第120話
王国軍が軍を編成し終えて王都を出発したのは八月十日のことである。
再編した王都軍の千人、各地から集結した領軍が三千人、民兵が三千五百人、そして傭兵が五百人。
合計八千の軍勢を従えて指揮するのはナグラス王家の第三王子、副将として王国軍のオルトリヒ将軍が同行している。
実質的には副将であるオルトリヒ将軍が指揮をとるため、第三王子はあくまでもお飾りの指揮官でしかない。
だがたとえお飾りであっても戦場に王族が出てくることはまれなことであり、それだけ今の情勢が王国にとって切迫しているという証拠であった。
王族が自ら戦場に立つということで王国軍の士気は高い。
数的な劣勢を補うためには士気の高さが不可欠である。
噂では第三王子自ら軍勢を率いると買って出たらしい。
特別優れた能力があるというわけではないが、第三王子は温厚かつ柔和な性格で知られている。
何かと衝突しがちな王太子と第二王子の間を第三王子が取り持つことで、これまで王位継承権のもめ事も回避出来ていたというのがもっぱらの評判だった。
アルディスは傭兵の一員としてこの戦いに参加している。
国中どころか他国からも集まった傭兵の数は約五百人。
だが実はこの数、かなり少ない。
前回の王国軍惨敗が響いているのだろう。王国不利とみて帝国に与する傭兵の数は多かった。
もちろん王国側もこの戦いが国家にとっての一大事であるという認識は持っている。
傭兵に提示された報酬はこれまでと比べ物にならなかったが――。
「命あっての物種だもんねえ。トリアにいた傭兵も大部分は帝国側についたみたいだよ」
歩きながらあっけらかんとした口調で笑う小柄な弓士。
「じゃあどうしてノーリスたちはこっちにいるんだ?」
隣を歩くアルディスが呆れたように訊ねる。
国境近くへ向けて行軍している王国軍は、帝国が陣を構える場所まであと半日という距離まで来ていた。
緒戦に勝利した帝国軍は、いまだ当初の野営地から動いていない。
どうやら準備を万端にして王国軍を迎え撃つつもりのようだった。
態勢を立て直した王国軍を完膚無きまでに叩きのめし、この一戦で過去の因縁に決着をつけようという強い意思がそこからは感じられる。
実際、この決戦に敗れれば王国に抵抗を継続するだけの戦力は残されていない。
あとは帝国軍に全土を蹂躙されるまま、指を咥えて見ているしかないだろう。
まさに王国の存亡が懸かった一戦と言える。
だからこそ王国は傭兵に対して破格とも言える条件で募集をかけた。
しかしそれでも千人にも遠く及ばない人数しか王国側へ集まらなかったところに、今回の戦争へ対する世間の見方が窺える。
そんな状態で王国軍に参加する傭兵というのは、アルディスのようにワケありか、もしくは多額の報酬に目がくらんだ者かのどちらかだろう。
トリアでも指折りの傭兵として名高いパーティ『白夜の明星』は報酬に目がくらんでしまうほど即物的でもなければ金に困ってもいないはずだ。
どうしても帝国に与するのが嫌なら不参加という選択肢もある。
なぜ彼らが王国軍に肩入れするのか、アルディスにはその疑問を解消する答えの持ち合わせがなかった。
「まあ、部隊が全滅しても全員が死ぬわけじゃねえからな。要は死ななきゃいいんだろ?」
リーダーのテッドが事も無げに言い放った。
今回に限っては募集金だけでも結構な金額が支払われている。
もちろん報酬を全額受け取るためには生きて帰らなければならないが、それだけの実力を持っているという自負が彼らにはあるようだった。
「テッドはこう言ってるけど、私たちも最初はどうするか決めかねていたのよ。ただ王都にやって来てみればアルディスも傭兵として参加するっていう話じゃない。だったら私たちもってことになったのよ」
「アルディスと同じ部隊なら、少なくとも死にはしないだろうからね」
テッドに続いて魔術師のオルフェリアと弓士のノーリスが経緯を説明する。
「まあ、それによ……」
ニカリと素朴な笑顔をテッドが見せた。
「なんだかんだと王国には長いこといるからな。多少はこの国にも愛着があるんだよ」
傭兵らしからぬ理由を告げると強面男は声を立てて笑った。
「ふうん……」
生返事をするアルディスだが、内心では少なくない安堵を感じていた。
テッドたち『白夜の明星』の面々はアルディスにとって数少ない仲間と言える。
いくら顔見知り同士敵味方に分かれて戦うのが傭兵の宿命とはいえ、テッドたちを敵に回したいと思っているわけではない。
「そういえば、ネーレは今回ついて来てないの?」
ノーリスがアルディスの自称従者について訊ねてくる。
