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千剣の魔術師と呼ばれた剣士  作者: 高光晶
第十一章 戦場を駆ける剣
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第131話

 空と同化しそうな澄んだ青い剣身を向けられ、貴族らしき青年は慌てて馬首をひるがえした。

 逃げる青年の周囲を騎乗した兵たちが固めて随伴(ずいはん)し、残る魔術師と歩兵はアルディスの足を止めるためにその場へ留まった。


「漆黒の闇を貫く(きら)めき、央界(おうかい)へ至る白き道――」


 魔術師の口が長い詠唱を(つむ)ぎ出す。

 超高温の光で標的を貫く『輝く光ティエール・セレ・クォヴィス』の魔法だろう。


 しかし――。


(悠長に詠唱をする余裕があるとでも思っているのか?)


 魔法の発現までアルディスが待ってやる必要などどこにもない。


 目の前に立ちふさがる帝国兵を蹴散らしながら、アルディスは『月代吹雪(つきしろふぶき)』を空高く飛ばす。

 小さなちぎれ雲のように空へ忍び込んだ『月代吹雪』は、何者の干渉をも受けることなく魔術師の直上から切っ先を大地に向けて落下する。


「行く手を阻む不可視の領域は望郷を忘れし賢者のしと――」


 何が起こったのかもわからない表情のまま、魔術師の詠唱が突然途切れた。


 そのうなじには身体の奥深くまで突き刺さった『月代吹雪』の柄があるだけ。

 わずかに覗いたその白い剣身を染めるように血が傷口から噴き出す。


「かはっ――」


 詠唱の代わりにその口から血を吐き出し、力を失ってそのまま魔術師は倒れていった。


 残る帝国兵がどれだけいようともアルディスにとっては何の障害にもならない。

 立ちふさがる歩兵を蹴散らしながら『刻春霞(ときはるがすみ)』を先行させる。


「若っ! お早く!」


 その声はかすかに耳へ届く程度。

 馬を駆って逃げ出す一行はすでに人間の足では追いつけないほどの距離に遠ざかっていた。


 だがそれは『人間の足では』の話である。


 宙を一直線に飛んでいく無機物であるショートソードにとって追いつくのは容易なことであった。

 矢の如き速度で突き進んだ『刻春霞』は貴族青年の馬へと狙いを定める。


 その臀部(でんぶ)へと切っ先が突き刺さると、耐えがたい痛みに馬が暴れて青年を振り落とした。


 護衛の馬に踏まれなかったのは幸運という他ないだろう。

 しかも襲歩(しゅうほ)の馬から落ちてなお、命を長らえていたことも幸運と言って良いかも知れない。


 だが青年にとっての幸運はそこで打ち止めだった。


 青年の落馬に気付いた護衛たちが馬首をひるがえして戻ってくるより先に、目の前へブロードソードを携えた黒髪の少年が立っていたからだ。

 その少年が先ほど帝国軍を単身で斬り裂いた傭兵だと気付き、貴族の青年はあわてて口を開いた。


「降参する! この身はお前に預けよう! 捕虜として相応の待遇を要求するぞ!」


 おそらく体中あちこちに骨折や打撲など怪我を負っているであろう青年だが、差し迫った命の危険を前にすればその痛みを感じる余裕もないらしい。


「降参?」


 アルディスの口から発せられた短い疑問は青年へ誤った認識をもたらす。


「金か!? 身代金(みのしろきん)なら払う! 僕の為なら父上は十分な身代金を払ってくれるはずだ! お前が一生遊んで暮らしても使い切れないほどの大金だぞ!」


「悪いが金には困ってない」


 そもそも身代金が支払われたとしても、一介の傭兵に過ぎないアルディスへ手渡されるのはその極々(ごくごく)一部だけだろう。

 アルディスが指揮官と思われるこの青年を追ってきたのも身代金や功績を求めてのことではない。

 指揮官を倒すことで敵の指揮系統に混乱をもたらし、キリルたちが戦場から離脱するまでの時間を稼ぐのが目的だ。


「た、助けてくれ!」


 アルディスの目に遠慮も容赦もないことを察したのか、青年は一転して命乞いをはじめた。


