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小説競作企画・参加作品

天使と妖精 【なろう版】

作者: 檀敬

【文芸バトルイベント「かきあげ!」第五回イベント・テーマ『ふんわり』参加作品】

 自室に入ると、それと同時に天井が明るくなった。ヴェネラは明るすぎる照明を少し暗めの青い光に調節した。そして、ベッドに腰を下ろす時に右手が不用意にデスクに触れた。その勢いで積み上げられた書類から小さな紙切れが床に落ちた。拾い上げてよく見ると、ヴェネラと男性のツーショット写真だった。

「誰と撮った写真かしら? ……あぁ、ボブだわ。一年前の写真ね……ボブ……ボブはどこへ召されたというのかしら?」

 ヴェネラは表情を変えずに写真をじっと見つめていた。


「今日も残業なの、ボブ?」

 俺に声をかけたのはヴェネラだった。彼女が俺に気があることは知っているが、俺にとって彼女は『頼りになる後輩』であり、かつ『かわいい妹』でしかない。それに、俺にはもう娘と女房がいる。

「稼ぎがないと家族を養えないからな」

「ジョブ・ルールに違反していないでしょうね?」

 彼女は心配そうに尋ねる。俺は首を横に振ったが、実際は『作業時間の上限なんてクソくらえ』だった。それのほかに金を稼ぐ方法を俺は知らないから、仕方がないのだ。

「だから、あのひととの結婚は止めた方が……」

「ヴェネラ、そこまでにしてくれ」

 言葉をさえぎりながら俺がにらむと、バツの悪い顔をした彼女はそれ以上のことは言わなかった。

 そうだとも、ヴェネラ。君に言われなくても、あのおんなと結婚したことが、間違いの根本的な原因であることくらいは承知している。それでも俺はあの女と結婚したかったのだ。だから後悔はしていない。

 結婚前からひどい女だと分かっていたさ。金遣いが荒い道楽女だ。だが、あの女が時々見せる寂しい表情は本物だと俺は信じている。それ故に離れられないのだ。それに三歳になる一人娘のジュディがかわいくて仕方がない。たとえ俺があの女を捨てたとしても、ジュディだけは絶対に手放さない。そのためにも俺は稼がないとダメなんだよ。

「心配をさせて申し訳ない」

 下を向いて小さくもらした俺の言葉に、ヴェネラは明るいトーンで返してくれた。

「くれぐれも気を付けてね」

 俺はフェイスガードを閉じてエアロックへと向かった。


 今日の作業中に起きたアンディとのアクシデントを思い出しながら写真を見るヴェネラの心に、やるせない気持ちと安堵あんどの気持ちが複雑に入り混じる。

「ボブはもう戻ってこないけど、アンディは無事に生還したわ。今日の仕事は最高の出来だったわよね、ボブ?」

 ヴェネラは苦笑いしながら作業服を脱ぎ、シャワーカプセルへと向かった。


 ここは、金星の高度五十五キロメートルに浮遊している『フィフティ・ファイブ』というドーム型都市だ。この高度には硫酸雲が漂い、都市の部材は腐食して硫黄が付着する。そのメンテナンスには部材の取り換えと硫黄の除去が不可欠なのだ。しかし、同じく腐食と硫黄付着によって作業ロボットが一週間で使い物にならなくなる状況では、人間が手作業で行うしか方法がなかった。

「大丈夫か、ボブ?」

 エアロックを出た途端にふらついた俺に、仲間が声を掛けてくれた。俺はすぐにGJサインを出して返答した。

「今日のスーパーローテーションは、いつもより増して激しいようだぜ」

 俺の言葉に仲間は失笑しながらも、俺に仕事の指示をしてくれた。

「俺たちはもっと先のアンテナ付近で取り換え作業と除去作業をを行う。ボブ、君はエアロック付近の腐食した部材の取り換えと硫黄の除去を行ってほしいのだが」

「了解した。ピッカピカのエアロックで君たちをお出迎えするぜ」

 俺の個人的事情を理解した上で、今まで通りに俺を扱ってくれる仲間の気遣いがうれしかった。

 俺は、安全ベルトに取り付けられた二つのカラビナの一つ目を、かなり腐食が進んだ安全バーに取り付けた。

「二つ目のカラビナを……ん? おかしいぞ。ここにあるはずなんだが……どこにあるんだ?」

 カラビナを手探りで探して体をよじったと同時に無意識で左足を踏み変えていた。踏み変えた時、左足の靴の裏に層状になった硫黄の大きな塊が付着してしまった。

「しまった!」

 そんな驚嘆を口にした時には遅かった。硫黄の塊が靴の磁力効果を相殺する。磁力効果がない靴は床面に密着しない。密着しない脚は俺を転ばせる。転んだ俺は床面を滑る。滑った俺の体と取り付けたカラビナとを結んだザイルが伸びる。ザイルが伸びてピンと張った時点で全ての動きが停止した。

「危なかったぜ」

 一本のザイルで俺の体を十分に支えられる規格だったことに感謝した。俺はザイルをグッとたぐり寄せたが、妙に手応えが軽く、俺の体にも踏ん張りが効かなかった。

「どういうことだ?」

 言葉にした時点で、俺は自分の体が宙に浮いていることに気が付いた。冗談のつもりで仲間に言った「激しいスーパーローテーション」に吹き飛ばされていたのだ。

 俺はザイルをたぐり寄せようとするが、スーパーローテーションの激しい流れがそれを阻止する。俺の体は何度も床面に打ち付けられ、その度にザイルが安全バーとこすれ合っていた。腐食してギザギザになった安全バーがヤスリの役割を果たし、打ち付けるザイルにほつれができていた。そして、ザイルのほつれはみるみるうちに広がっていく。

