第129話
突然現れた見慣れない姿を警戒してライが鋭く誰何する。
「お前さん、誰だ?」
「大丈夫、アルディスさんは敵じゃないよ」
あわててキリルがアルディスとライの間に入った。
もちろんライもアルディスが敵ではないことを理解しているのだろう。
しかし敵兵が全周囲をぐるりと埋め尽くす中、どこから湧いてきたのかもわからない相手に不審を抱くのも当然だった。
「その子。キリルの知り合いなの?」
「その子って……。ま、まあ知り合いなのは間違いないよ」
緊迫した空気がエレノアの問いかけで若干緩む。
同時にキリルの顔に苦笑が浮かんだ。
四年前から顔見知りのキリルと違い、初めて会うエレノアにはアルディスが自分と同じくらいの年齢に見えるのだろう。
出会った頃とさほど変わりないアルディスの外見に、キリルは今さらながらに違和感を拭えずいる。
ひとまずライの視線から険が取れたのを確かめて、キリルは当然の疑問をアルディスへぶつけた。
「でも、アルディスさんは傭兵部隊に配属されたんじゃあ……?」
「今は詳しく話す時間が惜しい。帝国兵が浮き足立ってる今の間に、近くにいる連中と合流してしばらく守りを固めていろ。あっちに五人――」
キリルの問いを払いのけ、アルディスは簡潔に指示を出す。
「――向こうに九人残ってる。五人の方は早く駆けつけないとそろそろ危ない。急げ」
そもそもキリルたちへ指示を出す権限など、アルディスにはない。
だが現状、キリルへ命令を下す上官の存在は周囲に確認できず、かといって自分たちだけでは手詰まりであることが明白なのだ。
ましてキリルにとって、単に出身学園が同じというだけで言葉もかわしたことがない指揮官よりも、アルディスに対する信頼の方が遥かに厚い。
その言を疑うことなく即座に頷いた後、キリルはアルディスへ確認の問いを投げかける。
「アルディスさんはどうするんですか?」
「俺は敵の指揮系統を潰してくる」
アルディスの言葉を耳にして理解不能とばかりに周囲の四人は目を丸くするが、当のキリルは何でもないことのように受け入れた。
「分かりました。あっちが先ですね?」
キリルはアルディスが最初に指さした方向を確認する。
「援護はしてやるが、途中の帝国兵は自力で排除しろよ。それくらいはできるよな?」
「はい」
キリルが即答する。
アルディスは満足そうな表情を見せた後、悠々と帝国兵の集団へと足先を向けて歩いて行った。
慌てたのは周囲の四人である。
「お、おいキリル。あいつひとりで帝国軍に突っ込んでいったぞ? まずいんじゃないか?」
それまでキリルとアルディスのどこか非現実的なやりとりを傍観していたライが、思い出したように友人へ声をかける。
「大丈夫だよ。アルディスさんだから」
「ごめんなさい、キリル。私、あなたが何を言ってるのかさっぱり分からないわ」
横で聞いていたエレノアが、キリルの発言に対して正直な気持ちを口にした。
自分が非常識な事を言っている自覚を持つキリルは、少しだけ困ったような笑みを浮かべながら問いかける。
「さっきの魔法が全部アルディスさんの放ったものだと言ったら……、信じる?」
「は? いくらなんでもそれは……」
「こんなときにふざけないでちょうだい。上級魔法をあれだけの数、同時に放てる魔術師なんているわけないでしょ」
あまりにも常識外の発言へ、ライは戸惑ったように、エレノアは若干の怒りをのせてそれぞれの言葉で反応した。
「確かにあの数は僕も驚いたけど、『煉獄の炎』を同時に複数放つくらいアルディスさんには造作もないことだろうし」
キリルの言わんとするところを理解して、ライが確かめるように問う。
「もしかして……、相当強いのか?」
「強いよ。僕程度の実力じゃあ百人束になってかかってもかなわないくらい」
かつて八人もの野盗に囲まれながらも、『ちょうどいい』と呪われた剣の検証に利用するほどの余裕があったアルディスである。
今考えてみれば野盗は八人だけではなかったのかもしれない。アルディスが手に持つ剣とキリルを守る飛剣が一本、だが残る飛剣の一本が見当たらなかったことから、隠れていた野盗をひっそりと始末していた可能性が高い。
