第101話
アルディスがロナと再会してから四年の月日が過ぎた。
ルプスがコーサスの森へと住み処を移して落ち着いたのを見届けると、その後は討伐依頼などで必要な収入を手にしつつ各地を転々としていた。
ロナを供にしたアルディスへかなう相手などそうそういるものではない。
パーティを組むことなく、単独で困難な討伐依頼を次々と片付ける黒髪の少年は『剣魔術の使い手』として『三大強魔討伐者』の称号と共に名を高めていた。
「今回も収穫なし?」
「ああ。残念なことにな」
王都グランへと続く街道。
歩きながら問いかけたロナへアルディスが感情を込めずに答える。
この四年間。アルディスはロナと連れ立って、口伝や文書をもとに各地の遺跡を探索して回っていた。
しかしながら今もって故郷の世界へ戻る手がかりを一向につかめないでいる。その落胆は隠しようもなかった。
なまじ世界を渡ることが可能だと目の前で見せられている分、アルディスも諦めきれないだろう。
一方のロナはアルディスほど気落ちした様子がない。
当然だろう。アルディスと違い、ロナはいつでも好きなときにあちらの世界へ渡る術を持っている。
時折「ちょっと帰ってくるね」と軽い一言を残して姿を消し、半月ほど経った頃にひょっこり姿を現すのだ。
ロナ曰く「すぐに戻ってきたよ」ということらしく、どうやら向こうの世界とこちらの世界では時間の流れが大きく違うようだ。
正確に測ったわけではないものの、おそらくこちらでの一年が向こうでは一日程度になるらしい。
四年前にロナと再会したとき、お互いの認識に食い違いがあったのはそのせいだ。
「王国内も都市国家連合内も、これでほとんど調べ終わったんじゃない? 次はどうするのさ?」
「そうだな……。そろそろ帝国にも足をのばす、か」
アルディスが活動の拠点としているのはナグラス王国の王都グランだ。
都市国家連合はナグラス王国の西に位置し、王国との関係も友好的である。
そのため往来も盛んで情報も多く入ってくる。
しかし、王国の南東に位置するエルメニア帝国の場合は話が違う。
もともと領土を巡って幾度も干戈を交えた両国の溝は深い。
傭兵や商人たちのようにあちこちを行き来する人間は別として、両国間の交流は無いに等しかった。
交流が少なければ当然伝わってくる情報も少なくなる。
まして、アルディスが求めるような情報はなかなか入手が難しい。
手がかりを求めるならば、直接現地へ赴いて情報を収集するしかないだろう。
「北は? ブロンシェル共和国だっけ?」
「そっちはいつでも行ける。だが帝国の方はそうもいかないだろうからな」
王都からの距離でいえば帝国よりも共和国の方が近い。
だが徒歩や馬車などの手段に頼らずとも高速で移動が可能なアルディスたちにとって、物理的な距離はあまり制約とならない。
さすがに大陸の西端までとなると考えてしまうが、帝国と共和国の両国であればさほどの違いはなかった。
問題となるのは情勢だ。
もともと険悪だった両国の関係は、ここに来ていっそう悪化している。
きっかけは王都北部で新たに開発された重鉄鉱山だった。
それまで王国では帝国との国境付近でしか採取できなかった重鉄が、首都近くの土地から産出している。
重鉄はその名に反して鉄よりも比重が軽く、精製することで鉄を用いた鋼よりもさらに硬質な素材に変化する。
農具、日用品、建材と幅広く使われるが、その有用性が最も活きるのは兵士たちの身につける装備においてであった。
産出量が増大した重鉄と四年の歳月は、両国の軍事バランスを狂わせる。
焦ったのは帝国だろう。
彼らにしてみれば、手をこまねいている時間が続けば続くほどに王国の戦力は拡大するのだ。
いつ戦争に突入してもおかしくない仮想敵国の戦力強化を黙って見ていられるわけもなく、昨今は『戦争になるかならないか』ではなく、『開戦はいつになるか』がもっぱらの話題であった。
「戦争が始まれば情報収集どころじゃないからな。こんな事なら先に帝国の方を調べておくんだった」
「ま、今さらいっても仕方がないんだけどね」
「それはその通りだが……。お前も少しは責任を感じてもいいんじゃないか?」
そもそも帝国よりも都市国家連合を優先した原因のひとつはロナである。
