第135話
尖兵となる二本の飛剣が奇妙な敵の騎馬隊に向けて一直線に向かう。
王国騎兵を追って駆ける敵の速度と相まって、またたく間に両者の距離は縮まった。
今まさに追いつかれようとする王国騎兵の横を『月代吹雪』が通り抜ける。
風を斬り裂く音を引き連れ、月代吹雪が敵騎兵の先頭に容赦なく襲いかかった。
(なんだ?)
月代吹雪が相手と接する直前になって、その軌道へと干渉する力をアルディスは感じた。
(これが原因か)
先ほど『氷塊』もどきの軌道をそらした力が、同様に月代吹雪を押しのけようとする。
だが放った後に軌道を修正できない『氷塊』と違い、常に魔力でその挙動を制御している飛剣は改めて標的を追いかけることができるのだ。
アルディスはわずかに軌道を修正して狙い通りのポイントへ導くと、そのまま飛剣を加速させた。
すれ違いざまの一撃。
馬に乗った敵兵士の首を引っ掻き、白い刀身が鮮やかな赤をまとう。
敵の兵士はだらりと体勢を崩したかと思うと、次の瞬間落馬した。
月代吹雪は速度そのままに軌道を次の標的へ向けて変更する。
敵騎馬隊があわただしく馬の速度を落とす。動揺が見て取れた。
王国騎兵の捕捉よりも迎撃を優先したのだろう。
正体不明の攻撃へ対処するように隊列を整えはじめた。
捕捉される直前だった王国騎兵もこれで危機を脱したはずである。
アルディスは月代吹雪を上空にいったん登らせると、そこから射下ろすように敵集団の真ん中へと突入させる。
同時に『刻春霞』を地面スレスレに飛ばすと、視点の高い騎兵の足もとをすくうように襲いかからせた。
上空から向かってくる月代吹雪へ注意が向いていた為か、下から突きあげる刻春霞の攻撃を避けきれずひとりの敵騎兵がその首を斬り裂かれる。
(ふたり目を倒したはいいが――)
しかし敵騎兵が醜態をさらしたのはそこまでだった。
不意打ちでふたりの騎兵を倒すことには成功したが、相手は早くも混乱から立ち直りつつある。
月代吹雪が敵のひとりを標的に定めて襲いかかったが、敵は上空から襲いかかった月代吹雪に反応するとその一撃を自らの剣でいなす。
(――予想よりも手強い)
月代吹雪の剣撃に対して二合、三合と打ち合わせる敵の力量は彼らが精鋭であることを不足なく証明していた。
同じように刻春霞の攻撃もひとりの敵騎兵に防がれていた。
アルディスの飛剣と剣を合わせる事ができるだけでも、敵の実力が並ではないことを表している。
(このレベルがあと約千、か……)
騎兵本人の力か、それとも見慣れない騎獣の力なのか、いずれにしてもこの敵には魔力を使った攻撃が効き難い。
単体を狙った直接的な魔力攻撃はその軌道をそらされる可能性が高い上、騎兵自身も全員魔法障壁を張ることができると考えた方がいいだろう。
飛剣を差し向けても通り抜けざまに一閃、というわけにはいかないようだった。
もちろん、だからといってアルディスの飛剣が後れを取ることはない。
何といっても相手は生身の人間。
疲れもするし、斬りつけられれば傷つき血を流す。
それは次第に積み重なって動きを鈍らせ、やがて致命的なミスを呼び込む。
一方でアルディスの飛剣は血を流すこともない『物体』だ。
いくら打ちつけても疲れることはないし、傷つけられても動きが鈍ることはない。
防御を一切考慮する必要のない飛剣と生身の人間では圧倒的に立場が異なる。
(ようやく五人か)
少々手こずりながらも確実にアルディスは敵を屠っていく。
だが相手も知恵を持つ人間だ。
攻撃してきたのがたった二本の剣だと認識するや、半数以上が飛剣を無視してアルディスたちの方へと馬らしき獣の足を向けてきた。
問題は敵味方の人数差が大きいことである。
ひとりひとりを屠ること自体は問題ない。
しかしアルディスが手間取れば手間取るほどこちらに抜けてくる敵が増えるのだ。
「敵がこっちに向かってくるぞ!」
後ろから学生のひとりが叫ぶ。
(手数が足りないな)
アルディスは後方に向き直り、周囲をぐるりと見回した。
「え? ど、どうしたんですか、アルディスさん?」
間もなく敵の騎兵がやってくるというのに、いきなり敵へ背を向けたアルディスへキリルが目を瞬かせた。
アルディスはそれに答える事もなく、あちらこちらへと無残な姿を地へ横たえる兵士たちの骸をひとつひとつ確認していく。
(ざっと二十、ってところか)
兵士たちはすでに物言わぬ物体にすぎないが、彼らが使っていた武具は生前となんら変わりなくその身を包んでいる。
すぐ傍らにはその手からこぼれ落ちたのであろう剣や槍、そして弓が落ちていた。
アルディスはその中から扱いやすそうな剣、槍、斧といった武器を拾い上げる。
もちろん直接手に取るわけではない。
アルディスの操る魔力が武器に触れる。
ふわりとその身を宙に浮かべ、戦場に持ち手のいない武器が命を得たように動きはじめた。
「うわっ! ぶ、武器が!」
「嘘だろ……」
学生たちの叫びやつぶやきを無視してアルディスは再び敵へと向き直り、拾い上げた武器を一斉に放った。
敵騎兵の瞳に揺らぎが生じる。
圧倒的に有利だったはずの状況が、何やらよくわからない力によってひっくり返されようとしていることを感じたのかもしれない。
「行け」
まるで麾下の兵士へと突撃を命じるかのようにアルディスが言葉少なくつぶやくと、一斉に二十の武器が敵騎兵へと襲いかかった。
