ちはわかるけど人間だよ。……たぶんね」
最後にボソリと補足の言葉を付け足したところに、キリル自身の複雑な気持ちが表れているようだ。
当然目の前で繰り広げられている戦いの光景を、信じられない思いで見ているのはエレノアたちだけではない。
この場にいる他の学生はエレノアたち以上に衝撃を受けていた。
「あれだけの剣を全部ひとりで操ってるのか?」
「まだ増える! 一体どこまで増えるのよ!」
「百や二百どころの話じゃないぞ!」
彼らの常識を覆し、さらに吹き飛ばしつつあるアルディスの戦い方はどこか異次元で行われている状景に感じられる。
あまりにも現実離れした状況に、彼らは自身が戦場のど真ん中にいるということすら忘れて戦いに見入っていた。
アルディスの操る武器はおそらく剣と槍が半数ずつほどであろう。
だが槍は持ち手を断ち切られたものが多く、残った穂先部分が飛ぶ姿はまるで歪な形の剣に見えた。
剣そのものと剣に見える穂先、その数はもはや敵の騎兵たちを上回り覆い尽くすほどである。
「五百、いえ……千本あったとしても不思議じゃないわね」
戦いの中で使い物にならなくなる武器は当然あるだろう。
それでも敵の兵士がそれぞれ長剣と槍をひとつずつ持っていたのなら、単純に考えて倒した敵の数に倍する武器がアルディスの制御下へもたらされる。
敵騎兵はすでに半数以上が討ち取られ、アルディスの周囲には赤い大地へ横たわる兵士と騎馬で満ちていた。
宙を舞う無数の剣を数えることはさすがに無理で、その数を推測することしかできないのだ。
そんなエレノアの言葉を耳にした学生のひとりがボソリとつぶやいた。
「千本の、剣……。千剣の……魔術師」
決して静謐とは表現できない戦場の一角にもかかわらず、その言葉は妙にエレノアたちの耳に残った。
2019/07/30 誤字修正 関わらず → かかわらず
2019/07/30 誤字修正 例え → たとえ
2019/08/12 誤字修正 小回りも効く → 小回りも利く
2019/08/12 誤字修正 越える → 超える
2019/08/12 誤字修正 超えている → 越えている
2019/08/12 誤字修正 捕捉の言葉 → 補足の言葉
※誤字報告ありがとうございます。
2021/01/25 誤字修正 考えるのが打倒 → 考えるのが妥当
※誤字報告ありがとうございます。