第136話
「無茶なことを言わないでくれ。いくら君が強くても、あれだけの騎兵を相手に勝てるわけがないだろう」
アルディスの発言を受けて、伝令の兵士が諦めの言葉を口にする。
「頼るべき部隊もすでに存在しないとなれば、もはやここまでか……」
観念したように馬を下りると、愛おしそうにその鼻先を撫でた。
「巻き込んでしまってすまないな」
馬に向けたのか、それともキリルたち学生に向けたのかわからない詫びをこぼしながら馬の鞍を下ろし、軍装を解いて野に放つ。
そんな兵士の感情などお構いなしにアルディスは口を開く。
「感傷に浸ってるところを申し訳ないが、戦う気がないならその腰にある剣は不要だろう? 使わない物ならこちらに渡してくれ」
兵士が腰に佩く剣は、民兵たちが使っていた物よりもワンランク品質が高そうに見える。
どうせ使う気がないならアルディスの飛剣として有効活用した方がよほどいい。戦う事を諦めた兵士にはもったいないだろう。
「戦うつもりがないなどと、誰が言った?」
だが兵士の答えはそれを否定する。
「たとえ敵わないとしても一太刀くらいはあびせてやらなければ私とて気が済まない」
表情を引き締め腰の剣に手を添える兵士を見て、アルディスはわずかに顎を引く。
「……だったらそれでいい」
アルディスはキリルたちへちらりと視線を送ると、再び兵士の目を正面から見据える。
「こいつらは見ての通り徴集された学園の生徒だ。守ってやってくれ」
「この状況では守りきるなどと無責任な約束はできないが……、もとよりそのつもりだ」
正規の訓練を受けた兵士がひとり増えたところで、相手との戦力差にほとんど変化はない。
圧倒的な数の敵を前にすれば、兵士の口にする『一太刀』ですら届けば御の字といったところであろう。
「キリルたちは固まって守りを固めておけ。あれだけの数がいると討ちもらしがでるかもしれない。いざというときは自分たちで身を守れるよう気は抜くな」
アルディスは表情を硬くするキリルたち学生にそう告げると反転して前を向く。
千に迫ろうかという騎馬の立てる足音は、絶え間ない轟音となってアルディスたちのもとへと届いていた。
押し寄せる敵騎兵の群れが地を揺らしながら近づいて来る。
「敵の手持ちは槍と長剣か」
先ほど殲滅した三十騎の敵が手にしていたのは、馬上槍と腰の鞘に納まった長剣。
槍は先端へ『ト型』の刃を付けられ、白兵戦対応を重視した形だった。
「槍の方も……、まあ使えるか」
アルディスは持ち主のいなくなった長剣と槍を自らの制御下に置く。
王国兵の残したものと合わせて七十を超える武器がまるで鎌首をもたげるように起き上がり、宙へ浮かび上がるとその切っ先を敵騎兵へと向けた。
あたかも横陣のように整然と並ぶ武器が解き放たれるのを待っている。
だがそれらが敵へ突入するにはまだ早い。
「戦乙女よ、汝は尊き死の紡ぎ手なり――青き命と赤き喜び、幾重にも張り巡らせゆくがごとく運命の軌跡を我は望む――」
アルディスの前にいる集団は全て敵であり、たとえ広範囲にわたる攻撃を繰り出したとしても味方を巻き込む恐れはない。
「触れよ触れよ、揺れよ揺れよ、射止めよ射止めよ――約束されし地への導きを盟約に従い彼の者へ示せ――――虹色の弓!」
それはかつてレイティン防衛戦で百体以上の獣を屠ったアルディスの攻撃。
虹色の弓という魔法を模した光の矢束だった。
突然アルディスの頭上へ現れた球体は、七色に輝きながらまたたく間に膨張をはじめる。
表面がさざ波のようにゆれ動いたかと思うと、その凹凸から細長い光の矢が生みだされて牙をむく。
標的は地響きを立てて突進してくる敵騎兵だ。
球体から発生した光の矢が次々に放たれ、敵へ向けて飛び立っていく。
それらが着弾する直前に、敵集団の密集地点へ獰猛な赤い炎の塊がいくつも生まれた。
キリルたちに追いすがる敵の歩兵を蹂躙した炎の魔法。アルディスが無詠唱で放ったのはあの時と同じ炎だった。
猛烈な熱と爆風に見舞われる敵兵へ追い打ちを掛けるように、光の矢が間を置かず到達する。
「な、何が起こってるんだ……?」
「虹色の弓? いや、それよりもっとすげえ……」
背後から驚愕の感情をのせた言葉が流れてくるが、アルディスは油断なく正面を見据え続けた。
爆風が舞い上げた土煙が薄れる中、近づいてくる騎馬の足音はその勢いを失っていない。
「やはり効果が薄いか」
アルディスが舌打ちする。
見れば脱落した敵は全体の一割にも満たない。
先ほど三十騎との戦いで感じたように、魔力を用いた攻撃に対する何らかの防御手段を持っているであろうことは疑いようがなかった。
