第119話
「我が主は王国の傭兵部隊に参加するつもりがないのかね? 戦で武功をあげるは傭兵の本分であろう」
キリルが帰った後、ネーレはアルディスに向けて問いかけた。
「別に戦場で人殺しをしたくて傭兵になったわけじゃない。もともとこの戦争には手を出すつもりもなかったんだがな……」
「今では考えが変わった、と?」
言葉を濁したアルディスへネーレがさらに追及する。
「せっかく育てた双子の家庭教師をこんなつまらん戦争で死なせたくない、と考えるのはおかしな話か?」
言い訳がましく反問したアルディスにネーレは鼻をならす。
アルディスの事を主と呼び、従う姿勢を見せるわりには失礼な態度の従者であった。
「おい」
「ふむ。気を悪くしたなら許すが良い。いちいち理由をつけずともキリル個人を惜しむというならそれで良かろう。何も双子を持ち出す事もあるまい」
言い返せずアルディスはふてくされた。
素直にキリルの身を案じていると言えば良いだろう、と痛いところを突かれたからだ。
「以前キリルが貴族の子弟と試技勝負をする事になった時もだが、本人に気付かれぬようこっそりと見守るなど我が主も存外面倒見が良いことだ。まあ、そうでなければ双子を抱えてまでトリアの領軍と敵対、などと面倒なことはせぬであろうが」
ぐうの音も出ないとはこのことだった。
不満をありありとたたえた表情のアルディスは、無駄な反論を諦めて近々迎えるであろう王国軍と帝国軍の衝突に考えを巡らせる。
勝利の勢いに乗って進撃してくるかに思えた帝国軍は現在国境から半日ほど侵攻した地点で停止している。
本国から送られてくる後続との合流をするつもりなのは間違いないだろう。
勝ちの勢いを失いかねないためあまり良い手とは思えないが、帝国の上層部は総力戦で王国を一気に攻めるつもりなのかもしれない。
この機会に長年の対立を自分たちへ優位な条件で終わらせようという考えが窺える。
おそらくすでに帝都を発った後続の部隊が国境に向けて進軍しているところだろう。
帝国の上層部は今何を考えているのだろうか。
宿敵を打ち倒す絶好の機会に高揚感でいっぱいなのか、それとも国の総力をあげた戦いに胃を締め付けられる思いでいるのか。
神ならぬアルディスにそれを知る術はない。
ロブレス大陸南東部の東西へ長い土地を領土とするエルメニア帝国。
かつて大陸の三割という広大な範囲を領土として栄えたコーサス王朝の継承者を自認する国である。
その帝都は濃い灰色を基調とした威圧感あふれる城から同心円状に広がっている。
中央にそびえ立つ城の奥。平民は当然のこと、貴族ですら立ち入ることの許されない領域の一室で、ふたりの人物が豪奢なテーブルを挟み向かい合っていた。
「陛下。民は帝国軍の華々しい勝利に沸き立っております。このままナグラスを併呑してかつての栄光を取りもどす日も近いと浮かれてすらいるとのこと。すばらしいことです」
「その割には不満そうな表情を隠そうともせぬな」
陛下と呼ばれた老年の貴人が苦笑混じりに指摘する。
相対するのは二回りほど年下の精悍な顔つきをした壮年の男だ。
国の最高権力者たる老人に向けて皮肉めいた言葉をぶつけるなど、普通ならただで済むはずがない。
だが男は老人に対して形式上は賞賛の言葉を口にしながらも、容赦なく表情へ不快の色を浮かべている。
実の息子でもあり、皇太子という立場にいるからこそ可能なことだった。
からかうような父親の言葉に、息子は堰を切ったような勢いで不満を吐き出しはじめる。
「王国と戦うのは構いません。勝ったというのならなおさら結構なことでしょう。私とてゆくゆくは帝国を背負って立つ身。旧領奪還が建国以来の悲願であることは重々承知しています」
ですが、と帝国の最高権力者を正面から見据えた。
