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千剣の魔術師と呼ばれた剣士  作者: 高光晶
第十一章 戦場を駆ける剣
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第133話

「なんだと!?」


 帝国軍本陣の天幕では、右翼部隊から届けられた報告が大将軍に驚愕をもたらしていた。


「それは確かな情報か!?」


 伝令兵に向けて問い(ただ)す大将軍の声には困惑が入り混じり、周囲の士官たちは信じられないとばかりに絶句するばかりだ。


「今のところは何とも……。ですが同じ報告が複数の物見(ものみ)から届いております」


 かつてない大勝に頬を緩ませていた帝国軍へ冷水を浴びせたのは、右翼部隊の指揮官が戦死したという知らせだった。


「敵に右翼部隊を跳ね返すほどの予備兵力があったということでしょうか?」


「いや、王国にそんな余裕はないはずだ」


 可能性を口にした仕官の言葉へ大将軍はすぐさま否定で返す。


 しかし、今ここで問題となるのは情報が事実かどうかだ。

 もし情報が事実であるならば大問題だった。


 右翼部隊の指揮官はラートリア子爵。

 帝国内でも最大の派閥を率いる大貴族、タングラム公爵の嫡子(ちゃくし)である。


 タングラム公爵には次男がいない。

 つまり唯一の直系男子であるラートリア子爵が本当に戦死していた場合、確実に跡目問題が発生する。


 それ以上に、嫡男を失ったタングラム公爵が黙っているわけもないだろう。

 いくら帝国が皇帝を頂点とした専制国家とはいえ、タングラム公爵を無視することはできない。

 相手が凡百(ぼんぴゃく)の貴族ならばともなく、タングラム公爵家は建国から帝国を支えてきた大貴族であり、その派閥に属する貴族は全体の半数に迫るほどである。


 嫡子を失ったタングラム公がどのような出方をするのか、それによっては王国との戦いどころではなくなるだろう。

 たとえこの戦いに帝国が勝ったとしても、国内が混乱に陥るのは目に見えていた。


「せっかくの勝ち戦が……。くそっ!」


 念願の勝利を台無しにされ、大将軍は無念と憤慨を込めて吐き捨てる。


 万が一にも貴族に被害が出ないよう、比較的安全で確実に功績が立てられる右翼へ彼らを配置した。

 敵の兵士は途中で半減することがわかっていた上、圧倒的有利な状況になるまで攻勢を控えさせるほど徹底して安全に配慮していたのだ。

 それがまさかこんな結果になるとは、大将軍も本陣に詰める士官たちも誰ひとり予想していなかった。


 だが彼には全軍の指揮を預かる責任があった。

 いくら予想外の出来事が起こり、望ましくない戦後が予想できたとしても、成すべき事を放り出すことはない。


「右翼部隊はどうなっている? 状況を確認して詳細を知らせよ」


 気を取り直して大将軍は命を下した。


 しばらく時間が経過した後、ようやく届けられた報告でラートリア子爵の戦死が事実であることを知った彼は、続く伝令の言葉に耳を疑った。


「壊走中……、だと!?」


「はっ!」


「どういうことだ!? たとえ部隊指揮官が戦死しても、代わりに指揮を()る者がいるだろう!?」


「それが……」


「それが、なんだ?」


「小隊長以上の士官が全て戦死。命令を下す者がおらず、ラートリア子爵が討たれたこともあり混乱が混乱を呼び……」


「小隊長以上が全て戦死……、だと? 何の冗談だ、それは」