それはつまり、消去法的に武器を用いた物理攻撃こそが有効な攻撃手段であることを表している。
アルディスは宙に待機させていた七十の武器を操ると、突進してくる敵騎兵に差し向けた。
整然と並ぶ武器が一斉射撃の矢を思わせる瞬発力と共に解き放たれ、一直線に飛馬へ向けて飛んでいく。
放った後で軌道をそらされるなら、さらにそれを修正してやればいい。
不可思議な敵の護りがその軌道を一瞬そらすが、放った後に軌道修正ができない魔法や矢とは異なりアルディスの操る刃はすぐさま狙いを定め直すことができる。
突撃の速度を得た敵の騎兵と、妨げるものもなく疾風の如く飛ぶ飛剣たち。
相対速度は風の魔法や強弓から放たれた矢どころではない。
ひとたび両者が激突すれば双方の速度は衝撃を凶悪なまでに増加させる。
当たらない攻撃は確かに恐るるに足らぬものであろうが、アルディスが操る武器の数々は決して獲物を見失うことがないのだ。
一本の飛剣が敵騎兵のひとりを捉えその胸に突き刺さると、それを合図としたかのように次々と命中しはじめる。
初撃で放たれた七十の武器は敵騎兵の鎧を、そして兜を貫いて瞬時に五十名以上の命を絶った。
「三方に分かれろ! 回り込め!」
敵の指揮官らしき声が響く。
思いもよらぬ損害に対してすぐさま対処してきた。
その指示に促され、敵部隊の後ろ半分が隊列を組み直し独立した部隊として動きはじめる。
「させるか!」
左右に展開しようとした敵騎兵の鼻先へアルディスは飛剣を向ける。
先ほどの攻撃で何本かの武器が使い物にならなくなったが、それ自体大した問題ではない。
なぜならこの場には、壊れた武器以上に新たな武器があふれているからだ。
敵を倒せばそこには持ち手を失った武器が残る。
敵味方の数に圧倒的というのも馬鹿馬鹿しいくらい開きがある今、アルディスがそれらの武器をむざむざと放っておくわけがない。
持ち主がいなくなり打ち捨てられた武器は、容易に操ることができる。
それはつまり、敵を倒せば倒すほどにアルディスの手数が増えていくという意味であった。
初撃で倒した敵騎兵の武器を奪い、アルディスは倍以上にふくれあがった飛剣たちを左右の敵騎兵に差し向ける。
左側に展開しようとした部隊へ差し向けた武器の数は七十ほど。
その中に含まれる一本の槍が、先頭を駆ける敵騎兵の喉元へ食らいつこうとする。
操る者もなく飛んでくる槍に目を丸くしながらも、手持ちの槍でそれを払おうとした敵は次の瞬間突然落馬した。
落馬した兵士の脇腹が一直線に斬り裂かれ、傷から吹き出た血で赤く染まっている。
斬り裂いた当事者――薄い黄緑色の剣身を持つショートソード――は誰に押し止められることもなく、次なる獲物を追い求め地表スレスレを這って飛んで行く。
右側に展開しようとした部隊へ差し向けた武器の数は八十ほど。
持ち手のいない飛剣の一撃を防いだ先頭の敵兵が、割り込むようにして突き出された槍のひと突きで血を吐く。当然その槍はアルディスが魔力で操る命なき刺客である。
いくら敵の騎兵が手練れだとて、人間である以上は三方ないし四方から同時に突き出される刃全てを防げるわけではない。
まして彼らの騎乗する奇妙な馬らしき獣は、軍装に身を包んでいるとはいえ身を守る術を持たないのだ。
騎馬が傷つき騎乗できなくなればその突進力は失われ、騎兵最大の武器を失うだろう。
確かに敵の数は多く、味方の側はといえばアルディスひとりが戦っている状態。まさしく孤軍奮闘である。
しかしそこに悲壮な響きはない。
孤軍であることは確かだが、それがただの孤軍でないことは明らかだった。
左右の敵を防ぐと同時にアルディス自身は『蒼天彩華』を手に、正面からくる敵へ向けて悠然と歩みを進める。
槍を構えて突進してくる敵が二騎。
時間差を付け、穂先にアルディスの首を食わせようと向かって来た。
「吹き飛べぇ!」
騎兵の気合いと共に、狙い過たずアルディスの喉元へ一直線に槍の切っ先が吸い込まれる。
その刃が届く直前、アルディスの姿が風に揺れる柳のようにゆらりと傾いた。
首筋の横十センチの距離を槍の穂先がかすめる。
騎馬の重量と速度をのせた渾身の一撃も、標的に命中しなければ何の意味もない。
アルディスはその刺突をかわすと同時に軽く跳躍した。
斜め下へ向けて突き出された槍は、逆にたどれば持ち主である騎兵の手へと続く。
跳躍によって上昇するアルディスの身体と、騎馬の速度によって接近する敵とが妙なシンクロを見せた。