「人を殺すために戦場へ出てきたんだ。当然殺される覚悟はできてるよな?」


「ひいぃ!」


 対するアルディスの答えは冷たい。


 相手が戦う力のない民間人ならば殺したりはしない。

 命乞いをしてきたのが一介の兵士で、アルディスに対して敵意をもっていないのなら見逃すこともあるだろう。


 だが目の前にいる青年は戦いを主導してきた指揮官だ。

 これまでさんざん王国の兵士へ死出(しで)の旅を押しつけておきながら、今さら自分だけが生き延びたいなどという世迷い言を聞き入れるつもりはなかった。


 たとえこの場で彼を見逃したとして、そのまま大人しく部隊が退却するとは限らない。

 別の人間に指揮権が引き継がれれば状況はこれまでとほとんど変わらないのだ。


 だから確実にとどめを刺す。

 指揮官が討ち取られたという事実を帝国の兵士たちの目にハッキリと焼きつける。


 そこには何の感情も無い。

 ここは戦場。

 それが必要なことだからと、アルディスは何の迷いもなく『蒼天彩華』を青年の胸に突き刺す。


 指揮官の青年を救出するために引き返してきた護衛の騎兵たちを殲滅し、念のためと青年の首を斬り落とすと、静まりかえった周囲を威嚇するように見回してその場を後にした。


 アルディスにより指揮系統へ壊滅的な打撃を受けた帝国右翼部隊は、次第に組織的な行動を取れなくなりつつあった。

 分隊単位での統率は取れていてもそれらに指示を下す士官がいないのだ。


 それは帝国の攻勢を弱め、王国軍に一時の猶予(ゆうよ)を与える。

 その恩恵を受けたのは前線にいるキリルたちだけではない。

 すでに敗走して散らばっていく民兵、そして後方に控えていた学徒兵たちも同様であった。






「レムシェイド隊長! 敵の圧力が弱まっています!」


 学徒兵のひとりが馬上の士官に向けて叫ぶ。


「良し! この隙に撤退するぞ! 戦士課程の者は部隊の外周を固めて追撃に備えろ!」


 馬上の若い士官――ハンスリック・レムシェイドが声を張って指示を出した。


 彼の周囲に残るのはもはや五十名にも満たない小集団のみ。

 戦力と呼ぶにはあまりにも頼りない人数である。


 しかもそれを構成するのは正規の軍人ではなく、学園に通う学生たちだった。

 このように貧弱で、しかもろくに訓練も受けていない兵を引き連れて戦わざるを得なかった自らの不運をハンスリックは呪う。


 しかし今はこの少ない兵を使って、何とか戦場を離脱するしか生き残る道は残されていなかった。


「前方にはまだ敵に取り囲まれた味方がいるんだぞ……」


「味方を見捨てるのか……?」


 面と向かってハンスリックへ言う者はいないが、そこかしこから困惑まじりの声が聞こえてくる。


「我々だけで救出に行っても、もろともに全滅するだけだ!」


 苛立ちを隠しもせずハンスリックが周囲へ怒鳴った。


 実際、ここが戦場であることを考慮すればハンスリックの判断は間違っていない。

 いくら帝国軍の勢いが弱まったとしても敵味方の戦力差が明らかである以上、押し込まれるのは時間の問題だ。

 撤退するならば今しかない。


 この機を逃せばあとは敵に飲み込まれるだけだろう。

 敵中に取り囲まれた少数の味方を見捨てるのは指揮官として間違った判断ではなかった。


 とはいえ軍略のイロハも知らない学生たちにわざわざ()く必要を感じるほどハンスリックも余裕があるわけではないのだ。

 青臭いガキどもが、との内心を吐露(とろ)しなかったのは単にそれを口にするだけの時間が惜しかっただけであり、決して彼が自制した結果ではない。


「この場に残りたいヤツは残れ! 味方を救出したいなら止めはせん!」


 納得しがたい表情の学生たちに向けて言い放つと、勝手にしろとばかりに部隊長としての指示を出す。


「急げ! 追撃をかわすために森を通る! はぐれるな!」


 ハンスリックが先頭に立って撤退へ移る。


 その後に従うのは三十名ほどの学生たちだ。仲間の救出よりも自分の命を優先したのか、それとも部隊長であるハンスリックの指示へ従うことを重視しているのかはわからない。