「得体の知れない者どもを懐へ招き入れるというのはまた別の話です」
皇太子の主張に、皇帝はふた呼吸ほど間を置いて訊ねる。
「……南の大陸から来た者たちの事を言っておるのか?」
「わざわざその問いに答える必要がありますか?」
皇帝はわざとらしくため息をついた。
皇太子が言っているのは、同盟関係となったサンロジェル君主国からの援軍についてだ。
王国との初戦で膠着状態に陥った戦場を一変させた軍である。
「今回の戦は彼らの働きで勝てたようなものだ。皇国軍の常備兵だけでは過去の戦い同様に痛み分けで終わった可能性が高いと、戦術分析官からは報告が来ている。何を心配しているのかは知らんが、気の回しすぎであろう?」
「ヤツらがただの傭兵ならば気にしません。働きに応じた報酬を支払えばそれで何も問題は残らないでしょう。ですがヤツらは国家を後ろ盾にした軍隊です。しかもつい先日までその存在すら知られていなかった遠方にある国家の、ですよ」
サンロジェル君主国はロブレス大陸より遥か南に位置する別大陸の国である。
先方から正式な接触があったのは半年ほど前のこと。
使節団を受け入れ、国交を樹立して同盟関係となるまではあっという間で、国内の貴族たちですら状況を理解できないままに慌てふためく様だった。
その立地上、直接領土を隣接する国家がナグラス王国だけというエルメニア帝国は常に外交的孤立で苦しんでいた。
王国の西に隣接する都市国家連合も北に位置するブロンシェル共和国も立場的には王国寄りの中立である。
帝国と敵対しているわけではないが、かといって同盟相手として望める相手ではない。
ブロンシェル共和国の東、帝国から海を挟んで北の位置には巨大な島を領土とするアルバーン王国が存在する。
アルバーン王国とは比較的友好的な関係を築いているものの、いかんせん互いに遠すぎた。
エルメニア帝国とアルバーン王国を隔てるのは、波も荒く危険な水棲魔物が潜む外洋だ。
帝国の航海技術がナグラス王国に比べれば進んでいるとはいえ、それでも陸地に沿って近海を行くほかない。
途中でナグラス王国の海岸線を通る以上、大規模な船団を堂々と送るわけにもいかず、アルバーン王国へは小規模な外交使節を送るに留まっている。
当然今回のようにナグラス王国と開戦すれば、アルバーン王国との行き来はまともに出来ない。
帝国は北西をナグラス王国と接し、それ以外の西方、および南方と東方は果てる事なき海に囲まれていた。
北の海も渡れない以上、唯一の突破口は領土を接するナグラス王国のみとこれまで考えられてきたが、それは間違いだったのだ。
南方の海を越えた先に別の大陸があったこと、そして南方からやって来たサンロジェル君主国の人間が最初にたどり着いた国がエルメニア帝国であったことは、この国にとり幸運と言ってさしつかえないだろう。
予期せぬ遠方からの客人を迎え、エルメニア皇帝は周囲への根回しもそこそこに軍事同盟まで結んでしまった。
しかしその一方で国交樹立から時を置かず王国と開戦したこともあって、帝国から君主国への使節団は一度も派遣されていない。
これは異常な事である。
そもそも君主国と違い、単独で外洋を渡る術のない帝国では君主国の船に乗せてもらわなければ南の大陸までたどり着けるかどうかも怪しい。
勝手に使節を送ることも出来ないというのが現実だ。
「我々はヤツらの故郷をまったくといって良いほど知りません。それがいかに危険なことかお分かりになりませんか?」
そんな皇太子が抱く危機感を、皇帝は取るに足らぬ杞憂だと切って捨てる。
「交流はこれから進めて行けば良い。王国を打倒さえすればこの大陸で我が帝国に並び立つ国はいなくなる。大陸の覇者として悠々と構えておれば良いのだ。外洋航海技術を君主国から得られれば、アルバーン王国との軍事同盟も十分現実味を帯びてくる」