 大将軍は一瞬めまいを感じるほどの衝撃を受けた。


 中央、左翼部隊には平民出身の士官もいるが、右翼部隊に配置された士官は全て貴族だ。

 当主本人が参戦している家もあれば、(はく)付けの為に子弟を送り込んできている家もある。

 小隊長以上が全て戦死ということは、貴族にそれだけの犠牲が出ているということでもあった。


 あまりの被害に、王国に対する圧倒的勝利の喜びなど吹き飛んでしまう。


「いったい王国はどれほどの増援を送り込んできたのだ!?」


 部隊の中にいる士官がひとり残らず戦死し、開戦前には三千を数えた部隊が短時間で壊走するに至ったのだ。

 王国が隠していたであろう予備兵力は帝国軍上層部の予想を大きく上回っていたに違いない。


 しかし伝令の口から出てきた情報は不明瞭なものだった。


「それについての情報はまだございません。ただ兵士たちが口々に『化け物がきた』と(わめ)いているそうで……」


「化け物だと……? 王国軍ではなく魔物の集団に遭遇したとでも言うのか?」


 問いかけたところで伝令がその答えを持っているわけではない。

 得体の知れない薄ら寒さを感じ、大将軍はわずかに身を震わせた。




 ところ変わって帝国の右翼部隊が去った後の戦場。


 アルディスは帝国軍の姿が遠ざかっていくのを見届けると、キリルたちのいる場所へと身をひるがえした。

 キリルはアルディスの指示通り、戦場に取り残されながらも生き残った学生たちと合流して帝国兵の攻撃を退けていたらしい。


 新たな犠牲を出すこともなく九死に一生を得た学生たちだが、すでに部隊を率いる上官の姿はどこにも見当たらない。

 アルディスとの合流を喜んだキリルだったが、すぐさま困り顔で疑問を口にする。


「こういう時ってどうするべきなんでしょうか?」


 ろくに訓練を受ける間もなく戦場へ連れてこられた学生たちには、不測の事態に陥った時の行動指針がない。

 この場にいる唯一の傭兵へその答えを求めるのは当然だろう。


「本来ならば部隊の所在を調べて復帰するべきだろうな」


 もっとも戻るべき部隊が残っていればの話だが、という言葉はあえて口にしなかった。


「そうでないならすみやかに戦場を離脱して身の安全を(はか)るべきだろう。帝国の部隊は引いて行ったが、再度態勢を立て直して攻めてくる可能性もある」


「勝手に逃げ出したら、後で懲罰(ちょうばつ)を受けるのではない?」


 横から気の強そうな少女が口を挟む。


「逃げるわけじゃない。あくまでも『原隊(げんたい)に復帰するための捜索行動』だ」


「建前、というわけね。上官の指揮下に戻るべく部隊を探して移動するも、いつの間にか戦場から離れてしまっていた、というところかしら?」


 アルディスの言わんとするところを理解して、少女が周囲の学生たちにもわかるようかみ砕いて説明する。

 軽く頷いたアルディスは、周囲の学生たちを見回して言い放つ。


「どうせこの戦いは王国の負けだ」


 味方の負けを堂々と口にしたアルディスへ、学生たちの視線が集中した。


「お前たちだってこんなところで死にたくはないだろう? 今は生きて帰ることを最優先に考えろ。万が一その途上で味方の部隊に遭遇したなら、その時は士官に指示を仰げばいい」


 学生たちの中には自ら望んで戦場へやって来た者もいただろうが、少なくともこの場にいる人間はそれにあてはまらないらしい。アルディスの言葉に異を唱える者はひとりとしていなかった。


