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千剣の魔術師と呼ばれた剣士  作者: 高光晶
第九章 一昨日のパートナー

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第91話

 アルディスは『刻春霞(ときはるがすみ)』と『月代吹雪(つきしろふぶき)』を手元にたぐり寄せると、すぐさま駆けはじめる。


 二百メートル先にある魔力反応は全部で五つ。

 大きさはどれも人間サイズだ。

 おそらくひとつはソルテ、そして三つはこの場にいなかった護衛の傭兵たち。

 問題は残るひとつの反応だった。


「動いた?」


 他の四つとは桁違いに大きな魔力をもったそれが動いた瞬間、魔力反応がひとつ消えた。

 それがソルテの魔力なのか、それとも傭兵の魔力なのかは分からない。


 焦るアルディスをあざ笑うかのように、もうひとつ魔力反応が消失する。

 邪魔になる木さえ無ければ数秒で駆けつけられただろうに、たった二百メートルの距離がアルディスにはやけに長く感じられた。


 乱立する樹木を避けながらアルディスが魔力反応のある場所までたどりつく直前、さらに魔力がひとつ消える。


「ちっ!」


 アルディスが『刻春霞』と『月代吹雪』を解き放つ。

 二本の飛剣が一直線に魔物と思われる魔力反応へ向け飛んでいった。


「避けるのか!?」


 しかし二本の剣はむなしく地に突き刺さる。


 どうやら相手は相当気配察知に秀でた個体のようだった。

 離れた距離からアルディスが放った飛剣をかわし、もうひとつの魔力反応から距離をとる。


 飛剣に遅れてアルディスが場にたどりつく。

 まだ近くにいるはずの魔物を警戒しながら、状況を把握するべく視線を巡らせた。

 首のない死体がひとつ、片足を失った血まみれの死体がひとつ、そして体を上下に切り裂かれた死体がひとつ。どれも傭兵のものだ。

 その側でペタンと腰を落とし、顔を蒼くさせている修道服の少女がひとり。


「無事だったか……」


 顔には出さず、アルディスは内心で胸をなでおろした。


 だがまだ予断を許さない。

 あっという間に傭兵たちを葬った魔物は、いまだ樹木の影からこちらを窺っているのだ。


 不意打ちとなったはずの飛剣をかわした相手である以上、決して油断できる相手ではないだろう。

 どうやら向こうはまだ引く気がないらしい。

 ランタンの光でおぼろげに浮かび上がる木々の向こうに、相変わらず強大な魔力をまとった存在がこちらを窺っている。


「出てこないなら、こちらから行くぞ」


 薄い黄緑と白の剣身がその言葉で弾かれるように動きはじめる。

 魔物が隠れている木の陰へ、左右からアルディスの操る飛剣が孤を描くように向かう。


 当然アルディスもそんな攻撃が通用する相手だとは考えていない。

 だから木陰から飛び出してきた魔物が、呼び戻す飛剣より速く襲いかかって来てもそれ自体は驚くに値しなかった。


「なっ!?」


 にもかかわらず、アルディスが驚愕の表情を見せたのには理由がある。

 反射的に『蒼天彩華(そうてんさいか)』を振り抜こうとした手が止まった。


 アルディスに牙をむいているのは全身を黄金色の毛で覆った四つ足の獣だ。

 中途半端に振るわれた剣を歯でくわえ止めると、そのまま右前足の爪でアルディスの胴を払おうとしてきた。


「っと!」


 すぐさま『蒼天彩華』を手放し、(うな)りを上げる一撃から身をかわす。


 距離をとって、アルディスと黄金色の獣が対峙(たいじ)する。

 『蒼天彩華』を奪われたからといって、アルディスには攻撃手段などいくらでもある。


 だがアルディスは魔術を使うでもなく、飛剣を呼び戻すでもなく、じっと獣の目を見つめていた。

 その瞳に感じるのは一般的な魔物がもつ殺意まみれの光ではなく、こちらを()し測るような知性の光。


 何よりその姿はアルディスにとってあまりにも親しみ深い。

 体の大きさに比してやたらと大きな尾は絵筆のようなふくらみを見せ、やわらかい黄金色の毛に覆われている。