交易で他の大陸からも珍しい食べ物がたくさん入ってくる都市国家連合は、食いしん坊のロナにとって非常に興味をそそられる場所だ。
食い気を優先したロナが都市国家連合内の探索を優先するよう、強く主張した結果が今の状況である。
確かにその当時は帝国との緊張もそれほど高まっていなかったということもあるが、だからといって自分の事を棚に上げてそしらぬふりというのはムシが良すぎるだろう。
「あ、そろそろ門が近づいて来たからボク黙っておくね」
王都の北門が近いことを理由に、回答の義務を放り出すロナ。
「都合のいいときだけ獣に戻るんじゃない」
「わん!」
不満そうなアルディスの視線を、黄金色の獣が犬のような鳴き声でやりすごした。
「アルディスさん? アルディスさんじゃありませんか!?」
門を抜け、王都グランの大通りを歩くアルディスは突然呼び止められた。
声の主を探して視線をさまよわせたアルディスの瞳に、ひとりの少年が映し出される。
その少年は品の良さそうな上下揃いの服を身につけている。
パールホワイトの髪はアルディスよりも頭半分低い位置にあった。
決して粗野ではないが、しかし育ちが良いとも言い切れない雰囲気。
傭兵でもなく貴族でもなく貧民街の住人でもない。一生を街の中で終える、一般的な王都の民に近い感じを与える少年だ。
「お久しぶりです!」
「……キリルか?」
「そうです、キリルです。良かった。忘れられてるかと思いましたよ」
都市国家レイティンのとある商会で丁稚奉公をしている少年。それがキリルだった。
四年前。コーサスの森で偶然その危機を救った相手だ。
その後、アルディスはレイティンへ押し寄せる魔物と獣の群れ相手に防衛戦を行うことになったが、そのレイティン行きのきっかけとなった人物でもある。
「久しぶりだな。二年ぶり……か?」
「そうですね。最後に会ったのはそれくらい前だったと思います」
変声期を経てすっかり大人の声になったキリルが笑顔で肯定する。
「またずいぶん背が伸びたな」
その成長をうらやむようにアルディスがつぶやく。
最初に出会った頃はキリルも十二歳だった。
当時はアルディスとの身長差も大きかったが、それが今では頭半分ほどしか違わない。
もっとも身長差が縮んでいる理由に限れば、キリルが成長しただけとは言えないのだが……。
「それにしてもどうして王都に? 商会の仕事か?」
四年前とは違い、キリルももはや子供ではない。
まだ半人前とはいえ、何らかの仕事を任されることはあるだろう。
あるいは誰かの付き添いとしてやって来ているのかもしれなかった。
「実は僕、明後日から王都の学園に通うことになったんです」
「は? 学園? 学園ってマリウレス学園のことか?」
「はい」
意外な話にアルディスは再び疑問をぶつける。
「学園に通う? お前がか?」
「はい」
「いや、仕事はどうしたんだよ? というか学園に通う金なんてあるのか?」
いくらマリウレス学園が平民の入学を許可しているとはいえ、卒業までに必要な学費は結構な額となる。
そこそこ裕福な家庭でない限り、子供を通わせることなどできないだろう。
ましてキリルは丁稚奉公の身である。学費を工面することなど到底できないだろうし、何より商人見習いとして商会で働かなくてはならないはずだ。
「学費はマリーダさんが出してくれるんです」
「マリーダが?」
その名がキリルの口から出ると、アルディスはわずかに顔をしかめた。
マリーダ。それは人を小馬鹿にしたような態度と妙な口調が特徴的な女の名前である。
同時に、若いながらもレイティン指折りの大商会を切り盛りする商人でもあった。
「はい。以前アルディスさんがレイティンに来てくれたとき、王都での話をしてくれたじゃないですか」
キリルのいう話とやらを思い出そうと、アルディスがあごに手をあてて無言になる。
「…………もしかして呪術師のじいさんが言ってたやつか? お前に魔術師の素質があるとかいう」
そうして思い出したのは、キリルをコーサスの森から連れ帰った時に呪術師の店へ立ち寄ったときのことだった。
呪術師は当時まだ十二歳だったキリルを見て、魔術の素質があるような事を言っていた。
思い出してみれば確かに三年ほど前、レイティンを訪ねた際にマリーダとキリルの前でその話を持ち出した記憶がアルディスにはあった。