 負傷者へ最低限の手当てを行うと、アルディスたちはすぐさま移動を開始した。


 周囲には一面の人、人、人。――かつて人だったモノであふれている。

 その中には帝国兵の姿もあるが、大部分が王国の民兵であり、ところどころにはマリウレス学園の生徒らしき姿も見えた。

 ときおり級友の無残な姿を目にした学生が声にならない声をもらす。


 だがその度に一々立ち止まって弔いや形見の回収ができるような状況ではない。

 後ろ髪を引かれる思いで打ち捨てて行くしかないのだ。


 それから太陽を背にして足を進めること十分ほど。


「ん?」


 先頭に立っていたアルディスの足が突然止まった。

 すぐ後ろを歩いていたキリルが何事かと問いかける。


「どうしたんですか、アルディスさん?」


「東の方に小さな集団がいるな」


 アルディスの探査に引っかかったのは十三名ほどの人間らしき存在。

 緩やかに北へ向けて動くその集団は、アルディスたちと並行するように進んでいる。


「帝国兵でしょうか?」


「可能性はゼロじゃないが……」


 部隊全体が引き上げた後に、わずか十名少々の集団がこの場をうろついているというのも不自然な話である。

 斥候(せっこう)にしては数が多いし動きも鈍い。明らかに徒歩で移動している速度であった。


「王国側の生き残りと考えた方が自然だろう」


 おそらくアルディスたち同様に戦場を離脱するため後退していると思われた。


「合流しますか?」


「出来ない事も無いが時間をロスすることになる。戦場に留まる時間が長くなればそれだけ危険は増すぞ?」


「それはわかっていますが……」


 キリルが表情をくもらせる。


 その一団が王国軍の生き残りだとすれば、それは民兵かあるいは学徒兵のどちらかだ。

 いずれも望んで戦場にやって来たわけではないだろう。

 互いに協力することで、生きて王都へ帰れる可能性が高まるならそれに越したことはない。


 まして学徒兵であればキリルたちにとって同窓の仲間である。

 死者と自らの命を天秤にのせて比べることはできなくても、相手が生きている人間であれば話は別だ。


 キリル以外の学生にしてみれば、合流して集団の人数が増えればそれだけ安全性も高まるように感じられることだろう。


「まあ、俺はどちらでも構わん。キリルたちが合流したいというのなら反対するつもりはない」


 今さら護衛対象が十人そこら増えたところで大した変わりはない。

 帝国の右翼部隊は壊走させたばかりである。

 遭遇するとしたら斥候や敗残兵狩りの部隊、あるいは部隊からはぐれた兵士の一団だろう。

 その程度なら学生たちを守りながらでもアルディスひとりであしらえる。


 キリルが周囲の学生たちに状況を説明し意見を求めた結果、学生たちはその集団と合流する方を選択する。


 足を早めて集団へ接近すると、その姿が次第に明らかとなっていく。

 キリルたちが身につけている装備と似たような配色のデザイン。

 マリウレス学園から支給された武装に身を包んだ集団が、キリルたち同様学徒兵であることは間違いないだろう。


「良かった。まだ生き残りがいたんですね」


 アルディスのとなりでホッと胸をなでおろすキリル。

 周囲の学生たちも喜びに顔を明るくし、中には友人の姿を見つけて手を振る者もいた。


 だが合流した後、互いに状況を説明し合うにつれてその表情も暗くなっていく。


「そんな! 部隊長は俺たちを見捨てて自分たちだけで退却したっていうのか!?」


 生徒のひとりが憤慨する。

 周囲には彼と同じく怒りをあらわにする者、見捨てられた事を嘆く者と様々だ。


 小を切り捨てて大を生かす。

 それは戦場において珍しい事ではない。

 状況によってはそんな非情の決断をとれることこそが将たる者の条件とも言えよう。


 しかしそれを軍人でも傭兵でもない学生たちに理解しろというのは酷というものである。

 アルディスは物言いたげな視線を隠すように、しばしまぶたを閉じた。


 合流した学生をあわせて、一行の人数は総勢三十三にまで増える。

 これ以上近場に人らしき反応は感じられない。


 すでに正面から攻勢をかけてきていた帝国の右翼部隊は後退し、近場に大きな部隊が展開している可能性は低い。

 アルディスひとりで三十二名の学生を守りながら撤退するのは訳もないことだ。


 むしろ味方の部隊へ出くわす方が問題である。

 指揮権を振りかざして無茶な命令を下されたり、学生たちを指揮下に組み入れられれば、一介の傭兵として参加しているアルディスにそれを防ぐことは難しい。


 だがアルディスの予想は別の意味で外れることになった。

 歩きはじめてからしばらくして、アルディスは高速で接近する多数の魔力を捕捉する。


「北西から……?」


 アルディスたちから見て帝国軍がいる方向とは逆、北西の方角に砂煙が立っているのを見つけたからだ。


 北西にあるのは王国軍の本陣だ。

 その方角からやって来る存在。しかも砂煙を立てるほどの大人数である。

 普通ならそれは味方と考えるだろう。


 しかし傭兵部隊を率いていたムーアによれば、未確定情報ながら本陣は敵の強襲を受けて壊走したという話だ。

 それが事実であるなら本陣の方角からやって来る軍勢が味方である可能性は低い。


 アルディスは本陣を強襲した敵の部隊がそのまま追撃戦に移っているとばかり思っていた。

 だがそれはアルディスの予測でしかない。


 王国の本陣が追撃をする必要もないくらい甚大な損害を受けたのか、それとも本陣を強襲したのとは異なる部隊が動いていたのか。それはわからない。

 ただ少なくともこちらに向かってくるのがどちらの陣営に所属する部隊なのか、高い確率で予想することはできる。


「帝国軍、か」


 アルディスのつぶやきは、緊張に息をのむ学生たちの間へ明瞭な響きと共に浸透した。


2019/05/04 誤字修正 経過したの後 → 経過した後

※誤字報告ありがとうございます。


2019/07/30 誤字修正 例え → たとえ

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― 新着の感想 ―
[一言] >――かつて人だったモノであふれている。 正に『さっきまで命だったものが辺り一面に転がる』。 オゥイェー
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