「ヤバッ!」

 そう思った時にザイルがプツリと切れた。同時に床面やエアロックが視界からズームアウトした。次の一瞬でフィフティ・ファイブのドーム全体が視界に入り、有無を言う間もなく豆粒になり、点となり、ついに視界から消えた。


 しばらくの間、俺はスーパーローテーションとともに硫酸雲の中を飛んでいた。しかし、揚力や推進力を持たない俺は次第に下降し始めた。下降に伴って加圧と加熱が俺を襲い始めた。与圧服を容赦なく締め付け、また与圧服がトロトロと溶け出した。悶絶もんぜつを上回る圧力と蒸し焼き地獄の温度の中で、俺の耳にこんな会話がかすかに響いた。

「イシュタルのところに面白いモノが落ちてくるわ」

「面白くも何ともないよ、アフロディーテ。隣星から来たちっぽけな生き物だろ!」

「どうなっちゃうの? このままだと死んじゃうわ。かわいそうよ」

「ラーダったら、何でもすぐに『かわいそう』なのね」

「だってアフロディーテ姉様、生き物は大切にしないと」

「放っときゃいいのさ、墜ちて生命活動を終えればいい」

「冷たいのね、イシュタル姉様は!」

「分かったわ。この生き物の《心》を探ってみましょう」

「アフロディーテ姉様、ありがとう」

「……へぇ、悲愴な生命活動をしてきた生き物なのね」

「なるほど、これはちょっと悲しいなぁ」

「何とかならないの?」

「しょうがねぇな。例の【妖精】にしてやるか」

「ありがとう、イシュタル姉様。口は悪いけどホントは優しいのよね」

「ラーダ、『口が悪い』は余分だよ!」

「てへへ」

『最期に美女たちのささやきを聴けて良かったぜ』などと考える俺の意識は、かなり『もうろう』としていた。


 長い時間を『もうろう』と過ごした俺は、地獄に行き着くと考えていたが、少し違うようだ。意識は人間の『俺』だったが、姿は人間ではなかった。与圧服はキレイに消えてなくなり、腕が四本で脚が四本の体になっていた。ピンと伸ばした八本の手足の先から頭、胴体までを白い半透明の膜が包み込んでいた。その膜が翼面となって硫酸雲に浮かび、同時にそれで飛行も行い、硫酸や硫黄から体を守っている。手足が増えたのはこの膜を制御するためのようだ。

 俺は、この体でスーパーローテーションとともに金星を周回した。どのくらい周回したかはもう分からない。人間としての機能が低下しつつあるために記憶が不鮮明で、記憶すること自体の必要性を感じなくなっている。


 つい先ほど、硫酸雲に衝撃波が伝わった。近くにいた俺は様子を見に行った。硫酸雲の中を落下するモノは『ゴンドラ』ではないのか? 俺は上昇して硫酸雲の上に出ると、そこに巨大な風船があり、目を凝らすと二つの人影が見えた。その一つは既知の人影だと、俺の直感がささやいた。

「ヴェネラ!」

 発音しようとした途端に、人間としての『俺』の意識が完全消滅へと動き始めた。俺は、苦くすえた雲の中でふんわりと浮いて漂うだけの『イキモノ』に……。


 シャワーを浴びたヴェネラは、緩いナイトウエアを着てベッドに潜り込んだ。軽く疲れを覚えている体をベッドにあずけながら、今日のことを振り返える。特にアンディとの仕事の、終わり間際のことを思い出していた。


 外部活動を終えて、ヴェネラとアンディはエアロックに入った。エアロック内の気圧調整中にアンディは、ヴェネラに接近してアンディ自身のフェイスガードをヴェネラのフェイスガードにぶつけた。

「ヴェネラ、私を助けてくれてありがとう。感謝のキスを君にしたいのだが、与圧服がこんなに邪魔だとはね」

「アハハ、アンディったら!」

 ヴェネラはアンディの言葉に笑いながら顔を赤く染めた。そんなヴェネラの様子をみて、アンディは緊張した声でありながらも多弁に語り始めた。

「こんな時に突然、こんなことを言うと変に思われるかもしれないのだけど、ヴェネラ、君を食事に誘ってもいいかな? つまり「私と一緒にご飯を食べないか?」ってことなんだが。要するにだ、君の顔をゆっくりと見ながら、じっくりと話がしたいということなのだけれども。……うーん、上手なセリフが口から出てこないのだが……正直に言うと、私は女性をデートに誘ったことがなくてね。この誘いを受けてくれないか? やっぱりダメかな?」

 エアロックのサインがグリーンを表示したのを指差しながら、ヴェネラは少し高いトーンの声で言った。

「返事は与圧服を脱いた後でね。それでいいでしょ?」


 ここまで思い出すと、ヴェネラは一人で顔を赤くした。そして、それを隠すようにブランケットを被った。ブランケットの中で照れながらも「アンディとのディナーは何を着て行こうかな?」と、心をふんわりと天使のように漂わせるヴェネラだった。

 お読みいただきまして、誠にありがとうございます。

 企画サイト『かきあげ!』も是非、閲覧していただきますようお願い申し上げます。

※初出・二〇一六年八月二九日 文芸バトルイベント「かきあげ!」第五回イベント・テーマ『ふんわり』

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― 新着の感想 ―
[良い点] 今回のSF短編も面白かったです(^^)
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