皇帝が君主国と誼を結ぼうとするのも、その技術を取り込もうという考えがあるからだろう。
北の海を越えてアルバーン王国と直接行き来できるようになれば、帝国は念願の同盟相手を大陸のすぐ側に得ることが出来るかもしれない。
ましてその段階でナグラス王国を屈服させていれば、もはや大陸で帝国に対抗出来る勢力はいなくなるだろう。
しかし、それはあまりに楽観的すぎると皇太子は指摘する。
「ヤツらが単なる善意で援軍をよこしたとでもお考えですか?」
君主国側は大陸間を自由に行き来するだけの航海技術を持っているが、こちらは相手の国がどこにあるかすらわからないのだ。
軍事的に考えれば相手は自由に攻めて来ることが可能な一方で、こちらは攻め手の出方を待って守る事しか出来ない。
いつどこに現れるかわからない敵を相手に守りの戦いをするなど、考えるだけでも憂鬱になる。
せめて君主国の場所を把握し、大陸間を渡って軍の派遣が出来る程度の技術をこちらも身につけてから援軍を受け入れるべきではないか。皇太子はそう考えている。
彼に言わせれば、今の帝国は危険な綱渡りをしているような状態だった。
だがその懸念も皇帝は意に介さない。
「彼らとて遙々遠方から軍を送ってくるのは容易なことではなかろう。かの騎兵が精強とはいえ、送り込んでくる数は多くあるまい。守りに徹すれば、海を渡って疲弊した兵などどうとでもなる。それよりも王国との力関係をハッキリさせ、誰がこの大陸の盟主にふさわしいかを彼らにもわかるよう見せねばならん」
かつて帝国と王国の国力は拮抗していた。
しかし近年相次いで王国を悩ませてきた魔物が退治され、その結果新たな重鉄鉱山の開発や商業航路の短縮がもたらされて王国の国力は増大している。
帝国との国力差は拡大し、昨今は王国に水をあけられつつあるのだ。
サンロジェル君主国が帝国を見限って王国へすり寄るような事態だけは絶対に避けなければならない。
そのため一日でも早く王国に対する優位性を確保しておかねばならない、と皇帝は力強く説いた。
いくら皇太子が皇帝に次ぐ権限を持っているとは言っても、最高権力者たる皇帝に対して出来る事は限られている。
意見を述べ、翻意を促すことは出来るが最終的に決定を下すのは皇帝自身だ。
納得しがたい気持ちを抑え込みながらもそれ以上の言及を諦めて渋々と頷いた。
話を終えて部屋を退出した皇太子は、護衛を引き連れ無言で廊下を歩きながら思案にふける。
サンロジェル君主国と組んで軍を国内に招き寄せることについては、おそらく皇帝も危険性を内心理解しているのだろう。
だがそれ以上に皇帝は『大陸の覇者になる』という誘惑へ打ち勝つことができなかったに違いない。
皇太子は心の中に立ちこめる暗雲を無理やり抑え込み、自らの立場で成すべき事をひとつひとつ挙げはじめる。
すでに開戦した以上、今さら後戻りは出来ない。
はじめてしまったからには勝たなくてはならないし、サンロジェル君主国にも隙を見せることは出来ない。
王国を屈服させ、大陸の覇権を握り、君主国からの関与を極力排除する。
後日、君主国と刃を交えることをも想定しながら、自らの補佐官へと出す指示をリストアップしていった。
2018/03/05 誤字修正 同円心状 → 同心円状
※感想欄でのご指摘ありがとうございます。
2019/03/07 誤字修正 応える必要が → 答える必要が
※誤字報告ありがとうございます。
2019/08/12 誤字修正 追求する → 追及する
2019/08/12 修正 構えていれば → 構えておれば
2019/08/12 誤字修正 押さえ込み → 抑え込み
※誤字報告ありがとうございます。