 その数の少なさにハンスリックは人目も気にせず舌打ちをした。


 十数名の学生がハンスリックに従わず戦場へ残っていた。


 おそらく彼らにもわかっているはずだ。

 この状況で帝国兵に囲まれた味方を救出することなど無理だと。

 しかし学友を見捨てるということに対する躊躇(ちゅうちょ)と状況を把握できない適応能力の低さが、彼らから決断という行動を遠ざけているのだ。


「死ぬまで迷ってろ」


 それがわかっていてハンスリックは吐き捨てる。


 選択肢は与えた。指示も出した。それでなお自分の道を選べないなら、それ以上は自分の知ったことではない。

 半人前の学徒兵部隊を上層部から押しつけられた鬱憤(うっぷん)が、彼の寛容さを暗い色に塗りつぶしていた。


「くそっ! どうしてこんなことに……」


 武の名門レムシェイド家の次男として幼い頃から英才教育を受け、マリウレス学園でも学年首席に名を連ねていたハンスリックの人生は順風満帆だった。

 それが狂ったのは学園卒業を前に控えた学外遠征からだ。


「あの一件さえなければ……」


 撤退の指揮を()りながらもハンスリックは苦い過去を思い出す。


 かつてハンスリックはコーサスの森へ同級生と共に挑んだ。

 だが優秀な学生だったはずの彼らは森の獣へ歯が立たず、最終的に旅の行商人と傭兵の助力を受けることとなってしまった。


 王都へ戻ったハンスリックを待っていたのは『遭難して傭兵に救出された』という不名誉な評価。

 救出のために少なくない費用を払わざるを得なかった父親からは厳しい叱責(しっせき)を受け、次期当主の兄からは冷ややかな目で見られた。

 学園ではそれまでハンスリックに好意的だった同級生が手のひらを返したように離れて行き、卒業までの半年間、王都の外へ出ることを禁じられる始末だ。


 卒業して軍に入隊してから三年以上経った今でもその評判はハンスリックの足を引っぱっている。

 同じ立場だったにもかかわらず、着実に聖職者としての名声を高めつつあるソルテとは大違いだった。


 幸い帝国軍からの追撃はなく、ハンスリック率いる部隊は戦場からほど近い森へと足を踏み入れる。


「このまま森に(まぎ)れて戦場から距離を取る! まだ休むな! 足を動かせ!」


 どこか不気味に見える森の中をハンスリックたちは獣道にそって進んでいく。

 戦場から聞こえる音が遠ざかり、ようやく息をついたその時。


「う、うわあぁ!」


 隊列の中ほどを歩いていた学生たちが悲鳴をあげた。


「なんだ!?」


 慌てて振り返ったハンスリックの目に映ったのは、植物のツルで作られたと思われる網を上からかぶせられた数人の学生。


「罠!?」


 瞬間的にハンスリックの口から不吉な言葉が飛び出す。

 それに応えるかのごとく、今度は先頭を歩いていた学生から悲鳴があがる。


「た、助けて!」


 声に釣られて前を向くと、そこには道の幅いっぱいに広がる大きく深いくぼみがあった。


「落とし穴だと!?」


 それが人為的に作られたものであることは明らかだった。


「伏兵か! 全員、全周囲警戒! 守りを固――」


 混乱することもなく即座に対応しようとしたのはハンスリックの優秀さを表している。


 だがすでにそれも手遅れだった。


 部隊に指示を出そうとしたハンスリックは自らの身体に突き刺さる複数の矢を痛みと共に知覚する。

 それすらも刹那のこと。次の瞬間には頭に衝撃を受け、全てが遠ざかるような、薄れ行くような、そんな感覚と共に現世とのつながりを失った。


2019/03/08 誤字修正 わずかに除いた → わずかに覗いた

2019/03/08 誤字修正 魔法の発言 → 魔法の発現

※誤字報告ありがとうございます。


2019/05/04 誤字修正 「ひいぃ!」」 → 「ひいぃ!」

※誤字報告ありがとうございます。


2019/07/30 誤字修正 関わらず → かかわらず

2019/07/30 誤字修正 例え → たとえ

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