「ああ。ネーレには残ってもらった」
「まあそうよね。あの森にフィリアちゃんとリアナちゃんを残してくるわけにはいかないでしょうし」
当然ながらネーレは双子の守りとして家に残っている。
加えてアルディスの側にはロナの姿も見当たらない。
そもそも見た目獣の相棒を戦場に連れてくるわけにはいかないし、ロナには森の奥へ避難しているルプスの守りについてもらっていた。
アルディスと同郷のルプスは黒毛の巨体を持った『クロル』という種であり、非常に強い力を持っている。
相手が森の魔物なら何の心配もない。
だが相手が知恵を持った人間であれば話は別だ。
万が一帝国軍がルプスに接触した場合、臆病な性格のルプスでは害をこうむる可能性があった。
それゆえ戦いに決着がついて平穏が戻るまではロナがその身辺に目を光らせているのだ。
『ほっときゃいいのに。アルはあいつを甘やかしすぎだよ』
と文句を言いながらもルプスの守りを引き受けたロナだった。
「僕はてっきりアルディスも一緒になって引きこもってるかと思ったんだけど。別にお金で困ってるわけじゃないよね? 『三大強魔討伐者』さん?」
ノーリスがからかうような口調で理由を聞き出そうとする。
「ちょっと知り合いが参加してるんでな……」
「それって――」
珍しく濁すような口調のアルディス。追及しようとしたノーリスの言葉を若い男の声が遮った。
「アルディスじゃないか!」
手を挙げながら近づいてくるのは四人の男女だ。
先頭を歩くのはガッチリとした筋肉質の男。
その後ろからアッシュブロンドの髪を持つ長身の男と長髪をひとつ縛りにした細身の男、茜色の髪をした小柄な女が続いている。
いずれも思い思いの武装で身を固めており、明らかに傭兵であることが見て取れた。
その顔を見てアルディスはしばし記憶を掘り起こすと、思い当たる名を引っ張り出した。
「ラルフ……か?」
「おう。覚えていてくれたか! もう忘れられたかと思ってたぜ!」
それはアルディスがまだトリアにいたころの話である。
草原でディスペアという魔物に襲われて危機一髪だったところをアルディスが助けた相手、それが彼らだった。
「さすがに四年も経ってると顔つきもずいぶん変わってるからな。思い出すのに時間がかかった」
駆け出しの傭兵だった彼らも四年の間にすっかり様変わりしている。
その顔からは幼さが消え、経験を積み重ねた傭兵としての自信がにじみ出ているように感じられた。
「そういうアルディスは全然変わらないな。変わりがなさ過ぎて逆にビックリしたぜ」
もともと大柄な体がさらにひとまわり大きくなったラルフが、アルディスの背中をバシバシと叩いて笑った。
「噂はトリアにも流れてきてるぞ。『三大強魔』を討伐したってのは本当なのか?」
「何も言わずにトリアを出て行くなんてひどいじゃない。一言くらい声をかけてくれても良かったのに」
四年ぶりの再会にジオとコニアがそれぞれの言葉で久闊を叙する。
「悪いな。急なことだったから、ゆっくり出来なかったんだ」
トリア領軍との衝突を知らない彼らに本当の理由を話すことは出来ない。
軽く笑いながらアルディスは謝罪の言葉を口にした。
「アルディス。久しぶりだね」
彼ら四人の中でリーダー格とも言えるグレシェが最後に声をかけてくる。
「ああ、元気そうで何よりだ」
四年前はアルディスとグレシェの意見が合わず、少し気まずい感じで別れることになったものだが、決して互いに相手を嫌っているわけではない。
微妙な表情を浮かべていることからグレシェ自身も思うところがあるのだろうが、今は再会を喜ぶべきだろう。
この場所にいるということは、グレシェたち四人も王国軍側の傭兵として戦争に参加するつもりなのだろうから。
「本当に君は変わってないな。まったく、ということはないんだろうけど」
グレシェがアルディスの容姿を上から下まで眺めながら、率直な感想を口にする。
「そういうグレシェたちはずいぶんと立派になったな。さすがにもう駆け出しからは卒業か」
対するグレシェたちはすっかり一人前の傭兵といった顔つきだ。
四年前の新米傭兵だった頃とは違い、所作にも落ち着きが見える。
「ひどいなアルディス。これでもあれからしっかり経験はつんでるし、トリアではそれなりに名前が売れているんだよ。ディスペアだってもう敵じゃない」
「そうか」
確かにディスペア一体で全滅の憂き目にあっていた頃とは違うだろう。
危険な獣や魔物相手に四年間ひとりの脱落者もなくやって来ているということは、傭兵としてそれだけの実力がついているという証でもある。
