第117話
ナグラス王国とエルメニア帝国の確執は根深い。
事の始まりはかつてコーサスの地に広大な領土を持っていた王国の滅亡にある。
二百年前に滅んだコーサス王家の傍流がエルメニアの地へ逃れ、建国したのが帝国だった。
そしてコーサス王国滅亡の混乱に乗じて勢力と版図を広げたのが、当時都市国家であったナグラスである。
ナグラス王国南東部の土地も、元はと言えばコーサス王国の領土であった。
当然コーサス王国の継承者を主張するエルメニア帝国にしてみれば、ナグラス王国が領土を不法占拠しているに等しい。
一方、ナグラス王国にすればエルメニア帝国の主張は言いがかりも良いところである。
当時都市国家であったナグラスは、コーサス王国滅亡の混乱期に現地の民から請われて軍を進駐させたのだ。
その土地の治安維持すらままならなかった帝国が、あとになって権利を主張するなどふざけた話であった。
そもそもコーサス王国の継承者であるというのもエルメニア帝国が勝手に言い張っているだけで、ナグラス王国はそれを認めていない。
コーサス王家の血がエルメニア帝室に流れているというのは事実だろうが、それを言えばナグラス王家にもかつてコーサス王家から嫁いできた王女の血が流れているのだ。
当然ナグラス王国とエルメニア帝国の言い分は真っ向から衝突する。
外交的な折衝はそうそうに物別れとなり、武力による解決を試みること数十年。
幾度となく干戈を交えた両者は互いを不倶戴天の敵とみなすようになった。
これまでも軍事衝突と束の間の平穏を繰り返してきたように、再度の激突は避けられないものと考えられ、この数年間動きが活発化してきた帝国軍からナグラス王国も目を離すことはなかった。
国境の緊張感が高まるにつれ開戦の噂がたびたび巷に流れていたため、帝国からの宣戦布告を聞いた王国民の思いは「まさか」ではなく「ついに」の一言である。
宣戦布告から間を置かず国境を侵犯した帝国軍は、王国南東部にある荒れ地へと陣を構えて王国軍を待ち構える。
大軍同士が激突するほどの開けた土地は意外に少なく、人里から離れた土地となればさらに少ない。
王国軍としては町や村が戦場となって荒れるのは当然避けたいし、帝国にしても自国領であると主張している以上、略奪狼藉を働くことは建前上禁じられている。
双方の利害が妙な一致を見せた結果、戦場はごく限られた土地に集中していた。
帝国軍に遅れること二日。
急ぎ軍を編成した王国軍が戦場に到着する。
帝国軍三千に対し、王国軍二千八百。
兵力では帝国がやや優勢だが、遠征軍であることから補給線が長く、兵站の観点からは戦場が自国領内である王国が有利だろう。
王国軍上層部は彼我の戦力が拮抗していると判断した。
まずは常備軍で一当てし、本格的な戦いは民兵や傭兵の招集が完了してからであろう。
帝国側も軍を構成するのは常備軍であり、民兵や傭兵は含まれていない。
招集が行われていれば当然それは王国の耳にも入り、宣戦布告前に動きを察知することができる。
機先を制するため、帝国も初戦は常備軍のみで構成されたものと考えられた。
そのため本格的な戦いは次回以降であり、今回の戦いは相手の出方を窺い、互いの戦力を推し測るための前哨戦と王国軍上層部は見ていた。
しかしそれが甘い見通しであったことを、王国は手痛い教訓として身に刻まれる結果となる。
突然の宣戦布告とそれに続く王都軍の進発により興奮冷めやらぬ王都の民へ数日後届けられたのは、王国軍敗北の知らせだった。
戦場となった荒野で示し合わせたように両軍が激突したのは、まだ日が昇りきらない十時頃のことである。
見通しの良い荒野において伏兵は意味を成さない。
両軍ともに兵力を戦場一杯に展開し、正面から先鋒同士が接触した。
互いに初戦ということもあり、相手の出方を窺いながらの用兵である。
各部隊も大胆な行動は見せず、前線で負傷した兵を後送し、代わりに予備兵力を投入するというセオリー通りの戦いが繰り広げられた。
事態が急変したのは開戦から四時間が経過した十四時頃である。
死傷者の数が互いに百人を超え、開戦当初は兵士たちを包んでいた緊張感が疲労と共に緩み始めた頃、その集団は突然戦場へと割り込んできた。
見慣れぬ獣に跨がった武装集団は帝国軍の軍旗を掲げると、状況を飲み込めず混乱する王国軍の本陣へと奇襲をかけた。
四時間にわたり戦い続けていた王国軍に、それを跳ね返す力はなかった。
浮き足だった本陣が蹂躙され、あわせて全面攻勢へ出た帝国軍に押し切られて王国軍は瓦解。
指揮官である将軍が討ち取られるに至って指揮系統も崩壊し、一部の部隊を除いて組織的な抵抗も出来なくなる。
戦場を離脱しようとした王国兵は、本陣を蹂躙した正体不明の部隊により脱出路を阻まれたところへ帝国軍本隊の追撃を受けた。
最終的に戦場を離脱することに成功したのは二千人を割っている。