 双方とも相手の出方を窺うように動きが止まって数秒。

 アルディスが口を開いた。


「お前……、もしかしてロナか?」


 獣の体がピクリと動く。


 奇妙な静寂が訪れた後、黄金色の獣が口にくわえていた『蒼天彩華』を吐き捨てる。

 落ちた剣の奏でるカランという音がやけに響いた。


 獣はもともと細い目をさらに細め、何かを(いぶか)しむようにアルディスの目を真っ直ぐ射抜いていたが、やがて鋭い牙を内包したその口を開く。


「君みたいな子供から、名を呼び捨てにされるような憶えはないんだけどね」


 それは(まご)う事なき人間の言葉だった。


「ま、魔物が……しゃべった」


 あまりの驚きに目を丸くするソルテ。

 そんな彼女に目もくれず、アルディスは獣とのコンタクトを続ける。


「俺だ。アルディスだ。まさか忘れたなんて言わないだろうな?」


「アルディス……?」


 獣が疑わしそうな目でアルディスを見る。


「ボクの知るアルディスと君は別人のような気がするけど」


「おい、そりゃないだろう? 何年一緒に旅したと思ってるんだよ」


「……確かに匂いはアルに似てるけど」


「だから本人だって言ってるだろう」


 鼻をひくつかせて匂いを嗅いだ獣は半信半疑といった風だ。


「君が本当にアルだって言うのなら……。『(おつ)の三番白』、この意味分かるよね?」


「別に構わないが……、どっちが白なんだ?」


「もちろん――」


 獣が人ならぬ顔でニコリと笑みを作り、突然跳躍した。


「――ボクに決まってるよ!」


「おい、フライングだぞ!」


 文句を言いながらもアルディスは魔法障壁を展開して迎え撃つ。

 そこへ放たれる獣の魔法。暗闇の中に突然現れた細い光が雨のようにアルディスへ降り注ぐ。

 障壁にぶつかり火花のように散っていく光の数々。


「三番じゃなかったのかよ!?」


「のんびりしてるのが悪いんじゃないか」


 宙に浮いたまま、楽しそうに獣が笑う。


「おい、ソルテ!」


「は、はい!」


「隠れてろ! 身の危険を感じたら大声で叫べよ! 悪いがそっちを気にかけてる余裕はない!」


 ソルテからの返事も待たず、アルディスは自分の体を浮かせて周辺で一番高い木の頂に立つ。


「待たせたな」


「心配しなくても、傍観者を巻き添えにするほどボクドジじゃないのに」


「どうだか。俺の知るロナというお調子者は、熱中すると周りが見えなくなる困ったヤツだからな」


「うるさいなあ」


 図星を指されてカチンと来たのか、黄金色の獣は不満そうにつぶやくと尾をふるって無数の氷を生み出す。

 音もなく動きはじめたそれらは一瞬にしてトップスピードにのり、アルディスへ襲いかかる。


 ふわりと体を浮かせると、アルディスは着弾点から早々に退避して反撃の体勢へと移った。

 直前まで立っていた樹木の上部が跡形もなく消えたのを横目に、少年は凝縮した魔力の塊を一本の槍に変えて打ち込む。


 獣はアルディスの攻撃を正面から迎え撃つ。

 衝突の瞬間に前肢を振り下ろして魔力の槍をはたき落とす。

 続いて向けられた火球の連弾へは、水の障壁を張って勢いを()ぎ回避の時間を稼ぐと、悠々と着弾域から退いた。


「今度はこっちの番だよ」


 獣の耳がピクピクと動くと、空気の流れが急激に変化する。

 獣の頭上に現れた歪みが、周囲の空間を巻き込んで渦を巻く。

 キリキリと強引に巻き取られる空間へ、大量の風が吸い込まれ圧縮されていった。


「そーれ!」


 気の抜けたかけ声と共に、半月状の刃が渦から生み出される。

 その数は正面からが三つと、左右それぞれからひとつずつ。

 奇妙な音を立てながら、それは加速度的に宙を飛んでアルディスに襲いかかった。


「その程度!」


 アルディスにかわせないスピードではない。

 空中に不可視の足場を作成し、アルディスはそれを足で蹴って襲いかかってくる半月をかわす。


「残念!」


 イタズラが成功した子供のように、獣が嬉しそうに叫ぶ。

 アルディスが回避した半月の刃は、曲線の軌跡を描いて再び襲いかかって来た。


「ちぃ!」