当時のキリルにもアルディスの強さが並外れたものであることはわかった。
だが自身が学園で戦う術を学んだ今、その認識すらも生ぬるいものであったことをようやく理解したのだ。
かつて都市国家レイティンに向かう道中でついでのように行われた魔物の討伐、そして人伝に聞いたレイティン防衛戦での働き。
それを考えれば帝国兵の真っ只中へ単身飛び込んでいく姿を見ても、彼ならそれくらいは――と納得してしまう。
言葉に詰まるライとエレノア。
学園きっての実力者と呼ばれ、講師陣からも一目置かれているキリル。その人物をして百人いてもかなわないと言わしめたのだ。驚かざるを得ないだろう。
だが今はこれ以上無駄話をしている時間も惜しい。
アルディスの魔法で足の止まっていた帝国兵も少しずつ混乱から立ち直りつつある。
数が大幅に減ったとはいえ、彼我の戦力差には絶望的なほど開きがあるのだ。
早急にアルディスが指し示した場所へ移動し、他の味方と合流するべきだろう。
その時、唐突に地面が揺れた。
「え? 何?」
慣れない揺れに困惑したエレノアがキリルの腕をとっさに掴む。
「おい! あれを見ろ!」
ライの言葉に視線を向けると、キリルたちを囲むように周辺の大地がせり上がる。
それはまるで土で作られた壁が完成するまでの工程を、短い時間で再現したかのような光景だった。
おそらく五メートルはあろうかという厚みの壁がまたたく間に隆起していき、キリルたちをぐるりと囲んでいく。
しかしその中で一方向だけ、壁に囲まれていない箇所が残されていた。
唯一開かれているのは先ほどアルディスが指し示した方向。
その先に続くのは左右を同様の壁で挟まれた空間。まるで谷底を続く道のようにも見えた。
キリルは瞬時にそれが誰の手によるものかを理解する。
「な、何よこれ?」
「アルディスさんだよ、きっと。『援護する』って言ってたから」
思わず口をついたエレノアのつぶやきへ、キリルが律儀に答えを返す。
「……援護とか、そういうレベルの話じゃないだろ、これ」
呆れと怖れを少量混ぜこんだ表情と共に困惑を見せるライ。
「これをあの子がひとりでやったっていうの?」
アルディスの実力を計りかねているエレノアは、その表情で「嘘でしょ?」と訴えていた。
だが今はそれを説明している暇はない。
アルディスの援護とていつまでも続くわけではないのだ。
幸い壁のおかげで敵兵の増援を気にする心配はなく、遠距離からの飛び道具も大半が防がれるだろう。
壁の内側には少数の敵兵が取り残されているかもしれないが、それくらいならばキリルたちだけでも排除できる。
今は生き残った生徒たちと合流することが先決だった。
「急ごう。敵が少ないうちに他の生徒と合流して守りを固めよう」
「あ、ああ」
「わ、わかったわ」
言葉を詰まらせながらもライたちが同意する。
五人は先ほどと同様に隊列を組み、壁に挟まれた道を駆けはじめた。
キリルたちと別れたアルディスはその進路を帝国軍に向ける。
壁のように立ちふさがる大勢の兵士たちを前にして、それでも歩みを止めず近づいていった。
一方、突然叩き込まれた上級魔法の数々に混乱していた帝国軍だったが、さすがにそこは訓練された軍隊である。向かってくる敵を前にして、今は常の冷静さを取りもどしつつあった。
とはいえ、悠然とした足取りで近づいてくるのがたったひとりの――しかも少年にしか見えない――敵兵であることに、兵士たちの顔には若干の戸惑いも浮かんでいる。
やがて帝国軍との距離が縮まり矢の届く距離になった時、見えないスタートラインを踏んだかのようにアルディスが駆けはじめる。
「放て! 串刺しにしてやれ!」
たかが兵士ひとりと高をくくったのだろう。帝国士官が配下の弓兵に攻撃を命じた。
直線に近い孤を描きながら飛んでくる矢をくぐり抜け、アルディスが人とは思えぬスピードで帝国兵に迫る。
「な……! は、速い!?」
地に突き刺さる矢を残して、黒髪の少年が驚愕の表情を浮かべた士官へと一直線に突き進んだ。
「げ、迎撃――」
口を開きかけた士官の首を容赦なく刎ねる。