「でも良かったよ。アルディスがこっち側で。出来れば顔見知りと敵味方には分かれたくないからね。トリアからも帝国側についた傭兵が出たのは悲しいけど」
「……傭兵なんだから仕方ないだろう」
本心から悲しそうな表情を浮かべたグレシェへ、アルディスはやや顔をしかめて言葉を返す。
その後、アルディスとしばらく言葉を交わしていたグレシェたちは、別の知り合いを見つけてそちらへ移動していった。
「何か言いたそうだな、アルディス」
アルディスたちの会話を横で聞いていたテッドが声をかけてきた。
「ん? いや、ちょっとな……」
「『コスターズ』のことが気になる?」
「コスターズ?」
ノーリスの問いかけにあった耳慣れない言葉をアルディスが問い返す。
「うん。彼らのパーティ名だよ。なんでも『コスター村』出身の幼なじみだから『コスターズ』なんだって。安易なネーミングだよね、あはは」
「そういうことか」
早々に解決した疑問は横に置いて、アルディスはグレシェたちのことを訊ねた。
「あいつら、トリアでは上手くやってるのか?」
「うーん、そうだねえ……。上手く……やってるのかなあ? どう思う、テッド?」
どう答えたものか、そんな迷いを言外に匂わせながらノーリスはテッドへと丸投げする。
「いいヤツらだぞ。真っ直ぐだし裏表はねえし。あいつらが自分で言ってたようにディスペアも問題なく狩れる程度の力量は身についてるみてえだな。依頼主からの評判も悪いって話は聞いたことがねえ。ただなあ……」
ノーリスからバトンを受け取ったテッドはそうグレシェたちを評しながらも、最後に言いよどむ。
「何か問題があるのか?」
「ちいと人が良すぎるっつーか、甘いっつーか」
何と言ったらいいものかと言葉を見つけようとするテッドの横から、オルフェリアが口を挟んだ。
「最近頭角を現して注目されているのだけれど、当然やっかみなんかもあるわけよ。自分の力を磨くよりも人の足を引っぱる事に熱心な輩というのはどこにでもいるでしょう? 時たまちょっとした妨害を受けたりもしてるみたいよ」
「別に珍しいことじゃないだろう?」
「それ自体はね」
とノーリスが話を引き継ぐ。
「僕らだってそれなりに名前が知られてるから、そういう風に邪魔をされたり、裏で悪評を立てられることだってある。ちなみにアルディスだったらどうする? 裏で手を回して依頼の妨害をされたら?」
「妨害の程度にもよるが、二度と手を出してこないよう徹底的に叩きのめす」
法の許す範囲で、と最後に一応付け加えたアルディスに向かってノーリスが声を立てて笑う。
「あはは、そうだよね! アルディスなら容赦しそうに無いもんね!」
アルディスも鬼ではないから、敵対する者全てを斬り捨てるつもりはない。
しかし相手が害意を向けてくるならそれ相応の反撃はするだろう。
妨害程度なら痛めつけるだけですませるが、向こうがこちらの命を狙ってくるのなら相手の命を奪うことに躊躇いはなかった。
「ただコスターズの面々はそうじゃないらしいよ。あからさまな妨害も色々と受けてるみたいだけど、それに対して反撃とか報復はしないみたいだね」
「なんだかんだ妨害があっても切り抜けられるだけの実力はあるみてえだが、それとこれとは話が違う。ちょっかい出してくるようなヤツらは、きっちり痛い目みせておかねえとまた同じ事しやがるからな」
「きれい事だけじゃ傭兵は務まらないものね。甘く見られていると、どこかで足をすくわれかねないのだけれど……」
お人好しでは傭兵などやっていられない。
もともと食いつめ者やならず者も多いのが傭兵という存在だ。
虎視眈々と他人の懐を狙う輩や、人を陥れることで利益を得ようとする輩は珍しくなかった。
傭兵は英雄になることは出来ても聖人になることはできない。
それを痛感せずにこれまでやってきたグレシェたちは幸運でもあり、それと同時に不運でもあるのだろう。
これまではなんとかなってきたかもしれない。
だがこれから彼らが赴くのは日常とかけ離れた、戦場という異常な舞台である。
一抹の不安を感じながら、アルディスはコスターズの面々を遠目に見ていた。
2019/03/08 変更 帝国に組する → 帝国に与する
2019/03/08 変更 興亡が懸かった → 存亡が懸かった
※ご指摘ありがとうございます。
2019/05/04 誤字修正 戦闘を歩く → 先頭を歩く
※誤字報告ありがとうございます。
2019/08/12 誤字修正 久闊を除する → 久闊を叙する
2019/08/12 誤用修正 足もとをすくわれる → 足をすくわれる
※誤字誤用報告ありがとうございます。