「そうです。あれをマリーダさんも覚えてたみたいで、『折角素質があるんなら商人よりもそっちの才能を活かした方が良い』って」
いくら素質があると言われたとしても、相手は特に高名というわけでもない一呪術師である。
普通ならば話半分で本気にはしないだろう。
本気で信じたとしても、人様の商会で丁稚奉公をしている人間を勝手に魔術師の道へ進ませることなどありえない。
だがマリーダは人にない能力を持っている。『夢の中で選択した通りに現実が推移していく』という奇妙な力だ。
アルディスとキリルを引き寄せたのも、アルディスがレイティンで防衛戦に参加するはめになったのも、マリーダが持つ夢見の能力があったればこそ――もしくは能力のせいである。
また夢で何かを見たのかもしれない、とアルディスは考えた。
夢の内容はマリーダにしか分からない以上、推測するしかないが、キリルが魔術師になっている光景か、それとも王都で暮らすキリルの姿か……。
「それで旦那様や姉さんを説得してくれて、学費も寮費も全額援助してくれたんです」
キリルの主人にとって、マリーダは商会の危機を救ってくれた恩人である。
姉――とキリルが呼ぶ商会主人のひとり娘――にとっても恩人であることに変わりなく、加えて幼なじみという間柄でもあるらしい。
マリーダが本気で説得すれば、キリルを学園に通わせることに異を唱えたりはしないだろう。
「ただ……。その代わり、絶対に銀杯を持ち帰ってこいと厳命されてしまいましたが……」
それまでのハキハキとした口調から一転して、気が重そうにキリルがトーンを落とす。
キリルの言う『銀杯』とはマリウレス学園の卒業年度最優秀成績者が与えられる記念品のことである。
つまり『銀杯を持ち帰ってこい』というのは、『学園を首席で卒業しろ』という指示と同義であった。
確かにキリルは初めて会ったときから利発さを感じさせる子供だったが、いかに優秀とはいえ学園首席卒業が容易ならざる事はアルディスにも想像出来る。
入学前から重荷を背負わされた少年にかける言葉が思い浮かばず、アルディスは無難な励ましを贈った。
「がんばれ、としか言いようがないな」
「はい……」
暗くなった空気を払拭しようと、アルディスは話題を変える。
「じゃあ、今は入学前の準備中ってところか?」
「はい。それと学園に通いながらできる仕事が何かないかと思って探しているところです。いくら学費と寮費をマリーダさんが出してくれるとはいっても、身の回りの日用品を買うお金は必要ですから」
「仕事、ねえ……」
それを聞いて、アルディスの眉がピクリと動く。
近頃頭を悩ませている問題の解決に、この少年が使えるかもしれないと思ったのだ。
「なあ。お前さえ良かったらなんだが、俺に雇われてみないか?」
「アルディスさんにですか?」
意外な申し出に、キリルが驚きの表情を見せる。
「ああ。詳しいことは……そうだな、メシでも食いながら話すか。おごるからつきあえ」
「あ、はい」
「どこか行きたい店はあるか?」
「お任せします。僕はまだ王都に不慣れで、お店とかもよくわからないですから」
アルディスは通い慣れた宿の名をあげる。
「じゃあ『せせらぎ亭』に行くか」
「せせらぎ亭?」
どうやらキリルの記憶には残っていない名前のようだった。
しかし名前は覚えていなくても、絶対に忘れられない出来事がすぐに思い出させてくれるはずだ。
「覚えてないか? 四年前、初めて俺と会ったときに泊まった宿だ」
「あ……」
それでピンと来たのか、キリルは納得するような表情を浮かべ、次の瞬間に顔を青ざめさせた。
メリルの自称『創作料理』に大歓迎を受け、完食せざるを得なかったあの日を思い出したのだろう。
「……あ、あの宿ですか」
今にも泣きが入りそうな情けない顔だ。
「どうした? 行くぞ?」
「は、はい……」
促すアルディスの声に、キリルの口からかろうじて同意の言葉が発せられる。
それは先ほど『銀杯』の話をしたときよりも重苦しく、沈んだ調子の声で絞り出された一言だった。
2018/01/14 誤字修正 王国との戦力 → 王国の戦力
2019/05/03 脱字修正 覚えたみたい → 覚えてたみたい
※脱字報告ありがとうございます。
2019/08/11 誤字修正 必至 → 必死
※誤字報告ありがとうございます。