 アルディスが片手をかざし、魔力による防御障壁を張り巡らせる。

 ネーレの繰り出す光球を防いだ三重魔法障壁だ。


 だが半月の刃と防御障壁が激突した瞬間、アルディスはすぐさま悔やんだ。

 衝突によりぶつかり合うとばかり思っていたそれが、予想外の結果を見せたからだ。


「貼り付く!?」


 障壁に接触した半月の刃は衝撃を発することもなく、かといって弾かれるでもなく、その形を粘液状に変化させてアルディスの展開した障壁へと貼り付いた。

 先ほどまで鋭利で硬質な印象を与えていた刃は、一瞬にして障壁全体を囲む薄い膜となってアルディスの視界を塞いだ。


「本命はそっちか!」


 獣がいるであろう方向から強い魔力反応を感じ、アルディスは身構える。

 これまでの攻撃とは桁違いの強い魔力。

 ネーレの光球ですら児戯(じぎ)と思えるほど、比べものにならない強大な力が蠢動(しゅんどう)する。


 アルディスは魔法障壁のベクトルを外側に向け、目くらまし目的で貼り付いた粘液状の魔力をはじき飛ばした。


「安易だなあ」


 呆れたような声で獣が笑う。


 小規模な爆発を伴って、アルディスの周囲が開ける。

 しかしそれは獣の思惑通りだったらしい。


 爆発がおさまった時、アルディスは自分の手足に絡みつく糸状の魔力に気が付いた。

 どうやら爆発の瞬間に形状を変化させ、被害をやり過ごすと共にアルディスを拘束する力へと役割を変化させたようだ。


 糸状の魔力はアルディスの手足に絡みつき、その動きを鈍らせている。

 そして糸の一方は目の前にいる獣へと続き、最終的にその尾へと収束していた。


「さあ、トドメだよ!」


 獣が尻尾を引っぱると、アルディスへ巻き付いている糸がさらに緊縛の力を増す。

 嬉々(きき)として獣が魔力を錬り始めた。

 頭上に浮かぶねじ曲げられた空間に強い魔力が押し込まれ凝縮され、逃げようのない獲物に向かって放たれる瞬間を今か今かと待ち受けている。


 しかしアルディスは焦らない。


「つながってるんなら都合がいい」


 そう言って魔力の性質を変換し始める。


 体の表面でバチリと小さな音が発生する。

 それは次第に数を増やし、間隔を狭めていった。


 音に付随して火花のような一瞬の光が無数に現れる。

 やがてその体を包んでいた魔力が電撃と呼ぶにふさわしい威力を得ると、アルディスは獣に向けてニヤリと笑みを浮かべた。


 それまで余裕を見せていた獣の表情が瞬時に凍りつく。


「え? え? え? ちょ、ヤダ。待って! ビリビリなのは――!」


 慌てて魔力の糸を断ち切ろうとする獣に向かって、黒髪の少年は無慈悲に告げる。


「残念、もう遅い」


 言い終えるより早く、自らを拘束する糸状の魔力を導線にして電撃の魔力を獣に流し込む。


「あばばばばばばばばばばばばば!」


 さぞや効いていることだろう。

 バカみたいに魔力耐性のある相手だが、アルディスの知るロナという獣は電撃をひどく嫌う。

 この程度で傷を負うとも思えないが、『平気』というのと『好き嫌い』はまた別の話である。


「さあて、ロナ。まだやるか?」


「うう……、ひどいよアル。ボクがビリビリ嫌いだって知ってるくせに……」


「ということは、俺が誰なのか理解できたってことだな?」


 アルディスの問いに、獣が渋々と頷く。


「むう……。何かよくわかんないけど、アルじゃなきゃ符丁(ふちょう)もわかんないだろうし……」


「納得してもらえて何よりだ。お前には訊きたいことが山のようにあるが、とりあえずは下に降りてソルテと合流しよう。お前、この先用事はあるのか?」


 ロナは首を横にふる。


「特に無いよ。ボクもアルに訊きたいことがたくさんあるし」


「よし、決まりだ」


 ふたりは連れ立って地に降り立った。

 そこで待っていたのは、ひとりの少女。目の前で繰り広げられる非現実的な光景を脳が処理しきれず、呆然と立ち尽くしているソルテだった。


2017/11/01 誤字修正 伺う → 窺う

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