おそらくその光景を横合いから見ていれば、アルディスの身体が槍の柄に沿って引っ張り上げられるように見えただろう。
「何だ!?」
騎兵の視点からは、まるでアルディスの首が槍の柄に沿って懐へと近づいているように見えたかもしれない。
しかしそんな奇妙極まる状況の解を当の騎兵が確かめる術はなく、また得る機会を与えられることもなかった。
アルディスに接近を許した時点で騎兵の命は刈り取られることが決定していたからだ。
蒼天彩華が振り抜かれて剣先が停止した時、騎兵の首は勢いよく身体から引き離されて血しぶきと共に宙へ舞っていた。
跳躍したアルディスが着地するよりも早く、時間差で突撃してきたもう一騎が襲いかかってくる。
着地点を見定めてピンポイントで攻撃してくるあたり、騎兵の練度が非常に高い事を窺わせた。
人間というのは跳躍している間、攻撃をかわすことが非常に困難となる。
一度飛び上がってしまえばその軌道は容易に推測されてしまう上、着地するまでその軌道を変更することはできないからだ。
かわすことができない以上、攻撃を防ぐ手段は限られる。
弾くか、いなすか、受け止めるかだ。
いずれにしてもスピードに乗った人馬の突進力を相手にすれば、ほぼ不可能と言って良い。
先行の騎馬が攻撃をかわされたことから、アルディスの回避能力が並外れているとみた騎兵は、避けられないタイミングを一瞬のうちに見計らって詰め寄ってきたのだろう。
「大したもんだ」
しかし、アルディスの口から出るのは余裕に満ちた賞賛の言葉。
もちろん騎兵にその言葉は届かない。
届いていたとしても耳に入らないだろう。
次の瞬間にその穂先へ貫かれるはずの獲物がどのような言葉を口にしようと騎兵がすべきことは何ひとつ変わらないであろうし、彼らのように訓練された兵士がこの期に及んで敵の声に耳を傾けるほど愚かとも思えなかった。
その槍が馬体とともに地に向けて落ちゆくアルディスへ向けられる。
「もらった!」
常識からいえば、避けることができない一撃。
だが彼は知らなかった。
アルディスがその常識から外れる希有な存在であるということを。
ただひとつ、その一点を知らなかったが故に、騎兵は自分の命をもって誤った選択の報いを受けることになる。
「なにぃ!?」
狩るべき獲物としてアルディスへ真っ直ぐ向けられていた瞳に動揺が浮かぶ。
大地に向けて落下していたはずのアルディスが不自然な動きを見せたからだ。
地上一メートルの位置で、落下していた身体がまるで目に見えない物体を蹴りつけたかのように前方斜め上へ再び跳躍した。
瞬時に勢いを増したアルディスの身体が騎兵の目前を天へ向けて舞い上がる。
騎兵の視線もそれに釣られていく。
アルディスは身体をくの字型に軽く曲げると、縦方向へ緩やかに半回転して逆さづりのような体勢になった。
上を向いた騎兵の目と、頭を下に向けて宙に舞うアルディスの目が交差する。
それは突進する騎馬の速度と、それに向かって跳躍したアルディスがすれ違うわずか一瞬の出来事だ。
瞬きをすることすら許されない寸秒、アルディスの手に握られた蒼天彩華が躊躇なく騎兵の首を刎ねる。
アルディスはそのままさらに身体を半回転させると、勢いも感じさせない音だけを立てて地に降り立つ。
「気を引き締めろ! 手練れだぞ! 単騎でかからずに囲め!」
先駆けの二騎があっという間に倒されたことで、他の騎兵が警戒を強める。
騎兵の持ち味を殺してまでアルディスひとりを仕留めようというのだ。アルディスにとっては好都合この上ない。
この状況で一番避けたいのは、アルディス本人を無視して後方のキリルたちに攻撃の矛先を向けられることだった。
いざとなればキリルたちを土壁で囲み保護してもいいだろう。
しかし相手の全員が魔法の使い手と思われる以上、物理的に強固な土壁だからといって安心はできない。
ならば全て食い止める。
後方に一騎も通さないという強固な意志とともに、アルディスは力を惜しむことなく目の前にいる敵を排除するだけだ。
ゆっくりとこちらを窺うように周りを囲みはじめた敵騎兵にも動じず、アルディスは蒼天彩華を水平に維持し、正面の騎兵たちにその剣先をゆっくりと向ける。
それはまるで剣闘士が敵に向けて行う宣戦の仕種を思わせた。
2019/05/04 誤字修正 戦闘の敵兵 → 先頭の敵兵
2019/05/04 脱字修正 恐るに足らぬ → 恐るるに足らぬ
※誤字報告ありがとうございます。
2019/07/30 誤字修正 例え → たとえ
2019/10/02 誤字修正 頼るべく部隊 → 頼るべき部隊
※誤字報告ありがとうございます。