「隊長!?」
補佐役と思われる兵士が、動揺を見せながらもすぐさま周囲の兵士へ指示を出す。
「……くっ! 囲め! 押し包め!」
(悪くない反応だ)
だが敵軍のど真ん中で攻撃の手を止めてまで賛辞を贈るほど、アルディスも酔狂な人間ではないのだ。内心でその兵士を賞賛しつつもすぐさま次の行動へ移る。
前後左右から襲いかかってくる敵兵士を避けるため、アルディスは固い地面を思い切り蹴りつけて上方へ退避した。
浮遊の術を応用した跳躍。人間の脚力では到底たどり着けない高度へと、アルディスはその身を魔力によって持ちあげる。
一気に地上二十メートルまで飛び上がったアルディスは、またたきひとつの間にぐるりと眼下の帝国軍を見回した。
(馬に乗った人間が十八人、魔術師らしき人間が五人――)
瞬時に刈り取るべき標的を確認する。
人間とは思えない跳躍力に多くの兵が唖然とする中、いち早く正気に戻った幾人かの士官が攻撃を命じた。
「撃て! 撃ち落とせ!」
慌てて弓兵たちが次々とアルディスに向けて矢を放つ。
同士討ちの危険すら意に介せず高密度の弾幕となって襲いかかるそれを、アルディスは涼しい顔で眺めていた。
弓兵にとっては至近と言っても良い距離である。
幾本もの矢はそのほとんどが狙いを外れることなくアルディスの頭へ、胸へ、腹へ、腕へ、足へと突き刺さる――かに見えた次の瞬間、全てが弾かれた。
そのうちの一本がアルディスの顔へ真っ直ぐ向かって来るが、当の本人は矢を一瞥すらしない。
身体の手前一メートルほどの距離に迫った矢が薄い青色の膜にぶつかると、甲高い音を立てて力を失う。
その瞬間だけ、光を放つ膜が自らの存在を主張した。
「障壁か!」
無数の矢を射かけられながらも傷ひとつ負わないアルディスに、帝国兵たちが忌々しそうな視線を向ける。
跳躍の勢いを失い重力に引かれて高度をやや下げながら、アルディスは自らの傍らに七色の輝きで包まれた球体を生み出す。
至近へ現れた、神々しくも不吉な光に帝国兵がたじろぐ。
「お返しだ」
冷たい言葉にのせて七色の球体から無数の光が眼下の帝国軍へ向けて放たれた。
標的である騎乗した士官、そして魔術師に向けて襲いかかる数え切れないほどの光。
それは先ほどアルディスに向けられた矢の数をも上回っている。
標的を中心にして降り注ぐ光の矢が、不運な周囲の兵士をも巻き込んで貫いていく。
断末魔の叫びを響かせながら、次々と倒れていく帝国軍の兵士たち。
貫かれた傷口は光で焼かれて瞬時に固まり、流血の色を覗かせることもない。その骸は未だ現世にいるものとそれほど変わりない外見を保っていた。
「リ、『虹色の弓』だと……!?」
帝国兵の中からうめくような声が聞こえる。以前に同じような光景を見たことのある兵士がいたのかもしれない。
アルディスが放ったのはレイティンの防衛戦でも使用した『虹色の弓』の魔法である。
厳密には『虹色の弓』に似せた魔術――あるいは魔力を使った技――というべきである。
無論、事象としてもたらされる効果が似ていても、『虹色の弓』とは明らかに異なるものであるが、帝国の人間にそれがわかるわけもない。
詠唱抜きでもたらされた魔法であることも、上空にいるアルディスと離れた場所にいる彼らには知る術はないのだから。
しかしそれらのことも、深刻な被害を受けた帝国軍にとっては些細なことだろう。
アルディスが狙った標的のうち、健在なのは二箇所だけ。残りは全て地に倒れ伏した骸が姿をさらすだけの空白地帯となっていた。
未だ健在な二箇所は、おそらく魔術師の懸命な防御によりアルディスの攻撃を防ぐことに成功したのだろう。
自然落下で地面が近づいてくる中、攻撃の成果を確認したアルディスは腰から二本のショートソードを解き放ち、次の一手へと取りかかろうとしていた。
2019/05/04 脱字修正 帝国軍の距離 → 帝国軍との距離
2019/05/04 修正 帝国に突っ込んで → 帝国軍に突っ込んで
2019/05/04 誤字修正 指さした方法 → 指さした方向
※誤字脱字報告ありがとうございます。