正面から剣が敵と打ち合い、その隙に敵の背後から槍がひと突きする。
斧が横薙ぎに重い音を立てて首を刈りに行き、それを避けて体勢が崩れた騎兵の横から歩兵用の剣が避けようのない一撃を放つ。
打ち払われても、叩きつけられても、命を持たない武器たちは一向に勢いを弱めず、一方で生身の敵兵は体力を失い傷を増やし、やがてその命を差し出さざるを得なくなる。
短い戦闘時間の後、残されたのは宙に浮かぶ武器の数々と地に落ちた敵兵、そして乗り手を失った奇妙な馬だけだった。
わずかな時間のうちに三十騎もの騎兵を圧倒したアルディスの力を目にして、学生たちは声を失う。
ただひとり、キリルだけが苦笑いのような乾いた笑みを浮かべているだけだ。
アルディスが追っ手を殲滅したことで九死に一生を得た王国騎兵が近づいてきた。
「援護を感謝する。君らはどこの部隊だ?」
「こいつらは左翼部隊の学徒兵だ。俺はまあ……、傭兵隊の人間なんだが」
キリルたち学生の所属をあきらかにした後、アルディスは多少ばつが悪そうに自らの身を明かす。
一応傭兵部隊の隊長であるムーアから『左翼部隊支援の指示を受けた』という体になっているため、罪に問われる可能性はないだろう。
こういった事態を想定して気を利かせてくれたムーアに、アルディスは心の中でそっと感謝を送る。
「傭兵隊の人間がどうしてこんなところに? いや、今はそんな事を詮索している場合ではないな。味方はどこにいる? 左翼部隊の指揮官へ本陣からの伝令があるんだ」
兵士は訝しげな表情を見せたものの、それについて深く追及する事はなかった。
当然だろう。
追っ手を殲滅したとはいえ、その後ろからは総勢千に達しようかという敵がやって来ている。
今の状況に余裕があるわけではないのだ。
「どうした? 時間がないんだ、早くしてくれないか」
兵士は若干心苦しそうな表情を見せながらもアルディスたちを急かす。
しかしその問いに応える声はない。
重苦しい雰囲気の中、最初に沈黙を破ったのはキリルだった。
「いえ、その……。大変言いにくいんですが――」
観念したように口を開き、どう言ったらいいものかと躊躇いがちに言葉を選ぶキリルの横から、遠慮も配慮もないアルディスの言葉が割り込む。
「左翼部隊なら壊滅した。この先には部隊どころか、生きている味方もいるかどうか怪しいぞ」
突然の爆弾発言に伝令の兵士が驚愕の表情を見せる。
「な、なんだって……!」
アルディスがムーアから聞いた未確認情報が事実だったとするなら、この兵士が言っていた『本陣から左翼部隊指揮官への伝令』というのはおそらく救援要請だろう。
本陣の危機に際し、周辺部隊へ救援を請うというのは決して間違った判断ではない。
だが何もかもが遅すぎる。
確かに本陣が強襲された時点では左翼部隊も健在だっただろうが、今となってはすでに部隊の形すら成していない敗残兵が四方に散って逃げているだけだ。
当然本陣の救援などできるわけもなかった。
そもそも今この時点で本陣が無事である保証もないのだ。
「そんな、信じられない……」
うなだれる伝令の兵士。
しかしアルディスには彼を慰めようという意思もなければ義務もない。
「信じる信じないはあんたの勝手だが事実だ。もっとも、今はそんな事よりも――」
見るからに絶望を浮かべる兵士に冷たく言い放つと、その視線を立ち上る砂煙へと向ける。
黒い点にしか見えなかったその姿は次第に意味のある形を成してくる。
先ほど屠った三十騎と同じような装いが確認できた。
間違いなく敵だろう。
しかも先ほどの騎兵と同じ兵質ならば、アルディスの飛剣を数合受けきれるほどの手練れだ。
単に殲滅するだけならば難しいことではない。
帝国の右翼部隊を蹂躙した時もそうだったが、いくら敵の数が多くともアルディスに直接攻撃を加えられる人数は限りがある。
時間もかかるし、アルディスの体力がもつかという懸念材料はあるが、ひとりひとり確実に切り捨てればそれですむことだ。
だが問題はキリルたちの存在である。
時間をかければ学生たちの身を危険にさらすことになるだろう。
最初のようにキリルたちを土壁で囲んで守ることもできるが、それで安全が確保出来るかというと少々疑問が残る。
雑兵と違って相手は精鋭の騎兵だ。
追っ手の三十騎全員が魔法障壁を使ったように、残りの騎兵も魔法を使えると思った方がいい。
ならば――、とアルディスは決心する。
この世界には『攻撃は最大の防御』という言葉がある。
その言葉通り、敵の攻撃がキリルたちへ届く前に圧倒的な力で叩きのめし、危険の要素を根本から消滅させればいいのだ。
四年前のアルディスなら周囲の注目を集めかねない行動を避けただろう。
しかし今のアルディスにそれを躊躇う理由などない。
『三大強魔討伐者』などという大層な異名を付けられている時点で、平凡を装うことなど無意味なのだから。
だからアルディスは出し惜しみしない。
自らの全力をもって目前の敵を殲滅することにした。
「――あれを何とかする方が先だろうな」
2019/05/04 誤字修正 ひっくり返されそう → ひっくり返されよう
※誤字報告ありがとうございます。
2019/08/12 誤字修正 遅れを取る → 後れを取る
2019/08/12 誤字修正 首を狩りに → 首を刈りに
2019/08/12 誤字修正 追求する → 追及する
※誤字報告ありがとうございます。