死者と行方不明者は合わせて千人以上。負傷者も千五百人に届こうかという有様は、壊滅と表現する以外にないほどの大敗北であった。
「ということで、王都はまるで葬儀場のような重い空気に包まれた状態です」
アルディスの家でネーレに向かってそう語るのはキリルだ。
王国軍の敗北から十日ほどが経っていた。
次の戦いに向けて各地の領軍が王都に集結し、民兵の招集や傭兵たちへの参戦依頼が行われているため、いずれは喧騒に包まれるだろう。
だが現状では先の惨敗による衝撃をまだ引きずっている。特に軍関係者の消沈はひどく、敗北から立ち直れないでいるようだ。
「それはまた、手ひどい負け方をしたものだな」
一連の話を聞き終わり、ネーレが他人事のように感想を述べた。
「王都の常備軍が全滅といって良い状態ですからね……。地方の領軍や民兵、傭兵をかき集めればまだ余力は残っていますが、それは帝国も同じでしょう」
初戦で一方的な勝利を得た帝国は荒野に留まりつつ、本国からの後詰め部隊と合流しつつあった。
先の戦いで戦線を離脱した兵もいるだろうが、王国に比べればその数は一桁少ない。
常備兵に加えて正体不明の騎兵集団がおよそ二千。
そこに後詰めを加えれば兵力は一万二千を超える見込みだという。
今回の戦い、帝国は本気で王国との決着をつけるつもりらしい、そういう見方が強かった。
対して迎え撃つ王国側の兵力は少ない。
各地の領軍と民兵をかき集めても八千といったところだ。
しかも中核を担うべき王都の常備軍は壊滅状態である。
現在急ピッチで再編成が進められているが、軽傷者を組み入れてもその人数は千人を超えるかどうか怪しいだろう。
「アルディスさんは大丈夫なんでしょうか?」
キリルは現在帝国に赴いているアルディスの身を案じた。
あのデタラメな強さを持つ人物が、苦境に追い込まれる事態など想像するのも難しい。
しかしそうはいっても、戦時の敵国というのが平常時とは比べものにならないほど危険だろうということは容易に予測できる。
「問題あるまい。もともと傭兵というのはいずれの国に属するものでもない。普段拠点にしている国を敵にして戦うことなど珍しくもなかろう」
「え……? まさかアルディスさん、帝国軍の傭兵部隊に入ってたりしませんよね?」
キリルの顔が瞬時にして青くなる。
アルディスを敵に回すなど、キリルは考えもしなかったのだ。
「その可能性もあろう。別に我が主はこの国に仕えているわけではない。たまたま住み処を王国内に構えているだけだ」
「それは……、そうなんですけど」
「まあ心配はいらぬ。確かに王国に対する義理はなかろうが、だからといってわざわざ帝国に与する理由もあるまい。我が主のことだ。戦争中であろうが、敵国の真っ只中であろうが、関係なく自らの成したいことを成すだけであろう」
「あー、まあ確かに。あの人ならケロッとした顔で戦場を突っ切って来そうですけど」
むしろそっちの方がすんなりと想像出来てしまうあたり、キリルのアルディスに対する理解は深まっているようだ。
「ふむ。『噂をすれば――』と言うではないか」
納得顔のキリルから視線をそらし、ネーレが天色の瞳を南に向ける。
「え? どういうことですか?」
意味がわからず問いかけるキリル。
少し遅れてフィリアとリアナが嬉しそうに声をあげる。
「来たぞキリルー!」
「アルディスとロナだー!」
「え? 何が来たの? アルディスさんとロナ?」
双子はそろってあらぬ方向へ視線を向けていた。
その視線が南から東に向けて少しずつずれていき、家の入口となるドアへ重なった時、ようやくキリルにもその意味を理解することができた。
ドアの向こう側に何者かの気配が感じられたからだ。
「あ……、もしかして?」
やおら立ち上がり、入口へと歩いて行ったネーレがそっとドアを開く。
危険な森の中に位置するこの場所を知る者は少ない。
加えて人目にさらすことの出来ない双子が暮らす家でもある。
当然見知らぬ人間が突然訪問してくる事はないし、得体の知れない相手が近づいてくるのをネーレが許すはずもない。
そのネーレが恭しく頭を垂れて迎え入れる人物。
それはキリルの知る限り、たったひとりしかいなかった。
「来てたのか、キリル。ちょうど良かった。土産物を渡しに行く手間が省けたな」
開いたドアの向こう側。
黄金色の毛に包まれた獣を従えて立つその少年とは、三ヶ月ぶりの再会である。
「おかえりアルディス!」
歓喜の声と共に双子が黒髪の少年へ飛びついた。
2018/02/20 誤字修正 王都に終結し → 王都に集結し
2019/01/11 誤字修正 百人を越え → 百人を超え
※誤字報告ありがとうございます。
2019/03/07 誤字修正 三ヶ月ぶりの再開 → 三ヶ月ぶりの再会
※誤字報告ありがとうございます。